39. 船団護衛4(タンバレイン島とルール・ブリタニア)
......問題はマーロウがどのような所に立って『タムバレイン大王』を書こうとしたかである。(中略) マーロウは焦点をもっぱら「スキタイの羊飼い」なる一個の人間に絞って、新しい時代の英雄像を歌い上げようとしたのである。これは「神の支配する中世的秩序」という既成の世界から抜け出し、「行動する人間」という未知の世界、前人未到の荒野へと向かう探索であり冒険であった......
川崎淳之助『チムール』56頁より。
冬の名残りは消えてゆき、陽気が日に日に盛んになる季節になった。
この異界の洋上でも異界艦隊の輸送船団を光が照りつけている。
わたしは太陽を眩しく仰ぐ。ここは船団の旗艦であるイギリス戦艦マレーヤの露天艦橋だ。
わたしの前では戦艦マレーヤの人間体が微笑んでいる。第二次大戦で活躍したウォーシップが人間の女性としてこの異界に生まれ変わったのだ。
彼女の容貌は褐色の肌をしたエキゾチックな美女である。イギリスの植民地マラヤ連合の寄付で建造された歴史を反映しているのだ。
「オハイオ号が沈んだために積んでいたナフサが失われたのは残念だった。だが他の積み荷は健在だ。アメリカ艦への良いギフトになるだろう」
彼女はアドミラルであるわたしに対して船団の現状を説明する。先日、この船団は異界の怪物ロック島の襲撃を受け、タンカー・オハイオ号が沈んだが、他の船舶は健在だ。
彼女の話が一拍途切れたので、わたしは後方を見る。旗艦マレーヤに付き従うのは輸送船とそれを護衛するウォーシップたち。
日本の戦艦霧島。イギリス空母ヴィクトリアス。イギリス軽巡シェフィールド、イギリス駆逐艦ジャーヴィス、ジャベリン、ジェーナス、ズールー。日本の駆逐艦である霞と雪風。みな第二次大戦を闘ったベテランだ。
わたしは顔をマレーヤにもどして
「他の輸送船の積み荷は無事なんだね?」
「ああ、異界で精製したタングステンなどのレアメタル、レアアースには被害が出ていない。空荷でアメリカ艦とランデブーすることにならなくて良かった」
「今のアメリカではイランとの戦争の影響で品薄らしいからね、レアメタルにレアアース。まさか人間界の情勢が異界に影響してくるなんて思わなかったよ」
わたしがため息とともに呟くとマレーヤは天を仰いで
「仕方ない。生まれ変わったアメリカ艦たちは母国が心配だと言って、この異界と人間界の境界に留まっているからな。その埋め合わせで人間界の最新の武器を供与してくれるのだが……」
突然、わたしは冷気が身体を刺すのを感じた。日中は暑いとはいえ夕刻になってからの寒暖差は大きいのだ。
わたしの表情に気づいたマレーヤはすかさず外套を着せてくれた。彼女の上半身を背中で感じる。生まれ変わった戦艦だが人間の身体のように暖かい。
そしてマレーヤは魔法瓶からカップに紅茶を注いでわたしに差し出す。
「わたしが料理下手なのは艦隊中に知れわたっている。それでも紅茶ぐらいは淹れることができるんだぞ」
マレーヤの淹れてくれた紅茶をすする。旗艦に備え付けてある茶葉はイギリスのブランド、フォートナム&メイソンだ。だがそれは、我が故郷である日本の紅茶、日東紅茶の懐かしい味がした。
会心の表情を見せていたマレーヤだが、急に顔をしかめると顎を押さえた。
わたしは驚いて
「まだ艦橋を破壊された傷が……」
「心配するな、じきに神話の力で自己修復するさ。」
先日のロック鳥との戦いでマレーヤは上部艦橋を破壊された。現在、わたしたちは艦橋中部にある露天艦橋に移っているのだが、破壊の影響が人間体にも残っているのだ。
思わずわたしは彼女に手を伸ばした。傷ついた顎を両手のひらで覆うように……
マレーヤは目を閉じてわたしの手が触れるままにさせていたが、やがてハッと気がついたように
「明日の午前中には補給基地があるタンバレイン島に到着するぞ、アドミラル」
まだ油断するわけにはいかないと彼女はその表情を引き締めた。
かくして船団はタンバレイン島に到着した。海岸にはヤシの木が見えて南島の解放的な空気がただよう。
各艦がソナーと偵察機を放って、湾内と陸上に異常が無いことを確認する。
そして序列に従って湾内に進入、湾の入り口に潜水艦防御網を張ってから、ようやく上陸である。第二次大戦で潜水艦に苦しんだ彼女たちの経験がなせる処置だ。
