第38話 三者面談
球技大会の喧騒がようやく過ぎ去り、廊下を歩く生徒たちの足音もまばらになった放課後の教室は、不思議なほどの静けさに包まれていた。
終業式を目前に控えたこの数日間、各学年では恒例の三者面談が慌ただしく行われていた。担任の教師たちが血眼になって用意した成績表と進路希望調査の用紙を手に、保護者と生徒を待ち構えている。
だが、肝心の当事者である一華とシンは、直前の期末テストに全神経を注ぎ込んでいたせいで、その重要すぎる予定を綺麗さっぱり忘れていたのだ。
「……ご両親は、来られなかったのね……。」
担任の女性教師は、目の前に座る二人の隣に保護者の姿がないことに気づき、わずかに眉をひそめた。
シンは背筋をまっすぐ伸ばして堂々と、一華は(もしかしてすごく怒られるのでは)と内心ビクビクしながら緊張の面持ちで並んで座っている。
担任の困惑した視線を受け止めながら、シンは臆することなく、淀みない口調で言った。
「はい。両親は現在、仕事の都合で海外に滞在しており、この時期に帰国することは叶いませんでした。自分は一華の親代わりでもあり、日々の学習状況や生活リズムもすべて把握しています。本日は保護者同席の代わりとして、二人一緒にお願いします。」
その堂々とした物言いに、担任は高校生とは思えない重厚な落ち着きを感じてわずかに気圧された。書類に落としかけていたペンが止まる。しかし、教員としてのプロ意識からすぐに気を取り直して、手元の資料へと視線を落とした。家庭の事情は様々だ。深く詮索するよりも、目の前の生徒に向き合うことが先決だと切り替えたのだろう。
「……わかりました。では、まずはシン君。あなたの成績に関しては、もう何も言う問題はないわね。全科目にわたって学年トップを維持し、授業態度や生活態度も含めて非の打ち所がないわ。今後の進路について、何か具体的に決めていることはありますか?」
担任の問いかけに、シンは迷いのない瞳で即答した。
「自分たちは、高校を卒業したら両親の元に行くことになっています。ですので、今の時点でそれ以外の選択肢や進路は考えていません。国内での進学や就職の予定もありません。」
ブレのないシンの返答に、担任は小さくうなずきつつも、少しだけ複雑そうな表情を浮かべた。
「一華さんはどうなの?」
名前を呼ばれ、一華はびくりと肩を跳ねさせた。そして、身を縮こまらせながら口を開く。
「私も、シンと同じです。卒業後は両親の元で過ごすことになっていますので、今の時点で具体的な進路は……決まっていません。」
「そうですか……。二人とも、卒業後は海外へ行く予定なのね。それはご家庭の事情として受け止めるけれど、だからといって学校での進路手続きや選択が白紙でいいわけではないのよ。特に、この時期の一年生にとって絶対に避けて通れない問題があるわ。……二年次に控えた、『文系・理系コースの選択』よ。」
その言葉に、二人は同時に「はい」と緊張した面持ちで返事をした。教室の空気が、わずかにピリッと引き締まる。
「シン君は、どちらを選択しても問題なくやって行けるでしょう。でも、一華さんは……。直近のデータを見る限り、理系科目の方が点数が安定していて得意なようね。……もし文系を希望するとなると、もう少し基礎から努力を重ねる必要があると思うわ。」
その指摘を聞いた瞬間、一華の脳裏によみがえったのは、少し前の中間テストのときにシンから言われたアドバイスだった。
驚きで目を丸くする一華の隣で、シンは微動だにせず前を見据えている。
(……シンが、あのとき勉強法の指摘で言ってたことと、全く一緒だ。)
「……はい」
一華は気を取り直して、しっかりと返事をした。
「二学期に入れば、コースの最終希望調査が行われます。雰囲気で流されるのではなく、卒業後の大まかな方向性も含めて、一度ご両親と――それが難しければ、身近にいる頼れる存在ともしっかり相談しておいた方がいいわね。あなたの人生なのだから。」
「「はい」」
教師の温かい、しかし現実的なアドバイスを受け止め、二人は深々と頭を下げて教室を後にした。三者面談は無事に終わり、放課後の廊下に、二人の上履きの足音が静かに響く。
窓から差し込む西日が、廊下の壁をオレンジ色に染め上げていく。
「ふぅ……緊張したぁ……理系かぁ……」
一華はふぅっと大きなため息をつきながら、廊下の窓から夕暮れに染まり始めるグラウンドを見つめた。
「魔界に行くんだから、適当に文系でも理系でも選べばいいって最初は思ってたけど、先生にああやって真剣に言われると、なんだかちゃんと自分の未来として選ばなきゃって気がしてくるね。」
隣を歩いていたシンは、静かにうなずいた。
「そうだな。魔界の理や法則を解き明かすにしても、論理的な思考回路や理系の知識は必ず役に立つ。……一華、夏休みはただダラダラと遊んで暮らすだけじゃなく、自分の『得意』をより深く伸ばす時間にもなりそうだな。」
「あぁっ、またすぐ勉強の話に繋げる! シンは本当に、どこまでいっても隙がないんだから!」
文句を言いながらも、一華はわざとらしく頬を膨らませてみせる。だが、その表情に暗さは微塵もなかった。
「でも、得意な理系を選べば、もう少しこれからのテスト勉強も楽になるかなぁ……。」
『得意な理系』という選択肢を自分のなかに据えたとき、胸につかえていた漠然とした不安が、まるで霧が晴れるようにスッと消えていった。
(そっか……。ただ流されるままじゃなくて、自分で選んで、自分の足でそこに向かっていくんだ……。)
その瞬間、見慣れたはずの校舎の景色や、これから迎える未知の未来の景色が、先ほどまでとは違って、もっと鮮やかで、確かな熱を持った色に染まって見えた。
卒業後に始まる魔界での生活も、決してフワフワとした絵空事なんかじゃない。私の選んだ未来の続きなのだから――。
「行くぞ、一華。買い出しをして帰るぞ。」
「あ、待ってよシン! また置いていかないでってば!」
新しい可能性と小さな決意を胸に抱き、二人は夕日に背中を押されながら、軽やかな足取りで夕暮れの校門をくぐり抜けていった。その背中には、もう迷いのかけらもなかった。




