37. 船団護衛2(英国淑女、神話ヘリで空戦す)
「航空母艦ヴィクトリアス.......1950年から58年にかけて、ポーツマス工廠で大改造工事を施工され、全く面目を一新した新鋭艦として再び艦隊に復帰した。英空母中もっとも大きな角度(8.7度)のアングルド・デッキを有し、最新のレーダー装備とともに、いかにも一癖ありげな艦容を示している」『世界の艦船』1959年5月号の17頁より。
……まだ幸せの島に着任していないアメリカ艦。彼女たちから人間界と異界の境界でランデブーしたいという連絡を受けたわたしたち。かくしてアドミラルたるわたしは輸送船団を率いて向かうことになった……
「いけませんわよ、アドミラル。もっと繊細な操作をなさらないと」
「ええと……ここに力を入れすぎた?」
また、低音のハスキーボイスで叱られた。やれやれ、いつまでたっても上手くやれないな。
ここはイギリス空母ヴィクトリアスの艦長室。わたしは今朝から彼女の指導を受けて、空母の操作訓練をしている。
ザザーッと艦が海を進む音が聞こえる。船団護衛をしている傍らの訓練なのだが、さっきからヴィクトリアスに叱られてばかりだ。
人間体のヴィクトリアスは豊かなブロンド、ボリュームのある身体、若々しいが威厳のある顔立ち、人間にたとえればお嬢さま学校の生徒会長と言ったところだ。
だが大人っぽい低音のハスキーボイスが彼女の第二次大戦から戦後に至る長い艦歴を感じさせる。
わたしは彼女に尋ねた。
「だけど、空母の操艦って、金剛やウォースパイトとずいぶん違うんだね?」
ヴィクトリアスはわたしの顔を見下ろして答えた。
「わたしたち空母は他の艦種と違って航空機を搭載しておりますの。安全に発艦着艦できる態勢を保つには細心の操艦技術が必要ですのよ、マイアドミラル」
なるほど、空母の艦長は自艦の乗組員だけではなくてパイロットの生命も預かっているのだ。
納得したわたしはヴィクトリアスに声をかけた。
「ではもう一度やらせてくれ」
わたしはヴィクトリアスの操縦ボタンをゆっくり指で転がす。周囲の計器を時おり刺激する。
「そう……そうですわよ……アドミラル……なかなか繊細な指使いになってきましたわ」
「……だけどわたしはキミと初めて会った時にお嬢さま学校の生徒会長だと思ったものだが……こんな格好をしてわたしにこんなことをさせているなんて、とんだお嬢さまだ」
「あら、人間の女性と、わたくしたちを一緒にするなんてアドミラルにふさわしからぬ不見識ですわね。それに……」
「それに?」
わたしはシルクのレースに覆われた計器を撫でながら聞いた。そう、まるで恋人の肌を愛するように……
「品がないと思うから品がなくなるのですよ……そう……そこ……フェザータッチ……フェザータッチをお忘れにならないで……」
わたしがそろそろ次の教程に移ろうとすると通信機からブザーが鳴った。
「アドミラル、ヴィクトリアス。この後にミーティングがある。まだ時間はあるが、わたしの艦長公室まで来て欲しい」
この輸送船団を指揮するイギリス戦艦マレーヤからの連絡だった。
ヴィクトリアスは通信機のスイッチを切ると
「ふぅ……今日は第一教程までにしておきましょうか」
わたしがヴィクトリアスから離れると、彼女も上半身を起こし、その豊かなブロンドの髪を整える。
「上司Mからの呼び出しで、わたくしたちのジェイムスボンド・タイムは途中でおしまいですわね」
彼女はわたしに軽くウィンクすると、まくれたスカートを下ろしてストッキングを上げた。
ヴィクトリアスと共に戦艦マレーヤに乗り移る。
その艦長公室に赴くと上司Mならぬマレーヤの他に霧島がいた。この二人に加えてヴィクトリアスが本船団の幹部というわけだ。マレーヤがわたしに声をかける。
「ヴィクトリアスの操艦訓練を中断させてしまったな。駆逐艦たちが来る前に我々だけでも集まっておきたくてな。まあ座ってくれ」
わたしは机の前にある椅子に腰掛ける。ここはもともと外国要人の接待用にも使われた場所だ。会議の場所にはちょうど良いのだ。
わたしが座って一息つくとマレーヤが卓上ベルを鳴らす。すると、軽巡シェフィールドが入室してくる。
彼女はヴィクトリア朝メイドの衣装を着ている。しかし、黒革のガンホルスターをバックサイドにつけているのが通常のメイドと異なるところだ
ティーセットが載せられているワゴンを押してきたシェフィールドはテーブルの前に座っている幹部たちにオレンジペコの紅茶を注いでいく。
やがて今回の船団に加わっているイギリスや日本の駆逐艦たちが集まってくる。
イギリス艦はジャーヴィス、ジャヴェリン、ジェーナス、ズールー、日本艦は霞に雪風。
彼女たちは部屋の後ろに並べられたパイプ椅子に座る。
そしてシェフィールドが皆に資料を配った。
「ではミーティングをはじめたいが、よろしいか?アドミラル」
マレーヤがわたしに厳かに告げたので、わたしも厳かに宣言した。
「ああ、会議を始めよう。マレーヤ、司会を頼む」
