38. 船団護衛3(怪鳥の襲撃とアドミラルの決断)
......空中攻撃の大きさとしつこさといったら、たとえば、一隻の輸送船がこらえ切れずにアレクサンドリアに引き返そうとしても、四十機のストゥーカ急降下爆撃機がたかってきて、沈めてしまうという工合だった......ロジャー・ヒル/雨倉孝之(訳)『死闘の駆逐艦』90頁より。
その日の天気は良くなかった。戦艦マレーヤの艦長室のベッドで寝ていたわたしは、ひどい揺れで目を覚ました。
朝食を取るために士官室に行く。壁にかかっている気圧計を見る……デジタルではなくて水銀で目盛りを示す古いものだ……はこれ見よがしに急激に下がりはじめた。
しかし、士官室のテーブルについている、今回の輸送船団……コンヴォイMの幹部たちはみな平然としている。
イギリス艦マレーヤ、日本艦霧島、イギリス空母ヴィクトリアス……いずれも荒天で有名な大西洋、北海、東シナ海を航海した経験豊かな艦たちだ。これぐらいは悪天候に入らないのかも知れない。
しかし、わたしが揺れに苦労しながら椅子に取りついていると、マレーヤが軽く指を振る。
すると揺れが収まってわたしは落ち着いて座ることができた。マレーヤが魔法を使って艦の重心をコントロールしたのだ。
「では、朝食にしようか」
何かの儀式のようにマレーヤがおごそかに宣言する。
するとイギリス軽巡シェフィールドが入室する。メイド姿をした彼女は飲み物を積んだワゴンを押してくる。
「ティー・オア・カフィー?……飲み物は何になさいますか?」と国際線のキャビンアテンダントの如く尋ねることはせず、それぞれの好みの飲み物を迷わずカップに注いでいった。
わたしは自分のティーカップに注がれた紅茶に口をつける。それは院生時代に通ったワールドコーヒー喫茶店の味に似ていた。短い航海の間にシェフィールドはわたしの紅茶の好みを覚えてしまったらしい。
マレーヤはコーヒーを一口含むと
「ご苦労、後は我々だけでやるから自艦に戻ってよい」
シェフィールドは一礼すると部屋を退出していった。メイド姿の彼女だが目立たない部位にガンホルスターを吊っているのが見えた。やはり彼女もウォーシップの人間体なのだ。
わたしはゆで卵の殻を剥きながら口を開く。
「現在のところ、船団に異常は無いのかい?」
「ええ、各艦各船ともボイラーの稼働は正常値。心配していた輸送船の脱落も起こっていないわ。あの子たち、ジャーヴィスや霞にどやされながらもよくついて来ているわね」
わたしの疑問に答える霧島。彼女は電熱器でトーストを焼きあげると、それにアオハタのオレンジマーマレードを塗った。1932年販売開始、柱島の位置する瀬戸内の名産だ。
わたしも甘いものが欲しくなって手を伸ばすと、霧島はすかさず缶の容器をこちらによこしてくれた。
「人間界ではナフサから作った発泡スチロールの容器が足りなくなるって話題だけど、ウチは木製かブリキ製だから大丈夫ね。フネだって神話の力で動いているし石油なんかいらないわ」
霧島の言葉に反応したヴィクトリアス。
「あら?ブリキの溶接だって石油が必要になるのではありませんの?レディ霧島」
すると霧島は
「我が帝国海軍鎮守府では今でも石炭と木炭を使っているから大丈夫よ。全て国産で自給率100%!こういう時は高度経済成長以前の世の中ってありがたいわね」
……まあ炭団を代表する木炭が家庭の主燃料として使われた時期は高度経済成長と重なっているのだが、それはこの際突っ込むまい。
「オホン!」
その時、わざとらしい咳払いが聞こえた。マレーヤだった。脱線を軌道修正しようとしたようだ。
「本日、これからの我が船団の懸案はだ。未明に遠方の海上で発生した低気圧の接近になる」
マレーヤの言葉に霧島もヴィクトリアスも真剣な表情になる。
わたしは不安になってマレーヤに尋ねた。
「そんなに強い低気圧なのかい?」
士官室に据え付けられたモニターから現在の艦隊の様子を確認する。
各艦の掲揚する旗旒が風にはためいている。時折、駆逐艦の甲板は波に覆われ、そのたびに船体が激しく揺れている。
マレーヤは答える。
「いや、この程度の荒天での船団護衛なら我々は何度も経験している。風や波は不安要素では無いのだが、心配なのがただひとつ」