わたしはデリックで海上に下ろされたカッターにえっちらと乗る。わたしが真ん中の座席に腰を下ろすとゴーレムの水兵がオールをこぎ始めた。
暦の上では既に立夏を過ぎている。わたしがハンカチで汗を拭いていると、向かい側に座ったマレーヤは
「アドミラルは歴史に詳しいが、このタンバレイン島の名前の由来を知っているかな?」
「何だろう……ちょっと思いつかないな」
「もう少し考えて欲しいものだ……タンバレインはサマルカンドの英雄、タメルランだ」
「ああ、チャガタイ・ウルスを建国したモンゴルの末裔でポスト・モンゴル期の中央アジアの覇者ティムールのことだね。彼の子孫のバーブルはインドのムガル王朝の始祖だから君たちとも関係があるわけだ」
「ほう……あのムガルの……」
「ムガルはモンゴルの訛りだからね……」
マレーヤと歴史談義を交わしながらわたしはふと考えた。この島に騎馬民族の英雄の名前をつけるとは、確かイギリスの駆逐艦トライバル級はアジア・アフリカの部族の名前が由来となっているはずだ。タルタル、ベドウィン、そしてこの船団にも加わっているズールー……
日本の有名な軍事研究家がトライバル級の名前を「さすが大英帝国」と皮肉って評していたが、この異界でもルール・ブリタニアか……
「実はこの島の名前……タンバレイン島はわたしがつけたんだ」
「え?マレーヤが?」
「そうだ。タメルランはグレートブリテンがグレートになる前から我が国でも知られていた。アドミラルはエリザベス朝時代の劇作家クリストファー・マーロウを知っているか?」
「シェイクスピアと同世代だが、彼より先に有名になった。若くして不審な死を遂げなければ長く活躍したかも知れないね」
「そう、そのマーロウがティムールをモデルとした戯曲が『タンバレイン大王』」
……そういえば日本の英文学者・川崎淳之助がティムールについての伝記を書いていたな。ペルシア語やチャガタイトルコ語が専門でない学者のティムール伝なんて……と思っていたが、そういう背景があったわけだ。
マレーヤはさらに話を続ける。
「タンバレイン大王は羊飼いから身を起こしてペルシャ、エジプト、トルコ、アフリカをも併せる皇帝に登りつめる。そして病に倒れても死の床で世界を征服せよと息子たちに遺言して生涯を終えるのだ」
「何ともすさまじい人物像を描いたものだね」
日本にも病に倒れた武将を描くフィクションはある。その主人公もタンバレインと同じく雄図半ばで生涯を終えるのだが、最後の言葉は「甲斐に光を……」。救いを求めて亡くなったところはかなり異なる。
「『地図を見せよ。わたしが征服していない国々はどれくらい残っているのだろう。息子たちよ、わたしの願いをかなえてくれ』物語の中のタンバレインは残虐な暴君だ。しかしその覇気は見習うべきだろう。我らがブリテンはちっぽけな島国だ。それが偉大になった理由は何か?わたしに言わせれば、それは見知らぬ土地への渇望だ。幸せの島を求めて海の向こうへ旅立った人々、砂漠に魅せられた人々、彼ら彼女らがグレートブリテンの精神だとわたしは思う」
頬を紅潮させて熱く語るマレーヤ。そういえば以前にも「みなと七つの銀河を駆けめぐる冒険をしてみたい」と言っていたっけ(第15話)。
「……マレーヤ、実はぼくも若い頃は見知らぬ世界に憧れていた。世界旅行をした作家の『何でも見てやろう』という言葉に影響を受けてイギリスに留学したという、ある西洋史学者の著書だ。その中で、中世から19世紀の土地の遺構が1970年代にも残っていることを再発見したと書いていたのを読んで感銘を受けたものだ。大学院に進学してからは実際に現地調査を行ったこともある。しかしいつの間にか……」
マレーヤはわたしを暖かく見つめながら聞いている……すると、いきなりガクンとカッターが揺れた。桟橋に接岸したのだ。
そこでは先についていた戦艦霧島と空母ヴィクトリアス、その他の艦がわたしを待っている。わたしは急いで感傷を振り払った。
ヴィクトリアスはわたしがカッターから上陸できるように手を差し伸べる。
わたしは両手でヴィクトリアスの片手を握ったが、彼女は苦もなく引き上げてくれた。
「我らがタンバレイン島にようこそ!ですわ、マイアドミラル」
霧島を憚ったのか敢えて自国名をださなかったが、それでも高らかに宣言した。
霧島「あーあ。わたしたち帝国海軍が夜戦訓練に夢中になっている間に、異界のあちこちの島にイギリスの名前をつけられちゃったわね」