マレーヤは立ち上がると黒板に近づき、その下半分に白墨で半円を描いた。下の方に一つ、その上に一つ、さらにその上にもう一つ、合わせて三つが重なるように。
「みなわかっているとは思うが改めて確認したい。一番下は我らが根拠地、その上がグリーンのゾーン、さらにその上がアンバーのゾーン」
みんなが黒板を見つめている。そこでマレーヤは
「さて、ジェーナス。この色の違いを答えて見ろ」
駆逐艦ジェーナスは金髪を短くカールした少女である。突然指名されて明らかに動揺している。
「え、えーとグリーングリーン……グリーンはフォークを持つほうで、アンバーはナイフを持つほうで」
思い出すのに詰まって珍回答を出したジェーナス。彼女に同型艦のジャーヴィスが低い声で怒鳴った。
「ストゥーピッド!バカっ!」
二人のやり取りを聞いた霧島は明らかに吹き出したが、ジェーナスに悪いと思ったのかすぐに表情を戻した。
ジャヴェリンがジェーナスに囁く「ほら、カオスとコスモス」
するとマレーヤは艦長が兵をさとすような穏やかな声で
「ん?ここはフッドのテーブルマナー講習会では無いぞ。ではジャヴェリンが答えてみろ」
若い頃のオリビア・ハッセーを思わせる、艶のあるロングヘアの少女であるジャヴェリン。彼女は優し気な声で
「私たちの根拠地とその上にあるグリーンの半円はコスモスが支配する海域、さらにその上のアンバーからカオスの影響が強くなる海域になります。ただ、カオスが支配するレッドの海域とは異なって、コスモスの影響も残っていることが特徴です」
マレーヤはよくできたとばかりに頷くと、
「実はこのアンバーの海域は、ついこの間までレッドの海域だった。だがインスラ・オヴィウムの戦いで全てがアンバーに変わった。要するに比較的安全に航行できるようになったのだが、それでも怪獣が襲撃してくるリスクは残っているということだ」
マレーヤは安全の前の比較的という部分に力を込めた。
「さて、この船団も今日中にはグリーンからアンバーの海域に入る。警戒体制のレベルを上げていかなければならない。正午をもってわが船団は警戒陣に移行する」
皆の顔に緊張が走った。
ジャヴェリン「♬What Is A Youth♬......若者とは?乙女とは?それはバラの花のように咲いて朽ちる。やがて死神が二人を...これはアドミラル。『きれいな声とメロディでどんな歌を唄っているの?』ですか?ええ.......戦争の時も平和な時も人の運命は一緒ですね.......」
マレーヤはさらに言葉を続ける。
「コンヴォイのエスコートだが、基本的には、我らがジャッキー・ブルーム……ジョン・エガートン・ブルームの作成したマニュアルに従う。彼は悲劇のPQ17船団の指揮官として有名になってしまったが.......トゥ・ビー・フェア、その業績の全てを否定するのは公平じゃない」
みなに資料として渡されたブルーム著『西方近接海域部隊船団護送要領』がめくられる音が周囲に響く。
マレーヤは黒板の上半分に船団を模した長円を描き、さらにその周囲にシャカシャカと縦横の直線を引いていく。やがてそれは長円を囲む碁盤の目のようになった。
「各艦はそれぞれこのマス目に配置される。受け持ったマス目の中では自由に行動してよい。高空からの爆撃機ならぬ翼竜の攻撃に対しては、船団に近接して機銃を撃て。海上から近づいてくるシーサーペントやクラーケンに対しては、船団から距離を話して占位し、奴らを輸送船から遠ざけるよう砲撃しろ」
イギリス艦たちは納得して頷くが日本艦たちは今一つ呑み込めない表情をしている。
それに気づいた軽巡洋艦シェフィールドが彼女たちに尋ねた。
「霞に雪風、お前たちが知っているコンヴォイのエスコートのやり方を答えてみろ」
駆逐艦としては雪風の先任にあたる霞が答える。
「私たちの海上護衛のやり方は……船団の前方、あるいは斜め前方に占位すれば有利だと教えられてきました。ですが、それも現場の艦長の判断で変えていました。今のように担当区域を厳密に指示されたことはありません」
霧島がマレーヤに解説する。
「帝国海軍では各艦長の裁量が大きかったのよ」
するとマレーヤは、ん?という顔をすると
「いや、それは我々も同じだ。そもそも海の戦いはそうしたものだ。海上で司令が各艦の行動を統制することは不可能だからな」
さらに霧島が口を開こうとした時、わたしも口を開いた。
「組織から逸脱した判断や行動がどこまでがセーフか、どこからがアウトなのか?それはケースバイケースでその構成員すら理解するのに経験が必要だ。まして一国の軍隊という巨大な組織を相互に比較するのは困難を伴う。この議論は止めたほうが良いのではないかな」
マレーヤも霧島もそのまま口を閉じた。良かった、戦艦同士の口論が始まるのを機先を制することができた。
さて、マレーヤは少し考えこんだ後、
「では日本の駆逐艦、霞と雪風は私たち戦艦の護衛をしてもらう。しばらくジャーヴィスたちのやり方を見て覚えてほしい」
