表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/5

第2話:検事長の限界化とスピード無罪

「――下がれ。これよりこの場は、本職が取り仕切る」


 冷徹な声一つで、小法廷の空気は完全に掌握された。


 王国検事長、レナード・フォン・アルトワ公爵は、元々そこにあった裁判長席へと当然のような優雅さで腰を下ろした。


 検事なのに裁判長席に座るのだなぁ、と思いながらぼんやり眺めていると私の視線に気づいたのか検事長レナードはおもむろに口を開いた。


「……この国における最高司法機関の長は、重大な違法裁判を検知した際、自らが特別審判官としてその場で裁判長席を奪う特権を有している。本件もこの権限に則った措置だ。安心するがいい」


 別に説明を求めていたわけではなかったのだが、私はただ首を縦に振るしかなかった。


 先ほどまで威張り散らしていたジュリアンは、完全に蛇に睨まれた蛙、あるいは塩を前にしたナメクジのようにガタガタと震えながら後退あとずさっている。死神検事長の圧倒的な威圧感を前に、声すら出せないらしい。


 レナード様は、長い指先でトントンと机を叩き、鋭い視線を私――アリア・ローゼンへと向けた。


「被告人アリア。先ほど君が口にした主張……『証言の客観性』、そして『証拠能力の有無』について。非常に興味深い。本職に、もう一度詳しく説明してもらおうか」


 その声音は低く、酷く冷淡に聞こえる。けれど、その奥にある瞳だけは、獲物を値踏みする肉食獣のように爛々と輝いていた。


(うわぁ……。なんか、ゲームの裏ボスから抜き打ちテストをされてる気分なんだけど!?)


 背中に嫌な汗が流れる。だが、ここでビビって黙り込んだら、待っているのはジュリアンが言っていた終身奴隷刑だ。私の人生がバッドエンドを迎えてしまう。


(やるしかない。前世のゲーム知識と、毎晩貪るように見た弁護士YouTuberの動画……私の脳内六法全書を、今こそフルスロットルで出力する!)


 私は小さく深呼吸をし、もう一度前世の法廷バトラーの魂を呼び覚ました。


「喜んで、レナード検事長閣下」


 恭しく一礼してから弁論を始める。


「まず、ジュリアン様が主張する『目撃者の証言』についてです。現場となった学園の西校舎裏の階段は、午後五時の時点で完全に遮光された死角となります。なぜなら、西側の旧校舎の影に隠れる構造だからです。この季節、魔石灯が点灯するのは午後五時半です。つまり、事件当時、現場は『肉眼で人物を特定することが不可能な暗闇』でした。それにもかかわらず、私を特定できたとする証言があるならば、それは虚偽であるか、あるいは超常的な夜視能力を持つ人狼族でもない限り不可能です」


 そこで一度言葉を切ると思い切り机を叩く。このバァン、という音が段々快感になってきた。


「したがって、その証言には『客観性』がなく、証拠としての価値――すなわち『証拠能力』は皆無であると断言できます!」

「ふむ……」


 レナード様は、深く頷きながら私の言葉を一文字も聞き漏らすまいと耳を傾けている。


 私は勢いに乗り、隣で青ざめているミーナをビシッと指差した。


「さらに、ミーナ様の『右腕骨折』という負傷についてです。骨折という傷病は、骨膜の損傷を伴うため、軽微な動作であっても激痛を誘発します。しかし、先ほどミーナ様は涙を拭う際、右の肘関節を九十度に曲げ、さらに肩関節を外転させる動きを平然と行っていました! これは、医学的、ひいては法医学的な観点から見て、骨折患者には絶対に不可能な可動域です。つまり、その包帯は『偽傷』……すなわち、私を犯罪者に仕立て上げるための狂言の可能性が極めて濃厚であります!」

「なっ、なんですって……っ!?」


 ミーナが今度こそ本気で顔をひきつらせ、包帯の巻かれた右腕を庇うように一歩引いた。


 もう勝負はついている。私は最後の決め台詞を放つべく、胸を張った。


「現行の王国法、および近代法の根幹をなす精神において――『疑わしきは被告人の利益に』、すなわち十分な客観的証拠がない限り、被告人は無罪と推定されるべきです。さらに、明確な法的手続きを経ずに、一個人の感情や身分の優劣で刑罰を決定しようとした今回の裁判は、手続き自体が重大な違法であり無効! 以上の観点からして、被告人――つまり私は、完全に無罪を主張します!」


 言い切った。地下の小法廷に、私の凛とした声が響き渡る。


 その直後だった。


 ――ガタッ!!!!!!


