第42話 ウォーターパーク
夏休み本番。
連日の猛暑に耐えかねた一華は、朝食後、冷房の効いたリビングで参考書から顔を上げ、我慢ならないといった調子で声を張り上げた。
「あぁー! もうダメ! プール行きた〜い! 流れるプールでぷかぷかした〜い!」
「……プール、だと?」
「そう! 夏なのに泳がないなんて人生損してるよ。毎日この部屋に閉じこもってたら、私、干からびてミイラになっちゃうよ!」
シンの脳裏をよぎったのは、何よりも一華の安全だった。一華の身に危険が及ばないよう、周囲を警戒するのがシンの役目だ。
「待て。水着はないし、何より魔力制御用のブレスレットが濡れる。もし不具合でも起きたらどうする。」
「水着は今日買いに行けばいいし、ブレスレットはスマホと一緒に防水ケースに入れれば全然大丈夫だから。ね、お願い、シン!」
更衣室の問題も、学校の体育の延長だと言い張る一華の勢いに押され、シンは「俺から決して離れないこと」を絶対条件に、渋々重い腰を上げた。
「やったー。かわいいのあるかなぁ……。」
(一華の……水着姿?)
ふと想像した瞬間、シンの耳たぶがカッと熱を帯びた。だが、当の本人はスマホで好みの水着探しに夢中で、シンの動揺には全く気づいていない。
午後、二人は賑やかな駅ビルへ向かった。
売り場には色鮮やかな水着が並び、活気に満ちている。シンは機能性を重視し、そのまま街歩きもできそうなサーフパンツを選択した。一方の一華は、白地に淡い花柄があしらわれた、露出の控えめなワンピースタイプを選び出した。
「これ、どうかな? 普通にミニのワンピースみたいで可愛いよね。」
露出の少なさに心底安堵しながら、シンは頷いた。
「……あぁ、よく似合っていると思う。清楚で、いいな。」
一華が試着室へ引っ込むと、シンは手持ち無沙汰にその前で直立不動で待つ。
期待と、妙な気恥ずかしさが入り交じる中、一華は試着を済ませ、水着を手にして出てきた。
(……水着姿は、当日のお楽しみ、ということか……)
◇◆◇
そして迎えたプール当日。
空は雲一つなく、太陽が燦々と照り付ける絶好のプール日和だ。大型レジャー施設の屋外エリアは、人々の熱気と水しぶきの匂いで満ちていた。
男女別の更衣室から先に現れたシンは、待ち合わせ場所で一華の姿を探す。やがて出てきた一華を見た瞬間、シンは思わず息を呑んだ。
一華もまた、シンの逞しい肩や背中の筋肉を間近に見て、あの『事件の日』の記憶を思い出し、自分の頬が熱くなるのを感じていた。
「お待たせ! ……あの、ちょっと恥ずかしいなぁ……似合ってる?」
「……あぁ、すごく、似合っている。……さぁ、行くぞ。」
赤くなった顔を隠すように、シンは少し強引に一華の手を取った。
浮き輪をレンタルし、確保した有料席に荷物を置くと、二人は流れるプールへ向かった。
流れに身を任せてはしゃぐ一華の脇を、シンはぴったりと寄り添いながら固める。
「わぁ、すごい! 浮いてるだけで勝手に進む!」
(奇妙な施設だな。重力という摂理がないにもかかわらず水流がうまれている……。人間たちによるトラップか何かなのか……?)
はしゃぐ一華に、シンはふと疑問を投げかけた。
「一華は、泳げないのか?」
「うん、金づち」
「金づち……?」
(金属製の鈍器は見当たらないが、なぜそんな物騒なものを口にする……? 彼女なりの特殊な戦闘スタイルなのか……?)
「そう、金づちってわかる?」
「あぁ」
「重いから水に沈むでしょ。だから、そう言うの。」
(……なるほど、この国では『水に沈んで泳げない人』を指す表現か……。)
「泳げないと危ないだろ。」
「別に、深い所には行かないし、こうやって浮き輪もあるから大丈夫だよ。それに、今の高校にはプールがないから、そこも選んだ理由の一つなんだよね。」
「金づちでプールの授業は厳しいな。」
「でしょ。泳げないのが通用するのは小学生までだよ。志望校にプールがないなんて、私って本当に運がいいよね!」
(一華は、泳げないことに悩んだりしないのか……?)
