25話 横須賀港での出会い
ハイペリアン乗組員
坂本リョウマ 日系アジア人 28歳 男性 中佐 戦略参謀
西郷たかお 日系アジア人 28歳 男性 中佐 内政参謀 内政担当
大久保トシオ 日系アジア人 28歳 男性 中佐 外務参謀 外交担当
勝りん太郎 日系アジア人 25歳 男性 少佐 海軍参謀
乾タイスケ 日系アジア人 25歳 男性 少佐 陸軍参謀
福沢ゆー吉 日系アジア人 25歳 男性 少佐 財務参謀 財政全般
ヘレン ダルク フランス人 25歳 女性 少佐 医療参謀 医療技術
服部ハンゾウ 日系アジア人 25歳 男性 少佐 警察参謀 情報捜査
杉原 ねね 日系アジア人 20歳 女性 少佐 教育参謀 教育全般
ハワイ行政官 ウール アインズ 内政用アンドロイド 初老白人男性
小樽行政官 徳川秀忠 内政用アンドロイド 日系アジア30代
那覇港基地司令官 一条 実 万能アンドロイド(日系 30代 男 髭が合う学者風の風貌)
橘商会 敦賀支店 支店長 道川兵三郎 元敦賀港の川舟座の頭
奥州地区 支店長 蠣崎義広 元安東家家臣
横須賀港 店長 蠣崎光広
相模三浦氏の当主 三浦 義同生誕1451年 43歳
1495年2月
安房国の戦後処理が終わり安東水軍のガレオン船は、
次の日の夕方横須賀港に入港した。
蝦夷国は、この横須賀港を相模三浦氏から租借してから三年の月日がたった。
相模三浦氏の協力もあって、横須賀港の拡張工事と
港町の城塞化が完成していた。
ここを支配下にしている当主の三浦 義同は
扇谷上杉家当主上杉持朝の次男として誕生し、
後に三浦時高の養子として当主になった人物であったが、
温厚な人柄で善政を敷いて領民にも信頼されていた。
港町には、関東各地から商人が集まっており商家の倉庫、宿
商店などが並び立ち、関東の商業の中心になりそうな勢いがあった。
相模三浦氏の領地には道路が整備され、関所も廃止したので
近隣大名の御用商人も蝦夷国からの交易品を目当てに集まってきたのであった。
領民たちも賦役による蝦夷銭の収入により暮らしが豊かになり、
人口も増加の一途であった。
三崎城 相模三浦氏 居城 御殿
三浦 義同は、数日前に安東水軍が1日で里見家を
滅ぼした事を聞き、いよいよ、その時がきたか!と思った。
そんな事を考えていると安東水軍が、
横須賀に寄港したとの連絡が入った。
そこで、伴の者数人を連れて馬で横須賀に行くことにした。
その日の昼すぎに横須賀港に到着した。
三浦 義同は、改めて日々開発が
進む横須賀周辺を、驚きの目で見ていた。
横須賀港に繋がる街道は、広く拡張されコンクリート
と言う物が敷かれており、平に整地されおり、
三崎城から横須賀までは馬で以前は一日かかったのが
今は半日で着いてしまうのである。
「ここは日ノ本では無い様だな。しかし、城門は大層な人だ。
ガレオン船が寄港した情報がすでに入っているのだな。」
と独り言を言っていると城門から上品な身なりをした
御仁が馬でやって来た。
橘商会 横須賀港店長 蠣崎 光広
「これはこれは、義同様、お早いお着きでご苦労様で
ございます。
どうぞ、こちらへお越し下さい。」
三浦 義同は、
蠣崎 光広に案内されて横須賀港前の
橘商会屋敷の応接室に通された。
暫くするとドアが開いて、蠣崎 光広
を先頭に二人が入ってきた。
三浦 義同が椅子から立ち上がって
挨拶すると、光広が
「座って楽にして下さい。」と言った。
安東尋季
「初めまして、私は、安東水軍総督の安東尋季と申します。
よろしくお願いします。」
幸太郎
「初めまして、私は橘商会の会長橘幸太郎と申します。
末永いお付き合いをお願いします。」
三浦 義同
「はじめまして
私は相模三浦家当主三浦 義同
と申します。
こちらこそ、今後末永いお付き合いをお願いします。
ところで、大変失礼ではございますが、
里見水軍を一日で殲滅した話は本当でしょうか?」
安東尋季
「本当ですよ。 ただ一日では無く1時間程だったかな。
一日かかったのは、里見家の滅亡かな。」
と笑って話した。
三浦 義同
「え、里見家が滅亡ですか?」
唖然としてしていた。
落ち着いたところで、
蠣崎 光広
「それと、今回の御訪問はどのようなご要件でしょうか?」
三浦 義同
改めて決意した様子で、
「はい、相模三浦家は、領民のため蝦夷国に臣従をお願いしたいのです。
ご存知のようにこの相模国三浦郡は西から今川家,伊勢氏の侵攻が続いており、
いずれここも戦いに巻き込まれるでしょう。
味方の扇谷上杉家も山内上杉家との抗争が絶えず援軍を
送ることは困難な状況を考えるに臣従が最善の策と考えました。」
橘幸太郎
「よく決断なさりましたね。
一呼吸置いて、承知致しました。
早速、蝦夷国王に伝える事に致しますので
暫しお待ち下さいませ。」
この当時の関東の勢力図です。
数日後、小樽港から護衛艦でやって来た大久保トシオ
外務参謀が、臣従条件が提示された。
