第2話 婚約者登場
高校入学を控えたある夜、満月を見上げていたら、いつの間にか黒猫に変身してしまっていた一華。
魔界人のパパと人間のママのハーフ(?)らしい。
人間として女子高生ライフを満喫するため、魔界から送り込まれたイケメン護衛はまさかの婚約者。
一緒に高校生活を送ることとなったが……一華は無事に高校を卒業することができるのか……。
「ピンポ~ン」
朝食の準備に勤しんでいたアズサは、軽やかなインターホンの音に手を止めた。
「は~い、どなた~?」
明るい声で応答しながらモニターへ視線を走らせると、昨夜ホログラム越しに見た端正な青年――シンの姿が映し出されていた。その漆黒の瞳は、朝の光の中でもどこか緊迫の色を帯びている。
「昨夜はお邪魔しました。シンです。」
「今すぐ開けるわね。」
玄関のドアを開けると、シンは背筋をピシッと伸ばした直立不動の姿勢で立っていた。
「いらっしゃ~い、早かったわね。」
「はい」
「もう準備は済んだの?」
「はい。これ、月華草です。煎じて飲ませてください。」
差し出された木箱を受け取り、アズサは手際よくやかんに水と茶葉をセットする。
「一華はまだ起きている気配がないのよ。起こして来てもらえる?」
その言葉を聞いた瞬間、シンの整った顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。彼はしどろもどろになりながらも、「はい」と短くうなずく。
「階段上がって右の部屋よ。」
「承知いたしました。お邪魔します。」
シンはまるで未知の領域に踏み込むかのような面持ちで階段を上がり、一華の部屋の前に立つと、控えめに四回ノックした。しかし、返事はない。
高校生になる高揚感と、昨夜の非日常的な出来事のショックが混ざり合ったぐちゃぐちゃな夢の中で、一華はいまだ深い眠りに沈んでいた。
シンはゆっくりとドアを押し開き、そっと室内に足を踏み入れる。ベッドへと近づき、低く優しい声で囁いた。
「一華」
「う~ん……」
小さく伸びをしながら、一華はようやく瞼を開いた。
寝ぼけ眼の視界に飛び込んできたのは、昨夜の完璧な超絶イケメンで、よりによって自分の部屋のベッドサイドに佇む婚約者の姿だった。
一華は声にならない悲鳴を上げ、反射的に布団を頭からかぶると、そのままベッドの隅へと転げ逃げる。
「っど、どうして!?」
「一華なのか? アズサ様が起こして来てと部屋を教えてくれたが……人間に戻っている……ぞ。」
一華は自身の姿に視線を下ろす。
「よかったぁ……ちゃんと、人間に戻れたんだ……。」
安堵の息を漏らした直後、一華の頭脳に冷静な現実が猛スピードで駆け巡る。
「で、でもね……! いくら何でも、女の子の部屋にノックもそこそこに勝手に入るのは、どうかと……思うけど……!」
布団の隙間から、怒りと恥ずかしさが入り交じった顔をのぞかせる一華。対するシンは、あくまで真剣な表情を崩さない。
「アズサ様からの指示で、それに俺たちは婚約者だし、昨夜は黒猫だったから部屋に入るのも問題ないのかと思って……。」
その直球すぎる言葉に、一華は再び顔を真っ赤にしながらも、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「うっ……そうかもしれないけど、今は人間だからね! これからは絶対気を付けてよね!」
「わかった。配慮が欠けていた。申し訳ない。」
「じゃ、じゃあ着替えるから、下で待ってて!」
シンはそれ以上何も言えず、丁寧な一礼を残して静かに部屋を退出していった。
一方のキッチンでは、アズサが朝食を作りながら、下りてきたシンに話しかける。
「あら、早かったわね。一華はなかなか起きないのよ。」
「一華、人間に戻っていました。声をかけたら、驚いて飛び起きてしまいました。」
「あら本当!? よかったわぁ。」
シンは、まだ名残惜しそうに耳を赤く染めたまま付け加えた。