頷く霞と雪風。ジャーヴィスは独り言を装って呟いた。
「あーあ。たった四隻で輸送船の護衛なんてね。あの大戦の時のマルタ向けのコンヴォイだと14隻の輸送船を26隻の駆逐艦でエスコートしたのにね。早くわたしたちのやり方を覚えなさいよ、日本艦」
すると言い返す霞。
「あら?ウチの駆逐艦神風ちゃんを知らないの?米潜ホークビルと一騎打ちしたあの有名な戦いではね、駆逐艦一隻で三隻のタンカーを護衛していたのよ。弱音を吐くんじゃないの、イギリス艦」
するとジャーヴィスはゲッと言わんばかりの顔をして
「……末期的ね……あんたんとこの海軍……」
何ですって!?という顔をする霞。彼女の袖を雪風がそっと後ろから押さえる。
ポンポン!手をたたく音が室内に響いた。霧島だった。
「みんな、謹聴、謹聴」
駆逐艦たちの目が幹部ゾーンに集まる。
そしてマレーヤが口を開く。
「以前に主力艦会議で話したことがあるが、今の我らが異界艦隊は国家のバックアップがない。そのため扱う数量の規模は限られている。しかし、そのディスアドバンテージは我々が持っている神話の力で十分カバーできるはずだ。諸君らの検討を祈る」
皆が気をつけをしてさっと敬礼するとマレーヤが言った。
「今回のエスコートはアドミラルが船団上空から観閲する。各員、その義務を果たすことを期待する」
えっ?わたしが驚く間も無く、シェフィールドの鋭い声が響いた。
「各員、解散!!」
駆逐艦たちがシェフィールドに率いられて退出した後で、わたしはマレーヤに尋ねた。
「ボク……いや、わたしが上空から観閲するとはどういうことだい?」
マレーヤは
「すまん、話すのを忘れていた。アドミラルとヴィクトリアスがここに来る前に霧島と相談したのだが、各艦の士気を高めるために上空からの観閲をお願いすることになった。ヴィクトリアスが搭載しているウェストランド・ウェセックスに乗ってもらうのがよいだろう」
自分も仕事を与えられたことに気づいたヴィクトリアスは、肩をすくめて呟いた。
「新型だからといってこきつかわれますのね」
霧島がヴィクトリアスを宥めるように声をかける。
「機動性ならわたしたちが搭載している水偵よりも、あなたのウェセックス・オートジャイロが優れているものね」
「現在ではヘリコプターと言いますのよ、レディ霧島。さ、アドミラル、行きましょう」
ヴィクトリアスはわたしと腕を組むと、そのまま会議室の外へわたしを引きずって行った。
霞「あら司令?『駒宮真七郎著「戦時輸送船団史」379頁を読んだら、第四次ち号作戦では神風だけではなくて四隻でタンカー三隻を護衛しているぞ』ですって?
それはね、残りの三隻は民船を艤装した特設掃海艇。生え抜きの戦闘艦は神風ちゃんだけだったのよ。そこんところを忘れないように。
え?『でも駒宮真七郎著「闘う輸送船団の記録」233頁には、その時の特設掃海艇に乗り込んだ船舶砲兵隊員の証言があるけど、彼らも敵潜に爆雷を投下したり、敵機を機関砲で撃墜しているぞ』ですって?
.........ふーん。神風ちゃんからはホークビルとの一騎打ちの話ししか聞いてないけどあいつらも頑張ってたのね」
ウェセックス・ヘリが空母ヴィクトリアスの甲板を離陸する。
コックピットにはヴィクトリアスとわたしの二人。ヴィクトリアスは操縦桿を握ってヘリを高空に飛翔させた。主のいない空母は霊的操縦に移行する。
天候は平穏、上空から見る輸送船団は整然とした隊形を組んでいる。
大きな輸送船は陽の光を浴びた海の上でほとんど動いていないかに見えた。小さな駆逐艦たちはジグザグ運動をしながら進み、怪しいものはいないか猟犬のように嗅ぎ回っている。
船団の後方に位置する戦艦二隻と空母一隻。彼女たちは軽巡洋艦シェフィールドと、日本の駆逐艦霞や雪風を従えて、巨艦の睨みをきかせている。
「アドミラルが上空から見ているわよ!もう戦闘は始まっていると思いなさい!」
ジャーヴィスの声が通信に響く。輸送船を護衛しているイギリス駆逐艦のリーダーである。彼女の性格からして、後半の言葉はアドミラルであるわたしに向けたものだったのかもしれない。
「既に戦闘は始まっている……か」
ジャーヴィスの言葉を繰り返したわたしに対して、操縦席の隣に座っているヴィクトリアスは
「今ごろ、海中はタイプ147ソナーのピンガーがピンピンと鳴っている真っ最中ですわ。今は戦時ではないとはいえここは異界、どんな生物が海の中にいるのかわかりませんもの」
そしてヴィクトリアスは上空から駆逐艦ジャーヴィスを見下ろすと
「でもジャーヴィスは張り切っていますわね。では、ここは一つ……」
ヴィクトリアスはヘリの操縦桿を倒すとウェセックス・ヘリを駆逐艦ジャーヴィスに接近させると、その甲板に何かの梱包を投下した。そしてレシーバーに向かって叫ぶ。
「女王陛下に忠実なる猟犬さん!このわたしからドッグフードのプレゼントですわ!」
自分を犬扱いされたジャーヴィスは、自艦の搭載している対空のエリコンとポムポム砲の全門を、ウェセックスヘリに向けた。
