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第1話:理不尽な裁判と「異議あり!」

「――アリア・ローゼン! お前をミーナ嬢に対する傷害の罪で告発し、同時に婚約を破棄する!」


 薄暗い司法省の地下、ひんやりとした空気が満ちる小法廷。一段高い演台の上から、私の婚約者であるジュリアン・フォン・ブラウ侯爵令息が、ガァンと木槌を叩きつけてそう叫んだ。


 その隣では、これ見よがしに右腕へ白い包帯をぐるぐる巻きにした伯爵令嬢、ミーナが痛々しそうな表情で寄り添っている。


「ジュリアン様、そんな……アリア様を責めないでください。ぶつかられた時に私がただバランスを崩して階段から落ちただけですぅ……。アリア様が後ろから私を突き落とすような邪悪な方だなんて、私、信じたくありません……!」


 ポロポロと大粒の涙を流し、悲劇のヒロインを熱演するミーナ。わざわざ「後ろから突き落とされた」と状況を事細かに説明してからかばってみせる姿は、あざといを通り越して清々しいほどのクソ女ムーブである。


 周囲の傍聴席に座る、ジュリアンの腰巾着の貴族たちからクスクスと品性のない笑い声が漏れた。


「酷い女だ。男爵家の分際で、侯爵家の次男であるジュリアン様の婚約者の座に執着するあまり、ミーナ嬢を害するとは」

「やはり身分の低い育ちの者は、嫉妬に狂うと何をするか分からんな」


 冷ややかな視線と野次が、被告人席にぽつんと立たされた私に突き刺さる。


 私、アリア・ローゼンが生まれ育ったのは、しがない貧乏男爵家だ。まともな弁護人を雇う金などあるはずもなく、今日のこの場は、司法省の役人でもあるジュリアンが職権を乱用してセッティングした、ハメる気満々の略式裁判だった。


「言い訳は聞かんぞ、アリア! 目撃者もいる。身分の低いお前が、美しく心優しいミーナに嫉妬し、学園の階段から突き落としたのは明白だ。お前のような不届き者は即刻、極刑に処すべきだが、我が侯爵家の慈悲により、終身奴隷刑に減刑してやる。さあ、大人しく罪を認めろ!」


 ジュリアンは勝ち誇った顔で胸を張る。ろくな取り調べもせず、まともな審理も挟まず、完全に感情論とパワープレイだけで私を社会的に抹殺しようとしていた。


 あまりの理不尽さ。そして、あまりにもガバガバすぎるその主張。


(……いや、ちょっと待って?)


 その時、私の脳内で、パキィンと何かが盛大にひび割れる音がした。


 激しい頭痛。それと同時に、濁流のように押し寄せてきたのは――『前世の記憶』だった。


 そう、私は異世界に転生していたのだ。


 前世の私は、日本のどこにでもいる普通の女子大生。法学部でもなければ、法律の専門家でもない。ただ、狂ったように趣味に没頭するオタクだった。


何に没頭していたかって?


 逆転法廷ゲームのシリーズを全作、文字通り骨の髄までやり込み、夜な夜な動画配信サイトで弁護士芸人YouTuberの動画を「へぇー! 現行法だとそうなるんだ! 有罪ギルティ!」とゲラゲラ笑いながら貪り見ていた、ただの法律エンタメオタクである。


 いつもファンブックの感覚で六法全書を読みふけり、一人で興奮して友人をドン引きさせていたのだ。


 前世の記憶が完全に覚醒した瞬間、私の視界は一変した。


 これまで怯えていたはずの法廷が、ジュリアンのガバガバな論理を詰め切るための『最高のステージ』に見えてくる。


(ちょっとジュリアンくんさぁ……。取り調べの調書は? 医師の診断書は? そもそも、近代国家の真似事をして法律を作ったばかりのこの国において、いくら司法省の役人だからって個人がその場で判決を下すなんて、罪刑法定主義の観点からして一発アウトでしょ)


 弁護士芸人YouTuberなら「これ、明らかに職権乱用罪です。ギルティ!」と叫んで、即座に動画を終わらせるレベルの違法捜査である。再生数もあまり稼げなさそうだから、彼も余計に腹を立てることだろう。


 沸々と湧き上がる法廷バトラーの血。私はすうっと深く息を吸い込み、被告人席の木製の机を、両手で思いっきり叩きつけた。


 ――バァァァン!!!


 静かな小法廷に、爆音のような打撃音が鳴り響く。


 ジュリアンもミーナも、傍聴席の貴族たちも、ビクッと肩を跳ね上げて硬直した。


 私は猫背気味だった背筋をピンと伸ばし、演台の上のジュリアンに向けて、ビシッと人差し指を真っ直ぐに突き出した。


「――異議あり!!!!!」


 鼓膜を震わせるほどの大声が、地下の法廷を支配する。


「い、いぎあり……? 何だ、何を言っているんだお前は!?」


 ジュリアンが不吉な呪文でも聞かされたかのように顔をひきつらせる。


 そんな無能を置き去りにして、私の尋問という名のマシンガントークが幕を開けた。


「ジュリアン様、先ほど『目撃者もいるため、お前が犯人なのは明白だ』とおっしゃいましたね? では伺いますが、その目撃者とはどなたですか? お名前をどうぞ!」

「なっ、それは司法省の守秘義務により――」

「異議あり! 刑事被告人には、自分を告発した証人と対決し、尋問する権利があります! 残念ですが『守秘義務』だなんて言い分は通りませんね」


 私は不敵な笑みを浮かべると呆れたように首を振った。


「さらに言えば、事件があったとされる時刻は昨日の午後五時過ぎ。既に日は落ち、学園の該当の階段付近は、魔石灯の影になって非常に暗かったはずです。その目撃者というのは、一体どの位置から、どのような光源をもって、私の犯行を視認したのですか? その証言の客観性と新規性を明示できないのであれば、そんなものは証拠能力のないただの妄想、法廷に提出する価値すらありません!」

