終
この町を訪れるのは何年振りだろう。故郷と呼べるこの街でトルソー事件が起きたあとしばらくして両親は僕を連れてこの町を離れた以来なので八年程経っていると思う。
記憶とあまり変わらない街並みに、懐かしい気持ちになる。トルソー事件がなければきっと今もこの町に住んでいただろう。両親も僕もこの町のことを大切に思っていたからだ。
ただこの町に戻ってきた理由がトルソー事件の犯人と会うためなので、あまりいい理由ではない。
「さて、あの人は上手く隠れているのかな」
過去に一度、それも十年前に訪れた町の地理を流石の彼も完璧に把握してはいないだろう。完璧主義の彼だが、ここ二ヶ月ほどは警察に追われていた身である。悠長にこんな田舎の地図を入手する暇はなかっただろう。
そんなことを思いながら町のちょうど中央に位置する教会の重々しい扉を開けて中に入る。
ステンドグラスから差し込む月明かりで照らされる礼拝堂。蝋燭に火は点っておらず空気も冷たい。早い時間から教会内には人がいなかったのだろう。牧師先生は教会ではなく少し離れたところに居を構えているので、今この教会の中には僕と、多分この教会に身を潜めているのであろう彼との二人だけだ。
礼拝堂の前方のぽっかりと空いた空間。聖歌隊などが並んで歌えるように空間がとってあるそこに、十年前はトルソーに見立てた死体がいた。彼の手で殺され飾られたそれは一等美しかった。この十年忘れられないほどに、強烈に記憶と心に残った。
そんな残忍で美しいものを生み出す彼が僕に近づいたのが偶然か必然かは知らないが、そのあとに起きた心臓のように折りたたまれたあの死体はたぶん僕宛のラブレターだ。どういった意味での「心臓を送る」なのかはいまだにわからないが、彼にとって僕が何かしらにおいての「特別」であることは理解できた。
「いつまで経ってもわからないから、誰に心臓を送ったのか、それはどうしてか聞いてもいい? いるんでしょう?」
——和陽さん。
彼の名を呼んで少しすると、懺悔室の方から出てくる人影。
月明かりの下に照らされた彼は、最後に会った時よりも随分と窶れているようだった。微かに鉄のような匂いがするので、警察に追われている際に怪我でも負ったのだろう。
「随分男前になりましたね」
「嫌味かい、尊くん」
犯人だと知られる前と変わらない優しい笑みと口調。
ああ、その余裕ぶった表情を崩してやりたいのに、普段と変わらない態度の彼に安堵する。
「結構余裕そうですね」
「そう見えるかい?」
「見えますね」
「でも結構余裕はないかな。これでも切羽詰まっているよ」
乱れた髪をかき上げながら、困ったように笑う彼。
「嘘ばっかり」
逃げる手段なんていくらでもある。それこそこんな田舎町に来ないで国外逃亡だってできただろうに、それをしなかったのは多分僕との答え合わせをするため。
トルソーを模した死体があったその場所に、犯人である彼が立っている。
考えただけで僕の身体中の血が沸騰しそうなくらいに興奮する。この場にあの死体があり彼がいたとしたら。そこに彼が僕に送ってくれたと仮定している心臓を模した死体を加えるのもいい。ああ、死んでもいいほどに美しい光景だ。トルソーを模した死体(出会い)と心臓を模した死体。僕だけに向けられたプレゼントだったらとても嬉しい。
「嘘ではないよ。君に嘘はつきたくない。言ったただろう?」
「そうでした」
「尊くんも余裕がなさそうだ。トルソーを思い出したのかい?」
「…ラブレターも一緒に思い出してますよ」
一歩一歩僕に歩み寄ってくる彼。僕の性癖を知っている彼のことだ、トルソーを模した死体(出会い)と心臓を模した死体を思い出して興奮していることなどお見通しだろう。
「私の作品をそこまで理解して愛してくれるのは尊くんだけだ。とても嬉しいよ」
すぐ傍まで来た彼は、美しい掌で僕の髪を撫でながらとろけるような笑みと声音で僕に言う。
