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偽りの兄妹(旧タイトル:いちにの華)  作者: ゆず華
覚醒編

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第10話 体育と決定

朝一番、一華とシンは並んで足早に教室へと向かっていた。二人の手には、書道科目選択の希望用紙が握られている。


「よし、これで提出は完璧、と」


一華が小さな胸をなで下ろす隣で、シンは無表情を貫きながらも、周囲の生徒たちの視線が自分たちに集まっていないか、無意識に索敵の魔力波を広げかけていた。いけない、と自らそれを引っ込める。人間界の学校生活に馴染むためには、過剰な警戒はかえって目立つ。そう自分に言い聞かせながら、シンは一華の後を追って一年A組の教室に入った。


そして、午前中の授業が過ぎ去り、迎えた初めての体育の時間。

生徒たちは体育館横の更衣室へと移動し、男女に分かれて真新しい体操服へと着替えた。


紺色のジャージに身を包んだ一華が、ロッカーの横を離れたその瞬間、クラスの女子生徒であるAとBが、いかにも面白そうな話題を見つけたといった足取りで近づいてきた。


「ねえ、一華ちゃん。」


声をかけてきたのは女子生徒Aだった。少し意地悪そうな、しかし好奇心に満ちた笑みを浮かべている。


「一華ちゃんってさ、シン君と顔、似てないわよね? クールなシン君と、一華ちゃんの雰囲気って全然違うし。なんていうか、空気感が違うっていうかさ。」


一華は心臓が跳ねるのを必死で抑え込み、しかし表情筋を緩めて作り笑いを貼り付けた。


「そう? 私、ママ似で、シンはパパ似だからじゃないかな。ほら、よくあるでしょ、兄妹でもどっちかにそっくりって分かれること。」


「そうなの? でも、顔の系統が全然違うから、本当に兄妹?って、クラスの女子の間でちょっと噂になってるよ。」


女子生徒Aは納得がいかないとばかりに首を傾げる。一華は、これ以上踏み込まれまいと、さらに一段階明るく声を張り上げた。


「そうだよ! ちゃんとした、両親が海外赴任中の兄と妹だってば。」


「ふーん……。でもさ、すごくべったり付き添ってるよね。休み時間も、シン君、絶対一華ちゃんの周りにいるし。」


今度は女子生徒Bが、疑わしげな視線を向けてきた。

その言葉に、一華の胸の奥がチクリと痛む。べったりしているのは好きでそうしているわけではなく、魔力暴走を起こさないよう身を守るための『護衛任務』なのだから。だが、それを口に出せるはずもない。


「初めて両親と離れて、二人っきりで暮らすからさ……。私、ちょっとドジだし、危なっかしいところがあるから、お兄ちゃんとしては心配なんじゃないかな。シンは真面目だからね。」


(危なっかしいのは事実だけど、ベッタリなのは護衛任務なんだからね!)


心の中で激しくツッコミを入れながらも、一華はなんとかその場を取り繕い、『兄妹設定』の盾の裏に隠れ切った。



◇◆◇



一方その頃、男子更衣室では。

シンが自分のロッカーの扉を静かに閉め、体操服の裾を整えていたところに、男子生徒AとBが面白半分といった様子で近づいてきていた。


「おい、シン。お前の妹、結構かわいいよな。クラスでも結構話題になってるぜ。」


男子生徒Aが、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらシンの肩を叩く。シンは無言のまま、冷ややかな視線を一瞬だけ向けた。内心では、(――妹ではない、だが周囲には否定できない――)という、任務上の致命的な矛盾が生み出す葛藤が、渦巻いていた。


「なあ、彼氏とかいんの? あんな可愛い子がフリーでいるわけねぇよな。」


男子生徒Bも、好奇心を隠そうともせずに問いかけてくる。

一華の安全、そして彼女を守るための任務の隠蔽。その二つを同時に成立させるため、シンは脳内で瞬時に計算を弾き、あえて『事実の半分(婚約)』と『虚偽(妹設定の延長)』を絶妙な比率で混ぜ合わせた。