マレーヤ「こちらも先の大戦の教訓があるから多少は譲歩するぞ?いとこ殿」
霧島「そうねえ……じゃあ島の一番高い山の名前は新高山にしてもらおうかしら」
雪風「あのー……玉山という名前はどうでしょうか?」
霞「こら丹陽!じゃなかった雪風!どさくさに紛れるんじゃないの!」
「島の内陸部を探索する必要がありますわね、調査隊を指揮して頂けますか?マイアドミラル」
みんなが集まっている前でヴィクトリアスはいきなりそう言った。
彼女は戦中戦後にわたる長い艦歴と大改装によって生まれかわった現代空母。その人間体は、お嬢さま学校の生徒会長のような若々しい風貌に特徴的なハスキーボイス。そして遠距離への先制攻撃というドクトリンを反映して性格はアグレッシブなのだ。
「このタンバレイン島は港湾施設と補給基地がある海岸地帯以外は大規模な調査がおこなわれておりませんの。普段は軽巡洋艦が寄港するだけだから致し方ありませんが、今は戦艦二隻に空母一隻、スペックに優れた主力艦が三隻もいますのよ。良い機会ですわ」
「それでわたしが調査隊を指揮するのはどういうことだい?」
「島の内陸に石碑を建てて、アドミラル自らサインを刻んで頂きますの。わたくしたちがこの島の統治者であるという証がより強固になりますわ」
島の地図を片手にしたヴィクトリアスに対して、霧島は各艦各船の物資請求書と基地の倉庫のリストを見比べながら
「だけど……主力艦三隻と言ってもマレーヤは艦橋の修理が必要、わたしは補給の監督をしなければならないし、島の探検をしている暇はないわ。また次の機会にしたらどうかしら?」
資料に目を通していて顔すら上げない霧島。
ヴィクトリアスは業を煮やしたように
「いーえ!わたくし一人でも大丈夫。この島の統治を強固にするためにも島の探検は必要ですわ!ルール・ブリタニア!」
ルール・ブリタニア……「イギリスが世界を支配せよ!」ヴィクトリアスの最後の言葉に霧島はぎょっとしたように顔を上げた。
「言っておくけど提督を連れていくのは論外よ。あなた、ウォーターワームに出くわした先日の強行偵察を忘れたの?」
ヴィクトリアスはウッとした顔をして黙りこむ。
マレーヤは痛む頬を押さえながら両者の顔を見て
「……とはいえ、カオスの怪物どもから我らが勢力圏を維持するためにも、統治確立のための不断の努力は必要だ。また、アドミラルも危険から逃げ回っているわけにもいかん。……どうする?」
マレーヤがわたしに視線を向けて問う。これは……学生時代のように「何でも見てやろう」精神ではすまなくなってきたな……そう考えながらわたしは答えた。
「わかった。調査隊を編成しよう。指揮はわたしが取ろう」
霧島は頭をふってため息をつくと
「わかった。でもヴィクトリアスだけでは心配ね。わたしのフネからゴーレムの陸戦隊を出すわ。指揮は……霞、あんたが取りなさい」
指名された霞は、やれやれと言いたげに肩をすくめたが、すぐに無帽のまま一礼した。命令を確かに承ったとその引き締まった視線が示している。。
するとマレーヤは考えこみながら
「司令官座乗の空母の護衛に駆逐艦一隻では心もとないな。かといって現在港にいる戦力をすべて振り向けるわけにもいかん。……ジェーナス、お前が護衛に加わるんだ」
「アイマム!」
笑顔を浮かべて元気よく敬礼するジェーナス。
かくして調査隊は出発した。イギリス側の石碑を運ぶ従兵と日本側の陸戦隊。イギリス艦と日本艦の微妙なやり取りを経た上での編成である。
ヴィクトリアス「それでは出発いたしますわよ、アドミラル.........え?『衝撃!密林の奥地に謎の怪獣を追え!』っていったい何を言っていますの?............それではS.W.A.T.のテーマ音楽でも流しましょうか?」
「それでは、この密林を抜けてその先の高原まで進むコースを取りますわ!」
手に広げた地図をポンとはたくヴィクトリアス。サファリルックに着替えているのが彼女の本気?を表している。
わたしは彼女から地図を受け取り、赤鉛筆で記された行程を確認する。
「意外だ。探検と聞いたけどそれほど長い距離ではないんだ」
「わたくしの空母のレンジに入る距離にいたしましたの。何かあった時にはすぐに航空機が駆けつけられますから」
「なるほど、歴史で聞くエルドラド探検隊と違って無理のない目的地を決めているんだ。ジャングルを闇雲に探検するのだと思ってたよ」