それに合わせてわたしは
「ただ一つ?」
「ああ、今回の低気圧は範囲が広くてな。レーダーが効かなくなっているんだ」
この異界には衛星画像なんて気の利いたものはない。そもそも異界が球体なのか平面なのかすらわからないという。
マレーヤが1拍置いた呼吸を見計らって、ヴィクトリアスが一枚のプリントをわたしとマレーヤに差し出す。
「今朝、わたくしのレーダーがキャッチした映像ですけど……」
プリントを見ると艦隊の遠方の海域に巨大な光点が確認できる。
同じく写真をヴィクトリアスから受け取って考え込む霧島。
「わたしはまだレーダーは勉強中だけど……航空機の編隊ではなさそうね」
「現在ではアンノウン。晴天だったら確実に解析できたのですけど……この荒天ではこれが精一杯ですわ」
申し訳なさそうに言うヴィクトリアスにマレーヤは
「いや、他の艦のレーダーでは光点すら映らないだろう。よくやってくれた」
そう言った後で考えこむマレーヤ
「ただ、今の時点で戦闘配置にすると輸送船がパニックを起こす危険があるな……駆逐艦たちは低気圧の接近に対する準備を行っている時だ。余計な負担はかけられない」
この異界艦隊の輸送船は人間の意志を持たない。それだけにパニックを起こすと収拾がつかなくなる。
霧島は
「現在はこの光点が何ものなのか、こちらに接近してくるのかもわからない。……状況を注視するしかないわね」
うなずくマレーヤ。わたしもそうするしかあるまいと考えて断を下した。
「状況を注視というのは、我が国の官僚答弁のようで腑に落ちないものを感じるが……」
苦笑する霧島。もちろんそれぐらいの軽口で機嫌を壊さぬ信頼関係が既に彼女との間にはできている(ep.30)。
わたしは言葉を続ける。
「マレーヤの言う通り、現段階では要らぬ動揺を船団に与えないためにも、霧島の提案どうりにするしかないだろうね。ヴィクトリアス、レーダーの監視を続けてくれ。30分ごとに旗艦のマレーヤ艦橋に報告すること」
力強くうなずくヴィクトリアス。これで会議は終わった。
だが最後に霧島が一言。
「今日の朝食はマレーヤが作ったのよね。おかずはゆで卵だけ?」
途端に渋面を作るマレーヤ。
「仕方ないだろう。ウォースパイトにきつく言われているんだ。わたしはゆで卵以外の料理は作るなと」
マレーヤの手料理は以前に食べたことがある。要約すれば味が無いか、極端な味つけになるかのどちらかだった(ep.35)。
「でも今日のゆで卵は茹ですぎよね。わたし、半熟ぐらいが好きなんだけど」
「本当はベーコンぐらいつけて頂きたかったのですけど……あなたがベーコンを焼くと、カリカリを通り越して真っ黒焦げがいつものパターンですものね」
霧島とヴィクトリアスの容赦無い突っ込みに対して
「いいか!光点の正体がハッキリするまで内密だぞ!駆逐艦たちはもちろん軽巡のシェフィールドにもだ!」
と、マレーヤはきつく言い渡した。
会議が終わった後、わたしは用事を思い出してヴィクトリアスに声をかけた。
「先日、キミから預かった猟銃とハンカチだが……」
すると彼女は内密の話をするかのようにわたしに自分の身体を近づけてくる。
「あれはしばらくあなたが預かっていてくださいな、マイアドミラル」
わたしは彼女の腰にそっと手を伸ばした。払いのけられると思ったが、彼女はさらに身体を近づけてきた。
「わかったよ、ヴィクトリアス」
すると彼女は唇が触れあわんばかりの距離に顔を寄せてきて……
「……わたくしが搭載している全ての戦闘機に発艦準備をさせておきますわ。これはセンシティブな軍機なので、二人だけのシークレット……」
それは鉄とガソリンの臭いがする話だったが、ヴィクトリアスは甘い吐息に絡めて囁いた。
ヴィクトリアス
荒天はますますひどくなる。窓から外を見るとまさしく風起雲湧。雷雲が稲妻を海上に落とす。
わたしが現在いる場所は戦艦マレーヤの上部艦橋。既にヴィクトリアスと霧島は自分の艦に戻り、わたしは人間体のマレーヤと二人で船団の指揮を取らなければならない。
ヴィクトリアスからはきっちり30分ごとにレーダーの報告が届く。波に揺られる船団についてのシェフィールドからの報告と合わせて双方を注視しなければならないが……
