第13話 お昼休み
連休明けの、うららかな月曜日。
午前中の授業は滞りなく進み、いまはのどかなお昼休み。一華とシンはいつものように一番奥の席の机をぴったりと寄せ合い、お弁当の包みを解こうとしていたところだった。
まさに、お弁当箱の蓋が開いた、その瞬間だった。
「……あのさ」
声をかけてきたのは、女子生徒の理那と真由だった。彼女たちは自分の机を二人の方へと引き寄せ、少し緊張した面持ちで、ぴたりとくっつけてくる。
「私、理那。こっちは真由。……あの、私たちも一緒にお弁当、食べていいかな?」
柔らかな笑みを浮かべる真由に続き、理那が少し不安そうに上目遣いで覗き込んでくる。
すでに机はくっつけられ、逃げ場はない。
シンは箸を持ったままピクリと硬直した。シンの魔力感知は即座に『警戒レベル』へと跳ね上がったが、幸いなことに目の前の少女たちから物理的な殺気や攻撃性は感じられない。シンは最低限の魔力結界を目に見えない薄い膜として、一華の周囲に張り巡らせるに留めた。
隣で一華は状況を飲み込めず、戸惑いながらシンに小声で耳打ちする。
「シン……この前、更衣室で話しかけてきた二人だよ。」
シンは一華の言葉を確認するように小さく頷き、それでも警戒を緩めることなく、無言で彼女たちを見つめ続けた。
シンの冷徹な無言の圧力に気圧されながらも、理那は意を決したように、ぎゅっと両手を握りしめて言葉を紡いだ。
「この間は、いきなりプライベートなこと聞いちゃって、本当にごめんね。」
「本当は友達になりたかったんだけど、なんて声かけていいかわかんなくて……変な聞き方になっちゃってさ。」
率直な一華は、じっと二人を見つめて、率直な疑問をぶつけた。
「……やっぱ、まだ私たちのこと、本当の兄妹じゃないって疑ってる?」
その問いに、理那はブンブンと激しく首を横に振る。
「もう疑ってない! 本当にごめん! 一華ちゃんが嘘つくような子じゃないって、ちゃんとわかったから。……許してくれる?」
(うーん、シンが嘘つかせたんだけどな……)
一華は心の中で苦笑しつつも、相手の申し出を頑なに拒絶する理由も見当たらなかった。半分だけ納得しきれない感情を心の奥に押し殺し、一華は小さく頷いてみせる。
「……うん、いいよ。」
シンの魔力感知は、一華のなごまない感情の揺らぎを正確に捉えていた。この機を逃せば、一華の心がすれ違ってしまう。シンは自ら口を開き、一華の言葉をそっと補強することにした。
感情の起伏を抑えた、淡々とした声が教室の空気に響く。
「……俺が少し説明する。俺は小さい頃、父親の海外赴任について行ってな。現地で、いくつかの修羅場を経験した。」
シンは一度言葉を切り、わずかに視線を伏せる。その冷たい顔立ちは生まれつきのものではなく、過酷な環境が刻んだものだと、自然に納得させるだけの重みがそこにはあった。
「だが、これ以上一華を危うい環境へ連れて行くのは両親も望まなかった。だから……俺にとって、一華を護り、この平和な日常に留めることが最優先だ。見た目が冷たいのは、単に育った環境が影響しているだけだと思ってくれ。」
シンの真摯で重みのある言葉に、理那は胸を打たれたように深く頭を下げた。
「……本当、ごめん。何も知らずに意地悪な質問をして……すごく反省してる。」
その謝罪を受け、一華はシンの『設定補強』の妙に小さく息を呑みながら、今度こそ心からの笑顔を取り戻した。
「ううん、もういいよ! ……あの、一華でいいから。みんなでお弁当、食べよっか!」
その言葉に、場の張り詰めた空気が一気に和んだ。だが、シンは完全には気を緩めず、一華を護衛するようにその隣で静かにお弁当を食べ始める。
四人がようやく箸を動かし始めた、その時だった。
「おっ、なんか楽しそうじゃん! 俺たちも混ぜてくれよ!」