ヴィクトリアスはわたしの言葉にフフンと笑うと
「わたくしたちはあの無計画にして無謀なスペイン人とは違いますの。『ちっぽけなブリテンがグレートである理由は何か?それはディシプリン!』『アラビアのロレンス』でブライトン大佐はよく言ったもの。もっとも恩知らずのアラブ人どもに伝わったかどうか」
「しかし、南極探検……」
わたしが悲劇に終わったスコット大佐の話を出そうとした瞬間、ヴィクトリアスがギロリと怖い目で睨んできたので言葉を飲み込んだ。
「ぜんたーい進め!」
頃合いを見計らった霞が、ゴーレムの陸戦隊に号令をかけて一行は出発した。
陸戦隊のゴーレム兵を先行させた霞。先ほどから視線を上に向けてジャングルの木々を観察しているのにわたしは気づいた。
「何をやっているんだい?霞?」
「上から木の実が落ちてこないかどうか見ているのよ。大東亜戦で南洋に行った時、椰子の実が落ちてきて死人が出るから注意するようにって通達が来たわ」
するとジェーナスがヒョイヒョイと近づいてくる。ブロンドの短髪カールが目に入る。
「ねぇねぇ、霞って熱帯に行ったことあるの?」
「ええ、大東亜戦ではアリューシャンからインド洋、ニューギニア、フィリピンまで行ったわね。寒いところ、暑いところ何でもござれ、よ」
「へぇえ~ずいぶん色んなところに行ってるんだねぇ。ボクなんか北海と地中海しか行ったことがないからうらやましいよ」
ジェーナスから羨望の眼差しを向けられてまんざらでもなさそうな霞。そして駆逐艦らしいスレンダーな胸を反らすと
「わたしたち海軍だけじゃないわ。たくさんの日本人漁師が北や南の海に進出していたのよ。満身これ胆、朝日に匂う山桜花と歌われた、日東健児ここにあり!ってね」
「ほええぇ~~」
ジャーヴィスだったら皮肉の一つでも浴びせたかも知れないが、ジェーナスは素直に感嘆の叫び声を上げた。
あるいは気の強い霞にわざと合わせているのかも知れない。そうだとしたらなかなか食えないな……わたしがそう考えていると
「キャアアアッ!大蛇が大蛇が!」
ジェーナスが突然金切り声をあげる。大蛇という言葉を聞いて、ヴィクトリアスがすかさずわたしを自分の側に引き寄せた。
ジェーナスの悲鳴は続く。
「こら止めろ!いきなり大蛇がボクのスカートを!」
ジェーナスはスカートを引っ張ってもがく。力余ったのかビリッと布地が裂ける音がした。
ヴィクトリアスがジェーナスを叱咤する。「落ち着いて対処しなさい!ジェーナス!」
すると霞が呆れたように
「ジェーナス、蛇なんかじゃないわよ。蔦がからまっただけ。今すぐほどくからじっとしていなさい」
霞はいきなりジェーナスのスカートを持ち上げる。そして海軍恩賜の短刀を抜くと、蔦をスカートごとザクザクと切り裂いた。
「はい、これで良し。スカートの中が少し見えるけど我慢しなさい」
「ふえええん」
半べそをかいたジェーナス、ヴィクトリアスは彼女にかまわず再び前進の合図をした。
ジェーナス
「そろそろ目的地の高原に到着しますわよ。わたくしの計算ではあと15分ほど」
隊の先頭に立ったヴィクトリアスが振り向いて皆に告げる。
ようやく片道が終わるか……わたしは残量を気にしながら水筒に口をつける。ひと息ついたので皆の様子を確認する。
するとジェーナスがスカートを押さえながらモジモジしている。
「ねぇボク……来ちゃった」
わたしは思いつく限りの婉曲的な表現を使って尋ねた。
「どうしたジェーナス?お腹を冷やすのは良くないぞ?女の子は身体に気をつけなくてはな」
「Perv! ボクたちは人間の女の子とは違う!そう言うことじゃなくて……!」
顔を真っ赤にして否定するジェーナス。その横で霞が
「確かにさっきからうなじの毛がちりちりするわ。アメリカの航空機や潜水艦に襲われた時もそうだったわね」
ジェーナスに続いて霞までそんなことを言うなんて。わたしは隊の先頭からこちらに来たヴィクトリアスに尋ねた。
「君のレーダーには何か映っているかい?」
「レーダーでは地表の物体を感知できませんの。バッカニアの訓練の時にお教えしたはずですけど」
「そういえば高笑いしながらそんなことを言っていたな(ep.36)。では、先ほど航空機で偵察した時はどうだった?」
「巨大生物は確認できなかったというだけですわ。ライオンサイズの猛獣が隠れていても空撮ではわかりませんもの」
