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第3話:重すぎる溺愛と、狂い出す元婚約者

 ふかふか――という言葉では到底足りない。ふわふわ。もふもふ。もこもこ。なんと言い表したものだろうか。


 まるで雲の上、あるいは極上の綿菓子に包まれているかのような最高の寝心地に、私はゆっくりと目を覚ました。


「……あれ? ここは?」


 見上げれば、王宮の一室かと見紛うばかりの豪華絢爛な天蓋付きベッド。


 まばゆいクリスタルのシャンデリアに、一財産しそうな美しい絵画。呆然と上体を起こした私の鼻腔を、品のあるアールグレイの香りがくすぐった。


「目が覚めたか、私の愛しき理解者よ」


 ベッドの傍ら。優雅なアンティークの椅子に腰掛け、自ら銀のティーポットを傾けていたのは――あの『死神検事長』こと、レナード・フォン・アルトワ公爵閣下だった。


 官服の第一ボタンを少しだけ緩め、私に極上の微笑みを向けている。あの法廷での凍り付くような冷徹さはどこへ行ったのか。


「レ、レナード様!? ここ、は……」

「我がアルトワ公爵邸の最上級客室だ。君が着用しているドレスや、そこの机に山積みにされている最高級のスイーツは、全て君のために用意させた。『保護』に必要な合法的経費だから、何も気にする必要はない」


 見れば、サイドテーブルには色鮮やかなマカロンやタルトがこれでもかと盛られ、クローゼットからはみ出すほどのシルクのドレスが並んでいる。我が男爵家の年間予算が一瞬で吹き飛びそうな光景だ。


 どうやら私は彼に抱えられて臨時法廷から退出する時にそのまま気を失ってしまったらしい。あまりに衝撃的な出来事の連続で精神がたなかったのだろう。


「あの、あの、無罪放免になったはずでは……。なぜ私、お姫様抱っこでここまで拉致されたんでしょうか」


 恐る恐る尋ねると、レナード様は真剣そのものの顔で眼鏡の位置を直した。


「アリア嬢。君を我が邸に拉致……失敬、緊急避難的に保護したことは、私の精神の安定、ひいては王国司法の未来を守るために完全に『正当化』されるべき合法的な措置だ。違法性は阻却されている」

「めちゃくちゃ主観的な緊急避難ですね!?」

「いいや、客観的かつ絶対的な事実だ。君ほどのリーガル・マインドを持つ人材を、あの愚者どもの手が届く場所に置いておくなど、国家的な損失以外の何物でもない。それに――」


 レナード様は椅子から立ち上がると、ベッドの端に腰掛け、私の手をそっと両手で包み込んだ。大きな、けれど酷く優しい手だ。氷の瞳が、今はとろけるような熱を帯びて私を見つめている。


「……私はずっと孤独だった。法を愛さず、権力と感情で歪める者たちばかりの世界で、私と同じ地平で法を語れる者を、ずっと探していたんだ。君に出会えた。……君の存在そのものが、我が王国の法秩序において完全に『合憲』だ。君を愛し、守り抜くことは、もはや私の中の最高法規なのだよ」

「あ、愛……!? 最高法規……っ!?」


(重い重い重い! 愛の判例が重すぎる! 法律オタクの告白、スケールがデカすぎて脳の処理が追いつかないんだけど!?)


 顔がボッと熱くなる私を置いてきぼりにして、レナード様は嬉々として懐から分厚い書類の束を取り出した。


「ところでアリア嬢。君が先ほど言っていた『推定無罪』の概念を盛り込んだ、新たな刑事訴訟法案のドラフトを130条ほど作ってみたのだ。ぜひ君の革新的な知見で添削してほしい」

「わ、私、法律に関しては本当に聞きかじった程度で……! いつかしっかり勉強したいと思ってはいるんですけど! レナード様のお役に立つなんて、とてもとても……!」


 何かとんでもない勘違いをされている。必死に言い訳をしたが、レナード様はそれすらも美徳と受け取ったらしく穏やかに微笑んでいる。


「それであのような立派な弁論ができるとは。驚くべき、というほかない。実務についてはおいおい身につけていけばいい。……それと、これはまた別の書類なのだが」

「……はい?」

「君と私の『専属婚姻契約書(全150条・違約金設定あり)』だ。不貞行為の禁止はもちろん、毎日の法論争の時間確保、および毎週末のデート義務などを明文化しておいた。今すぐサインしてくれても何も問題はない。合意原則に基づいてな」