ヴィクトリアスは怖い怖いと言ってジャーヴィスの射線の死角に回ってヘリを脱出させる。
わたしはヴィクトリアスに話しかけた。
「あのジャーヴィスを犬扱いするなんてキミもやるね」
ジャーヴィスは駆逐艦でありながらイギリス海軍きっての幸運艦にしてウォースパイトに次ぐ殊勲艦だ。上の艦でもどこか遠慮がある。
するとヴィクトリアスは事も無げに
「ああ言われて内心では嬉しいのですよ。しかも彼女にふさわしいドッグフードは特級のラム酒。これで喜んで獲物をとってくるでしょう」
ヴィクトリアスはホホホと笑った。
ジャーヴィス「キャッ!ヘリの作り出す気流ね。アドミラル!見たら許さないわよ!」
ヴィクトリアス「スカーレット・カラーとは相変わらず強気ですわね!」
彼女が笑っていると通信が入り込んできた。旗艦司令部のマレーヤだ。
「こちらヘッドクォーター。コールサイン・クックロビンへ、コールサイン・クックロビンへ、応答されたし」
ヴィクトリアスは笑い声から一転、ムッとした声で応答した。
「マレーヤ、何度も申し上げているでしょう?わたくしがアメリカからもらったコールサインのロビンはロビンフッド!マザー・グースのクックロビンではありませんわ!」
マレーヤは平然とした口調で
「余計なことをやっているほうが悪い。それよりもキミに新しい仕事ができた」
「なんですの?」
ヴィクトリアスは不機嫌が直っていないようだ。
「シェフィールドのソナーが航路の北西にアンノウンの物体を探知した。ヘリで確認に行ってもらいたい」
「わたくしのタイプ984レーダーには何も映っていませんけど?現在地点から210異界マイルの空は快晴ですわ」
やっぱり怒っているヴィクトリアス。しかしマレーヤは口調を変えずに話を続ける。
「だがレーダーもソナーも絶対ではない。あの戦争で我々はそれを思い知らされているはずだ。だからこそ不安要素は確実に潰しておきたい。さもなくばこういうことが起きる」
マレーヤの言葉が終わるか終わらないかのうちに、貨物船をエスコートしている駆逐艦ジェーナスの叫び声が通信から聞こえてきた。
「あーっ!この貨物船たち、急に動かなくなっちゃった!こら!動け!バウバウ!」
「仕方ない、動かなくなった貨物船を艦首で押しなさい」
と、ジャーヴィス。
「アンノウンの存在をキャッチしてから、貨物船の子たちが急に動かなくなったわね。やっぱり怯えているんだわ」
と、ジャヴェリン。
わたしが上空から見ていると、一隻の貨物船が船団から離れて引き返して行く。
再びジェーナスが叫び声をあげる。
「あーっ!ジャーヴィス、アルメニア・ライクス号が!」
「ズールー!あなた大至急連れ戻して!」
「ジーザス!またオレかよ!めんどくさいが仕方ねえ!」
「マム!ズールーが離れたのでエスコートのフォーメーションが崩れました。戦艦の護衛に入っている日本の駆逐艦を一隻、コンヴォイのエスコートに回すことを上申します!」
「わかった!雪風、行ってくれ!」
「アイアイ・マム!いけない、中国艦時代にアメリカ軍と演習した時のクセが出ちゃった!」
「あんた、日本艦なら日本語をしゃべりなさいよ!……でもやっぱり上から信用されてんのね」
「切り札は最後までとっておくものよ、霞」
もはや通信が混線して誰の声なのかわからなくなってしまった。
異界艦隊の貨物船は戦闘艦とは異なり、人間の意志を持っていないのだが、それだけに一旦混乱すると収拾がつかなくなる。
ヴィクトリアスがダイヤルをいじって受信を整理していると、マレーヤの声が入ってきた。
「……こういう状況だ。動けるのはキミしかいない、頼むぞ」
「わかりましたわ。このまま現場に向かいます」
すると霧島が通信に割り込む。
「今日の夕食はね、あなたがもう一度食べたいと言っていた天ぷらを揚げるわ」
横須賀か神戸の味でなければダメですわよ……と答えるとヴィクトリアスはヘリの向きを変えた。慌てたマレーヤの声が入る。
「ちょっと待て!アドミラルは降ろしてから行け!」
ヴィクトリアスは手の甲を口に当てて高笑いしながら
「着艦の時間がもったいないですわ!わたしがついている限りアドミラルは大丈夫!さあ行きましょうアドミラル、オホホホ……」
高笑いしているにも関わらず、ちょっぴり拗ねたような声だとわたしは感じた。
ヴィクトリアス「では参りますわよ、アドミラル」
ヘリは速度を上げて飛んで行く。
後ろを振り向くと艦隊はあっという間に見えなくなった。
コクピットから周囲を見ると海は限りなく広い。まさしく四望渺然、蒼海渺茫。ブロンドの美人と二人きりでいる喜びよりも、心細さが先にたつ。
「このわたくしが側にいる限り大丈夫ですわ。部下の前で心細い表情をしない!」
ヴィクトリアスがわたしを一喝した。
「……そんなに顔に出ているかな?」
わたしが半信半疑で聞くとヴィクトリアスは
「はい。あなたが何を考えているのか、わたくしたちにはすぐわかりますわ。内心はともかく平然を装うのもコマンダーには必要ですわよ」
