第24話 スイーツ
ゴールデンウィーク後半。一華はテスト勉強に励んでいたが、いよいよ我慢の限界だった。
教科書をパタンと乱暴に閉じ、横に座るシンへと顔を向ける。
「シン、もう限界! どこか遊びに行きたい!」
「中間テストに向けて勉強するんだったろう?」
シンは勉強を続けるべきだと頭では分かっていたが、最近の一華の魔力が安定している今、適度なガス抜きも必要だと感じていた。
「せっかくのゴールデンウィークなのに……、後半は満月の散歩以外ずっと家だし……スイーツ食べたいし、本格的に夏になる前に夏服買いに行こうよ!」
魔界に四季のないシンにとって『夏服』や『スイーツ』は新鮮な響きだったが、最近停滞気味だった一華の魔力の波長を考慮し、シンはわずかな沈黙ののち「……行くか」と小さく息をついた。
(気晴らしも必要か。……それに、季節の変化に対応するための購買も、護衛の任務のうちだ!)
自分にそう言い聞かせ、二人は着替えを済ませてリビングへと降りてきた。
一華の軽やかな薄着姿を見て、シンは自分のクローゼットの中を思い浮かべる。
「確かに季節的に着れる服は少ないな。」
「でしょ。私でさえ、毎年、『今頃何着てたっけ?』『服がない』って思うんだよ。」
「それは……何故だ?」
(魔族には理解できない現象だ。)と、シンは微かに眉をひそめる。
「わかんない。暑くなったり、肌寒いと感じる時って、服のチョイスが難しいのよ。」
「なぁ、一華が服欲しかっただけじゃ……?」
少し意地悪な笑みを向けるシンに、一華は笑って誤魔化した。
「まあまあ、早く行こう!」
駅ビルへ向かう途中、シンがスマートフォンでスイーツカフェを探し、画面を一華に見せる。
「地下街にあるみたいだな。『ふわふわパンケーキ』が人気のようだ。」
「そこに決まりね。服買った後寄ろうよ!」
駅ビル内に入ると、連休中とあって人であふれかえっていた。ファストファッションのショップも賑わいを見せていたが、二人は半袖のTシャツやカットソー、ショートパンツ、ドライタイプのトレーニングウェアにルームウェアなど、夏物を次々とカゴに入れていく。
会計は、アズサから預かった家族カードでシンがスマートに済ませた。一華はそのカードをじっと見つめる。
「シンは打ち出の小槌貰ってんだ!」
「打ち出の小槌?」
「うん、振ると望むものが何でも出てくるという、この国の昔話の魔法の小槌だよ。その家族カードが打ち出の小槌! いくらでも支払いできるでしょ。私貰ってないもん。」
「俺が管理するようにってアズサ様から受け取った。一華には渡さないようにって。」
「え~っ!?」
「一華は欲しいものありすぎるから、人間界を知らない俺が持っているようにって。」
「さすが、ママだわ。欲しものいっぱいあるもん。」
妙に納得する一華に、シンは苦笑する。
「ははは。さすがアズサ様だな。」
服の入った袋を両手に持ち、二人は目当てのスイーツカフェへと歩みを進めた。
店に到着すると、運よくスムーズに席へ案内された。注文したのは、イチゴとホイップクリームたっぷりのふわふわパンケーキと、シャインマスカットのパフェだ。
「ねぇ、あっちの世界ではスイーツってなかったよねぇ?」
「ないな。」
「お酒は?」
「お酒はあった。叔父上に誘われて飲んでた。」
他愛のない会話をしていると、注文の品が運ばれてきた。目の前に置かれたパンケーキを見て、一華は歓声をあげる。
「かわいい~! いただきま~す!」
さっそくイチゴたっぷりのパンケーキを口に運び、目を丸くする。
「う~ん、ふわふわで口に入れると溶けていくぅ。美味しい!」
一方、シンはシャインマスカットのパフェにスプーンを伸ばす。
「シャインマスカットって皮のまま食べられるんだな。美味い!」