海や川での過酷な鍛錬を思い出していたシンは、一華のマイペースさに少し呆れつつも、水の事故から絶対に守らなければと決意を新たにした。
そんな決意を新たにしていたシンを知らずに、一華はぷかぷかと浮きながらシンに聞いた。
「シン、あっちにはプールはあるの?」
「プールはない。泳ぐのは海や川でもっぱら鍛錬のためだ。遠泳や潜水、水中の敵との戦闘訓練だな。」
「……全然楽しくなさそう。今日は『楽しい』をいっぱい詰め込もうね! まずは、もっと楽しいを満喫するために、あれはどう?」
一華が指さした先には、そびえ立つ巨大なウォータースライダーがあった。
「あれはなんだ?」
「ウォータースライダー。高い所から滑って落ちてくるんだよ。」
「鍛錬にもいいな。」
(傾斜角度約四十五度、全長百メートル超。水圧を利用した急勾配の滑走。牙を剥く激流の奔流を自らの肉体一つで制圧する絶好の機会……。)
「じゃあ、行ってきなよ。」
「一華は?」
「私は滑らないよ。怖いもん。」
「怖いのか?」
「高いし、結構スピード出るし。見てるだけで十分。」
(……いや、待て! 一華を一人残して離れるなど、護衛任務を放棄するに等しい……!)
「い、いや、俺は別に、お前から離れるわけには……。その、一華の安全のためだけにだな……」
「席でゆっくり休んでるから、行ってきなよ。初めての経験だよ。2学期の話のネタになるよ!」
「話のネタ……?」
「うん、ここまで来て滑らない選択肢はないと思うよ。大丈夫だから、行ってきなよ。」
二人は流れるプールを一周して席に戻って来た。
「私はここで休憩してるから。」
シンは一華に背中を押され、「すぐ戻る。決して動くなよ。何かあったらすぐに呼べ。」と言い含めると、一人でウォータースライダーの列へと向かった。
◇◆◇
一華は大きめのタオルで濡れた体を拭きながら、陽射しが遮られた席で一息ついていた。 と、その時。
「か~のじょ、一人?」
聞き慣れた軽い声が降ってきた。振り返ると、そこにはクラスメイトの浩輔と直哉が立っていた。
「やっぱ、一華だ! 一人なのか?」
「ううん、シンと一緒。」
その声に反応するように、少し離れた場所から女性の声が響いた。
「ちょっと、何ナンパしてんのよ。」
浩輔たちが振り返ると、理那と真由が歩いてくるところだった。浩輔が反論する。
「ナンパじゃねえよ。一華だよ!」
「「えっ? 一華?」」
理那と真由は目を丸くして駆け寄り、真由が一華に飛びついて抱き着いてくる。
「もう、何やってるのよー。」
理那が真由を強引に引き剥がし、「私たち、四人で遊びに来たの!」と今度は自分から一華に抱き着いてきた。突然のダブルの抱擁に、一華は目を白黒させてフリーズする。
やがて落ち着いたところで、浩輔が言った。
「一華とシンも一緒に誘えばよかったな……あ、ごめん、今の忘れて……。」
「うん、気にしないでいいよ。」
近くにいた浩輔を、理那が「もう」とばかりに肘で軽く小突く。
「どこか席、借りたの?」
「ううん、無料スペースにレジャーシート敷くつもりだったんだけど……。」
理那が指さした無料エリアは、色とりどりのシートでびっしりと埋め尽くされている。一華たちの席は二人用の小さな有料席だったが、一華は迷わず友人たちを招き入れた。
「椅子足りないけど、ここで一緒に休憩しない?」
「いいのか?」浩輔が聞く。
「下にレジャーシート敷けばいいし、ずっと座ってるわけじゃないしね。」
一華の快い誘いに、理那は「ありがとう」と微笑み、手際よく足元にレジャーシートを広げた。
◇◆◇
一方、シンはウォータースライダーの列に並びながら、遠くのレンタル席に目を凝らしていた。一華のただならぬ気配を察知する。
(遠くの席に……男が二人、一華に接触している。さらにその後方から、女の気配も二つ……? ……誰だ?)
