第43話 夏祭り
夕方、一華とシンは待ち合わせ場所へと歩いていた。
ウォーターパークでの約束を経て、『お試し第一弾』として選んだ行き先は、賑やかな夏祭りである。
人混みの中から、聞き覚えのある声が響いた。
「一華、可愛い! その浴衣、すごく似合ってる!」
声の主は理那だった。
数日前に選んだ淡い水色に金魚が泳ぐ涼しげな浴衣に身を包んだ一華と、隣で落ち着いた紺色の浴衣を着こなすシン。その姿に、理那がぱっと華やかな笑みを浮かべる。
「ありがとう、理那も……なんか、ますます綺麗になった?」
「へへ、だろ? ……あ、シン、お前も浴衣似合うな。強そうっていうか、隙がないっていうか……。」
浩輔が鼻高々に答え、理那は少し顔を赤らめて微笑む。すでに新婚カップルのような落ち着いた空気をまとう二人と、少し離れて初々しさを隠せない直哉と真由のカップル。一華から見れば、どちらもキラキラとした恋人オーラに満ちていて、気恥ずかしいほどだった。
六人は屋台が並ぶ祭りのメインストリートへと足を向ける。
夕方とはいえまだ熱気はこもっており、まずはかき氷で火照った体を冷やすことになった。メニューはイチゴ、レモン、メロン、マンゴー、ブルーハワイ。
「私、マンゴーにしようかな。シンはどれにする?」
「色的にブルーハワイがいいな。」
一華は(色で選ぶんだぁ)と思いながら、マンゴーとブルーハワイを注文した。
氷カップに大きな氷の塊からふわふわの氷が削られて山のように盛り上げられている。
マンゴーとブルーハワイのシロップがたっぷりとかけられたかき氷を、二人はそれぞれ受け取る。
呆れ半分、感心半分で笑いながら、一華は山のように盛られたふわふわのかき氷を口に運んだ。
「マンゴーだぁ。冷たくて美味しー!」
火照った体がスーッと心地よく冷やされていく。シンもブルーハワイを一口すくい、口に運ぶと、目を丸くした。
「おぉ! 冷たいな。すっきりとした味だ。」
「どれどれ……」
一華がシンのブルーハワイを一口すくい、そのまま自分の口へ運ぶ。
「うん。美味しい。ソーダ味だね。」
満足した一華は、今度は自分のマンゴー味を一口すくい、シンの口元へと差し出した。シンは迷うことなく、自然な仕草でそれを受け入れる。
「マンゴー味も、甘くてうまいな。」
ごく自然に行われたそのやりとりを、少し離れた場所から浩輔、理那、直哉、真由の四人が呆然と見つめていた。兄妹の親密すぎる光景に、全員が声もなく顔を真っ赤に染めている。
耐えかねたように、浩輔が口を開いた。
「お前たち、……兄妹で、恥ずかしくないのかよ?」
「ん?」
ピンとこない様子のシンに対し、一華はクラスメイトの前でいつもの習慣が出てしまったことに気づき、急に顔が熱くなった。理那がすかさず追い打ちをかける。
「兄妹じゃなければ、すごくお似合いのカップルなのにね。」
「な、何を言っているんだ。家族なら普通だろ。」
シンが真っ向から反論するが、今度は真由が首を横に振った。
「小さい子どもならともかく、年の近い兄弟でそんなことしないよ。」
「うん、うん」と、理那も激しく同意する。
「……海外では普通だけどな。」
しれっと海外経験を持ち出すシンに、一華は(やばい、ばれた……?)と内心冷や汗をかいた。
しかし、ここで『半分こ』を当たり前のこととして押し通した方が、今後も何かと都合が良いという思いに至り、必死に弁明を重ねる。
「ほら、うちの家族は特殊だから! ママとだって外食の時はいつも半分こしてたし、シンも向こうでは同じようにしてたって言うしさ。家族ならこれぐらい当たり前だよ、いろんな味を楽しめるし!」
さらに、一華は悪びれもなくこう言い放った。
「理那も真由も、浩輔君や直哉君とやってみたら? いろんな味が楽しめるよ。」
その提案に、名指しされた四人の顔が一気に真っ赤に染まる。
「そ、そうだな……。」
浩輔は理那と、直哉は真由とお互いにおずおずと顔を見合わせた。
(何とか、誤魔化せたか……。)
シンが心の中でそっと安堵の息を漏らすのだった。
かき氷を食べ終えた一華は、悪戯っぽく微笑みながらスマホを向けた。
「シン、『べっ』ってして」
「ん?」
カメラを向けられたシンが言われるがままに舌を出すと、一華はすかさずシャッターを切り、画面を見せた。