ヴィクトリアスはそう言い終えると念を押すようにスーッと自分の顔を近づけた。彼女のパーソナルスペースは他人より狭いようだ。
鼻先がふれあいそうになる。お互いの息がお互いにかかる。わたしが自分の心臓の鼓動が高くなったのを感じたところで、ヴィクトリアスは身体を離してコックピットの計器に自分の顔を向けた。
「シェフィールドのソナーが感知したアンノウンは確かこのあたりのはず」
ウェセックスヘリに搭載されている対潜用のソナーを作動させた瞬間、ヴィクトリアスの顔色が変わった。
操縦桿を握ってヘリをその場から退避させる。
「海中に巨大生物確認!アドミラル、座席のベルトは緩んでいないですわね!」
「何かいるのか!ヴィクトリアス!」
わたしの叫び声がおさまるかおさまらないかのうちに海中に無数の白い泡が浮かんできた。
ゴワーッと海が割れる音とともに、海中から何かが出現した。巨大な環形生物だった。それは竜巻のように海上に身体を伸ばす。その頂上はヘリの高度の遥か上だ。
「ウォーターワーム!ニャッハ・ブアン(Neach buan)!」
ヴィクトリアスが驚愕と感嘆の入り交じった声をあげる。
「ニャッハ・ブアン!?」
わたしが聞いた瞬間、上空から海水が豪雨のように降り注いできた。ヘリが激しく揺れてわたしの身体もきしむ。舌を噛みそうになるので声も上げることができない。
ヴィクトリアスは操縦桿を右に左に傾けながら答える。
「ニャッハ・ブアン……不死のもの!この異界に太古からいるという生き物ですわ!コスモスとカオスのどちらにも属していないということ以外は何もわかっていない!」
ヴィクトリアスはすぐに通信を入れるとマレーヤと霧島に報告する。
「ウォーターワーム!今までは星の彼方のような遠洋にいたが、我らが制海権を握っている海域にも出現したのか!」
と、マレーヤ。
「ウォーターワーム、日本語にすると水虫……というと可笑しいけど、そんな事言っている場合じゃないわね!こちらの航路に接近してくるの!?」
と、霧島。
ヴィクトリアスは通信で応答する。
「いいえ、その様子はありませんわ。まるで遊んでいるようですわ」
ウォーターワームは頭部にある口をカッと開く。その奥は果てしの無い暗黒だった。
ヴィクトリアスは急いで神獣の正面からヘリを回避させる。
ウォーターワームはそんな私たちのヘリに何の関心も持たない様子で、再び海中に没した。と、言っても深海に潜ることなく、海面スレスレの深度で大量の海水を吸収し始めた。
「どうやらああやって海中のプランクトンを取り込んでいるようですわね」
ヴィクトリアスはそう解説しながら携帯用のポットを取り出した。そしてプラスチックのカップに紅茶を注ぐと、平然と飲み始める。わたしにも紅茶入りのカップを渡す。彼女の手がちょっと震えているようだったが、気のせいかも知れない
そしてマレーヤが通信から
「いいかヴィクトリアス。こちらの航路に接近してこないことを確認したら、可及的速やかに、かつ可及的静かに戻ってくるんだ。絶対にウォーターワームを刺激するんじゃないぞ。アドミラルが乗っていることを忘れるな」
ヴィクトリアスは二杯目の紅茶を飲みながら
「マレーヤ、繰り返しの構文はみっともないですわよ。あら、怒らないで、わかってますわ。そもそも今のウェセックスヘリは魚雷用のウェポンラックにソナーを装備しているので、海中海上の敵を攻撃する手段はありませんもの」
ヴィクトリアスは二杯目の紅茶を短い時間で飲み干して、三杯目の紅茶に口をつけた瞬間、彼女の顔色が変わった。
「……!上空から二匹の巨大翼竜が接近!」
「何だと!ヴィクトリアス、全速で戻ってこい!隣にアドミラルが乗っていることを忘れるな!」
「ヴィクトリアス、こちらに映像を送って!.........この種は異界の力で強化された巨大翼竜!恐らくウォーターワームの排泄物をあさりに来たのね!ヘリでは相手にならないから三十六計逃げるに如かず!」
マレーヤと霧島の焦った声が通信に響く一方で、わたしは意外と冷静だった。神話の力を持ったヴィクトリアスが側についているからには大丈夫だろう。それは、これまでの経験からたかをくくっていたのかも知れない。
「Go Without Saying、言うにや及ばず!ですわ!」
ヴィクトリアスが操縦桿を引くとウェセックスヘリは方向転換して全速力で離脱する。
するとその翼竜二匹はこちらを追いかけてきた。グライダーのような翼を広げ、コブのついた尾がぶら下がっている。
ヘリのカメラを通じて監視している霧島の声が響く。
「縄張りを荒らされたと思っているのね!もっとヘリの速度を上げて!」
ウェセックスヘリがスピードをあげると、彼らもさらに羽ばたきのピッチを上げて猛追してくる。翼竜は羽ばたきができないので長時間の飛翔は無理だなんて誰が言ったんだ。
そして互いに翼を振ると、何と二手に別れてこちらを包囲する体制をとった。まるで人間の操縦する戦闘機みたいだ。