「光点がロストしただと?」
マレーヤの声が艦橋に響く。
「はい、先ほどたった今。これはレーダーの性能不良でもわたくしの責任でもありませんわよ。低気圧の内部に磁気嵐が発生したようね。異界特有の現象ですわ」
ヴィクトリアスの姿がスクリーンに映る。さっきとは違って申し訳なさそうな態度ではない。レーダーからのロストは不可抗力であることをハッキリと言い切った。
わたしはヴィクトリアスに問う。
「そのレーダー映像だが、いつ回復するとキミは考える?」
「神のみぞ知る……ですわ」
ヴィクトリアスは肩をすくめて答えた。
わたしはヴィクトリアスとマレーヤに聞いた。
「つまり我々は目と耳をふさがれたわけだ。これは状況のコントロールを失ったということだね。これから起こる最悪の状況を考えてくれ」
マレーヤはヴィクトリアスを見やる。ヴィクトリアスは「わたくしですの?」という顔をする。
マレーヤは直接ヴィクトリアスに答えずにわたしに説明した。
「ヴィクトリアスのCIC……戦闘情報管制室は先の大戦でアメリカから高く評価されたものなんだ、アドミラル」
ヴィクトリアスはため息をつき、指先で自分のブロンド髪をもてあそんでから……
「雷雲が去った瞬間、怪獣さんとわたくしたちがごっつんこ……ですわ。今、最後の計算をしたら可能性は45%から55%。微妙な数字ですわね」
怪獣という言葉にわたしは内心で驚く。今までは最悪の事態を想像したくなかったのかもしれない。それでもついに観念して
「やはり戦闘配置にするべきだろうか……」
「提督、それもかなり不味いわね」
声とともにスクリーンがもう一枚、艦橋に出現する。中に映っているのは霧島だ。
「現時点での船団の状況を確認してちょうだい」
海上が荒れるに従い、輸送船の動きは鈍くなっている。ジャーヴィスや霞やズールーが発光信号を点滅させて輸送船を叱咤し、雪風、ジャヴェリン、ジェーナスがなだめるように艦を近づける。
確かにこの状況で戦闘配置の命令を下したら輸送船たちはパニックを起こすだろう。
スクリーンの中のヴィクトリアスは腕組みをして口を開いた。
「与えられている情報は限られているどころか不足している。それでも決断は下さなければなりませんわよ、マイアドミラル」
彼女の言葉を聞いてわたしは考える……いや考える時間はない。いつぞやのインスラ・オヴィウムの戦いのようにサイコロを振るような気持ちでわたしは命令を下した。
「戦闘配置は止めだ」
マレーヤ、霧島、ヴィクトリアスが眉毛を動かした。三人が同時だった。
わたしは言葉を続ける。
「実動部隊のシェフィールドもジャーヴィスたちも実戦経験豊かな艦だ。不測の事態が起きても対応できるとわたしは信じる」
決断の後に理由を考えるのが我ながら……だ。
なおも無言でいる三人にわたしは最後の言葉をかけた。
「わたしは決断した。その尻拭いをするのはキミたちだ」
するとマレーヤは褐色の顔に苦笑いを浮かべながら言った。
「なかなかアドミラルも言うようになったな……では、尻拭いをさせられる前におしめを当てておこう。もし光点が怪獣だった時の用意だ。ヴィクトリアス、まずレーダーを封止しろ。そして船団序列の位置を変える。霧島、わたしたち戦艦が前に出るぞ」
ジャーヴィス「風が強くなってきたわね。え?戦艦が前に出るの!?」
豪雨は次第に弱くなってきた。船団のみんなは戦闘艦、輸送船含めてよく持ちこたえてくれた。
しかし、未だに空は晴れない。巨大な雲の渦巻きがいくつも立ち上がる。その中からは不気味な輝きが次々と起こる。渦巻きの遥か上を見上げるとかすかに太陽の光が照らしているのが見える。
いかにも異界らしい光景だ。わたしが戦艦マレーヤの艦橋から呆然と眺めていると、突如、耳を突き刺すような鳴き声が響いた。
わたしは思わず
「敵か?!敵はどこにいるんだ!」
わたしの隣にいたマレーヤは艦橋の窓を指差して
「敵怪獣はあそこだ!アドミラル!」
雲の間から突如出現したもの。それはパゴダマストと呼ばれる戦艦霧島の艦橋ほどの長さがある嘴だった。
ついで大きな眼球がギョロっと輝く。巨大な羽根が現れる。怪鳥だ!