そして、三浦義同は即決したのだった。
臣従条件は以下のとおりであった。
相模三浦家は、その領地三浦郡を没収し蝦夷国直轄地にする。
当主は、その直轄地の行政官として、行政を行う。
家臣はその部下として職を与える。
俸禄は、今までと同額を、蝦夷銭で支給する。
数日後、三浦 義同と重臣たちは
研修を受けるため大久保トシオ外務参謀とともに
迎えに来た護衛艦で札幌へ向かうのであった。
2月中旬
安東水軍が里見家を滅亡させたと報は、たちまち関東へ
駆け巡った。
各大名も脅威を感じ、安東家と誼を通じたいと、使者が
訪れ毎日のように安東尋季へ面会を
求めていた。
その都度、幸太郎と尋季は丁寧応対し、
大小の大名と通商条約を結んで行った。
通商条約を締結した大名は以下のとおりである。
下総国 本佐倉城 千葉氏 第31代当主 千葉 重胤
常陸国 小田城 小田氏 第13代当主 小田 成治
下総国 結城城 結城氏 第15代当主 結城 政朝
常陸国 太田城 佐竹氏 第15代当主 佐竹 義舜
下野国 宇都宮城 宇都宮氏第17代当主 宇都宮 成綱
尚、横須賀港には定期便として2ヶ月に一度蝦夷國にガレオン船が
帰港していたが今後は安東水軍のガレオン船が月一度帰港することに
なったのである。
ガレオン船の交易品も完売し、米を予想以上購入できたので
幸太郎はそろそろ、伊豆国韮山城へ行って、北条早雲に
会いに行ってみるかなあ。
と思っていると蠣崎 光広が
伊勢勘九郎という者が面会を求めておりますとの
報告が入った。
幸太郎
「はて、勘九郎?あ、北条早雲だな。うん会うよ。」
はて、安東殿ではなく私に面会とは、正体がバレたかな?
確か、北条家には、後に有名な忍びの集団の風魔一族がいたと思うが
まだ、時期的には早いが、先祖が早雲に仕えていたとしても
不思議では無いか?
暫くすると、蠣崎光広が応接室にて
お待ちですとの連絡があったので、面会に行った。
幸太郎が部屋に入ると、
伊勢勘九郎が平伏していた。
驚いた幸太郎は、何をなさいます。
お立ちくださいと言うと、
勘九郎
「これは、蝦夷國王様、お初にお目にかかれて執着至極でございます。
私は伊勢新九郎盛時と申します。」
幸太郎
「いやいや、表をお上げ下さい。私は、唯の商人でございますれば
何かの勘違いではありまんか?」
勘九郎
「そんなご冗談を、すでに我が忍びの者より蝦夷國王と橘商会会長は、
同じ方でいらっしゃる事お調べしております。
私は遥々横須賀港までおいでになる事聞いて、
一目ご尊顔を拝みたいと来た訳です。」
幸太郎
「いやはや、参りました。さすが勘九郎殿ですね。
改めて、蝦夷國王、橘幸太郎と申します。
よろしくお願いします。
遅くなりましたが、伊豆国の統一おめでとうございます。
勢いはまるで龍の如しですね。」
新九郎
「いえいえ、恥ずかしい限りでございます。運が良かっただけでございますれば。」
幸太郎
「これから占領池が増えれば、統治が大変ですね。
どの様な国をお作りになるつもりでしょうか?」
新九郎
「はい、民衆の暮らしを良くし豊かな国を作りとうございます。
国が豊かになれば軍備も増強できるので関東から戦を無くしたい
と思っております。
ただ、もう還暦を過ぎたので、後は倅の氏綱に
任せるつもりでございます。」
幸太郎
「噂に違わぬ御仁ですね。
でもこの会談の目的は他にございますね。」
新九郎
「はい、倅の氏綱氏時氏広を
蝦夷国の学校に入学させて欲しいのですが。蝦夷国の進んだ学問や
技術を学べばきっと伊勢氏のためになると思うのです。」
幸太郎は、思わず嬉しさのあまり、新九郎の手を取ってしまった。
「関東の安定化のためならご協力は惜しみませんよ。」
新九郎は、帰る際に安東尋季に
挨拶をし、抜かり無く、誼を通じていった。
3日後、伊勢新九郎は三人の息子たちを横須賀港に連れてきた。
子どもたちは、千代丸(2代目当主北条氏綱)、玉丸(北条氏時)、
氏広(葛山氏広)であった。
息子たちは、丁寧な挨拶をするとガレオン船の大きさに
驚きとともに初めての船旅に、緊張を隠さなかった。
父の勘九郎との別れの挨拶もそこそこに、
安東尋季と一緒にガレオン船に乗って小樽港への
帰路に就くのであった。
幸太郎は、見送った後、ハイペリアン号に転送されたのであった。
余談だが歴史上では、
伊勢新九郎(北条早雲)の領地経営の政策が以下の通りである。
米の収穫の4割を年貢として領主に納め、6割を領民の
所得とする「四公六民」の税制を導入した。
田畑の検地を実施し、石高に基づいて年貢を徴収した。
不義不正を働く役人を訴え出せるようにした。
城下町を整備し、商工業の発展を促進した。
城下町を城壁や土塁で囲い、全国の商人たちに
小田原へ来るように呼びかけた。
公共事業のための無償労働を廃止した。
不作の年には穀類や資金を貸し出した。
この政策によって、後北条氏の礎を作り
関東を広く支配したのであった。




