肆
その日尊の職場は大騒ぎであった。
朝普段通りに出社した尊たち社員を待っていたものは、同僚である鈴本愛佳の美しく着飾られた死体であった。
会社のエントランスに飾られたそれはまるで一つの絵画のように美しいものになっていた。
エントランスに元々置かれていたオブジェに凭れるように固定され、両の掌は合わせ状態でこれも固定されていた。衣服は真っ白なワンピースとヴェールを身につけていた。
普段はポニーテールにされている愛佳の黒髪は結ばれることなくおろされており、胸のあたりまである黒髪が純白の衣装に映えていた。
尊は連続猟奇殺人の美しい死体を間近で見れたことに歓喜する。
誰かが通報しろと叫んでいたがまだ警察は来ておらず、混乱状態にある現状に乗じて死体に近づく尊。ポケットからスーマトフォンを取り出し無音カメラを起動させ、死体を写真におさめる。何枚、何十枚も撮っていく尊。通報されていなかったら何時間でも見れるのにな、と残念に思う。
不謹慎とも取れる行動をする尊だが、誰もそれを咎められるほどの余裕はなかった。
ある意味死体慣れしている尊は歓喜、興奮はするものの困惑したりパニックに陥るなんてことはない。
事実着飾られた死体を好きなように見て写真を撮れることに喜ぶ尊。表情には出ていないが、叫びたいほどに歓喜している。自宅にいたならば奇声をあげて喜んでいたことだろう。美しくも儚げに飾られた目の前の死体に尊は感嘆する。
十年ぶりに間近で見る死体はとても美しく、遠目で見たり写真で見るよりも遥かに綺麗であった。
そして尊は気づいた。目の前にある死体はマリア像を模しているのだと。
なぜマリア像だとわかるのか。それは長崎県にある日本二十六聖殉教者天主堂、通称大浦天主堂の入り口にある日本之聖母像のように飾られていたためである。
高校時代の修学旅行で訪れたことのある大浦天主堂にあったものに酷似した体勢なので気づくことができた。
尊が写真を撮り始めてから五分ほどするとパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。尊は端末をポケットに仕舞い、同僚たちがいるところへと向かう。混乱状態のため、尊が写真を撮っていることに気づいた者はいない。
到着した警察は混乱状態を治めるために動く。
死体から少し離れたところと会社の敷地の入り口の二箇所に規制線が張られ、社員たちは建物の外に出された。
調書を取るから待機していてほしいと言われて社員たちは会社の前で待機する。
この状況では仕事にはならないし、なによりエントランスに死体があるので皆自分の所属する部署に向かうためのエレベータにも向かえはしない。調書が終わり次第帰宅だろうか、と尊は思う。できれば帰宅であって欲しい。今すぐにでもスケッチブックに向き合いたいのだ。
少しして調書を取り始める警察官たち。これは長丁場になるなと尊は思う。現在この場にいる社員だけで百人は優に超えている。これからさらに出社してくる人間もいるので警察はそちらの対応もしなければいけない。
十数人いる警察官の内の数人の警察官で全員分の調書をとるとなると無理がある。大半の者が後日となるだろうな、と尊は思う。社長も連絡を受けてこちらに来るだろうし、どうなるかは社長と警察次第である。
とりあえず尊は今すぐ帰りたいから、社長さっさと来て指示をだせ、と思う。
「鈴本さんが…」
「なんで彼女が…」
「いい人だったのに…」
同僚の女性たちが静かに泣いていた。上司も他の同僚たちも彼女の死を悼んでいた。
尊は泣いて悲しむほど彼女と関わりは無かったので、無感情に死を悼む上司と同僚を眺めていた。
泣いている同僚の女性のうち何人が本当に悲しんでいるのだろう。あの人とあの人は死体になった彼女のことを裏で散々悪口を言っていたことを聞いたことがある。上司は本当に悲しんでいると思うが、同僚の男性たちの中にも彼女を嫌っていた者もいたのに、そんなことはなかったかのような顔をして死を悼んでいる。
人間は怖いな、と尊は思う。信用なんてできやしない。
特に日本人は本音と建前の扱いが上手いので、腹の中で何を考えているのかわからないから余計に信用などできない。
家に着く頃には皆ケロッとしているだろう。むしろ仕事がなくなってラッキーといったところか。不謹慎なので誰も言わないだろうが。
尊は同僚の死を悼むことなく尊はただぼっとしていた。
死体、いわばただの肉の塊に悲しみも痛む気持ちもわかない。目の前の死体は綺麗な作品であり、生身の人間ではないのだ。
死体となった彼女を知る者は悲しみ、知らぬ者は死体があると動揺している。後から出社してきた者は状況がわからぬまま警察官に事情を聞いている。
尊はただそれを静観している。
調書はなかなか進まず、三分の一も終わっていない。
警察が到着してから三十分ほど経った頃、被害者の愛佳が所属していた部署ということで彼女についてや会社に到着した時刻などの調書を取られた。それからさらに三十分経ってやっと社長が到着した。