「……婚約者がいる。」


「は? はあ!? 高校生なのに婚約者って、マジかよ!」


男子生徒Aは、予想の斜め上を行く返答に目を丸くして驚いた。


「親が決めたことだ。高校を卒業したら、結婚することが決まっている。」


「マジかよ……じゃあ、俺らがアプローチしたり、一緒に遊んだりするのも無理ってわけか。」


男子生徒Bが、露骨に肩を落とす。


シンは、一華に余計な虫がつかないように、そして魔界の者たちが手出しできないよう、あらかじめ防壁を張る決意を込めて、低く、ハッキリと言い放った。


「一華はそういう対象ではない。変な虫がつかないように、親から護衛役を任されている。それが、俺の役目だ。」


「へえ……。じゃあさ、シン、お前と友達になれば、一華ちゃんとも自然に仲良くなれるってわけだな?」


男子生徒Aは、思わぬところでコネを見つけたと言わんばかりに、ニヤリと笑ってみせた。

その瞬間、シンはハッと息を呑んだ。


――新たな「接触リスク」の可能性。


一華を遠ざけるために発言したはずが、今度は自分を起点として一華に男友達が群がってくるという、全く逆のバグを引き起こしてしまった。言葉に詰まるシン。


「一華は……その……」


「おい、行くぞ! 体育の授業始まるぞ!」


そのタイミングで、別のクラスメイトが大きな声を上げ、チャイムが鳴り響いた。シンはこれ以上の追撃を断ち切るように背筋を伸ばし、一言も発さぬまま更衣室を飛び出して運動場へと向かった。


その日の体育は、全体での準備体操の後、男女に分かれて行われた。 女子は体育館でバスケットボールのミニゲーム、男子は運動場で100メートルの記録計測。


スタートラインに立ったシンの心は、走る前から全く別の場所へと飛んでいた。


(一華の周囲で、『妹ではない』という疑念が広がり始めている。それに、僕自身の口から、『婚約者』という、任務上極秘であるはずの情報を漏らしてしまった……。)


ピストルの音が鳴り響き、シンは反射的に駆け出した。圧倒的な身体能力で周囲を引き離し、一番でゴールを駆け抜けるが、足取りは重い。走りながらも、彼は魔力通信回線を通じて、一華が身につけている結界の安定度を何度も確認していた。

結界は正常に機能している。一華に危険はない。だが、自分の軽率な(あるいは計算違いの)発言が、一華の人間関係に新たな波乱のリスクをもたらしたことは事実だった。そのモヤモヤとした焦燥感を抱えたまま、シンは上の空のまま体育の授業を終えた。



◇◆◇



そして、待ちに待ったお昼休み。

二人は自分の席を寄せ合い、持参した弁当の包みを開いた。更衣室での出来事を、それぞれが報告し合う時間だ。


「ねえ、聞いてよシン!」


一華は箸を止め、少し不満げに頬を膨らませた。


「私も『似てない』って言われてさ。『それぞれパパ似・ママ似の兄妹だから当然!』って、うまく言い返しておいたけどさ……。シンは何か言われなかった?」


シンは少し気まずそうに目を伏せ、淡々と、しかし隠さずに事実を告げた。


「……俺も似たような質問をされた。その結果、俺は『婚約者がいる』と答えておいた。」


一華の手から、パッと箸がこぼれ落ちそうになった


「はっ!? ……なっ、なんでそんなこと言ったのよっ!?」


顔が一気に沸騰するように赤くなり、一華は声を裏返らせた。シンは微動だにせず、むしろ当然と言わんばかりのトーンで自身の正当化を展開する。


「一華に無用な接触を試みる人間を、最も効率的に遠ざけるには、手の届かない存在だと認識させるのが最速の手段だ。さらに、俺が一華の護衛である事実も同時に混ぜることで、魔界の者たちへの牽制にもなる。一石二鳥の合理的な防壁構築だ。」


「そ、そっか……。理屈は分かるけどさぁ!」


一華は両手で自分の熱を持った頬を押さえた。理路整然と『防壁』だの『効率』だのと語るシンを見つめながら、頭ではそれが護衛任務の延長だと分かっているのに、胸の奥は全く別の理由で激しく波打っている。


(この人、本気で私のために『婚約者』なんて大パワーワードを学校中で言いふらしてきたわけ……!?)


恥ずかしさと、どこかこそばゆい嬉しさがごちゃ混ぜになり、一華は思わず机の下でぎゅっと拳を握りしめた。


一方、そんな一華の複雑な赤面を目の当たりにしながらも、シンの脳内では別の警報(バグ)が鳴り響いていた。


(……一華の心拍数が上昇している。体温の上昇も確認。防壁の構築には成功したが、この反応は想定パラメータの範疇外だ。まさか、精神的な負荷がかかりすぎたか……?)