「おい……」
思わずテレパシーを飛ばそうと意識を集中させたその瞬間、前の客が詰めたことで係員に促され、シンは自分の番へと強制的に押し出された。
「くっ……!」
爽快感など微塵も味わうことなく、着水と同時に水を切り裂き、シンは一華の元へと全速力で駆け戻ったのだった。
席の傍らに見慣れた顔を見つけ、シンは更に足を速めた。男二人の姿を認めた瞬間、彼の表情に警戒の色が浮かぶ。
「……お前ら、何してる?」
「四人ともさっき来たんだって。無料スペースが埋まってたようだから、一緒にって誘ったのは私なの。いいよね。」
一華にそう言われては、シンに拒否できるはずもなかった。
「あぁ……。」
シンはしぶしぶ彼らの同席を認めた。
浩輔が「シンはどこ行ってたんだ?」と聞くと、シンは『ウォータースライダー』と指さす。
「シンもまた行こうぜ。」と浩輔がシンに声をかける。
「あぁ、お前らだけで行ってこい。」
シンは男二人を追い出そうとする。
「理那たちも行かないか?」
直哉が理那と真由を誘うが、理那が「私パス」と言えば、真由も「私もパス」と連れない返事だ。
浩輔と直哉はスライダーへと向かっていった。
「一華、一緒に流れるプール行かない?」
理那が一華を流れるプールに誘う。
「さっき二人で一周したんだけど……。」と一華はシンに向いた。
「シンも行く? 楽しかったんなら、またウォータースライダー行ってきてもいいよ。私、三人で流れるプール行ってくるから。」
シンは、微笑む一華に押し切られた。
「あと、一回だけいいか?」
シンの顔が綻ぶ。
「何回でもいいよ、いってらっしゃい!」
「また、あとでな。」と浩輔と直哉を追いかけて行った。
◇◆◇
スライダーの列に並んだ浩輔と直哉に追いついたシンは、前の二人にぶっきらぼうに声をかけた。
「……なぜ四人で来たんだ。偶然か?」
「いや、ダブルデートみたいなもんだよ。……まぁ、まだ告白してないけどな。」と浩輔が照れくさそうに笑った。
「ダッ ダブルデート!?」
シンは驚きで声を裏返してしまった。
(ダブルデートだと!? 男女がペアを組んでレジャー施設を巡る高度な連携作戦か……!?)
「学校ではそんな素振り、なかっただろ。」
頭の中で激しい戦術的考察を繰り広げながら、シンは必死に表情を取り繕った。
(……おそるべし現代の高校生、水着姿でこんな複雑な心理戦を繰り広げているとは……!)
「シンと一華が帰った後の放課後、四人で寄り道をするうちに自然とペアが出来上がったんだよ。」
直哉がここまで来た関係性を説明する。
「誰と誰だ?」
「理那と俺、直哉と真由」と浩輔。
「あっちは気づいているのか?」
「どうだろう、薄々は気づいてるんだと思うけど……プールに誘ったんだぞ。水着姿だぞ。」
浩輔は脈ありだと楽観的だ。
「嫌なら俺たちと来ないだろ。」さらに直哉も脈ありだと感じてる。
「まぁ、そうだよな……。告白はしてないのか?」
「怖くてできない。でも、水着で遊びに来るってことは、脈アリだよな?」
(直哉も告白できないとは……)
「たぶんな……。告白してみたらどうだ?」
「えぇっ?」驚く浩輔。
行列も上の方まで上がってきた。そろそろ順番だ。
「好きなら、誰かに取られる前に言え。」
「誰かには取られたくない。」と直哉。
(直哉の気持ちははっきりしているようだな……)
「なら、決まりだな。今日の帰りがチャンスなんじゃないか?」
魔界の戦士であるシンの直球な助言に、浩輔たちは「お前、いい奴だな!」と感動し、一気に距離を縮めた。
浩輔の順番が来た、次は直哉、シンと続く。次々と滑り落ちていく。下で三人が落ち合うと、一緒に席に戻っていった。
◇◆◇
――その頃。
男子たちの熱気から少し離れた流れるプールでは、一華と友人たちがのんびりと波に身を任せていた。
「シン君の筋肉、凄すぎない!? 彫刻みたい……。」
理那がシンの筋肉に感嘆する。
「だよね。家でもいつ鍛えてるのか謎なんだよ。」
一華は鍛錬している姿を目にしたことがなく、首を傾げた。
「同じ家に住んでて謎って、面白すぎるんだけど。」と真由。