「巨大なロック鳥か!伝説の生き物と遭遇するとは!」
マレーヤが叫ぶ。
アラビアンナイトに出てくるロック鳥はわたしたちの船団を見るとさらに大声を上げて威嚇するように羽根をバサッと広げた。
「いけない!わたしたちと出会い頭に当たったから、完全に敵と見なされたわ!」
通信から霧島が叫ぶ。
「いかん!全艦対空砲火!射撃管制をしている暇はない!ウェポンフリー!」
すかさずイギリス艦日本艦が対空のポムポム砲、エリコン機銃、長十センチ砲、を次々と撃ちまくる。
ロック鳥は我が船団の対空砲火を冒しながら反対側に走り抜けていく。マレーヤが、すかさず命令を下す。
「また来るぞ!全艦、輸送船団に近接しろ!」
マレーヤの艦橋にスクリーンが出現する。中に写ったヴィクトリアスが叫ぶ。
「艦載機!すぐにでも発艦できますわ」
「……!早いな。今すぐにでも出せ!」
「敵の空襲下で発艦させるなんてペデスタル作戦以来の荒業ですわね!」
空母ヴィクトリアスの甲板に飛行機が出現する。エレベーターに乗ってゆっくりと甲板に上がってきた。対空のシーヴィクセン・ジェット戦闘機だ。
「急げ!ヴィクトリアス!敵怪獣はすぐに戻って来るぞ!」
マレーヤが叫ぶ。スクリーンの中のヴィクトリアスは発艦作業を見守りながら応答する。
「これでもマニュアルをギリギリまで省略しているのですわよ!」
ロック鳥は後方でクルッと回転してギロッと目を光らせるとすぐに戻ってきた。
戦闘中は感情を抑えて置物に徹しようとした私だが、思わずマレーヤを凝視してしまった。
するとマレーヤの艦橋に霧島がスクリーンを出現させる。
「マレーヤ!わたしが時間稼ぎをするわ!」
船団の前方にいた戦艦霧島が回頭して後方に向かう。そして主砲を仰角一杯にまで引き上げて三式弾を次々と撃つ。
焼夷剤と散弾が仕込まれている三式弾。ロック鳥に向かって放物線を描いて飛んでいく。
「爆発の火炎で敵怪獣も焼き鳥よ!」
スクリーンの中の霧島がガッツポーズをとって叫ぶ。
しかし彼女が叫んだ瞬間、ロック鳥は急上昇したので、三式弾は目標の下で花火のように輝くだけだった。
「 VT信管さえあれば!」
歯噛みしてうなり声をあげる霧島。
するとマレーヤ、
「いや、一瞬とはいえヤツの接近は止まった!十分な時間稼ぎになったぞ霧島!」
マレーヤの言葉に気づいて空母ヴィクトリアスを見ると、その甲板からシー・ヴィクセン戦闘機が次々と発艦していった。
霞「!....あれがヴィクトリアスさんのジェット戦闘機!...梨から聞いた通りだわ。なんてきれいに飛び立つのだろう.......」
ヴィクセン戦闘機の編隊はぐんぐん上昇していく。
戦艦マレーヤの艦橋で見上げながら、わたしは心の中で叫ぶ「間に合ったか!」
ロック鳥は慌てて空に飛び立つ。ヴィクセン戦闘機が追いかける。まるで俊敏な猟犬に追われる巨熊のようだ。
しかしわたしは気がついた……妙だな。ロック鳥は巨大な怪獣だ。それが小さな戦闘機から逃げるばかりなんて……
ロック鳥はそのまま雲の渦巻きの中に逃げ込む。ヴィクセン戦闘機は雲海の中に突っ込み、空にはジェットの排気流だけが残された。
わたしはマレーヤの顔を見ると、彼女も腑に落ちない顔をしている。
「アンコントロール!しまった!」
スクリーンの中からヴィクトリアスの舌打ちと声が響いた。
「どうしたんだ、ヴィクトリアス!」
わたしが思わず声をかける。ヴィクトリアスは焦った声でそれに応える。
「あの雲海はヘリウムと磁気嵐!これで遠隔操縦ができなくなってしまいましたわ!」
するとマレーヤが問いただす。
「しかし、我々の戦闘機は無人とはいえ霊体を持っている。ある程度は自分で判断ができるはずだ」
「ヴィクセン戦闘機は戦後の開発で大規模な実戦の歴史が無い!長い翼をもつハヤブサであっても臨機応変の判断ができませんの。あの大戦を共にしたラ・キュイジニエール……シー・ハリケーンとは違う!」
ラ・キュイジニエール……ヴィクトリアスは自らが搭載するレシプロ機シー・ハリケーンを、イギリスで900年にわたって鷹狩で使われてきたオオタカの愛称で呼んだ。
すると艦橋にもう一枚のスクリーンが出現する。霧島だ。
「ちょっと待って!あれがロック鳥の計略だとすると……!」
霧島の言葉が終わらない内に、雲海から急降下してきた物体が船団に突っ込んだ。ロック鳥だ!