「なるほど、ディシプリンに基づく探検でも冒険気分を味わえるわけだ」
「あら、アドミラルも少しはブリティッシュジョークを嗜むようになりましたわね」
わたしとヴィクトリアスが言い合っている間、霞は霧島から預かったゴーレム陸戦隊に銃撃戦の準備をさせた。
「あの傾斜を登りきったところで、密林から高原に出るわ。危ないとしたらそのあたりね」
霞はうなじを軽くかきながら前方を睨み付けた。
密林から出ると視界が広がる。眼下の高原はサヴァンナのようだが、静寂さが漂っている。
わたしはつい
「何だ、何もいないじゃないか……」
そう言った瞬間、獣の雄叫びが何百と重なって聞こえた。
そしてサヴァンナの草むらから巨大な猛獣の群が出現した。
「パンテラ・アトロクス!恐るべき豹!」
ヴィクトリアスはそう叫ぶとライフルの遊底をジャキッとスライドさせて狙いをつける。
「これはハンティングが楽しめそうですわね!」
ヴィクトリアスが.375 H&H マグナム弾を撃つ。跳躍したパンテラ・アトロクスの額に命中する。白い脳漿が赤い血液とともに地面に飛び散る。
「おっと忘れていましたわ、アドミラル!」
ヴィクトリアスは前を向いたまま、後ろのわたしにライフル銃を放り投げた。
わたしは何とかキャッチする。
「光線式のパラライザー!反動が無いからアドミラルにも扱えますわ!子どもが遊ぶ空気銃だと思いなさい!」
受け取った銃はオモチャと違ってズシリとした質感がした。それは冒険に向かうための黒くて固いパスポート。
霞・陸戦隊バージョン
パンテラ・アトロクスの群れは咆哮とともに襲いかかってくる。
形こそライオンに似ているが熊のような巨獣に見えるのは目の錯覚か。
怯えたわたしは焦りまくった。パラライザーを連射するが光線は明後日のほうに向かって飛んで行く。
わたしの目の前に猛獣が迫る。ギリギリで横から飛んできた弾丸がその頭部を撃ちぬく。
「アドミラル!ご無事ですの!?」
愛銃を抱えたヴィクトリアスが駆け寄ってくる。その銃口からは煙が出ていた。彼女がわたしを救ってくれたのだ。
ヴィクトリアスはわたしの横で銃を構え直すと落ち着いた表情で射撃を続ける。
次々とパンテラが倒れていく。時には一発の弾丸で二匹を仕留める。その瞬間、ヴィクトリアスは二本指を立ててチャーチルのようなVサインを作った。
ヴィクトリアスの活躍でわたしに迫るパンテラは退けられた。余裕ができたので戦況を見渡す。
霞が指揮するゴーレム陸戦隊が三八式小銃で銃撃を行っている。
ダン!ダン!ダン!
しかし小銃では射撃の間隔が空くためにパンテラの群れを撃退できない。数体のゴーレム兵が弾丸を装填している間にパンテラに襲われてたちまち動かなくなった。
わたしは霞に声をかける。
「霞ー!日本軍お得意の戦法、歩兵による重機関銃、軽機関銃の銃撃はできないのかい!」
歩兵部隊携帯の小火器が充実していたので、日中戦争では中国軍を圧倒した日本軍だった。
霞は文節を短く区切る戦場の声で応ずる。
「霧島さんから借りた陸戦隊は!機関銃小隊が無いの!これが出雲さんだったら!機関銃!山砲!装甲車を装備した!シャン陸を動かせるんだけど!」
霞は自分に迫るパンテラを小銃で撃ち抜いた。
「ねぇねぇ、シャン陸ってなあに?」
のんきなジェーナスの声が聞こえる。
「上海特別陸戦隊!もう!提督だけでもうっとおしいのに!あんたまで面倒をかけるんじゃないの!ええい!せめてシャン陸が持ってるベ式機関短銃があれば!」
「機関短銃?……ああ、サブマシンガンのことだね。思い出した!ちょっと待ってて」
「ちょっとジェーナス!あんたどこ行くの!?」
霞の声に構わずにジェーナスは持ち場を離れる。そして従兵に担がせていた自分の背嚢をゴソゴソ漁る。
「ええと、持ってけってジャーヴィスに言われたブツが……あったあった、これこれ」
ジェーナスは一丁の銃を取り出すと霞に放り投げる。戸惑いながらも片手でしっかりと受ける霞。
「何よ、これ?」
「ステン・サブマシンガン。後期生産型だからベルグマンなんてドイツ製よりもずっと役に立つと思うよ。最初にボクが撃つから見ていて」
ジェーナスは銃身のコッキングハンドルをいじって安全装置を解除すると、ストックを肩にあてて構える。そして鋭い目になると前方を睨みつけた。
ズダダダダダダ!ズダダダダ!ズダダダダダ!
