陸
和陽が心臓を模した死体を送った相手を当てるという課題をもらって一週間が経ち、次の土曜日を迎えた。
仕事は終わったものの尊はバーに向かわず真っ直ぐに自宅へと帰る。
和陽が犯人であるという答え合わせをした二日後、世間に和陽が犯人であるという報道がなされて彼は追われる身となったのだ。
尊は連絡を取ろうとしたが、電源が切られていて不通であった。
答え合わせをしたあの日、もしかして誰かに聞かれていたのだろうか。不用心であった、と尊は後悔していた。
もう会えないなんてことはないだろうが、すぐに会うことが難しいことは尊もわかっている。
この街からは既に出て行っているであろう和陽がどこに向かっているのかはわからない。
尊は和陽に関しての情報を殆ど持っていない。持っているのは連絡先だけ。
和陽のことをインターネットで調べたところで高が知れている。芸術家としての彼の情報しかないのだから。
無事ならいいと思う。彼のことだからうまく逃げているとは思うけれど、万が一ということもある。尊はただ彼の無事を祈ることしかできない。
一介の会社員など何もできなのだな、と尊は感じる。
ニュースでは全く進展のなかった捜査が目撃者だという情報提供者により犯人が特定された、と報道合戦をしている。
世間的には喜ばしいことなのだろうが、尊にとっては喜ばしくなどない。
自分の迂闊さが招いたことかもしれないということもあるが、唯一自分を曝け出せた人が追われる身となっていることは彼が犯罪を犯しているとは言え辛いものである。
和陽が逃亡犯となってから尊は何にも手がつかない。やる気もなく、ただ日々を過ごしている。日課になっていた模写もパッタリと描けなくなった。
リビングのソファーに座り、パラパラとクロッキー帳のページを捲る。
トルソーに心臓。天使、チェロ、植物、アンティーク・ドールにマリア像。
どれも綺麗で堪らないのに、満たされない。死体を描き見るだけで満たされていたのに、今は全然満たされない尊の心。
和陽というピースの欠けた日々。一人だけ世界からはじき出されたような感覚である。
真っ暗な部屋でただ存在するだけの人形のような尊。
せめていつでも答え合わせができるようにしようと、心臓を模した死体の相手が誰なのか考えるけれど、うまく思考は纏まらない。
五月病になっている気分だ、と尊は思う。
何もかもが億劫で面倒。呼吸することすら煩わしく感じる。
尊は持っていたクロッキー帳をローテーブルに放り、財布と鍵だけを持って外に出る。気分転換でもしようと散歩に出ることにしたのだ。
コンビニまで行って何か買おう、と尊はコンビニまでの道を歩く。
深夜とは言わないがそこそこに遅い時間帯であるため通りに人はいない。住宅街なので交通量もこの時間になればほぼ無いに等しくなる。
道中、アンティーク・ドールを模した死体が発見された公園の前を通れば花束が置いてあった。
人が死ねば誰かが死者を悼み献花する。そんな当たり前の光景だった。
誰かの死で悲しんだことのない尊にはわからない感情。想像すらつかない。
祖父母の葬式でも尊は悲しくはなかった。大好きな人たちだったけれど死んでしまえばそれは人の形をしたただの肉塊なのだ。人はいずれ死ぬ。それが今だっただけ。幼ながらに尊はそう思っていたから悲しくはなかった。
むしろ悲しみ続けていられる大人たちにそれは本当に悲しみの涙なのだろうか、と尊は疑問を浮かべていた。
尊は人の死に悲しみが付随することが理解できなかった。好きだった祖父母が死んでも、ペットが死んでも、死んでしまえばそこで終わり。特に思うことはない。きちんと埋葬してあげるだけだと尊は思っている。
悲しむだけ疲れるのだから、そんなことやめればいいのに人間は面倒だ。
公園に置かれている花束を一瞥してそんなことを思う。
尊は悲しいとか寂しいとかいう面倒な感情に振り回されることなんて無いと思っていたのに、今まさに寂しさに埋もれてしまっている。
予想外だ、と呟いて尊は大通りに出た。ここまでくればコンビニまではすぐである。
コンビニで尊は飲み物と軽食を買い、やる気のない店員に見送られて家へと帰る。