ヴィクトリアスは舌打ちすると
「アニマルのくせにバンクで合図を交わすなんて生意気ですわね!マレーヤ、振り切れないので後部搭載の機関砲で撃ち落とします!交戦になるけどよろしいですわね!」
「よろしい、交戦を許可……」
マレーヤの命令が終わらないうちに霧島の甲高い声が響いた。
「やめなさい!」
「どういうことですの!?霧島!」
ヴィクトリアスは霧島に負けず劣らずの甲高い声で応答する。ようやくわたしも事態が切迫していることがわかってきた。
「あれが、もしウォーターワームの眷属だったら……!機関砲をばらまいて殺傷させようものならね、あの神獣を刺激するかも知れないわ!」
「ニャッハ・ブアン……不死のもの!」
霧島の大声での説明にマレーヤの感嘆と畏れの声が混じる。
ヴィクトリアスも大声で通信に怒鳴る。
「それで!攻撃されることがわかっていても!どこぞの軍隊ならざる軍隊みたいに反撃するなと!」
すでにヴィクトリアスは戦場の声に切り替わっている。混乱の中でも伝わるように文節を短く区切って大声を出す喋り方だ。霧島もすかさず戦場の声で言い返す。
「それは昔の話!これからはあの娘たちだって容赦しないわ!でも今のあなたは撃つな!急いで対策を考えるから!」
ヴィクトリアスはミラーに写る翼竜と計器を見比べながら、通信に向かって
「翼竜に包囲されるまで後10秒ですわ!わたくしがアドミラルと心中するのも後10秒!Will be Mayerling!」
レシーバーに唾を吐きかけんばかりの勢いだ。
「え?事態はそこまで追い詰められてるのかヴィクトリアス!!」
思わず声を出したわたしに
「アドミラルは黙って!」と怒鳴るヴィクトリアス。そこに霧島の怒鳴り声が重なる。
「……しっぽよ!しっぽの先のコブを撃ちなさい!」
「しっぽですって!?」
当然といえば当然なヴィクトリアスの疑問に霧島が答える。
「あの種族は!しっぽのコブで飛行のバランスを取っているわ!そして栄養も!しっぽのコブに貯めている!ウチの二式水戦のフロートを想像して!そこを撃ち落とせば追尾ができなくなるはずよ!」
ヴィクトリアスは呼吸を整えながら静かに問い返した。
「胴体や羽根ではなくてしっぽの先……あんな当たりにくい目標を?」
マレーヤが重い声で最後の命令を下す。
「最小限の攻撃で彼らを無力化する........極めて困難なミッションだがキミにならやれると信じている。アドミラルの命を預かっていることを忘れるな」
「キミにならできる……無責任な言い種ね。でも、ここはやるしかありませんわね!!」
ヴィクトリアスはそう言うとコオオオと息を吐く。彼女の身体が山吹色に輝きはじめる。そして、手の甲で軽くヘリの機体をはたく。すると神話の力がヘリにオーバードライブしたッ!
ウェセックス・ヘリが神話の力で輝きはじめる。
「わたくしのウェストランド・ウェセックス HAS1。これからカタログ・スペックには無いことをやらせるけど、勇気を出して!」
それは自分にも向けて言った言葉だろうか?ヴィクトリアスはそう言うと呪文を詠唱した。
「プロペラピッチ可変!ティルト変更!……60度……80度!」
その瞬間、ヘリが空中に高く飛び上がる、それはまさしく海鳥だった!
ヘリは二匹の翼竜を遥か下に望むや急激に後退する。
そして弧を描くように降りると二匹の翼竜の真後ろについた。
「目標二匹、完全に捕捉!」
ヴィクトリアスが叫んだ。
急上昇、急降下、そして急激な逆転劇にわたしの思考がパニックを起こして声にならない声を上げた。
「しっかりなさい!まだこれからですわよ!」
ヴィクトリアスはわたしを叱咤すると後ろの荷台からライフル銃を取り出すと、ヘリのキャノピーを開けた。
とたんに外の風が吹き込んでくる。ティーポットとティーカップが紅茶をばらまきながら海へ落ちていく。
「何をするんだヴィクトリアス!?」
「さっきの話を聞いていませんでしたの?機関砲の弾をばら蒔くと水虫さんを怒らせるので、一発で仕事を完了させますの!」
ヴィクトリアスは象嵌模様が刻んであるライフルを構える。
「我がグレートブリテンの誇る.375 H&H マグナム弾!これに神話の力をこめて!」
しかしヴィクトリアスは目標を見つめながら顔をしかめる。
「狙撃のポジションを占位できない!アドミラル、操縦桿を握ってヘリを安定させて」
わたしはあわてて隣の席の操縦桿を掴む。
「右!」ヴィクトリアスの声に従って右に傾ける。
「行き過ぎ!もう少し左に!」左に戻す。
「戻し過ぎ!時計の針で五分ほど右!」目分量で操縦桿を右に傾ける。ようやくヘリが安定した。
ヘリが安定するや、ヴィクトリアスは自分のブロンドの髪を一本だけプツッと抜き、フッと息を吐いて外に飛ばした。
クルクルと空中に舞う金糸を見てヴィクトリアスは声を上げた。
「風向き良し!シュート!」
発砲音が響いた一瞬の後に翼竜のしっぽの先が海中に落ちていく。
「もう一発!」