その衝撃で海と艦は大きく揺れた。わたしは後ろ向きに倒れる。マレーヤが自分の身体でわたしを受け止めたが、勢い余って自分も倒れこむ。
立ち上がったマレーヤは一言だけ鋭く呟いた。
「……やられた!」
海上に轟音が響き渡る。駆逐艦たちが機銃を連射しているのだ。
マレーヤはすかさず
「シェフィールド!被害を報告しろ!」
艦橋にスクリーンが現れる。中のシェフィールドは無表情で
「タンカー・オハイオ号大破!こちらで精製したナフサを積み込んでいた輸送船です!」
「ナフサ価格の高騰に悩んでいた、アメリカ艦へのギフトを積んでいた船か……」
マレーヤの声を後に、わたしは艦橋の窓に取りつく。
外を見ると、オハイオ号にドラゴンの口のような裂け目が生じ、そこから涎のようにナフサが溢れ出ている。
そしてオハイオ号の船の上に足をかけたロック鳥、嘴を裂け目に突っ込んでナフサを吸っている。眼が充血していくのが見える。
そしてわたしをギロッと睨む。異界の怪獣の眼にわたしは思わず身がすくんだ。
わたしが動けなくなっていると、マレーヤが引っ張って室内に引きずり戻した。
「アドミラル、異界の怪獣と目を合わせるな!人間のお前なら魂を持って行かれるぞ!」
マレーヤはわたしの頬をピシャピシャと叩く。そして気付けのウィスキー・ソーダをカップに注いで一口飲ませる。
ついでそのカップを自分も飲み干す。ふーっと息を吐いた後で独り言のように呟いた。
「……しかし、こういうことになるとはな。これからはアンバーの海域もダイドーのような防空巡洋艦を連れていく必要があるな……」
スクリーンが次々と切り替わる。その中で駆逐艦たちが大声を上げている。
「オレたちの対空装備では火力不足だ!」
と、ズールー。
「こんなんなら魚雷発射管を取り外して、エリコンを積み増ししてくるんだった!」
と、ジャーヴィス。
駆逐艦による集中砲火を浴びながらロック鳥はタンカーの上からナフサを吸い続けている。
動揺する駆逐艦たちとは対照的に、マレーヤはその様子を見ながら落ち着いた声で
「しかし、これで目標が固定されたわけだ。こちらには有利になったかも知れん。霧島、三式弾をヤツに向けて発射しろ」
それを聞いた霧島はスクリーンの中から
「だけど、この距離で三式弾を爆発させたら他の輸送船にも被害が及ぶわ。いいの?」
マレーヤは平然と
「かまわん。多少の被害は承知の上だ。やってくれ」
戦艦霧島の主砲二門から三式弾が連射される。一発目はロック鳥の今いるところ、二発目は飛び立つのを見越してその上で爆発した。
火炎が広がったにも関わらず、他の船に被害が及ぶギリギリの距離だったのは、霧島の腕のさえだ。
しかし、ロック鳥は足を丸焼けにして苦しみながらも空に飛び上がった。
「……!やはり航空機を使う必要があるな。ヴィクトリアス!」
マレーヤの声を聞いたわたしは、艦橋の窓から空母ヴィクトリアスを見る。
その甲板にはシー・ハリケーンが勢揃いしてプロペラをブンブンと回転させている。そして空母ヴィクトリアスは舵を右に左に切りながら海上を遊弋している。
スクリーンが出現してヴィクトリアスが映し出された。彼女は必死の表情で操艦を続けている。マレーヤの命令にも反応しない。
思い出した!レシプロ機は空母から発艦するのに風向きを選ぶ必要があるのだった!
だが、レシプロのエンジン音と海上を周回する空母の動きは、ロック鳥を刺激したらしい。怪獣は怒り狂った声をあげて空母ヴィクトリアスに向かった。
不味い!今のヴィクトリアスは無防備だ。爆弾を装備した航空機が甲板にいるところへ怪獣が襲ってきたら!あのミッドウェーの赤城のように大爆発を起こす!