すさまじい銃撃音が響く。パンテラの群れの一角がバタバタと倒れていく。
「やるじゃない」
霞も同じく安全装置を解除するとストックを肩にあてて引き金を引いた。
ズダダダダダダ!ズダダダダ!ズダダダダダ!
ジェーナスは撃ち尽くすとカートリッジを交換する。
すると霞が前に出て激しい銃撃を加える。
これを二人が交互に繰り返すとパンテラの群れは怯んで退く。
歴戦の霞はこの機を逃さず陸戦隊に突撃の号令をかけた。
進軍ラッパの音も高らかに、陸戦隊兵士は着剣した小銃を構えて前に進んだ。兵士のかけ声に追われるようにパンテラの群れは散り散りになって逃げていった。
機関銃で銃撃を加えた後に兵士の銃剣突撃、サブマシンガンを用いたところが変則的ではあるが、日本軍の歩兵戦闘の定石通りだ。
報告に来た二人にわたしはねぎらいの言葉をかけた。
「よくやってくれた、霞にジェーナス」
霞は得意そうにフフンと息を鳴らし、ジェーナスは「エヘヘ」と笑って頭を掻いた。
時には戦士の眼になるジェーナス
長方形の石碑が地面に横たえられている。これからこの石碑を立碑するのだ。
石碑の表面を見る。ラテン語、ラテン文字のゲール語、古英語、フランス語、英語が刻まれ、縁取りのようにオガム文字が取り巻いている。
まさしくブリテン島の文化の重層性を象徴する石碑だ。
「さあ、アドミラル。あなたのお名前を」
ヴィクトリアスが魔法のペンを差し出す。それを受けとってサインしようとすると、先ほどの霧島の言葉を思い出した。
……異界のあちこちの島にイギリスの名前をつけられて……
我が異界艦隊は多国籍艦隊だ。一国がバランスを崩すのは良くない。
だが、限られた石碑の空間に各国全ての文字を刻むとかなりの調整が必要になる。文字の位置、大きさ等々……碑文には定型化された書式というものがあるのだ。
悩んだ末にわたしは自らの名前をラテン字ではなくて漢字で記すことにした。
ヴィクトリアスは一瞬眉を動かした。わたしは彼女に向かって
「これは単言語の碑文ではない。既にラテン字とオガム文字が刻まれている。これに漢字が加わっても統一を乱すことにはならないだろう。そして……」
「そして?」
「この多国籍の異界艦隊の理想を象徴しているのが多言語多文字碑文だ。少なくともわたしはそう考える」
ヴィクトリアスだけではなくて霞やジェーナスも大きくうなづいた。
わたしは魔法のペンで碑文に自分の名前を記す。光が輝いてそのまま石に刻まれる。
これで良い。もし遥かな未来に歴史や言語の学者がこの異界を調査した時には、この島を統治していたのがイギリス艦だけでは無いことがわかるだろう。そしてわたしの足跡も……
ヴィクトリアスはゴーレムの従兵に立碑の命令を下した。
従兵たちは地面をシャベルで掘って石碑を入れる穴を作る。
その次には穴の底を踏みかためはじめた。石碑が永く立ちつづけるためには基礎工事が必要なのだ。
ドーン!ドーン!ドーン!
踏みかためる音は規則正しくて信号のように聞こえる。
ドーン!ドーン!ドーン!
