第33話 ママは「魔界人」?
ブレスレットを受け取ってから数週間が経過した。強力な結界と制御機能のおかげで、一華の生活は非常に平穏で安定していた。共鳴の魔力が暴走する心配もなくなり、彼女は再び高校生活に集中することができていた。
しかし、その平穏な日常の中で、一華の心には一つの大きな疑問が残ったままだ。
午後のひととき。月華草茶の代わりに市販のカモミールティーを淹れた一華は、リビングのソファでシンの隣に腰を下ろした。カップから立ち上る甘く柔らかな湯気が、秋晴れの穏やかな光に透けて揺れている。
温かい陶器を両手で包み、窓の外に広がるどこまでも高い青空をぼんやりと眺めながら、一華は静かに口を開いた。
「ねぇ、シン。ずっと気になってたんだけど……ママのこと。」
隣に座るシンは、読んでいた本を静かに閉じ、一華へと視線を向ける。
「アズサ様のことか。」
「うん。ママは自分のこと、『人間』だって言ってたんだよね。でも、魔界のことに妙に詳しかったし、短時間なら魔力通信だってできる。それに、ブレスレットに魔力を注入することだってできた。本当にただの人間なのかなぁ……?」
一華の問いに、シンは顎に手を当て、じっとと思案の海に沈む。
(確かに、ただの人間では説明がつかない……)
アズサの特異性に思い至った瞬間、シンの瞳にわずかな驚きの色が走った。魔界の理を知る彼にとっても、完全なる異界の血が人の肉体と融和するなど、本来はあり得ざる奇跡に近いからだ。そして、ふと隣でカップを見つめる一華の横顔へと視線を落とすと、その驚きは深いリスペクトへと変わっていった。
――一華の底知れぬ強さや真っ直ぐさは、間違いなくあの母から受け継がれたものなのだと、彼は静かに納得する。
「……俺の推測だがな……。」
シンは声のトーンをわずかに和らげ、静かに語り始めた。
「アズサ様の魔力の波長は、純粋な魔界人特有の重さとは異なり、どこか人間の基盤を強く残している。……俺の推測だが、一華を身ごもった時、お前の持つ『魔界人としての血』と、アズサ様の『人間の体』が相互に作用し合い、彼女の体内に魔力が宿ったのではないだろうか。」
その言葉に、一華は目を見張った。
「えっ……? じゃあ、私の魔界人の血が、ママに魔力を覚醒させたってこと!?」
「その可能性が高い。そして、魔力通信の安定性や、ブレスレットへの魔力注入の規模を考えれば、アズサ様は何か魔宝石と思われる宝飾品を身に着け、その力を増幅させているはずだ。常に微弱な魔力を感知し、同調できるような魔宝石のネックレスや指輪といったアクセサリーをな。」
シンの言葉に、一華は母の姿を必死に思い起こす。
「あぁ……! ママ、いつも綺麗なネックレスや指輪を着けてた。私はただ、『おしゃれが好きなんだな』って思ってたけど……。」
「それが、人間であるアズサ様が魔界の力を扱うことを可能にしていた、魔宝石だったのだろう。あの特異な環境に適応し、自らの意思で血の理を乗りこなすとは……アズサ様というお方は、実に気高く、恐るべき精神力の持ち主だ。」
シンの口から漏れたその称賛の響きに、一華はパッと目を輝かせた。
「すごい! じゃあ、ママも魔界に行けば魔界人として過ごせるってことなの?」
シンはふっと柔らかく、慈しむような笑みを浮かべてうなずいた。
「正確には、人間界においては人間でありながら、魔界においては魔界人として振る舞えるハイブリッド、といったところか。魔界の血を受け入れた、その理に順応した非常に稀有な存在と言える。」
一華はすっかり興奮した様子で、ソファの上で体を弾ませた。カモミールティーの香りが、弾む温かな空気と一緒にリビングへふんわりと広がっていく。
「ママ、かっこいい~! 私のママ、人間界と魔界を繋ぐ架け橋みたいなハイブリッドだったんだ!」
そんな無邪気な彼女の姿を見て、シンは優しく、どこか誇らしげに頷いた。
「疑問は尽きないだろうな。いつか魔界に戻った時にでも、叔父上とアズサ様の馴れ初めや、二人の出会いについて詳しく聞いてみるといい。」
「そうだね! 次に二人揃った顔を見せたときは、根掘り葉掘り聞いちゃうんだから!」
「あぁ、それが一番確実だな。だが、今はまず、お前の学校生活と、訪れるべき次の魔力覚醒に備えることに集中しよう。」
シンの落ち着いた声に、一華は「はーい!」と元気よく返事をして、再びカモミールティーの温もりに口元を寄せた。