一華はパンケーキを一口サイズに切り分けると、フォークですくい上げてシンの口元へと差し出した。
「ん、食べて。どう? 食べれる?」
シンは突然のことに赤面しながらも、素直にパンケーキを頬張った。
「あぁ、食べられる。口の中で溶けてなくなるな。美味い。」
和やかな空気の中、二人は半分ほど食べたところでスイーツを交換し、見事に完食した。
「どっちも美味しいね。これからも美味しいものいっぱい食べようね。」
「アズサ様に怒られるんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。」
「何故だ?」
「シンが言わなければ大丈夫。共犯だから言わないでしょ?」
「うっ……共犯か。 (心の繋がりが強まっている今、裏切れない) 言えないな。叔父上には何とかごまかすよ。」
「叔父上? パパ? なんで?」
「アズサ様の家計は、全て叔父上が出しているぞ。」
一華はそこで初めてすべてを理解した。
「なんだぁ。今までお金に困ったとこ見たことないから……そういうことか。」
◇◆◇
満ち足りた気分で帰宅した二人は、それぞれの夏服をクローゼットにしまい、リビングのソファに腰掛けた。
「まだ夕食までには時間あるから、勉強でもしようかな。」
「あぁ、少しでも進めた方がいいな。」
「仁華になったら勉強は……」
その言葉を発した瞬間、一華の身体がふわりと光に包まれた。気付けば、そこには一匹の黒猫――仁華の姿があった。
「にゃぁ~にゃにゃ……(シン、月を見てにゃいのに変身しちゃったにゃ!)」
「何故だ!?」
シンは驚愕しつつも、即座に状況を分析する。
「にゃにゃにゃぁ~……(『仁華ににゃったら』って言ったら変身しちゃったにゃ。)」
「口に出したら変身した? なら、一華に戻れるか?」
「にゃん……(一華に戻れ)」
口に出した瞬間、一華は元の姿へと戻った。
「これが満月パワーの魔力覚醒!? 念じるだけじゃなくて、口に出すだけでも自由に変身できるなんて!」
シンは頭を抱え、深刻な表情を浮かべる。
「なんと……。困ったな、厄介だぞ。今まで以上に鍛錬が必要だ。」
「勉強より、最優先だね。連休中に習得しないと……学校行けない……。」
「退学、魔界行きだな。」
突きつけられた厳しい現実に、一華はショックを受けて項垂れた。
「今から鍛錬開始だ。まずは、月の視覚情報の確認だ。」
シンはすぐに気持ちを切り替える。一華は物理の教科書を取りに行き、シンはスマートフォンで様々な月の画像を検索した。
結果、教科書やスマートフォンの画面に映る月の画像を見ても、一華が変身することはなかった。
「月の視覚情報だけでは変身しないね。やったぁ!」
「あぁ、これはラッキーだったな。本物の月の影響は今夜確認が必要だが……問題は『言葉』と『思考』による変身だ。」
「まずは、強く結界を張ってみろ。」
一華は全身に意識を集中させ、結界を構築する。手がじんじんと熱を帯びる。
「うん、こう?」
「できてるな。次に『仁華に変身』と念じてみろ。」
――「変身はしない…な。」
「『仁華に変身』と口に出すとどうだ?」
「仁華に変身」――「変身はしない…な。」
念じても、口に出しても、強い結界が張られている状況では変身しないことが分かった。
「強い結界が張られている状況なら大丈夫みたい。でも、常に集中して張り続けるわけにはいかないから、隙をついて無意識に変身しちゃうんだ……。」
「強い結界を張りっぱなしだと心身ともに疲れるし、学校では必ずボロが出るぞ。」
頭を抱えるシンに、一華も焦りを隠せない。
「どうしよう!」
「『仁華イコール黒猫』の式が成立しているから、仁華のことを考えなければ……いや、せめて口に出さなければ……?」
そう呟いた瞬間、またしても一華は黒猫の仁華へと姿を変えてしまった。