警察と少し話しをした後、明日のことはまた追って連絡を回すので、調書が終わった者から今日は帰るようにと言われる。
調書が終わっている社員がぞろぞろと帰り出す。敷地の入り口に張られた規制線の外にいた社員も帰るように言われ、皆移動を始める。
尊は帰っていく社員の流れに混ざり、会社の敷地の外へと出る。ちらりと横を見れば野次馬がちらほらといる。パトカーが何台も来ているので気になった近所にある会社の人たちが見に来たのだろう。
尊は駅に向かう道を歩きながら、死体のことを思い出す。
死体となった愛佳が来ていた服は、遠目から見ても上等だとわかる生地でできていた。それに死体を着飾る方法は毎回手が込んでいる。
手間をかけて殺した人間を飾るのはどんな人物なのか尊は考える。
時間をどのくらいかけているのかは不明だが、死体が身につけている装飾品は手が込んでいて、丁寧で精巧に作られている。犯人の手作りであることは間違いない。正規品であったのなら、警察がありとあらゆる手を使って購入履歴を探り、犯人の手がかりをつかんでいることだろう。しかし犯人の手がかりがほぼない状態ということは、購入したわけではなく手作りなのだ。死体を着飾ることに手は抜かない質なのだろう。
ゼロから自分の手で作り上げたいと思っているのだろうと尊は思う。
尊は駅に着く少し手前の横道を入って行くとある住宅街に住んでいる。そのため駅から電車で帰る面々とはそこで別れることになる。
「課長」
「うん?」
「僕の家はこっちなので、ここで失礼します」
「ああ、そっか。八重樫君は家近いんだったね。うん、気をつけて帰ってね。明日のことは上から連絡きたらメールするから」
「わかりました。課長と皆さん、お気をつけて」
同じ部署の面々に会釈する尊。課長や同僚たちも、気をつけて、と尊に返して駅へと歩き出し、尊も自宅に向けて歩き出した。
大通りから外れて歩くこと十分。自宅であるマンションに着く。部屋の扉の鍵を開けて室内へ入り、鍵を閉める。
ニーエルディーケーで、キッチンはカウンターキッチン。リビングダイニングには二人掛けのソファーとローテーブル、テレビが置いてある。二部屋あるうちの一部屋が寝室、もう一部屋が作品置き場兼書庫になっている。
まず尊は寝室に鞄を置き、部屋着に着替える。
着替え終わるとリビングダイニングに戻る。そしてソファーとローテーブルの間の床に座り込み、ローテーブルに置きっぱなしのクロッキー帳を開き、ペンケースを手繰り寄せる。
実に一ヶ月ぶりの新たな死体。今頃ニュースは連続猟奇殺人の新たな死体が出たと報道合戦していることだろう。
尊はペンケースから取り出した鉛筆を片手に、スマートフォンに保存してある画像を開く。
何十枚と撮った中からマリア像を模している死体が一番綺麗に撮れたものを選ぶ。斜め横から撮った写真が一番綺麗に撮れていた。
瞼を閉じた横顔と合わせられた手。手は糸で縛られ合わせた手が外れないように固定されていた。
画像を表示させたまま端末をクロッキー帳の横に置く。鉛筆でアタリを描き、それから描き込んでいく。
シャッシャ、と鉛筆が紙と擦れる音だけが続くこと一時間、白いページの真ん中に細部まで描き込まれたマリアが完成していた。
尊はマリアの各部に線を引き、各部の詳細を言葉で書いていく。
愛佳が犯人と一体どのような関係があったのか、はたまた関係は全くないのかはわからない。しかし犯人にとって愛佳は作品にするに値する何かがあったのだ。
尊は犯人が何かしら一定の判断基準、決まりを持って被害者を選別していると感じる。
尊がそう感じるだけで、判断基準の詳細も本当にそうであるかどうかの証拠は無いのであくまで憶測だ。
「そういえばこの前ちょうど和陽さんと宗教画の話をしたな」
偶々だが和陽と宗教画のことを話していたお陰で、尊はあの死体がマリア像を模しているとわかったのだ。
和陽は主に宗教画についての話をしていたが、少しだけ偶像の話もしてくれたのだ。その例として見せてくれたのが検索でヒットした大浦天主堂のマリア像だったのだ。その際に修学旅行で行ったことがあると言うと、それならこれはみたことあるかい? と他のマリア像や偶像も調べて見せてくれた。
愛佳の死体が大浦天主堂のそれに酷似していたのは偶然だろうか。偶然にしてはタイミングが良すぎると感じる尊。もしかして、と思うがまさかと打ち消す。
もし犯人が予想の人物だったら尊は会えたことへの事実に狂喜乱舞してしまう反面、そうであって欲しくはなかったと思うのだ。トルソーを模した死体を作り出した犯人は尊にとって神様だ。
しかし尊にとっての神様というだけで、世間一般では犯罪者なのだ。
あの人が捕まってしまうことは尊にとっては絶望に近いものがある。
どうか予想通りではありませんように、と尊は願う。
尊が予想通りの人物が犯人かどうか答え合わせをして真実を知るのは次の休みの日のことだった。