思わずわたしは叫んだ。
「マレーヤ、本艦を敵怪獣に体当たりさせろ!」
マレーヤが怒鳴るように答える。
「何だって!?」
「ヴィクトリアスが危ない!戦艦の装甲なら耐えられるはずだ!」
「クイーンエリザベスクラスの装甲はキングジョージクラスよりも薄いのだからな。どうなっても知らんぞ!」
マレーヤはヤケになったように言い捨てると、低空で飛んでくるロック鳥に自艦を体当たりさせた。
当たったか!?そう思った瞬間、ロック鳥はひらりとかわして戦艦マレーヤに飛び乗る。そして嘴を艦橋の中に突っ込んだ。
窓のガラスが割れて散乱する。嘴で艦橋のフレームが歪む。マレーヤが自分の身体でわたしを庇う。彼女の肩ごしにわたしは再び異界の怪獣の目を見た。
「提督!」「アドミラル!」
通信を通じて皆の声が響く。その瞬間……!
「マイアドミラルご無事ですの!?お待たせしましたわ!" He let him þa of handon leofne fleogan, hafoc wið þæs holtes, and to þære hilde stop....彼は愛する鷹を手から森へと放ち、それから戦いへと足を踏み入れた!"」
ヴィクトリアスがハスキーボイスで呪文を唱えるのが聞こえた。まるで救いの女神のように。
艦橋に突っ込まれたロック鳥の嘴の隙間からシー・ハリケーンが次々と空中に舞い上がるのが見える。
ヴィクトリアスの腕から解き放たれた鷹の群れ....シー・ハリケーンの編隊は挑発するようにロック鳥の周りを飛び回る。
ロック鳥は大きな鳴き声を上げて空中に急上昇した。「こざかしい奴ばらめ!」と叫んでいるに違いない。
そのままロック鳥は雲の渦巻きに飛び込もうとする。わたしは思わず叫んだ。
「また怪獣の計略に引っかかるぞ!」
すかさずスクリーンの中のヴィクトリアスが微笑んでわたしに言い聞かせた。
「あの子たちなら大丈夫ですわ」
雲の手前でシー・ハリケーンの編隊がバンクを振る。
すると突然、雲の中からヴィクセン戦闘機の編隊が現れた。ようやく戻ってきたのだ。
不意をつかれたロック鳥は一瞬硬直する。そして威嚇するように翼を広げて振りはじめた。
シー・ハリケーンの編隊は再びバンクを振る。ヴィクセンの編隊もバンクを振ってそれに応える。
フォーメーションを整えた二つの編隊は、上下からロック鳥に襲いかかった。
ミサイル、爆弾、機銃の集中砲火を浴び、断末魔の叫び声を上げながら、ロック鳥は海に落ちて行った。
ジェーナス「ブライミー(Blimey)!やっぱり戦闘機ってドローンより強そうだなあ」
雪風「んー....どんな兵器も一長一短あるからね。要は使い方と組み合わせだよ、ジェーナス」
霞「あんたってたまに上から目線でものを言うわよね。重慶政府...あ、ごめん!中華民国総旗艦殿?」
雪風「そ...そうかなあ。気のせいだよアハハハ」
戦い終わって陽が暮れて……ぐちゃぐちゃになった戦艦マレーヤの上部艦橋。
ロック鳥が巨大な嘴を突っ込んだので狭い艦橋室内は洞穴のように膨れあがり、天井には幾筋もの亀裂が走り、床には巨大な瓦礫が散乱している。もはや指揮を執る場所ではない。
それでも、わたし、マレーヤ、霧島、ヴィクトリアスが集合して今後の善後策を話し合っている。座席なんてものはないので各人地べた座りだ。
シェフィールドは両手に四つのポットを下げたまま、器用に瓦礫をヒョイヒョイと避けて歩く。そして各人のカップにそれぞれの好みの飲み物を注いで回った。
マレーヤはコーヒーに口をつけて
「オハイオ号には気の毒だったが、被害がタンカー一隻ですんだのだからな。あのPQ17船団に比べればあまりにも幸運だ。これは幸先が良いぞ」
シェフィールドは飲み物に続いて夕食のサンドイッチを配りながら
「今のお言葉、司令部発表の談話としてみなに伝えておきます、マム」
多少強引だがみなを鼓舞しようとするマレーヤと、打てば響くように反応するシェフィールド、さすがだなあ……と思いながら砂糖入りのココアを飲んでいると
「アドミラル?何かいうことはあるか?」
と、マレーヤ。
「ンム……近海の様子はどうだい?また怪獣が接近してくる可能性は?」
突然指名されて慌てたが、何とかコメントをひねり出して答える。
するとヴィクトリアスが口を開く。