「にゃにゃにゃ~……(仁華のことも話し合えにゃいにゃ……。)」
「そうだな。あはは……。」
苦笑するシンに向かって、黒猫の一華は必死に鳴く。
「にゃぁ~ん……(一華に戻れ)」
パッと光り、一華の姿に戻る。
「強い結界を常態化する、何か方法はないかな……」
スマートフォンで必死に検索をかけ、AIの返した『物理的な結界として「お守りや護符」がある』という一文を見つけてシンに見せる。
「物理的な結界……代わるもの……! ペンダントだ!」
「そうだよ。このペンダントにシンの魔力を注入してお守りにできないかな? いつも身につけられるし。」
「あぁ、いい考えだ。やってみる価値はある!」
一華は首からペンダントを外し、シンに手渡した。シンは深く息を吸い込み、精神を統一して最大限の魔力をペンダントへと注ぎ込む。
次の瞬間、ペンダントは眩く光り輝き、元々の深い青色が一層濃く、吸い込まれそうな瑠璃色へと変化した。
「もしかして、シンの魔力、注入完了?」
「あぁ、終わった。試してみるか?」
一華は後ろを向いて、シンにペンダントを着けてもらった。
緊張しながらペンダントに意識を集中させ、あえて「仁華に変身」と口に出してみる。――変身しない。
次に集中を解除した状態で「仁華に変身」と口に出してみる。――やはり、変身しない。
「変身しないよ! すごいよシン! ありがとう!」
一華は心からの嬉しさに突き動かされ、思わずシンにぎゅっと抱き着いた。
シンは突然のことに大きく体をのけ反らせたが、すぐにその抱擁を受け入れた。両腕は下ろしたままだったが、一華の『喜びの感情』を静かに全身で受け止める。
やがて、一華は自分の行動に気付いてハッと顔を赤らめ、飛びのいた。
「ごめん。嬉しすぎて、つい……。」
「……大丈夫だ。一華の嬉しい気持ち、よくわかるから。」
シンもまた、わずかに頬を染めて視線を逸らす。二人はこれで今後の生活になんとか対応できるという安堵感を共有し、そろそろだと夕食の準備に取り掛かった。
◇◆◇
しかし、夕食の最中、シンは複雑な想いを胸に抱えていた。
一華の傍にいるのは、彼女を魔力暴走の危険から守るという護衛の任務のためだ。しかし、ペンダントが物理結界として機能するようになった今、最大の危機は一時的に遠のいた。
(俺の存在理由は、魔力暴走の抑止と護衛だ。ペンダントが完全に機能している今、俺は一華にとって、ただのクラスメイト、そして迷惑な婚約者でしかないのではないか……? 高校生活を終えるまで、このまま一緒にいていいのだろうか……。)
沈み込むシンの表情の変化に、一華はすぐ気付いた。魔力暴走を抑えられたと喜んだ直後なだけに、不安がよぎる。一華は心配そうに箸を止めた。
「シン、何かあった?」
シンは視線を皿に落としたまま、絞り出すように口を開く。
「何もない。ないけど……。(言うべきか。このまま黙っているのは卑怯だよな。……)ペンダントが結界として機能するようになった今、俺がこのままここに居ていいのだろうか?」
その言葉は、一華の胸を容赦なく突き刺した。彼女にとって、シンは単なる護衛ではない。慣れない人間界での唯一の理解者であり、心の支えであり、何よりも、そばにいてほしい人だったのだ。
一華は震える声を絞り出す。
「……何を言ってんの? 魔力暴走さえ起こらなければ、ここにいる意味がないなんて……。これからまだ、別の覚醒が起きるかもしれないよ? その時、シンはいないの? 助けてくれないの……?」
言葉を継ぐことができず、一華の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
(しまった……! 彼女はこんなにも、俺の存在を必要としていたのか……!)