やがて一華が男子二人との関係を尋ねると、理那と真由は照れくさそうに笑った。
「あの二人とは……そういう関係なの?」
「うーん、告白はされてないけど、なんとなくペアになっちゃうんだよね~。」と理那。
「えー? 誰と誰?」
一華は二人の顔を交互に見る。
「理那と浩輔、私と直哉」と真由。
「二人は満更でもないんだよね。」
「嫌いじゃないし、水着姿を見せられる仲だしね(笑)」
真由は直哉のことが満更でもないらしい。
「だよねぇ。」
女子三人がひとしきり楽しんで席に戻ると、スライダーから戻ってきた男子三人はすっかり意気投合していた。
「なんか、三人とも仲良しだね。裸の付き合いってやつ?」
一華はシンがいつのまにか打ち解けているように見えて聞いてみた。
「裸……? あぁ、水着だからか。露出が多いという意味か……。たしかに、腹を割って話せた気がする。」
シンの相変わらず真面目すぎる返答に、一華は苦笑いを浮かべる。
その後、お腹が空いた一行は、売店で買った焼きそばと飲み物を囲む。シンの厳格な『監視』が少しだけ緩み、一華もまた、普通の女子高生として友人と賑やかに笑い合う。
ふと、理那が真剣な表情で一華に向き直った。
「あのね。一華。」
「ん?」
「今日、こうして会えたのも何かの縁だと思うのよ……。」
「うん。」
「今から言うこと嫌なら断ってもいいからね、ちょっとだけの提案、お試しとして聞いてほしいんだけど……」
「なに?」
「今はシン君が常に一緒にいるし、スマホもあるから……、お試しとしてでいいから……ね、もしよかったら、これからもみんなで待ち合わせして出掛けてみない……かな?」
「えっ?」
一華は理那の顔を見る。
理那は少し笑顔が引きつっているように見える。
「どうかな? シン君が一緒じゃない時は断っていいからさぁ。」
一華はシンの方に向き直った。
シンは静かに、しかし力強く一度だけ頷いてみせる。
(待ち合わせが怖いからって、いつまでも殻に閉じこもってちゃダメだよね……。)
入学式の日に誓った決意が、一華の頭をよぎる。あのトラウマをどう克服すればいいのか、正解なんてわからない。だけど……。
理那の顔を見ると、最初の引きつった笑顔は消え、今はどこまでも温かい、友達としての真剣な眼差しが向けられていた。
「待つのが怖いなら、一華を待たせないから。今日だって更衣室入れなかったでしょ。シン君だけだと入れないところも、私たちが一緒なら大丈夫だからさ。」
「そうだよね。トラウマ抱えたままだと友達できないね。入学式の挨拶が嘘になっちゃうよね。」
一華が小さく息を吐き出すと、胸のつかえが少しだけ溶けていくような気がした。
一華の決意を受け止め、シンは静かにうなずいた。利害関係を超えて互いを思いやる人間の姿は、魔界で育ったシンの胸の奥に、得体の知れない温もりをそっと灯すのだった。
「……そうだな。俺が入れない場所に、お前たちがいてくれるなら、俺も安心……いや、非常に心強い。」
その言葉に、理那はパッと華やかな笑顔を咲かせた。
「じゃ、待ち合わせOKだね!」
「うん」
「「「やったー!」」」
真由や浩輔たちが歓声を上げる中、理那はすかさず全員に釘を刺した。
「いい? 待ち合わせ場所には絶対遅れないこと。一華より先に着くこと。わかった? 絶対だからね。」
「「「ラジャー!」」」
「あと、一人で行動しない、二人以上で行動すること。一華はシン君と、私は真由と、浩輔は直哉と。いい?」
「お、俺、理那とがいい。」「俺は真由と。」と浩輔と直哉が慌てて反論し、周囲は一気に甘い空気に包まれた。
理那と真由は「「なっ何、言ってんの!」」と顔が真っ赤だ。
一華は「もうカップルみたいなものだね。」と楽しそうにみんなの顔を見回す。
シンは(あいつら、帰るまでもなく決着をつけてしまったのか……?)と浩輔と直哉の背中を軽く叩きながら「やったな!」と微笑んだ。
ブレスレットに守られた静かな魔力と、仲間にもらった新しい勇気を胸に、一華の夏休みは、これまでにない鮮やかで賑やかな色に染まっていくのだった。