再び発砲音が響き、もう一匹の翼竜のしっぽが痙攣しながら落ちて行った。
そして翼竜二匹、怪獣の叫び声をあげながら仲良く海へ墜落していく。
あわや波に呑み込まれるかと思ったら、海中からウォーターワームの胴体が浮上し、二匹は無事着陸した。
ヴィクトリアスは状況を確認するためにヘリを降下させる。
二匹は首を後ろに回してヘリを見つめている。ヴィクトリアスは座席の後ろから花束を取り出すと下に落とした。
「再戦の日まで御健勝に!」彼女特有の低音のハスキーボイスが海上に響き渡る。
翼竜の一匹が口で花束を咥えると、ウォーターワームが動き出した。
彼らはそのまま水平線に向かって遠ざかる。ウォーターワーム……別名ニャッハ・ブアン(不死のもの)がどこから来たのか、そしてまたどこへ行くのか、それは誰も知らない大海原の謎である。
ヴィクトリアスはわたしとともに全てを見届けると通信に向かって
「マレーヤ、全て終わりましたわよ。ええ、二匹ともしっぽだけ切り落としました。ウォーターワームの背中に乗って、我々の航路から離れていきましたわ。No worries、心配ご無用ですわ。」
「うむ。こちらからもヘリのカメラで一部始終を見ていた。よくやった。アドミラルは無事か?声を聞かせてくれ」
ヴィクトリアスが励ますようにわたしの肩をポンポンと叩く。わたしは全身からの脱力を感じながらマレーヤに答えた。
「マレーヤに霧島、わたしは何ともない。今回はヴィクトリアスの神業を特等席で眺めることができたよ」
「あら?アドミラルもだんだん文学的な修辞が使えるようになりましたわね」
ヴィクトリアスの揶揄するような声を遮るかのように、通信の向こうのマレーヤは言った。
「ではアンノウンの正体と危機が去ったことが確認できたので、速やかに帰投せよ。くれぐれも油断するなよ」
霧島が通信に割り込む。
「無事にお家へ帰るまでが遠足っていうからね」
ヴィクトリアスは苦笑すると神話の力が抜けたヘリの操縦桿を握り直した。
新発売!「空母ヴィクトリアス搭載・第814航空隊ウェストランド・ウェセックス HAS1(異界仕様)」※このキットにヴィクトリアスは入っていません。
ウェセックス・ヘリは艦隊に向かって飛ぶ。ヴィクトリアスは計器を見ながら艦隊の位置をリアルタイムで確認している。
ようやく艦隊の姿が見えてきた。すると戦艦マレーヤの艦橋から発光信号が放たれた。
「マレーヤの後甲板に降りろとのことですわね」
そう言うと、ヴィクトリアスはウェセックス・ヘリを降下させた。狭い後甲板に慎重に着艦する。
ヘリから降りると艦隊のみんながワッと集まってくる。みんな口々にヴィクトリアスの神業を褒め称える。
そんな中でマレーヤが一人だけ厳しい顔をしている。
「よくやった……と言いたいところだが、わたしはアドミラルを降ろしてから行け、と言ったはずだな」
マレーヤのいつになく厳しい声に周囲の歓声は消えた。霧島もマレーヤの隣で黙っている。微笑すら浮かべていない。
「その結果、アドミラルを危機に陥れた。これはそのままにしておくわけには行かない」
ヴィクトリアスはいつの間にか直立不動の姿勢を取っている。
マレーヤはさらに言葉を続ける。
「だが、軍法は今のような事態を想定していない。そのため、キミの処分はアドミラルがきめることになる」
そして、マレーヤはわたしに視線を向けた。
……これは試されているな、わたしはそう考えた。
命令違反を功績で帳消しにするか、功績を立てても命令違反の償いをさせるか。古代以来、多くの指揮官が直面した問題だ。
わたしはヴィクトリアスを見る。彼女もわたしを見返す。その表情は真剣なものだった。
わたしは今までのヴィクトリアスを振り返る。彼女はマレーヤの指示に口では文句を言いながらも、それをきっちりやり遂げてきた。
これはプロフェッショナルとしての行動だ。ここで有耶無耶にすることは、彼女のプライドを却って傷つけることになるだろう。
わたしはそう考えると腹を決めた。
「わたしを危機から救ってくれたことは評価したい。しかし、アドミラルたるわたしを危地に陥れたことは見逃すことはできない」
周囲の空気が凍りつくのを感じながら、わたしは息を吸って罰を下した。
「ヴィクトリアス、軍旗であるロイヤルエンサインを掲揚する権利を一日だけ剥奪する。なお、これは記録には残さないものとする」
周囲の空気は静まりかえったままだ。彼女たちの間では、罰として重すぎるのか軽すぎるのかわからない。
しかしヴィクトリアスは真剣な表情でわたしに敬礼する。そして、回れ右をするとウェセックスヘリに向かった。
「夕食は約束した通り天ぷらにするからね!」
霧島が彼女の後ろから声をかける。
ヴィクトリアスは振り向いて微笑を浮かべた。
それはわたしに向けられたような気がしたが、さすがにそんなことはあるまいと打ち消す。
するとヘリのローターの爆音が聞こえてきた。
ヴィクトリアスの運転するウェセックスヘリはわたしの上空を三回ほど旋回すると何かを落として母艦に戻って行った。