一人になることの寂しさと、シンが遠ざかることへの恐怖で押し潰されそうになり、一華の小さな肩が激しく震え、嗚咽が漏れる。
「そんなの、やだよう……っうっう……ヒックヒック……」
「一華。……このまま、ここに居ていいのか?」
シンはたまらずテーブル越しに手を伸ばし、一華の震える手にそっと自分の手を重ねた。ひんやりとしたシンの手のひらから伝わる確かな温もりが、一華の不安を少しずつ溶かしていく。
一華は潤んだ瞳を真っ直ぐ上げ、シンの熱を帯びた瞳をまっすぐに見つめ返した。そして、ギュッとシンの手を握り返しながら、力強く首を縦に振る。
「……うん。そばにいて、シン……っ」
その小さな手の力強さに、シンはすべてを察したように柔らかく息を吐いた。
「わかった。ごめん、悪かった。もう二度と、そんな馬鹿なことは考えない。」
シンの迷いのない誓いに、一華はようやく安堵して涙を拭う。そして、涙声のまま、少し怒ったような顔で言い放った。
「高校、一緒に卒業するんでしょ? それに、私が他の男子と付き合ってもいいの? 私たち、婚約者でしょ。」
突然の『婚約者』としてのパンチの効いた追求に、シンは顔を真っ赤にする。
「なっ、なんてことを……それはダメだ! 絶対ダメだ……! 婚約者としては、クラスメイトといえど、男子全員、敵だ。」
「あはは、敵だなんて大げさな……!」
涙をためたまま鼻をすすり、一華はくすりと笑った。
「いや。浩輔も直哉もお前を狙っているぞ。」
シンが真面目な顔で現実の危機を指摘すると、一華はふたたびぷっと頬を膨らませて涙を拭う。
「友達としてでしょ! だったら余計、魔界に帰るなんて変なこと考えないでよね!」
(今日はころころ表情が変わるな……。本当に感情の起伏が激しい……。)
「わかったよ。それに、今日の夜の月の影響も確認しないと分からないし、また別の覚醒が起きる可能性もある。……だから、俺がここにいる理由はちゃんとある。」
「そうだよ! もうご飯冷めちゃったじゃない。早く食べよう。」
◇◆◇
夕食の片付けも終わり、二人はリビングでゆったりとした時間を過ごしていた。一華は指先でペンダントの瑠璃色の光をそっと撫でる。
「本物の月の視覚情報は、このペンダントの結界で本当に抑えられるかなぁ。」
「そろそろ、窓から見える位置まで昇ってきたはずだ。」
シンが窓を開けると、夜気が心地よくリビングに流れ込んできた。
「あぁ、綺麗に見えているぞ。満月ではないが、雲ひとつないから今なら確実に対象を捉えられる。」
一華は大きく深呼吸して心を落ち着かせた。意を決して夜空を見上げ、漆黒の闇に浮かぶ月を真っ直ぐに捉える。――変身は起きない。
「変身しないよ……! 変身しない! やったぁ!」
歓喜のあまり、一華はシンの手を取ってピョンピョンとその場で飛び跳ねた。
そんな一華を見て、シンは冷静に声をかける。
「一華。『仁華に変身』と、口に出して言ってみろ。」
手をつないだまま、一華は試すように「仁華に変身」と声に出してみた。――やはり、変身しない。
「変身しないよ! すごい、変身しない! やったぁ!」
嬉しさのあまりさらに強く跳ねる一華に、シンは安堵と微かな笑みを浮かべる。
「……うまく機能しているな。やったな。」
「うん! ペンダントがあれば、月夜も怖くないね!」
シンは一華の手からそっと自分の手を離すと、夜風の入り込む窓を静かに閉めた。
窓の閉まる音が静かなリビングに響き、ペンダントのおかげですべてが上手くいったという穏やかな安堵感が二人の間に広がる。
――この穏やかな日常が、これからもずっと続いていく。 そう確信した一華がふっと息をついた、その瞬間だった。
「……さて」
シンがスッと視線を落とし、何気ない調子で口を開く。
「これで心配事が一つ減ったな。明日からのテスト勉強にも、さらに身が入るはずだ。」
「……は?」
一華の顔から、さーっと血の気が引いた。
せっかくの感動の余韻も、二人の絆が深まった甘い雰囲気も、容赦ない『テスト』の二文字によって一瞬で粉々に砕け散る。
「あぁ……っ! 忘れてた、地獄の連休の終わりとテストの現実が私を待ってる……っ!」
頭を抱えて床に崩れ落ちる一華と、どこか涼しい顔で教科書を差し出すシン。
嵐のような一日の終わりは、こうしていつも通りのバタバタとした日常へと戻っていくのだった。