「うわっ……」
「あははは!」
画面に映っていたのは、鮮やかな青に染まったシンの舌だった。
「舌の色が気味悪いな。」
(人間界のかき氷というものは、何か毒でも入っているのだろうか……?)と本気で疑いつつ、シンは眉をひそめる。
「あはは! ブルーハワイだからだよ。」
大笑いする一華のマンゴー味は、それほど色が変わっていない。
やがて、同じくブルーハワイを食べていた浩輔や直哉も、理那たちに写真を撮られて自分の舌の色を確認し、声を上げて笑った。
「本当だな、気味悪い色になってやがる。」
「……元の色に戻すために、たこ焼きでも食うか。」
「たこ焼きを食べると、色が戻るの?」
理那の素朴な疑問に、浩輔は「なんか食べれば薄れるだろ。」と適当に返す。
――その瞬間、どこからともなく風に乗って、じゅうじゅうと香ばしいソースが焦げる甘辛い匂いが鼻腔をくすぐった。
だが、デートの最中にたこ焼きを選ぶのは、女子にとっては少しハードルが高かった。まだ明るい空の下で頬張れば、青のりが歯に付着するリスクが跳ね上がる。付き合い始めたばかりのカップルとして、それは絶対に避けたい失態だ。
「私、チョコバナナ食べたい!」
「私は、射的やってみたいな。」
理那と真由がほぼ同時に声を上げた。一華もチョコバナナは食べたいし射的もやりたい、もちろんたこ焼きも魅力的だが……と内心迷いながら、「私も両方やりたい!」と女子の意見に便乗する。
その時、一華の意識をシンに向けた。
――《シン、シン、聞こえる?》
――《あぁ、聞こえているぞ。どうした?》
頭の中に直接響くテレパシーで、一華が切実な悩みを伝える。
――《たこ焼きも食べたいけど、女子としては浴衣でおめかししてるのに、歯に青のりが付いたら恥ずかしい……。》
その理由を理解したシンは、即座に妥協案を導き出し、返答した。
「女子は先にチョコバナナを買って、男子はたこ焼き。その後、みんなで射的場に行くのはどうだ?」
「「「「「ラジャー!」」」」」
先にチョコバナナの屋台へ向かった三人。揃ってイチゴチョコをチョイスし、手渡された途端にかぶりついた一華は、「うーん、美味しい!」と声を弾ませた。
その直後、自然な流れでシンの口元へとバナナを差し出す。シンも一切の躊躇なく、そこにかぶりついた。
「おぉ、甘酸っぱくて美味いな。」
「ね!」
二人の間には、周囲を寄せ付けない完璧な世界ができあがっている。他の四人は、「かき氷ならまだしも、さすがにチョコバナナのあーんはお預けだな……」と苦笑しつつ、そっと視線を逸らしてスルーすることにした。
次は本命のたこ焼き屋台だ。
香ばしいソースの匂いが食欲を強く刺激する。ちょうど焼き上がりのタイミングらしく、鉄板の上で丸々と膨らんだ生地がリズミカルに返されていく。
注文の際、シンが「……青のり抜きください。」と告げた。その直後、隣にいた浩輔がピクリと反応し、何かを企むような顔で「俺も、青のり抜きで!」と声を張り上げる。
さらにそれに釣られるように、直哉まで「じゃあ、俺も青のり抜きでお願いします。」と慌てて便乗した。
(……え? みんなして青のり抜き?)
一華は、男子三人が揃って同じ注文をしたシュールな光景に、内心で首を傾げるしかなかった。
理那と真由も顔を見合わせ、頭を傾げる仕草をする。
受け取ったたこ焼きを片手に、六人は他の客の邪魔にならない少し開けた場所へと移動した。
熱々のたこ焼きを一つ頬張った瞬間、口いっぱいに広がる熱さにシンは「ハフハフ」と息を吐き出す。その横で、女子たちはイチゴバナナを美味しそうにかじっていた。
シンはようやくたこ焼きが喉を通り胃の中に落ちて行ったらしい。
「中がとろっとろで美味いな。熱いから気を付けろよ。」
ようやく熱さが落ち着いたところで、シンは串に刺さったたこ焼きを一華へと差し出した。
一華は「ふうー、ふうー」と丁寧に息を吹きかけてから、ゆっくりと口に含んだ。
「んっ……熱っ……!」
上あごの皮が少しめくれそうになるほどの熱さと、とろりと広がる旨味。
「屋台のたこ焼きって、なんでこんなに美味しいんだろうね。」
「青のり抜きにしておいて正解だったな。」
シンの細やかな気配りに感謝しつつ、一華は安心して舌鼓を打つ。
(――よし、今だ……!)