地中を伝わった衝撃波がわたしの足元に響いてきた。
わたしはふと気になったことがあってヴィクトリアスに話しかけた。
「ヴィクトリアス、こういう事をやっていると私の母国の特撮では地底の怪獣が目覚めるシナリオが定番なのだが」
ヴィクトリアスは怪訝な顔をするとやがて呆れたように、
「怪獣……ひょっとしてゴジラとかモスラとかいうぬいぐるみのことですの?」
「ゴジラならともかくモスラまでキミが知っているなんて驚きだ」
「あら、わたくしが1964年に日本を訪れた時は横須賀や東京の映画館で上映していましたもの。『ゴジラ対モスラ』」
「そうか。キミが現役の時に昭和ゴジラシリーズは既に始まっていたんだ」
「日本の子どもたちには大人気でしたわ。蓄膿症の男の子が怪獣のお面をかぶってガオー」
「つまりキミは私の懸念が子ども騙しって言いたいわけだ」
「当たり前ですわ。急に何をおっしゃるのかと思ったら突拍子も無いことを」
ヴィクトリアスは手の甲を口にあてると特徴的なハスキーボイスで高笑いをはじめた。
私が憮然としていると突然地面が揺れはじめた。
ゴゴゴゴ……
前方の地面が割れる。
「全員!森の入り口まで退避!」
すかさずヴィクトリアスが命令を下す。
私たちは必死で走る。途中で振り返ると、割れ目から巨大な生物が出現した。二足歩行で後ろに長大なしっぽを生やしている。
その怪獣は鳴き声を上げた。
「ゴ~モ~ラ~~」
いや、カナ表記と実際の発音は合っていないだろう。わたしは言語学者ではない。言語調査には音感の才能と修練が必要なのだ。
「ゴ~モ~ラ~~」
そんな下らないことを考えているうちに、怪獣は怒り狂ってドタドタと追いかけてくる。やはり我々が地を掘り返したおかげで怪獣を目覚めさせてしまったのだ。
地面が揺れたためにキャリーで運んでいた石碑が放り出された。
ヴィクトリアスは走りながらルージュを取り出し、空にかざして叫んだ。
「バッカニア!」
五分も経たないうちに天空が輝く。光の中からヴィクトリアスの搭載機であるバッカニア攻撃機が現れた。
バッカニア攻撃機は怪獣に向かって機関砲で攻撃する。
怪獣は頭を庇うように両手を振り回す。
ジェーナスと霞はもう安心とばかりに高みの見物を決め込んだ。
「ねぇねぇ、ヴィクトリアスさんのジェット戦闘機があいつを片付けるのに何分かかるか賭けようよ」
「そうね。わたしは10分」
「じゃあボクは5分」
ジェーナスと霞は携帯のピクルスや沢庵をポリポリと齧りながら声援を送っている。
バッカニアが超低空飛行で怪獣にミサイルを命中させる。怪獣は腹を押さえて苦しみはじめた。
わたしがその様子を見ていると突然ヴィクトリアスから彼女の愛銃を差し出された。銃口にはペンシルのようなグラネード弾が取り付けられている。
「さぁマイアドミラル、そろそろあなたの出番ですわよ」
「僕の出番?」
「はい。あの怪獣は弱りはじめました。この特殊弾でとどめをさすのはアドミラルの役目」
わたしはヴィクトリアスの銃を構えてスコープを覗く。弾は放物線を描くから真っ直ぐでは駄目と……
「ダメダメ。その仰角ではせっかくの特殊弾が怪獣の足元に落ちるだけですわ」
ヴィクトリアスは瞬時に弾道計算を行うと後ろからわたしをホールドして銃の狙いをつけた。
彼女はわたしの耳元に口を近づけると
「……呼吸を整えて……身体の力を抜いて……そっと指で引き金を……シュート!」
発射された特殊弾が怪獣に命中する。怪獣の身体を魔法の光が稲妻のように走る。そして地響きや土煙をあげて怪獣は地面に倒れた。
「ではアドミラル、倒れた怪獣の頭がフレームに入る場所にお立ちになって。そうそう銃を杖のように持つと威厳が出ますわよ」
ヴィクトリアスが蛇腹の三脚カメラを覗きながらわたしに指示を下す。
「いい加減に早く終わらせないか」
「いいえ。まだ光の具合が良くありません。あの雲が晴れるまでお待ちになって」
彼女は怪獣が倒された後に記念写真を撮影すると言い出したのだ。まるで自分がミルトン・グリーンになったかのように演出にも凝りはじめた。
「ヴィクトリアス、こういうシチュエーションにふさわしいセリフがわたしの母国のSF作品にはあるんだ『これではわたしは道化だよ』ってね」
「はい、あなたはわたくしたちのアドミラル。時には道化になって頂きますわ。これも指揮官の役目の一つ」
ヴィクトリアスは傲然と胸を反らす。サファリルックのボタンが危うく外れそうになる。
ヴィクトリアスは服のボタンを押さえた後でニッコリと笑い
「それに道化というのもなかなかスリリングな知的ゲームですのよ。少しでも言葉を間違えると耄碌した老王に殺されるのですもの。この状況をお楽しみなさったらいかが?」
なおも不満と不審の表情を浮かべている私に対して
「それではアドミラルに納得頂けるよう説明させて頂きますわ」
ヴィクトリアスが真剣な表情になったのでわたしも釣り込まれた。