「き、客観性……? し、新規性……!?」


 聞いたこともない専門用語の連打に、ジュリアンが目を白黒させる。


 私はさらに指先を、隣のミーナへと向けた。


「さらにミーナ様! あなたは先ほどからさめざめと涙を流していらっしゃいますが……おかしいですね?」

「え、ええっ……? 何がですの……?」

「あなたは右腕を骨折するほどの重傷を負ったと主張し、包帯を巻いています。しかし! 先ほどから涙を拭う際、あなたの右肩は不自然に大きく、滑らかに動いています。解剖学的な観点から言わせていただければ、本当に骨折している場合、その可動域で動かせば激痛で意識を失うはずです。もし強靭な意志力で失神せずに済んだとしても、そんな平然とした顔で悲劇のヒロインを続けるなんて不可能なんですよ!」


 ミーナの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「つまり! あなたのそのお怪我は、私を陥れるために用意した『偽装工作』です。お二人の主張には――致命的な矛盾があります!!」


 バァン! と再び机を叩く。


 完璧なロジック。完璧なムジュン指摘。脳内で熱いBGMが流れ始めるほどの快感だ。


「う、嘘よ! 私は本当に痛くて……!」

「ええい、静粛に! 静粛にしろ、アリア! 何をデタラメを並べ立てている!」


 ジュリアンは顔を真っ赤にし、わなわなと震えながら演台を叩いた。論理的に反論できない雑魚キャラの典型的な反応だ。


「お前のような不敬な罪人の言葉など聞く耳持たん! 黙れ! 衛兵、衛兵はいないか! この狂った女を今すぐ拘束し、地下牢へぶち込め! 抵抗するなら力ずくで構わん!」

「司法省の人間が議論で負けたからって力技!? ダサすぎでしょ……!」


 思わず口を突いて出たツッコミ。二人の衛兵が、ぎらつく槍を手に私へと掴みかかろうと足を踏み出した――その瞬間だった。


 ――ガァァァン!!!!!


 法廷の、厚く重厚な鉄製の扉が、乱暴にこじ開けられた。地響きのような音が室内に響き渡る。


「ひっ……!?」


 ミーナが短い悲鳴を上げた。


 一瞬にして、法廷の温度が数度下がったのではないかと思えるほどの、肌を刺すような冷気プレッシャーが部屋を支配する。


 コツ、コツ、コツ……。


 静まり返った室内で、硬い革靴の足音だけが傲然ごうぜんと響く。


 現れたのは、一人の男だった。


 夜を溶かしたような艶のある黒髪に、全てを見透かすような切れ長の冷たい、美しい、氷の瞳。仕立ての良い黒い官服を完璧に着こなし、その背中には高貴な公爵家の紋章が刻まれたマントが揺れている。


 男が姿を現した瞬間、ジュリアンは完全に腰を抜かし、演台にしがみついた。


「れ、レナード……検事長……!? な、なぜ、このような場に……」


 レナード・フォン・アルトワ公爵。弱冠二十四歳にしてこの国の最高司法機関のトップに君臨し、一切の情状酌量を認めず、法に基づいて罪人を容赦なく裁くことから、貴族たちから『死神検事長』と恐れられている最高権力者だ。


 レナード検事長は、ガタガタと震えるジュリアンを一瞥すらしない。


 その氷の瞳は、真っ直ぐに――被告人席に立つ私を捉えていた。その瞳の奥で、普段の冷徹さからは想像もつかないような、飢えた獣のような怪しい光がギラギラと輝いている。


 レナード検事長はゆっくりと私に近づくと、低く、深く、よく通る声で唇を開いた。


「……今の問答、非常に興味深い。権利、証拠能力、そして矛盾の指摘……。まさか、このような掃き溜めのような臨時の略式法廷で、これほどまでに洗練された『法理』を操る者に出会えるとは」


 レナード検事長の手が、愛おしそうに自身の顎に添えられる。その視線は、まるで世界に一冊しかない禁忌の魔導書を見つけたかのように、私に完全にロックオンしていた。


「おい。そこの無能ジュリアン

「は、はいぃっ!」

「勝手に裁判を閉廷させようとするな。この審理の杜撰さ、看過できん。――これより本件は、最高司法機関である私、レナード・フォン・アルトワが引き継ぐ。その令嬢の身柄も、私の管轄だ」


 えっ、とジュリアンが情けない声を漏らす。


 一方の私は、レナード検事長の、あまりにも重く、執着に満ちた視線を正面から受け止めながら、冷や汗を流していた。


(え、ちょっと待って……? なんか元婚約者より一億倍くらいヤバそうな、この世界のラスボスみたいなの出てきちゃったんだけどーーーー!?!?)


 前世の知識でピンチを切り抜けたはずの私は、まだ知らなかった。


 この瞬間、法律を愛し、法律に愛され、それゆえに周囲の無能さに絶望していた『死神検事長』の、重すぎる愛のストッパーが完全にぶっ壊れたということを。


(第2話へ続く)

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