少し離れた場所で、浩輔と直哉が気合を入れるように真剣な顔でうなずき合っていた。
男子としてのプライドと見栄をかけたのだろう。二人はおずおずと、しかし必死の面持ちで理那と真由に向けてたこ焼きを差し出す。
「えっ……あ、うん」
理那たちも真っ赤になりながら、その一串をそっと口へと運んだ。
その初々しいやり取りを横目で見つつ、一華は思わず頬を緩ませながら、隣で満足そうにしているシンを見上げる。
何度も「あーん」を繰り返しながらたこ焼きを平らげた六人は、いよいよお目当ての射的屋台へと歩き出した。浩輔と理那、直哉と真由、その後から一華とシンはついて行く。
屋台に近づきつつ、一華は再び意識を飛ばす。
――《シンって、こういう銃の鍛錬とかしたことあるの?》
――《ある。》
――《どういう銃なの……?》
――《魔力を充填して、一気に相手をぶち抜く代物だ。》
想像を絶する物騒な返答に、一華は思わずシンを振り返って青ざめた。
――《こ、怖すぎるよ……。》
――《安心しろ、人間界では絶対に使用しない。》
――《う、うん……。射的のコルク銃は大丈夫よね? 魔力なんて使わないでよ?》
――《承知した。》
射的の屋台の前に到着するやいなや、浩輔が「よし、誰が一番大きい景品を落とせるか勝負な!」と意気込んだ。
男子三人のプライドをかけた戦いが始まろうとしている。
女子たちはそれぞれの彼氏に声援を送るが、一華の狙いは大きな箱ではなく、片隅にちょこんと置かれた小さな猫のぬいぐるみだった。
――《シン、私、あの猫のぬいぐるみが欲しいな。》
小さく視線で示された的を見つめ、シンは静かにうなずいた。
――《よし、狙ってみるか。》
浩輔と直哉は一番大きな箱を狙い撃ちしていたが、コルクの弾では重すぎてびくともしない。何も落とせないまま、二人は悔しそうに唸っていた。
一方、シンは狙った猫のぬいぐるみすれすれの場所まで銃を構え、無駄な力を一切入れずに片手で引き金を引いた。
「パンッ」
乾いた音が響いた直後、小さな猫のぬいぐるみがコロンと後ろへ倒れ落ちた。
「やったー!」と一華が両手を叩いて大喜びする。おじさんが拾い上げたそれを受け取り、シンは一華の手に渡した。
「ありがとう、シン!」
その鮮やかな手並みを見ていた浩輔と直哉は、「くそっ、どうやったんだよ!」とシンにコツを教わり、すぐに再挑戦した。
大きな景品は諦めたものの、コツを掴んだ二人は小さなぬいぐるみを無事に撃ち落とす。見守っていた理那と真由も、ホッと胸を撫で下ろして満面の笑みを浮かべた。
その和やかな空気を切り裂くように、夜空の向こうからドーンと低い音が響いた。
「――パン、パン、パンッ!」
いよいよ、花火の打ち上げを告げる合図だった。
すっかり暗くなった空には、いつの間にか丸い月が昇り、無数の星が瞬いている。
「そろそろ花火が見える場所に移動しよう!」
◇◆◇
浩輔の誘導に従い、六人は人混みをかき分けて穴場スポットへと急ぐ。
離れ離れにならないよう、シンは一華の手を取り、引き寄せた。
「大丈夫か? 離れるなよ。」
――《結界、緩めるなよ。》
「うん!」
案内されたのは祭りの会場からは少し離れた、視界が開けた高台の公園。混雑も少なく、ゆったりと腰掛けられるベンチが並んでいた。
カップルごとに分かれてベンチに座る中、シンと一華は一番後ろの、背後に誰もいない特等席を選んだ。目の前には、浩輔と理那、直哉と真由の背中が並んでいる。
シンは、今日一番の警戒態勢に入っていた。
一華の精神状態に揺らぎはなく安定していることは感知していたが、これから夜空を見上げる以上、月の光やその視覚情報が不意に彼女の変身を引き起こさないとも限らない。
信頼できるのは自分だけだ。シンは一華の張っている結界の周囲に、さらに十センチの厚みで二重の護衛結界を構築した。
その瞬間。
――ヒューーー、ドカーン……! パラパラパラ……!