彼のトルソーを模した死体(作品)に心奪われ、心臓を模した死体を貰い、彼の人柄に惹かれた。僕の人生のほとんどは彼とその作品に囚われている。そんな僕がロミオトラップのような彼の甘い声音と笑みによって彼の虜になってしまうのは仕方がないことだと思う。
「和陽さん、心臓を送った相手と理由は…?」
平常よりも早くなった鼓動を誤魔化すように彼に問う。
「さあ、誰で何の理由だろうね」
そう言いながら髪を撫でていた手を耳の裏から首筋、そして背中から腰へとおろしていく彼。
くすぐったくて身を捩らせると、彼の方に軽く抱き寄せられる。密着する彼からは、微かに香る彼の愛用している香水の匂いと、濃い血の香りがする。混ざり合ったそれはいい香りとは言えないが、嫌いではない。
「尊くんが答えを出さなくては意味がないよ」
普段の作り笑いとは違う、寂しげな彼の笑み。誰よりも心臓を模した死体の答えにたどり着いて欲しいのに、決して手助けをしない彼の偽りない感情のままの表情だ。
きっとこの世で彼のこの表情を知っているのは僕だけだ。彼の罪を理解し共有した、僕だけのもの。
「そろそろ移動しましょう? 十年前のままになっている昔住んでいた家があります。そこに行きましょう」
「そうだね。いつまでも教会で抱き合っているわけにもいかないからね」
僕の腰から離れた彼の手はそのまま僕の手と繋がれる。手を引かれ教会の裏口から外へ出れば、人っ子一人いない静寂に包まれた町に出る。街灯は少なく、街灯の真下にいなければ顔の認識はできないくらいに薄暗い。
昔住んでいた僕の家は町の北側の外れにある少し大きめの家で、地下室もある。
人は住んでいないが、この町に残っている知り合いに頼んで月に一度家の掃除はしてもらっているので、埃まみれの状態ではない筈だ。
教会を出た時とは違い、家までは僕が彼の手を引いて行く。薄暗い街中を二人分の足音を響かせながら歩く。
教会から家までは歩いて十分ほどの距離。会話はなく、ただ目的地に向かって歩く。
今頃血眼になって彼のことを探している警察が心臓死体事件と一連の失踪と殺人事件が彼の犯行だということと、遠く離れたこの町のトルソー事件との繋がりを見つけるまであとどれほどの時間がかかるのかは知らないが、そう長くはないだろう。明日には警察がこの町に来るかもしれないし、明後日かもしれない。
彼がどうしたいのかは知らないが、できれば警察に捕まって欲しくは無いと思う。
「和陽さんはどうするんですか?」
「どうするって?」
「いつまでも逃げてられないでしょう?」
そうだね、どうしようか、と笑う彼。
きっとまだ彼の中には逃亡手段が残っているのだろう。
家に着き、裏にある勝手口から中に入る。玄関から入っても良かったが、万が一見られていたら面倒なのでそうした。
「意外と綺麗だね」
「知り合いに掃除を頼んでいるので。あ、こっちです。地下室に行きましょう」
一階や二階の各部屋には必ず窓があるので、明かりを点けると人がいると外から丸分かりになる。しかし地下室に窓はないので明かりを点けられるし、たしかテーブルやソファーが置いてあったはずなので落ち着いて話もできる。
階段で地下室へ降り、部屋の明かりを点ける。地下室には記憶の通り、テーブルやソファーが置いてあった。
「そこの棚の裏から敷地の外へ行けるようになっているので、何かあったらそこから逃げてください」
「多分大丈夫だと思うけど、万が一はそうするね。ありがとう」
暖房のスイッチを入れる。ローテーブルを挟んで二人がけと一人がけのソファーがあるので、二人がけの方に彼が、一人がけに僕が座った。
「このあとはどうするつもりですか」
「うーん、自殺するかな」
「最終手段は聞いて無いです」
「はは、別に最終手段でも無いよ。この町で君に会ったら死のうと思っていたんだから」
崖から飛び降りようかなって思っている、とにこやかに話す彼。
僕を置いて死ぬつもりなのだろうか。そうだとしたら僕はどうやって生きていけばいいのだろう。彼のいない世界で生きて行ける気がしない。