お互いに『任務の遂行』と『年頃の男女としての意識』が絶妙にかみ合わず、けれど確実に距離は近づいている――そんな空気を残したまま、シンは自身の懸念点を淡々と続けた。


「問題は別にある。俺が『妹の護衛』と公言したため、今度は男子生徒たちが俺と仲良くなろうと接近してくることだ。それは、一華への新たな接触リスクを生む。」


「もう……! まぁ、明日からは、学校で必要以上にべったりしなきゃ、そんなに目立たないで大丈夫だよ!」


一華は恥ずかしさを紛らわせるように、自分の弁当箱から卵焼きをつまみ上げて口に放り込んだ。そして、ふと教室の窓の外を眺めながら、小さなため息をついた。


「……ねえ、シン。私たち、このまま高校生活の最後まで、友達も作らないままでいくつもり?」


シンは眉をひそめた。


「護衛任務に不要な人間関係は、リスクでしかない。」


「分かってるけどさあ……。」



◇◆◇



午後からの授業も大きなトラブルなく終了し、いよいよ終業のホームルームの時間となった。

担任教師が黒板の横に立ち、選択科目の結果が記載された用紙を掲示板へとピンで留める。


「さて、皆さんお待ちかねの選択科目の結果です。希望者が集中した科目もありましたが、各自、自分の目で確認しておいてください。」


ホームルームが終わると同時に、一華とシンは他の生徒たちと一緒に後ろの掲示板へと歩み寄った。人混みの隙間から覗き込んだ紙には、印刷された活字でこう記されていた。


【選択科目決定クラス名簿】

1年A組

書道:一華、シン、他12名……


一華は胸をなで下ろし、隣に立つシンの腕を軽くパシッと叩いた。


「やった! 書道で決まったね!」


そして、周囲に聞こえないよう、ほんの小さな声で付け加えた。


「さすがシン、魔力による裏工作……じゃなくて調整は完璧だったね!」


シンは魔力の使用を指摘され、わずかに耳たぶを赤く染めながら、小声で言い返した。


「任務の範疇だ。これで、授業中に一華と物理的に引き離されるリスクは完全に消滅した。」



◇◆◇



放課後。

二人は揃って学校の近くにある文房具店へと足を運んだ。初めての書道選択に向け、必要な道具一式を揃えるためだ。

店内の棚には、さまざまな太さの筆や、艶やかな黒光りする硯、文鎮が並んでいる。一華は一本の筆を手に取り、毛先を指で軽く確かめながら、ふっと笑った。


「ふふ。これで、学校の授業中に月を見て黒猫になっちゃう心配はなくなったね!」


「油断は禁物だ。次は、習字の授業で扱う手本や紙の中に、月のイラストやそれに類する魔力反応を示すものが混じっていないか、事前に確認する必要がある。」


一華は、真剣な顔で店内の墨の成分表示を眺めているシンの横顔を見つめながら、心の中で苦笑した。


(あいかわらず、シンの頭の中は護衛優先でいっぱいだなあ……。)




その後、夕暮れ時のスーパーに立ち寄り、夕食のための食材を買い込んだ。レジ袋の重みを両手で分担しつつ、二人は並んでマンションへと歩き出す。


「ねえ、シン。」


一華は少し歩幅を合わせながら、昨日交わした会話を持ち出した。


「昨日、私が『婚約者としてダメだね』って言ったこと、ちゃんと覚悟しといてよ。私、お金の使い方も、人間界の暮らしのことも、これからちゃんと覚えて自立するんだから!」


シンは一華が持っていたレジ袋の片方を、さりげなく自分の手へと引き取った。


「承知した。俺は一華の護衛であり、同時に魔界における教師でもある。一華が人間界で完全に自立し、次代の王族として恥じない知性と教養を身につけるよう、最後までサポートする。」


シンはそこで一度言葉を区切り、いつもの冷静で隙のない『護衛の壁』をふたたび自身の周囲に築き上げた。

だが、その鉄壁の仮面の内側で、一華が無邪気に放つ一言一言や、少しずつ人間界の空気に馴染んでいく彼女の横顔は、単なる『任務の枠』を遥かに超えたものとして、静かに、しかし確かな温もりを持って彼の胸の内に積み重なっていっていた。


夕闇が街を包み込む中、ふたつの影は並んで、それぞれの明日へと歩みを進めていった。

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