「婚姻契約書!? ちょっと待って、外堀を本気の布陣で埋めに来ないでください!!」


 死神検事長、まさかの重度な過保護激重法律オタクだった。


 私は差し出された万年筆を前に、現代日本のゲーム知識がもたらした予想外の急展開に、ただただ頭を抱えるしかなかった。


 ――一方、その頃。豪華絢爛なブラウ侯爵邸の一室では、全く異なる悲鳴が上がっていた。


「な、何だ、これは……っ!? どうしてこんなに数字と条文が並んでいるんだ! 意味が分からん、さっぱり分からんぞ!」


 ジュリアン・フォン・ブラウは、謹慎処分を言い渡された自宅の執務室で、髪をかきむしりながら絶望していた。


 彼のデスクの上には、天井に届きそうなほどの書類の山が築かれている。


 他家との領地境界線に関する和解書、司法省に提出するべき判例の整理、関税に関する法的意見書――。


「クソッ、いつもならアリアに『これやっておけ』と投げておけば、翌朝には良い感じの書類になって戻ってきたのに……!」


 そう、ジュリアンが司法省で若き天才エリートと持て囃されていた実績の九割九分は、実家が格下であることを理由に奴隷のように扱われていたアリアが、夜通し代行していたものだったのだ。


 前世の日本のブラック企業である『名ばかり管理職』と『優秀な派遣社員』の構図そのものである。


「男爵令嬢の田舎娘にできたんだから、俺にできないはずがない……!」


 ジュリアンは意地になって、アリアが書き残した実務書類を開いた。


 しかし、そこに並んでいるのは、アリアが前世の知識を異世界風にカスタマイズした、超高度で無駄のない完璧な法理書類。


「……何だ、この『契約解除条項の明確化』って? 『損害賠償』? 『過失相殺』……? な、何なんだ、この呪文のような単語は!!」


 中身がただの感情論バカであるジュリアンには、1ページどころか、最初の3行すら理解できなかった。


 アリアという超有能なインフラを自らキックアウトした組織が、翌日から完全停止する――まさに、典型的な自滅の瞬間だった。


 そこへ、激しい音を立てて扉が開いた。


「ジュリアン!!」

「ひっ、ち、父上……!?」


 現れたのは、怒髪天を衝く勢いで顔を真っ赤にしたジュリアンの父親、ブラウ侯爵だった。その手には、司法省からの警告状が握られている。


「お前、何をしてくれたんだ!! 近隣の伯爵家との土地紛争に関する『和解書』の提出期限が、今日の正午で過ぎているぞ! あちらの弁護士から『期限超過による勝訴確定の請求』が届いた! 我が侯爵家の貴重な鉱山領地が、丸ごと差し押さえられる危機だぞ!?」

「な、なんだと……!? そ、それはアリアがいつも期限管理を――」

「そのアリア嬢を、お前は無実の罪でハメて婚約破棄したな! しかも、あろうことか『死神検事長』アルトワ公爵の目の前でだ!!」


 ブラウ侯爵はジュリアンの胸ぐらをつかみ、激しく揺さぶった。


「アルトワ検事長から、我がブラウ侯爵家に対する『特別監察および予備的捜査の開始通告』が届いた! あの方の目は誤魔化せん! 我が家がこれまでやってきたグレーな脱税、身内への利権誘導、過去の裁判への不当介入……全て暴かれれば、爵位剥奪、財産没収、一発で没落ギルティだぞ!!」

「え……? 没、落……?」


 ジュリアンは、ようやく事の重大さに気づき、顔面を土気色に変えた。


 自分が追い出した地味な男爵令嬢が、どれほどブラウ侯爵家の『盾』であり『頭脳』であったか。そして、彼女を傷つけたことで、世界で最も怒らせてはいけない男を敵に回してしまったのか。


「嘘だ……そんな……。そ、そうだ。アリアを……アリアを呼び戻そう! あいつなら……あいつに書類を書かせればこんなピンチ一瞬で……!」

「もう遅いわ、この大馬鹿者が!!」


 その時、執事がガタガタと震えながら部屋に駆け込んできた。


「こ、侯爵閣下! ジュリアン様! 大変です! 門前に、アルトワ検事長直属の特別監査官が、総勢五十名で押し寄せて参りました! 家宅捜索がどうこうと、令状を持っております!!」

「な、何だとぉおおおおお!?」

「う、嘘だ、嘘だあああああああ!!!!!」


 ブラウ侯爵家の終わりを告げる足音が、すぐそこまで迫っていた。ジュリアンは頭を抱え、ただただ悲惨な絶叫を上げるしかなかった。


(第4話へ続く)

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