「僕を置いて、死ぬんですか」
仕事が辛かろうと、人との価値観が違うことに悩んでも、彼の作品が僕の心の支えだった。
トルソー事件の死体は彼と会うまで僕の心の拠り所だった。彼に会ってからは、彼が僕の心の拠り所になった。
僕は彼がいなければまともに生きていくことなんてできやしない。
甘やかされることを覚えた僕は、もう彼なしでは息さえできない。
「せっかく一緒に居られる関係になれたのに。僕を置いて逝くんですか」
「尊君…」
「警察から逃げなきゃいけないことはわかっています。それに和陽さんは十年前から最後は死のうと思っていたんですよね」
彼の初めての犯行がトルソー事件だった。その事件の第一発見者は僕だった。一年前にバーで初めて会った時、彼は僕がトルソー事件の第一発見者だと認識していた。
バーで会ったことが偶然か必然かは知らない。けれど最後に彼は一人で死ぬつもりならば、どうして僕を口説いたりしたのだろう。友人のままでいさせてくれなかったのだろう。友人のままならば、彼の最期をきっと受け入れられた。
「…一緒に、と言ったら、尊君は私と死んでくれるのかい?」
真剣な表情で聞いて来る彼に、頷く。
友人だって家族だっている。だけど彼がいない世界で生きていくなんて、一秒だって耐えられる気がしない。
彼と会うまでは一人でいることが多かった。広く浅い友人関係は気楽なものだったし、ただトルソー事件のことだけを考えることができた。トルソー事件に取り憑かれてそれだけを考えて、煩わしいことは何も無かった。
けれど彼に会って、加害者本人だったということもあるのかもしれないが、僕の普通とは言えないトルソー事件の死体への思い入れを理解し否定しないでくれたことで気を許してしまった。
他人と必要以上に関わり合わないと決めていたのに、あっさりとそれを破ってしまった。
気を許し、親交を深め、彼が連続猟奇殺人犯——すなわちトルソーを模した死体の作り手であると知ってしまった時、彼へと傾倒してしまった。そして散々甘やかされた。
「僕が和陽さんから離れられると思っているんですか?」
「いや、思っていないよ。そうなるように仕向けたしね」
僕が真顔でそう言えば、和陽さんは悪戯っ子のように笑いながら返してくる。
わかっているのに聞いてくるなんて意地の悪い人だと思う。
「可愛くて仕方がないからね。私がいなくなっても誰のものにもならないようにと思って甘やかした自覚はあるよ」
思ったよりも効果があったみたいで嬉しいよ、と言う。最初から計算尽くであったということだ。
僕が思っているよりも彼は僕に入れ込んでくれているらしい。そのことに嬉しくて緩む頬。
ああ、いけない。こうやって僕を虜にして雁字搦めにするのだ。これ以上搦め捕られてしまったら、僕はどうしたらいいのだろう。もうすでに身も心も彼のものだ。彼が僕をどう思っているか不明だったときも、勝手に彼のものにされたいと思っていたのだから。
「ふふ、かわいい顔をしているね」
愛しいものを見るように僕を見つめてそう言った彼。
「かわいい顔なんてしてません」
「していたよ。私のことで頭がいっぱいになっていたんだろうね。嬉しそうに笑っていたよ」
僕が彼でいっぱいになっていることが嬉しいのだろう、とても幸せそうに笑う彼。
僕は図星をさされ少し恥ずかしくなる。
「ふふ、言い当ててしまったから恥ずかしくなってしまったのかな。真っ赤になっているよ」
そう言うと彼は立ち上がりこちらの方へ来ると、僕を立たせて二人がけのソファーへと連れていかれる。
僕を二人がけのソファーに座らせ、彼も隣に腰を下ろす。
「真っ赤になっている尊くんもかわいい。が、目の下に隈ができている。少しでいい、仮眠を取るといい」
「え、あ、でも」
「なに、すぐに警察は来ないだろう。来たとしたらすぐに尊君を起こすから、一緒に逃げよう?」
柔らかく笑い、僕を横にする彼。
彼の膝を枕に寝る形になり、髪を梳くように撫でられる。