 凄まじい勢いで、裁判長席の椅子が後ろに跳ね上がった。立ち上がったのは、レナード検事長だ。


 傍聴席の貴族たちが「ひえっ!」と短い悲鳴を上げる。


「し、死神検事長が激怒されたぞ!」「あの男爵令嬢、不敬罪でその場で首をはねられるぞ!」と、周囲は恐怖に戦慄していた。


 だが、私の目に映るラスボスの様子は、彼らの予想とは全く違っていた。


「す、素晴らしい……! 今、君は『疑わしきは被告人の利益に』と言ったな!?」


 レナード様の、普段は鉄仮面のように冷徹だったはずの顔が、見たこともないほど赤く上気している。その切れ長の瞳は、限界まで見開かれ、内側からエネルギーが溢れ出るかのようにギラギラと輝いていた。


「感情論! 身分制度!『可哀想だから無罪』『身分が上だから正しい』などという、反吐が出るほど野蛮な論理が横行するこの国において……! 国家が刑罰権を行使する際の厳格な制限、すなわち『罪刑法定主義』の神髄を、まさか私以外の、それもこんな年若い令嬢が完璧に理解し、言語化してみせるとは……!!」


 レナード様は、拳を握りしめ、突如として恐ろしいほどの早口で語り始めた。


「君の言う通りだ! 証拠能力のない証言など法廷を汚す戯言に過ぎん! さらに負傷の可動域から狂言を見破る法医学的アプローチ、法的手続きの違法性を突く弾劾論理……完璧だ! 美しい! これほどまでに洗練された法的思考リーガル・マインドを持つ者が、この王国に存在したなど、私は今、猛烈に感動している……! ああ、神よ。今日の私は世界で最も幸福な検事長だ!!」

「えぇ……?」


 私の口から、素っ頓狂な声が漏れた。


 ジュリアンも、ミーナも、傍聴席の腰巾着たちも、全員が口をあんぐりと開けてポカンとしている。


 そこにあるのは、威厳に満ちた死神の姿ではない。自分の推しジャンルについて語り出したら止まらない、ただの重度な法律オタクの姿だった。


(あ、これヤバい人だ。この人、法律が好きすぎて脳のネジが数本飛んでるタイプだわ……!)


 前世で見た、オタク特有の早口を異世界で聞くことになるとは思わなかった。


「……コホン」


 ハッと我に返ったレナード様は、わざとらしい咳払いを一つした。


 すると、一瞬にしてその顔から紅潮が消え去り、元の凍り付くような冷徹な『死神検事長』へと戻る。変わり身の早さが恐怖をそそる。


 レナード様は、冷え切った視線をジュリアンとミーナへと向けた。


「……原告側の主張は、全て客観的証拠を欠いた妄想であり、さらに悪質な虚偽申告、および偽証の疑いが極めて濃厚である。よって、本職の最高司法権限に基づき、被告人アリア・ローゼンに――即座に『無罪』を言い渡す」

「そ、そんな!? レナード検事長、彼女は我が侯爵家を、司法省を愚弄したのですよ!?」


 ジュリアンが涙目で演台にすがり付くが、レナード様は一瞥いちべつして一刀両断にした。


「黙れ、愚か者。身分を盾に法を歪め、私的な感情で無辜の民を陥れようとした貴様の罪は重い。貴様、およびブラウ侯爵家、ならびにそこの偽傷令嬢の処分については、追って厳格なる沙汰を下す。……連れて行け」


 レナード様の合図で、本物の司法省の精鋭護衛兵たちが突入し、ジュリアンとミーナの腕を掴んだ。


「ジュリアン様ぁ!」「くそ、離せ! 私は侯爵家の――!」と見苦しく叫びながら、二人は引きずられていく。完全なる自業自得だ。


(ふぅ……。よかった、なんとか生き延びた……)


 私はその場にへたり込みそうになるのをこええ、胸を撫で下ろした。これで無罪放免、お家に帰れる。


 そう思った次の瞬間、裁判長席からスタスタと優雅な足取りで降りてきたレナード様が、私の目の前でピタリと足を止めた。


「アリア嬢」

「は、はいっ?」


 見上げると、そこには端正な顔立ちを限界まで近づけ、並々ならぬ執着の光を宿した死神検事長がいた。


「君を、このまま帰すわけにはいかない」

「え? いや、あの。私、無罪ですよね……?」

「当然だ。だが、これほどの法理の天才を、野に放っておくわけにはいかない。君は重要参考人……いや、私の生涯において最初で最後の『唯一の理解者』だ。今すぐ、我がアルトワ公爵邸へ同行してもらう」

「えええっ!? あの、ちょっと待ってくださ――」


 言いかけるよりも早く、レナード様の長い腕が私の腰と膝裏に滑り込んできた。視界がふわりと浮き上がる。


「なっ……!?」


 気づいた時には、私はレナード様に隙のないホールドで、いわゆる『お姫様抱っこ』の体勢で抱き上げられていた。公爵家の最高級の香水の香りが鼻腔をくすぐる。


「レ、レナード様!? 歩けます! 自分で歩けますから!」

「暴れないでくれたまえ、愛しき理解者よ。君に万が一のことがあっては、王国司法の重大な損失だ。私が責任を持って『保護』する」


 保護という名の、完全なる拉致である。果たしてこれは略取・誘拐罪には問われないのだろうか。


 レナード様は私を抱きかかえたまま、何食わぬ顔で小法廷の出口へと歩き出した。


 傍聴席に残された貴族たちは、あの感情を持たない『死神』が、一人の令嬢を極上の宝物でも扱うかのように優しく抱きかかえ、そのまま連れ去っていくという前代未聞の光景を目撃し、ただただ声もなく戦慄していた。


(嘘でしょ……。元婚約者のざまぁは終わったのに、ここからまた私の身の安全の裁判が始まるのぉーーー!?)


 前世の雑すぎる法廷知識で掴み取ったスピード無罪。


 しかし、その代償は、重すぎる法律オタクの公爵閣下からの『強制保護』という溺愛の始まりだった。


(第3話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