教室の入口付近から、先週シンに声をかけてきた男子生徒――浩輔と直哉が、売店で買ったばかりのパンを片手に軽やかに近づいてきた。
直哉は空いていた席に勝手にどっかりと座り込み、人懐っこく笑う。
「俺、直哉な! よろしく!」
「俺は浩輔。いやあ、特等席が空いててラッキーだわ。」
突然の男子たちの接近に、一華は言葉を失い、その場でぴたりと固まってしまった。
シンの超感覚は、一華の小さな心の揺らぎを逃さない。一華の防御壁となるべく、シンは即座に冷たい眼光を前方の男子二人へと向けた。
「この二人も、更衣室で話しかけてきた連中だ。」
シンは浩輔と直哉に向き直り、容赦のない低い声できっぱりと言い放った。
「一華は、お前たちと遊びに行ったりはしない。諦めろ。この前言ったはずだ。」
少し焦ったように、浩輔は両手を軽く上げた。
「いや、そうじゃなくてさ! みんなでどこか遊びに行こうぜって話! せっかく同じクラスになったんだしさ、もっと仲良くさ……。」
その「遊びに行こう」という何気ない一言が、一華の脳裏に激しいフラッシュバックを引き起こした。
かつての、消し去りたい『事故』の記憶。
一華はすっと俯き、小刻みに震える声を絞り出すように吐き出した。
「私は……遊びに行く約束なんて、……できない。待ち合わせなんて……もう、できない……。」
異変に気づいたシンが、すぐに静かに一華の肩へと手を伸ばした。
しかし、一華はその手をそっと避け、まるで自分自身に言い聞かせるように、心の奥底に封じ込めていた記憶の蓋をこじ開けた。
「昔、すごく仲良かった友達と……休みの日に待ち合わせて、一緒に遊びに行く約束をしたの……」
一華の声は、痛々しく途切れ途切れになる。
「その時は、今みたいにスマホなんて持ってなくて……。待ち合わせ場所で何時間も待ってたんだけど……とうとう、その子は来なかった……。家に帰って、ママから連絡してもらって……」
教室の空気が、みるみるうちに凍りついていく。
「その友達……来る途中で、事故に巻き込まれてて……そのまま、二度と会えなくなっちゃって……。それから……誰かと待ち合わせをして、出かけるのが……怖くて、できなくなったの……。」
一華の悲痛な告白を聞き、シンは一瞬にして全身の血が凍りつくような衝撃に襲われた。
シンの脳裏によみがえるのは、両親と永遠の別れとなったあの日の情景だ。大切な人を理不尽に奪われる絶望――その記憶が、激しくシンの胸を締め付ける。
だが、彼はその動揺を外見に一切漏らさなかった。こぼれ落ちそうになる感情の奔流を、強靭な意志の力で心の深くにねじ伏せる。
(……泣くことなど許されない。俺が乱れれば、一華を守る盾が揺らぐ。)
視線をわずかに伏せたシンの瞳の奥で、誰にも気づかれないほど微かに、しかし冷たく鋭く、青い魔力の光が燃え盛る。
教室中が凍りつくような沈黙のなか、理那たちはあまりに重い告白に気まずそうに目を伏せるしかなかった。真由は自分の膝の上で制服のスカートをぎゅっと掴んだまま、次にどんな言葉をかければ正解なのか見失い、ただ小さく息を潜めている。直哉も、さっきまでの軽やかな笑みを消し、引き攣った笑みを浮かべたままパンを握りしめた。どう反応していいか分からず、誰もが気まずさに耐えかねて、ただ自分の机の上へ視線を落とし込むしかなかった。
重苦しい沈黙を破ったのは、一華だった。
はたと我に返った彼女は、引き攣りそうな頬を両手で無理やり叩き、パッと満面の笑みを作ってみせる。それは見ていられないほど必死で、空回りした明るさだった。
「ご、ごめんね! なんか急に変な話して重くなっちゃったよね! だから、その……もし遊びに行くなら、私とシン抜きで、みんなで行ってきてよ!」
カラカラと空回りする笑い声を響かせながら、一華の心臓は激しく波打っていた。
(……笑って、ごまかせたよね?)