尊は感情の起伏があまりない。喜怒哀楽その他の感情諸々どこかに置いて来てしまったのだろうか、と言えるほどに感情の起伏がないのだ。
それは幼い頃からそうだったらしく、両親が尊のことをあまりにも泣いたり笑ったりしないものだから心配した、と言っていた。証拠にと無表情で映る尊の写真ばかりのアルバムも見せられた。
事実物心ついてからの感情の起伏はあまりなかったように尊は思う。唯一感情が揺さぶられたのはトルソー事件の死体だけである。
尊は四ヶ月前に和陽に出会ってから尊は過去に類を見ないほど感情が動いていた。六体の死体を綺麗だと感じ、和陽と話をすれば楽しかった。彼が追われる身となると、後悔と寂しさが心を埋め尽くした。
人間は面倒な生き物だ。そのことを本当の意味で尊は理解した。
家に着いた尊は買ったものをローテブルに置くと、ソファーに腰掛けてテレビを点ける。
今だに連続猟奇殺人犯である榛名和陽について報道されている。他に報道することはないのか、と苛立ち交じりに尊は思う。
犯人の素性を晒して、勝手な精神分析と考察。
理由はどうあれ大切なものを勝手に我が物顔で暴かれるのは気分のいいものではない。むしろ腸が煮えくり返る。
「今世紀で最も狂った殺人鬼だって。…笑える。殺すに値する何かがあったから殺しただけのことなのに」
殺意なんて簡単に湧き出る狂気は誰しもが内に飼っている。その狂気を躾けるか躾けないかの違いだけだ。
和陽はきっと狂気を躾けられなかったのだ。
蓋をして押さえ込んでも持て余すほどの狂気を内に飼っていた彼は、十年前のあの事件で蓋をすることをやめたのだ。
十年前トルソーとなった死体は町で一番の我儘な女性だった。
年上だろうと年下だろうと関係なく自分の召使いのように扱い、自分は町長の娘だと親の権力を振りかざしては町の人々を困らせていた人だった。
彼女が見ず知らずの和陽によって殺され飾られた。その殺すまでに至った経緯や動機と言われるものがある筈である。
彼女の行動を考えると彼に対して何をするだろうか。尊は幼い頃の記憶を思い出す。
自分より綺麗だったり可愛い女の子と、見目の悪い男には容赦なく苛めて扱き下ろしていた。引っ越した子もいれば自殺した子もいた。彼女はそれを見て聞いてざまあみろと言わんばかりに笑っていたらしい。
逆に見目のいい男は全て自分のものであることが当然のように側に侍らせていた。ハーレムを作り、女と見目の悪い男は奴隷か玩具扱いしていた。
和陽は見目のいい男だ。偶然あの町に来た彼を当然のように自分のものにしようとしたのだろうか。そうだとすると自分勝手な振る舞いをされて彼はどう思ったのだろう。
当時のあの町はあの女に支配されていた。それを知らない彼は酷く困惑し、そしていいように扱われることをよしとはしなかったのではないだろうか。
彼女の人を人とは思っていなかったような言動と行動が彼の逆鱗に触れたのかもしれない。そして殺された。
彼は自分に非礼な振る舞いをする人間をターゲットとして選ぶ基準にしているのか。
だとすると直近六件の被害者も和陽に対して何か非礼を働いたということである。
「…そういえば鈴本さん、ちょっと常識外れなとこあったな」
被害者たちのなかで唯一尊が知っているのはマリア像を模して飾られた愛佳だけである。
愛佳は常識外れというよりモラルが欠落していたように感じる。普遍的なそれを知らぬまま大人になった人のように尊は感じていた。
事実彼女は就業中に仕事とは関係のないことをしていたり、会社の備品を私物化していたりした。
周りの人間が注意してもどうしてダメなのか理解していない様子だった。彼女が死体で見つかった時に、どうして、と言っていた同僚たちは内心彼女が死んだことを喜んでいたことだろう。
私生活の彼女のことを尊は知らないが、職場でそれならば私生活でも似たようなものだろう。
とするとプライベートでの彼女が和陽に対してモラルの欠如した非礼な振る舞いか言動をしてしまい、彼のターゲットとなったのだろう。
トルソーとなった彼女と愛佳の行動等を考えて共通することは非礼な振る舞いをするタイプということ。