「古来、王が統治の正当を主張するためには狩りが必要不可欠な儀式でした。領民の暮らしを脅かす猛獣を退けてこそ支配者として認められたのですわ。ノッティンガムの森が禁制の御料地なのも狩りが王の神聖な義務だからこそ」
……そうか、統治を打ち立てるためには石碑によって領有を主張するだけでは十分ではない。領民を守護するに足る武威を示さなくてはならないのだ。
「わかったよ、ヴィクトリアス。わたしが間違っていた。満足できる写真ができるまで何枚でもとりなおそう」
ヴィクトリアスはわたしの言葉に深く頷く。
「熱射病になるわよ」霞が横から水筒を差し出してくれた。
撮影が終わった後で怪獣を見る。考えてみれば、この怪獣もわたしの儀式の出汁にされたようなものだ。可哀想なことをした。
ふと、わたしの心にある疑念が浮かんだ。ヴィクトリアスに声を潜めて尋ねた。
「(……まさかとは思うが念のために聞く。儀式を行うためにこの怪獣を刺激したのじゃないだろうね……)」
ヴィクトリアスは目を大きく開いて
「それこそまさか、ですわ。そんなことができるほどわたくしはクレバーではありません。それに……」
「それに?」
「インチキ戦争を演出できる知性が我がグレートブリテンにあれば、パレスチナ紛争も印パ戦争もコントロールできていましたわね」
ヴィクトリアスはそっと目を伏せた。
「すまない。今の言葉は忘れてくれ」
ヴィクトリアスは「ノーウォーリー」と言って手をふる。そして怪獣を見ると
「アドミラルがご懸念なさるのもわかりますわ。アフリカ東海岸......そして戦後のケニア.....この異界で我が母国と同じ歴史を繰り返すことにならなければ……」
怪獣は目を閉じたまま大の字になって倒れている。まるで眠っているようだ。やがて異界の土に還るのだろう。
わたしは笑顔を作ってヴィクトリアスに声をかけた。
「さあ、石碑を立てて引き上げよう。マレーヤや霧島たちが心配しながら待っているぞ」
ヴィクトリアス「この異界で我が母国と同じ歴史を繰り返すことにならなければ……」
後書き
霧島
「マレーヤ、お粥ができたわよ」
マレーヤ
「霧島、いつもすまないなぁ。ゴホッゴホッ」
霧島
「それは言わない約束でしょ……って令和の御世では誰も覚えていない小咄はともかく、艦橋の自己修復は進んでる?」
マレーヤ
「ああ、休んでいたらかなり良くなってきたな。ここで治らなかったら歯医者……違った工作艦の世話にならなくてはならないところだ(リソースのヤツだったら麻酔抜きで歯根を抜くとか言い出しかねん)」
霧島
「あなたの艦橋は昔のままだったんだっけ?」
マレーヤ
「ああ、そうだ。クイーンエリザベスタイプの中でもわたしとバーラムは新型艦橋……アン女王のマンションにはならなかったんだ。航空機の格納庫とカタパルトはつけてもらえたがな」
霧島
「三脚式の旧型艦橋だと強度が低いのが厳しいわね。アメリカ艦が採用した籠型マストは経済的っていわれたけど、揺れがひどいから止めたそうね」
マレーヤ
「すまして評論家のようなことを言っているが、キミたち日本艦のパゴダマストもやりすぎだとは思わないか。改装された金剛などはサーストン卿苦心のデザインが台無しじゃないか」
霧島
「実はわたしたち金剛姉妹の間でもね、巡洋戦艦時代がスマートな艦形で良かったなあ……って話すことがあるのよ。でも大砲の性能も日進月歩で進んでいたから仕方ないわね」
マレーヤ
「思えば我々戦艦もドレッドノート以後、恐竜的な進化を遂げたものだ。だがそれも二度めの大戦までだったな」
霧島
「戦後になってあまりにも世の中が変わったって知ってびっくりしたわ。あ!そうそう、この『海と空』昭和31年11月号!『日本戦艦のあんな高いマスト、敵弾が当たったらどうするんだと素人でも不思議だったが、欠点を指摘すれば軍にひっくくられるから褒め称えるしかなかった』って何よ!わたしたちが悪者みたいじゃない!」
マレーヤ
「おいおい。日本の雑誌の悪口をわたしに言われても困るぞ」
霧島
「それで、これを書いた深谷甫!戦前でも有名でね!この人の書く艦艇の本や記事ね、わたしファンだったのよ!それなのに世の中が変わったら手のひらを翻して!ああ悔しい!」
マレーヤ
「落ち着いてくれ、いとこ殿。腹立たしいのはわかるがわたしに言われても……」
霧島
「あなたたちイギリス艦にだって関係があるのよ!この深谷甫ってことあるごとに自分はオスカー・パークスの弟子だって言っていたんだから!責任を取ってちょうだい!」
マレーヤ
「(それはただ文通していたというだけではないのか……しかしそんな事を言ってもおさまりそうにない……)あ!霧島!今、ヴィクトリアスのカタパルトからバッカニア攻撃機が発進したぞ!至急警戒態勢に移行!」
霧島
「大変!わたしも自分の艦に戻らなきゃ!それじゃあね!」
マレーヤ
「(ふう……)」