――シューーー、バーン……! チリチリチリ……!
夜空を切り裂くように、大輪の花火が次々と鮮やかな華を咲かせた。
その瞬間、シンは人生で初めて目にする花火に、背筋を凍らせるほどの衝撃を受けていた。
(――なんだ、これは……っ!)
脳裏に過るのは、かつて魔界で目にした破壊の兵器たちだ。あれらはすべて命を奪うための冷たい光だった。しかし目の前の光景は違う。
胸を深く打ち鳴らすような心地よい響きと、夜空に咲いては一瞬で儚く溶けていく光の群れ。その美しさに圧倒され、周囲の安全を確保するため、十センチもの厚みで厳重に張り巡らせていた二重の護衛結界が、わずかに揺らぐ。
魔王族としての研ぎ澄まれた理性と張り詰めた警戒心が、人間界のあまりに鮮烈な美しさを目の前にして、音を立てて崩れ去っていくようだった。
「……っ!」
完璧であるはずの戦士の心が、たった一つの光の芸術の前に、完全に奪われていく。
隣で夜空を見上げるシンの横顔に、次々と花火の光が反射して幻想的な陰影を描き出す。驚愕ではなく、純粋な感嘆に染まったその表情を見て、一華は安堵の息を漏らした。
彼女自身も、花火の方向を向く限りは月が視界に入らないこともあり、安心して夜空のショーに浸ることができた。
ヒューー、ドカーン、シューー、バーン、ヒューー、ドカーン……パラパラパラ、チリチリチリ
連続して打ち上げられる無数の光の粒。
どこからか、観客の「玉屋――!」という威勢の良い掛け声が聞こえてくる。
「……なんだ、今の叫び声は?」
「花火を打ち上げた時の掛け声だよ。」
一華がフッと笑って答えると、シンは再び彼女に視線を落とした。
夜空の鮮やかな光を映して一層輝く一華の瞳は、息をのむほど美しかった。その圧倒的な存在感に、シンは任務のことも忘れそうになる。
胸の奥で、ドクン、と聞き慣れない重い音が響いた。全身に熱い血が巡っていく感覚。
(なんだ、この音は……まさか、隣の一華に聞こえてしまうのではないか?)
静寂の中で自分の心臓の音ばかりが大きく感じられ、シンはわずかに動揺した。
約一時間に及ぶ初めての花火大会が終わりを迎える頃、シンは今見た光景の余韻から、まだ完全に抜け出せずにいた。
魔界の武器とは違う、夜空に儚く溶けていく光の群れ。その美しさは戦士としての理性を心地よく麻痺させ、さらに隣で同じ光を見上げていた一華の横顔が、彼の胸を妙に熱くさせていた。
(いかん。俺は護衛だというのに……この胸のざわめきは、いったい何なのだ……。)
任務への自責と正体不明の高鳴りの間で揺れながらも、シンは現実へと引き戻されるように奥歯を噛み締めた。
「シン、花火終わっちゃったね。そろそろ帰ろうか。」
一華が優しく微笑みかける。その穏やかな瞳に気圧されるように、シンは「……おっ、おう」と短く返した。
現実に戻ったシンは、浩輔や直哉たちのカップルと合流した。
みんな、初めて一緒に見た花火の余韻に浸っているのか、それぞれ少しだけ頬を紅潮させている。
「それじゃ、またね!」
四人と別れ、シンと一華は並んで家路を歩き出す。
シンは、花火の残響がいまだに胸の奥から離れない自分を叱りつけるように、無意識のうちに一華の手をいつもより強く握りしめていた。
(油断するな……。俺の役目は、この手を守り通すことだ!)
脳裏で戦闘態勢のスイッチを無理やり入れ直し、周囲のわずかな物音や気配にすら全神経を集中させる。
一方の一華は、繋がれた手から伝わってくるシンのいつもより強い力と、その手のひらの熱さに気づいていた。彼がそれだけ自分を護ろうと緊張しているのだと察し、彼女もまた、不意に視界に月が入ってしまわないよう、しっかりと足元を見つめ続ける。
二人は無言のまま、しっかりと手を繋いで静かな夜道を歩いて帰路につくのだった。