痛いほどの強がりを必死に押し隠し、一華はこれ以上誰も踏み込んこんでこないよう、精一杯の『日常の仮面』を貼り付け続けた。
だが、理那と真由は、その強がりをすっと見抜いていた。
理那は気まずそうに目を泳がせる代わりに、ぎゅっと握りしめていた拳をそっとほどき、一華の手を優しく包み込んだ。真由もまた、安心させるように柔らかな微笑みを浮かべてうなずく。
「……隠さなくていいよ。急にあんな重い話を聞いちゃってびっくりしたけどさ、私たちが友達になりたいって気持ちは本当だから。」
「うん。どこかに遊びに行くのが怖かったら、無理しなくていいの。こうやって教室でお弁当を一緒に食べるだけでも、十分楽しいし嬉しいからさ。」
直哉や浩輔も、気まずさを拭い去るようにワハハと明るく笑ってみせた。
直哉は自分のパンを一つ、ぽんと一華の机の上に放り出す。
「そうそう! 無理して遠くに出かけなくたって、ここでこうしてワイワイやるだけで十分だろ? ほら、パン食うか?」
「お前な、人のパンを勝手に分けるなよ! でも、直哉の言う通りだ。俺たちはただ、お前らともっと一緒に過ごしたかっただけだからさ。」
その温かいフォローに、一華の胸に張り詰めていた氷がゆっくりと溶けていく。
取り繕うためのものではなく、本当に救われたような、こぼれるような笑みが一華の顔に浮かんだ。
「……うん。ありがとう、みんな……!」
その様子を隣で見つめながら、シンは静かに息を整えた。
一華を守るための冷徹な壁はそのままに、しかしその硬い表情の奥に、わずかな安堵の光が宿る。一華を外の世界から孤立させるのではなく、この優しい仲間たちと共に日常を歩んでいくこと――それこそが、今の二人が進むべき道なのだとシンは静かに実感していた。
その後は気まずさがすっかり消え去り、四人はたわいない雑談を交わしながら、穏やかなお昼休みの残り時間を過ごした。
やがてチャイムが鳴り響き、午後の授業が始まっても、一華の胸中は先ほどとは違う温かい波に包まれていた。
(ごめんね、みんな。待ち合わせが怖いっていうのは本当だけど……今の私は、一人じゃないんだよね。)
午後の授業中、窓の外へと視線を向けながら、一華は心の中でそっとつぶやく。
だが、胸の奥で別の恐怖が冷たく渦巻くことも、忘れてはいない。
(でも――一番怖いのは、そんな過去の痛みに浸ることじゃない。一番怖いのは、『満月の夜に黒猫の姿になって、シンとの約束を破ってしまうこと』なんだよ……)
自分の過去のトラウマを乗り越えようとする一方で、隣にいるシンまであの日の悲しみを思い出させてしまった。これ以上、自分の秘密にシンを巻き込み、苦しめたくない。
震える指先をもう片方の手できつく握り締めながら、一華は目の前の授業へと意識を向け直すのだった。
一方で、シンは一華の痛切な告白を通じ、己の護衛としての絶対的な使命を改めて心の深くに刻み込んでいた。
一華の過去の友人は理不尽な外的要因によって奪われたが、自分は違う。彼は一華の傍から永遠に離れないために、この世界に留まり続けている。
あの時流した無力の涙を、シンは二度と繰り返さない。
静かに呼吸を整えると、シンは再び一華を護るための冷徹な壁として前を向き、その瞳の奥で青い魔力の光を静かに、しかし強く燃え盛らせていた。