「それに、『婚約者と言っても勝手に入るな』と怒られました。」
「あはは、女の子ねぇ♡」
アズサは楽しそうに目を細める。
「月華草のお茶は、もういらないかしら?」
「いや、念のため飲んでもらった方が良いかと。」
「そうなのね。シン君は、朝食はもう食べた?」
「あちら(魔界)を出るときに軽くは食べましたが、移動したことでお腹がすきました。」
「じゃあ、もうすぐ一華も降りてくるでしょうし、一緒に食べましょ。」
「はい、いただきます。」
アズサに促されてダイニングの椅子に腰掛けたシンのもとに、やがて降りてきた一華は、ママの隣、シンの向かいにこぢんまりと座り、アズサが煎じた月華草のお茶を恐る恐る一口含む。
「初めての味だけど……ハーブティーと思えば飲めそう。蜂蜜を入れたほうが美味しそうだけど……ダメ?」
「楽しむものじゃないんだから、蜂蜜はどうかしらねぇ、シン君。」
アズサが視線を向けると、シンは真面目な顔で首を横に振った。
「そのまま飲み干した方が、効果が得られる。どうしても無理というなら考えるが……」
「我慢すれば飲めるから、今日のところは蜂蜜はいいや……。」
一華は眉間を小さく寄せながら、すべてを飲み干した。
「月華草の力が体内に取り込まれたようだが、体の調子はどうだ?」
「特に変化はないみたい……? でも、味の割には不思議と心が落ち着く感じがするかなぁ。」
「うん、まぁ大丈夫だろう。魔力のコントロールは、今後の訓練で高めていけばいい。」
『訓練』という言葉に一華は一瞬だけ嫌な顔をしたが、無事に飲み終えた安堵から「いただきます。」と元気に手を合わせた。アズサに促され、シンも静かに「いただきます。」とつぶやく。
「この後、どうするんですか?」
朝食の箸を動かしながら、シンが尋ねる。
「新しい部屋でも探しに行きましょうか。」
アズサの提案に、一華は手を止めて疑問を口にした。
「あのさ、新しい部屋では二人で暮らすんだよね……。婚約者として一緒に暮らすのって、学校にバレたらやばくない?」
「そうねぇ。両親がOKしているんだから問題はないと思うけど、学生には少々刺激が強すぎるかしらね。」
アズサはニヤリと意味深な笑みを浮かべる。
「いっそ兄妹にしたらどう? 両親は海外赴任中ってことにすれば自然よ。」
「シンって、いったい何歳なの?」
一華が怪訝そうに尋ねると、シンは涼しい顔で答えた。
「何歳になればいい?」
思わず箸を落としそうになりながら、一華は目を丸くした。
「えっ……何歳にもなれるの?」
「魔力でどうとでも姿かたちは変えられる。」
「えぇ~!? そんなこともできるなんて、魔力ってすごすぎない……?」
一華は思案する。
(クールビューティーだよな……『お兄ちゃん』という設定もいいが――。)
「うーん、お兄ちゃんだと、学年は上級生設定になっちゃうなぁ……。」
「だとすると、学校内で護衛ができないな。」
シンは即座に上級生設定を却下した。
「じゃあ同級生ってこと? どう見ても双子には見えないけど……。」
「いっそ、一年違いの同級生ということにしてはどう?」
アズサの絶妙な提案に、一華は頭の中で必死に計算を巡らせる。
「私は四月一日生まれだから……その前の年の四月二日生まれに設定すれば、学年上は同じ同級生になるってこと?」
「???……」
シンには人間界特有のからくりが理解できず、小首をかしげた。
「この国では四月二日を境に学年がかわるの。一華は早生まれだから、前年生まれにしたら同級生になれるのよ。」
アズサが丁寧に、この国における四月二日を基準とした入学制度を説明する。
「でもさ、高校の受験はもう終わってるよ? 同じクラスには入れないでしょ?」
一華の当然すぎる疑問に対し、シンは迷いのないトーンで言い放った。
「大丈夫だ。魔力で受験を済ませたことにして、一華と同じクラスに仕立て上げられるから。」
「はぁ~!?」
一華は怒りと理不尽さに震え上がった。