やはり彼のターゲット選別方法は彼に非礼を働いた者なのだろう。
尊はコンビニで買ったおにぎりを食べながらそんなことをつらつらと考えた。
ニュース番組はやっと殺人鬼の話が終わり、芸能人の熱愛報道だのどこかの刑務所から受刑者が逃走しただのと違うニュースを報じ始めた。
つまらない、とチャンネルを変えるがパッとした番組はなかった。
とりあえず面白くはないがバラエティ番組を放送しているチャンネルにする。
これから自分はどうしようか、と尊は考える。
彼を探すにしろなんの手がかりもないし伝もない。彼から与えられた課題もお手上げ状態に近い。
探偵に依頼したとして彼の居場所を警察にリークされるのは困る。情報屋の知り合いもいない。
尊はこういう状況で頼りになる人間を一人ぐらい作っておくべきだったと後悔するが、もし居たとしてその人間に裏切られる可能性を考えて、やっぱいなくていい、と考えを改める。
尊一人にできることなど何もないのだが、彼が一人で大変な時にのうのうと日常生活を送ることは躊躇いがある。
尊が犯罪を犯したわけではないのでのうのうとしていていいはずだが、どうにも和陽が心配でそうはいかない尊だった。
◇
和陽がこの街から姿を消して一ヶ月が経った。
尊は仕事に行って帰るだけの毎日を過ごしていた。
休日は何もせずただぼーっと過ごし、バーにも行かなくなった。
和陽に時たま電話をかけてみるが不通のままだ。どこにいるのか手がかりすら掴めていない。
愛佳の事件のあと会社の雰囲気は重かったが、一ヶ月経てば元の状態に近づき重い雰囲気はほぼない。
同僚の女性たちはやはりというか、愛佳のことについてあれやこれやと陰口を言っていた。
人間なんてそんなものだよな、と尊は思った。
人の不幸を笑って喜ぶ。全員が全員そうじゃないだろうという人もいるだろうが、誰だって嫌いな人間が不幸になれば喜ばしく思うのだから全員同じだ。尊にとってそう思う対象が限定されているかいないかだけの違いだ。大差はない。
お人好しの課長だって嫌いな上層部の人間が汚職で解雇になった時はこっそり喜んでいたのを尊は知っている。休憩室で喜んでいるところを見かけたのだ。
普段いい人に見える課長ですらそうなのだから、尊の考えは間違ってはいない。間違っていたとしても尊にとってそれが正解か不正解かなどそんなことどうでもいい。自分にとっての人間の性質の解釈がそうであるだけなのだから。
「八重樫さん、三番にお電話です」
「あ、はい。ありがとうございます」
同僚から自分宛の電話だと案内を受けて、電話に出る。
内線だろうか、と思い受話器を耳にあて、お電話代わりました八重樫です、と出れば、尊君? と不通続きだった彼の声がした。
夢だろうか、それとも幻聴か。尊は思わず息を飲んだ。
『あれ? 尊君?』
「…和陽さん?」
『ああ、よかった。君からの着信があったことに先ほど気づいてね。携帯にかけようと思ったのだけれど、この時間なら職場の方が確実に出てくれるかなと思ってね』
ずっと電源を切っていて気づかなくてごめん、と謝罪される。
思わずデスクの下で太腿を抓る尊。痛いので夢ではない。
「えっと…?」
『ん? 心配して連絡をくれていたんだと思ったから折り返しをしたのだけれど、違ったかい?』
「違わないですけど、え、電話くれて嬉しいですけど大丈夫なんですか?」
『うん、大丈夫だよ。警察の捜査が届かないところに一応いるからね』
電話をかけてきたのだから一先ず和陽自身の身の安全は保証されるところにいるとは思ったが、本当にそうだったとは、と尊は彼のことを改めてすごいなと感心する。
「勤務中なのであまり長くは話せないんで、あとで掛け直しても大丈夫ですか?」
『いや、こちらからまたかけるよ。知り合いに頼んでこの後この端末を処分して新しいものに変えるからね』
「あ、わかりました。待ってます」
『じゃあまたあとでね。仕事頑張ってね』
プツリ、と切られる通話。
この一ヶ月不安で仕方がなかったが、ほんの数分の会話で吹き飛んでしまった。
そして一ヶ月間誰にも居場所を掴まれなかったのは、協力者がいたからか、と納得する。