「大丈夫、置いて行きはしないよ」
「ん、絶対ですよ」
「ああ、約束だ」
僕は彼に撫でられる心地よさにうとうととする。
暫く撫でられていると、瞼を開けていられなくなりストンと落ちるように眠りについた。
それから何時間が経ったのかわからないが、ふと目を覚ます。眠る前と変わらず頭を撫でられている。
甘えるように彼の手にすり寄れば、ふふと笑い声が聞こえる。
「…ずっと撫でてたんですか」
「うん。撫でていると尊君がかわいくわらうものだからね、つい」
頭を撫でていた手が離れて行ったので、上体を起こす。
足を下ろし、くの字で眠っていた体勢が眠っている間に彼が直してくれたのか、はたまた自分でそうしたのかはわからないが、肘掛けの方に足を伸ばしていた。足が痺れた状態で起きる羽目にならなくてよかった。
上体を起こすと同時に足も肘掛から下ろす。
「どれくらい寝てましたか?」
「二時間くらいかな」
ちらりとスマートフォンの画面を見て答える彼。
二時間も彼の膝を枕にしてしまっていたのかと、申し訳なさが湧く。
「そうだ。十分くらい前に微かにサイレンが聞こえたよ」
「警察ですか?」
「うん。パトカーのサイレンだったと思うよ」
思ったよりも早く警察はこの町——トルソー事件を連続猟奇殺人事件と結びつけられたようだ。
「外に出て逃げますか? それとも一階のテラスからなら和陽さんの言っていた崖から落ちることができますが、どうしますか?」
追っ手が迫っているのなら、早めに行動した方がいい。
この町と近隣の町なら地理はわかる。抜け道や獣道もうる覚えだが頭に入っている。逃げるならいくらでも手助けできる。
和陽さんが当初の目論見通り崖から飛び降りると言うのなら、僕もテラスから一緒に飛び降りる。
「どっちでもいいですよ。どちらにせよ僕は和陽さんについて行くだけですから」
「テラスに行こうか。一緒に飛んでくれるんだろう?」
「もちろん」
先に立ち上がった彼が僕に手を差し出す。女性をエスコートするような仕草に、気恥ずかしくなりながらも手を重ねる。
地下室を出て一階へと上がる。一階に着くと、リビングを抜けて窓からテラスへと出る。
テラスに出れば潮の匂いと波の音。
微かに聞こえたというサイレンの音はすぐ間近まで来ている。
「じゃあ、いこうか」
「そうですね」
明け方の空の下崖に面して作られたテラスの崖側に立ち、パトカーのサイレンが鳴り響き家の中に入ろうとする警察と思われる人々のざわめきを聞きながら彼の手を握る。
握り返されるとともに彼に腕を引かれ彼に抱き込まれる。そして体が傾いたなと思ったあと、一瞬の時間差を置いて訪れる浮遊感。耳に聞こえるのは風を切る音。顔を上に向ければ幸せそうに笑いながら僕のことを見つめている彼。
僕も笑って彼を見つめ返して、この人の傍にいられる喜びが脳を支配する。
少ししてザプン、と二人で海に落ちる。沈んでいく体と、抱きしめられた部分から伝わる体温。意識が朦朧としてくる。けれど彼のことは離さないようにと彼を抱きしめる腕に力を込める。彼も抱きしめる力を強めてくれて嬉しくなる。
死を怖いと思ったことは無い。彼の作品になれるならいいとむしろ死を、彼に殺されることを願っていた。
長年抱えていたその願いは叶わなかった。
けれどそれ以上に彼の罪の共有者で共犯者、最期に傍にいることを許してくれた。それは何にも代えがたい僕にとって最高の幸せ。
最高のハッピーエンドだ。
◇
和陽と尊が崖から飛び降りた数秒後、家の中に踏み込んだ警察。
誰もいない家の中を見て、どこから逃げたのかと捜索し始める。テラスの一角、崖に面した植木に人が通ったような跡を見つけ、警察は言葉を失う。
連続殺人・誘拐犯が崖から飛び降りて死んでしまった。その事実に愕然とする。
後日連続殺人及び連続誘拐について犯人死亡のまま送検となった。
2018年11月13日 執筆、修正終了。卒業制作の一貫として執筆。