落としたものを拾いに行ってみると、それは翼竜を退けたあのライフル銃だった。象嵌の部分にレースの刺繍が入ったハンカチが巻かれてある。
マレーヤも近づいてくると、やれやれ、回りくどいことを……と呟いた。
「自分の大事なものを落としたから、キミに預かってもらいたいと言う事だ、アドミラル」
つまりは仲直りの印ということか。ヴィクトリアスと危機を乗り越えたことを思えば、嬉しい気持ちになる。顔には出さないよう努力したが。
「わたしにはわかる。これでもジェイムス・ボンドに対する上司Mのつもりだからな」
マレーヤはそう言うと念を押すように高らかに笑った。
ヴィクトリアス「ふぅ.......仕事の後はバスに浸かってゆっくりと。でもペナルティを課されて却って気持ちがスッキリしましたわ。........アドミラル、まだこちらに来てはダメですわよ。さっきのすぐ後でわたくしたちが親密にしていたら示しがつかないでしょう?」
後書き
ヴィクトリアス
「レディ霧島、こんばんは。天ぷらをおよばれにきましたわよ」
霧島
「我が艦へようこそ、そこに座ってちょうだい。今、マレーヤも来るから」
マレーヤ
「提督は今、食事が終わって休んでいる。霧島の作った天ぷらにはご満足だったぞ」
ヴィクトリアス
「それは楽しみですわね」
霧島
「はい、揚げたものからどんどん食べてちょうだい」
ヴィクトリアス
「あら、これはデリシャス。昔、日本の銀座で食べたものを思い出しますわ」
霧島
「ちょっと、ヴィクトリアス。あなた銀座に行ったことあるの!?」
ヴィクトリアス
「はい、行きましたわよ。1964年に横須賀に寄港した時に乗組員が東京や富士山を観光したので、わたくしもこっそり東京へね」
霧島
「ね、その時のことを聞かせて。わたし、戦前の銀座しか知らないのよ、戦後はどんなふうになってたの?」
ヴィクトリアス
「そうですわね……赤レンガのステーションで降りて、タクシーをつかまえて、ギンザ・テンプラと片言の日本語でお願いしたらそのまま連れて行ってくださったのですけど……」
霧島
「ふんふん……それで?」
ヴィクトリアス
「銀座は意外に淋しいところでしたわ。畠もあちこちにありました」
霧島
「まあ、空襲の傷跡がまだ残っていたのね!」
マレーヤ
「おい!わたしを見るな!わたしは太平洋艦隊が編成されるのと入れ違いに退役したんだ!」
ヴィクトリアス
「太平洋艦隊の件はわたしも心苦しいのですけど……それで、タクシーが案内してくれたお店は……あれはお店というのかしら?普通の民家のような……」
霧島
「隠れた名店なんだわ。銀座にはそういう料亭があるのよ。知る人ぞ知るというね」
ヴィクトリアス
「ウェイトレスは愛想は良いけど60歳くらいに見えましたわ。お客がわたし一人なのにカムカムエブリバデイばかり言っていたのは可笑しかったですけど」
マレーヤ
「客がキミ一人だけ?何だか妙な雰囲気だな。それが東洋のレストランなのか?」
霧島
「それで天ぷらはどうだったの?」
ヴィクトリアス
「お味はとても美味しかったですわ。コロモ……っていうのかしら……がたっぷりついたものをどんどん運んで来てくれて……」
霧島
「衣がたっぷりの天ぷら?それは料亭というより家庭料理ふうね」
霧島
「それで……タクシーの運転手さんと年取ったウェイターさんが隣に座って、わたしに勧めながら、自分たちも一緒に食べていましたわ」
霧島
「あら?店の人がお客と一緒に食べるなんて確かにおかしいわね?」
マレーヤ
「日本艦の霧島の前では言いにくいが……騙されたんじゃないのか?いや港町にはよくいるだろう?現地の事情がわからないウェスターナーから巻き上げてやろうという連中が」
ヴィクトリアス
「いいえ、あの方たちはそんな詐欺師では無かったことだけは自信をもって断言できます。親切だったし、何よりもお金を払おうとしても受け取ってくださらなかった……」
マレーヤ
「やっぱりおかしいな……」
霧島
「わかった!その人たちは普通の日本人よ!ただ外国のお客さまをお招きしたかっただけ!」
マレーヤ
「それはどういうことなんだ?霧島?」
霧島
「ウチの戦後生き残り組の梨や宗谷から聞いたのだけどね。ヴィクトリアス、あなたが東京を観光した昭和39年は、アジア大会、東京五輪が続いてね、日本は空前の国際交流ブームだったのよ。たぶんそのタクシーの運転手さん、あなたがブロンド髪の西洋人だったので、自分の友達の家へ連れて行ったんだわ!」
マレーヤ
「なるほど!一緒に食べたウェイターはその家の主人でホスト役を務めたわけだ。そしてヴィクトリアスは招待客だから代金は取らない。我が国のヨーマンリー(郷士)のように誇り高い人たちなんだな」
ヴィクトリアス
「そうだったの!いえ、銀座に連れて行ってもらえなかったのは納得できないけど……でも思い出せばとても気持ちの良い方たちでしたわ。あれから60年……お元気でいらっしゃるかな」