「私はあんなに必死に勉強して合格したのに……シンは何の苦労もせず合格したことにできるなんてずるい! もう私、勉強なんてしない!」
「一華はダメよ。あなたにはそんな魔力ないでしょ。シン君も甘やかしたらダメよ。自分の力でテストを受けさせてね。」
アズサのピシャリとした釘に、シンは真面目にこくんとうなずいた。
「えっ? やだ、ごめんなさい! 自力でテスト受けます! ちゃんと勉強します! だから連れてかないで!」
一華は顔の前で必死に手を合わせ、涙目で懇願する。
「ふふっ、よろしい。」
アズサは一瞬でいつもの柔らかな笑顔に戻り、シンはそんな賑やかなやりとりを面白そうに眺めていた。魔界のプリンセスでありながら、どこまでも普通の女子高生らしい一華のリアクションは、彼にとって新鮮な驚きと愛らしさに満ちているようだった。
「さっさと食べて、新しい部屋を見に行くわよ。」
アズサの号令に合わせ、一華とシンは揃って「は~い」「はい」と返事をし、再び朝食の箸を進めたのだった。
◇◆◇
その後、三人は高校の通学圏内にある不動産屋へ赴き、高校から少し離れた落ち着いたエリアの『駅近・ペット可』の優良物件を即決。明後日の入居に向けて家へとんぼ返りした。
「思ったより早く引っ越しが決まって本当に良かったわ。」
帰宅するやいなや、本格的な引っ越し作業が始まる。箱詰め作業の合間、一華がシンに問いかけた。
「そういえば、シンは魔界から何か荷物を持ってきたの?」
「何も持ってきていない。」
「えぇ~っ!? お布団はお客様用があるとしても、服とかどうする気だったの?」
「魔界の服は人間界では浮いてしまう。だから、こちらで買い揃えようかと。」
「そうよねぇ。じゃあ、夕飯の外食ついでに、一式買いに行きましょうか?」
アズサの提案に、一華はパッと顔を輝かせる。
「やったぁ! 何食べる? 焼肉? ステーキ?」
「一華は肉ばかりだな。」
シンがどこか呆れたようなツッコミを口にする。
「うら若き乙女は肉食で出来ているの!」
「決まりね、それじゃあ今夜は焼肉を盛大に食べに行きましょ。」
ひとまず箱詰め作業を一段落させ、三人は車に乗り込んでメンズアイテムを扱う大型洋服店へと向かったのだった。
◇◆◇
洋服店のフィッティングルームから、シンが気だるげに足を踏み出す。慣れない人間界の衣服に身を包んだその姿は、周囲の時を止めてしまうほどの圧倒的なオーラを放っていた。
「背は高いし、イケメンだから、何でも似合っちゃうよね!」
一華が眩しそうに目を細める。その完璧さに悪戯心が頭をもたげた彼女は、クスリと笑って提案した。
「ねえ、ちょっとばかりオタク気味の服装にしてみては? 面白そうじゃない?」
「まかすよ。」
シンは無表情のまま応じ、奇抜な服を次々と試着していく。一方のアズサは、家族になる婚約者の服を選ぶイベントを心から堪能していた。
「ダメよ、一華。せっかく端正な顔立ちしてるんだから爽やかにいかないと。それに、これからは高校生なんだからカジュアルで清潔感のあるものが一番よね。……あとは制服に、靴、教科書、それとスマホに、下着ね。」
アズサがメモを確認して読み上げる。シンはぎゅっと口を真一文字に結び、一華は天井のディスプレイを眺め始めた。
「……」
気まずい沈黙のあと、シンは耳たぶを少し赤く染めながら、絞り出すように言った。
「下着は、自分で選びます……。」
そのどこか居心地の悪そうな、人間らしい純情な拒絶に、アズサは「ふふっ」と楽しげな笑みをこぼす。
最後に立ち寄ったファストファッションの店舗で、シンは紳士肌着のコーナーでひっそりと真剣な顔つきになり、慎重にデザインを選び出してカゴにいれる。その姿を見守りながら、一華とアズサはひそひそと笑い声を交わした。
両手がいっぱいになるほどの紙袋を抱えた三人は、一度駐車場に戻り、車のトランクへと荷物を押し込んだあと、一華希望の焼肉屋へ向けて、三人は再び歩き出したのだった。