「レーダーには不審な物体は映っていませんわ。影や光点は付近の島だと解析できましたから、今度こそ大丈夫」
ヴィクトリアスは説明しながら、ミニスカートで地べた座りは気になるのか何度も裾を引っ張っている。
それを見てわたしは思わず口に出した。
「わたしの他はみな女性だから、そんなに気にしなくても」
ヴィクトリアスは窘めるようにわたしを睨むと「同性に見られるのは異性よりも恥ずかしいこともあるのですよ」
そう言ってサンドイッチを一口つける。すると驚いた表情になって
「これは……エビフライのサンドイッチ?マレーヤもいつの間にか腕があがりましたわね」
すると霧島が
「マレーヤに作れるはずがないでしょう?パンに塗る時にバターとマスタードを間違える人が。このサンドイッチはわたし霧島の謹製。提督のふるさとの老舗喫茶店のサンドイッチを真似して作ったのよ」
そう言えば馴染みの地元チェーンのエビフライサンドに良く似ている。近頃は全国進出したライバル店に押されているが、それでも根強いファン層を持っているはずだ。
和装の霧島は石碑みたいに倒れている瓦礫に横掛けで座ってニコッと笑うと
「どう?あのお店にそっくりのお味かしら?」
「実はエビフライサンドは千円を越えるので食べた事がない。でもこの濃いソースはぼくの故郷の味だ」
瓦礫の中の食事でフォーマルな雰囲気ではなかったので、一人称がぼくになってしまった。霧島もそれ以上にざっかけない調子でサンドイッチをパクつきながら
「ほめられているんだか、けなされているんだか」
マレーヤは大きな咳払いをすると、
「わ……わたしの作るサンドイッチなんてどうでも良いだろう!最近はカレーとピーナッツバターを間違えないぐらいは腕をあげたんだぞ!それよりもこれからのことだ!」
勢いこんで言ったせいか、座っている瓦礫からずり落ちかけたが、すかさず座り直した。
すると霧島は
「輸送船の被害は少なかったけどあの子たちは戦闘に巻き込まれて疲労したからね。どこかで休息させたほうがいいわね。それと、マレーヤ、あなたの艦橋の修理も必要だわ」
マレーヤは
「わたしの艦橋のことはともかくとして……船団は少し休息させたほうがいいな。それと戦闘で消耗した物資の補給も必要だ」
そう言った後で後ろのバッグから海図をごそごそと取り出す。
「艦橋が破壊されたので端末から電子データを取り出せなくなってしまってな。やはり紙も残しておいて良かった。ええと……」
マレーヤは何枚かの紙の海図を見ながら
「これだ、この島だ。タンバレイン島。ここなら湾が広いから安全な場所で船団が投錨できる。補給物資を貯蔵したデポもあるからちょうど良い。ヴィクトリアス、この島は現在も存在するだろうな?」
ヴィクトリアスはタブレットを操作するとレーダー映像を見せる。
「この巨大な影がそうですわ。大丈夫、地殻変動で消え去った兆候はありません。念のためわたくしのヘリを飛ばして視認させましょう」
わたしが「頼んだよ、ヴィクトリアス」と声をかけた瞬間、天井が亀裂から崩壊した。そして砂塵がザザ-ッと落ちてくる。
わたしの頭から肩から全身が真っ白になった。塵芥が口に入って激しく咳き込む。口の中に嫌な味が広がる。硝煙とケダモノの味だ。必死になってつばきを床に吐く。
マレーヤはそれを見てわたしに駆け寄ろうとしたが、ツッ……!と呻くと顎を押さえた。
「艦橋を破壊された影響が人間体にも出たんだわ」
と霧島。
わたしは砂塵まみれのままマレーヤの肩を抱いて
「タンカー・オハイオ号の犠牲といい、このマレーヤの艦橋といい、これがわたしの決断の結果なのか……」
と誰に言うまでもない独り言を呟いた。
マレーヤはそんなわたしに微笑みながら
「なあに、時間は少しかかるが、神話の力で自己修復するさ。でも、この上部艦橋は当分使えないな。今日の夜からは下の露天艦橋で指揮を取ってもらうぞ、アドミラル」
霧島は足元を見ると
「イギリス海軍名物の露天艦橋ね……風と波を直接かぶるから寒いわよぉ、提督」
ヴィクトリアスはいたずらっぽく笑いながら
「決断の結果はご自分の身体で直接受け止めて頂きますわ、マイアドミラル」
シェフィールドはわたしの全身にかかった砂塵をタオルで拭きとり、うがいのコップを差し出すと、表情を現さずに
「暖かい外套を用意させて頂きます、マイロード」
マレーヤはみなを見渡した後で