職場に仕事関係以外の電話がくることは少なくないので、同僚たちに特になにか思われることも怒られるようなことはない。
しかしこの一ヶ月ずっと落ち着ける場所を探していたのか、と尊は電話のことを思い出す。
一応安全な場所にいる、と言っていたので危うかった時もあったのだろう。
尊は定時で上がる、と心に決めて次の仕事に取り掛かった。
そして迎えた退勤時間。尊はきちんと今日中に仕上げなければいけない仕事を終わらせて、時間きっかりに退勤した。
いつ着信が来てもいいようにスマートフォンを手に持ち、家路につく。
あと少しで家に着くという頃、手の中のスマートフォンが震える。
画面を見れば登録されて居ない番号からの着信。
迷いなく電話に出れば、やあ、と和陽の声。
「尊です」
『うん、知ってる。和陽だよ』
「わかってます」
『心配だったかい?』
「死にそうなくらいには」
『わあ、それは申し訳ないことをしたね』
「本当にそう思ってます?」
『思ってるよ。かわいい尊君に死にそうな程心配をかけてしまったのだから』
家に着き中に入り、玄関の鍵を閉める。
尊が困惑するくらいには普段通りの和陽に、調子が狂う。
「いつも通りすぎません?」
『そうかい? 結構ボロボロだよ』
「声音に反映させてください。電話じゃわからないです」
『ふふ、善処するよ』
尊は普段通りの和陽に安堵する。ボロボロと言っていたが、怪我をしている程ではなさそうである。
『そうだ、課題の答えはわかったかい?』
「今その話ですか」
『またしばらくは連絡できそうにないから、進捗状況を聞いておこうかなと思ってね』
思ったよりも余裕そうな和陽に尊は若干心配して損したかな、と思う。
完璧主義者の彼がなんの計画も無しに逃亡をするはずはないだろうことはわかっていたのだから、多大な心配はしなくてよかったのだ。
「全く見当がつきません。本当に僕が知っている人ですか?」
『君のよく知っている人だよ。…おっと、そろそろ切るね。移動しなくちゃいけなくなってしまったようでね』
「…そうですか、お気をつけて」
尊から電話を切った。
電話越しでも彼と話せて嬉しいと尊は表情を緩める。そして何より尊の連絡を気にしてくれたことが嬉しかった。
警察が来たのかはわからないが移動の必要が出たということは、和陽はさらにどこかへ身を隠すために動くということだ。
そんな状況の中でわざわざ尊に連絡を寄越してくれる程には、気にかけてもらえているという事実に歓喜する尊。
和陽に会うために彼の居場所はどこか考える。この街の近くではないのは確かだが、どこだろうか。
和陽と尊の共通の知っている場所は、毎週通って居たバーと彼の個展を開いていたギャラリーに愛佳の死体を飾った尊の職場くらいだ。全てこの街の中にある場所なので、まず彼とは会えない。
この街を離れて彼との共通で知っている場所は一箇所だけだ。
尊を魅了してやまないトルソーを模した死体が発見された場所。尊の生まれ故郷である小さな田舎町。
彼がそこへ行くかはわからないが、そこに賭けるしか今の所尊が彼に会える可能性のある唯一の場所である。
一応あの町へ行くときは和陽に連絡を入れようと尊は思う。連絡を気にしてあの町にきてくれるかも、なんて下心があるのだ。
いつ警察に見つかるかわからない状況下にいる和陽に対して不謹慎だとは思うが、頭のあまりよくない尊の精一杯の案なのだ。
尊は有給申請しなくては、と玄関からリビングダイニングへと移動する。
今月は色々とややこしい案件の仕事が多いので、来月のシフト申請の際に一緒に有給申請もしようとスケジュール帳をカバンから引っ張り出してメモをしておく。
両親にあの町にある家がどうなっているかの確認も取らなければいけない。売ったとは聞かないので残してあるとは思うが、どういう状況なのかは知りたいし、何よりあの家の鍵を貰わねばならない。
尊はスケジュール帳にやらなければいけないことを書き込んで行く。
あの町でうまく彼と会えるといい。尊はそのための万全の準備をするのだ。
半月後尊は和陽にメッセージを送った。始まりの教会で会いましょう、と。