「これで決まりだな。それでは異界時19時30分を以て我が船団は変針する。わたしが先頭に立つので各艦は指示に従うこと」
かくして船団はタンバレイン島へ向かった。(この章終わり)
ズールー「変針の発光信号?予定にはないがマレーヤさんの指揮なら安心だな」
後書き
金剛
「ウォースパイト、何をしているのかの?」
ウォースパイト
「あら、金剛シスター。少し昔の復習をしておこうと思ったのよ」
金剛
「なるほど読書中であったか。Andrew Field, 『Royal Navy Strategy in the Far East, 1919-1939』......ん?副題が塗りつぶされておるの。じゃが、確かにわしやお主の若い頃の話のようだの」
ウォースパイト
「わたくしたちが現役だった時代のことだけど、21世紀になって書かれた本を読むのも勉強になるわ」
金剛
「さすが研究熱心じゃの。ところでもう一冊の本は何じゃ?何やら文書を綴じたもののようじゃが」
ウォースパイト
「ハッ!こ……これは違うの、関係ないの!本当にどうでも良い書類なのよ!」
金剛
「わしとお主の仲で隠すこともあるまい……どれ」
ウォースパイト
「だ、ダメよ!これはダメ!」
金剛
「シークレット!ウォー・メモランダム……フムフム。わしも昔とった杵柄で多少の英語なら読めるからの」
ウォースパイト
「ア、アアアア……」
金剛
「……ドイツ大洋艦隊が壊滅した現在、我らがグレートブリテンに対抗するのは勃興著しい極東日本である。既に彼らはヴェルサイユ講和会議でアジア・太平洋の権益を主張しはじめた。中国のナショナリズムを支援して彼らと対立させる方法も考えられるが、それは外務省の仕事である。我らがロイヤルネイビーとしては、機動力に優れた艦隊を極東に派遣する体制を整えることが急務である。そのためにケント級巡洋艦を新たに建造しなければならぬ。有事には通商破壊戦を行って彼らを枯死させるのだ……」
ウォースパイト
「ふう……ついに見られてしまったわね」
金剛
「ふうむ……このメモランダムが作られた大正の頃は、我が帝国海軍が空母の運用に苦労しておった時じゃ。そこへイギリス海軍は軍事顧問を派遣してくれて、鳳翔は今でも感謝しておる。じゃが裏ではこんな事を……ひょっとして日英同盟はまだ生きておったのではないか?ジロッ」
ウォースパイト
「こ……これは……そう!予算を獲得するためのレトリックなの!ロイヤルネイビーの『一部の』人たちが、これぐらい強い言葉を使わないと委員会の議員を説得できないからって。もちろん反対する人たちも多かったのよ(……ケント達ったら一隻につき建造費が1, 970, 000ポンド、維持費が年間235, 850ポンドもしたのだから……)」
金剛
「まァそういうことにしておこう。いや予算獲得についてはわしらも人の事は言えぬ。世論を納得させるためにアメリカ艦隊を仮想敵に仕立て上げ……小説家や記者たちに酒を飲ませたり芸者を○○させたりして、日米仮想戦記を書かせたと参謀どもが噂話で……おっと口が滑ったわい」
ウォースパイト
「平和な時代は海軍の維持は大変ですものね。ましてあの時は『文明を破壊した戦争』WW1の記憶が生々しくて軍縮の圧力は相当なものだったことを覚えているわ」
金剛
「人倫にもとるやり方と言えぬことも無いが……わしら艦艇の食いぶちを必死で稼いでくれたと思うと複雑な気分じゃ。じゃが、この15年後には嘘から出た誠になったのは何とも皮肉じゃの」
ウォースパイト
「本当にその通り。先の大戦の後、わたくしたちは文明を破壊した自らに絶望したわ。でもすぐに二度目の大戦が……そのきっかけの一つが軍縮条約を脱退したあなたたち!ジロッ」
金剛
「おっと今度はこちらの分が……あーウォースパイト。先ほどマレーヤから連絡を受けたのじゃが、輸送船団がロック鳥の襲撃を受けたが見事撃退したそうじゃ」
ウォースパイト
「ええ、わたくしも聞いたわ。マイアドミラルもゆっくりだけど指揮官として成長しているようで喜ばしいこと」
金剛
「それでな、今後は空からの怪獣の襲撃が激しくなるじゃろう。我らが金剛型の必殺兵器・三式弾の改良型の開発に莫大な予算をつぎ込む必要が……」
ウォースパイト
「金剛シスター!この話はこれまでよ!」




