第八十五話 やってきたのは雪の大地
プロイス連邦は、シュヴェルトの北方にある小国家群である。
都市国家みたいなのが集まって、一塊になっている。
現代世界で言えば、オーストリアからドイツというところだろうか。
ガーデンでは、これより北の世界は存在しない。
だから、世界の最北端ということになるのだ。
当然、現代世界とは気候も違う。
「さささささ、寒いよ旦那あ―――!」
毛皮のコートでもこもこになったニナが、俺にすがりついた。
雪中を進む幌付きソリの中である。
この地方の馬車といえばこれだ。馬車の車輪では、雪に足をとられて進めなくなる。
「ううう、クリスさんは平気そうでうらやましそうです……! 七郎さんあんまりあったかくない!」
「俺、基礎体温あんま高くないからなあ。セレーネはクリスにくっついているといいぞ。体は大事にしないとな」
「は、はい。本でプロイス連邦の事は読んでいましたけれど、これほど寒いなんて……!」
お腹の中に子供がいるセレーネは大事な体である。
嫁達全員大事だが、とりあえず何かあったらという危惧は一番強い。
マリーが魔術で時間を止めているというから、実際は大丈夫だと思うが、念のために。
「セレーネさん、ニナさんも、こっちにどうぞぉ」
ふんわりもこもこになったクリスが腕を開くと、セレーネとニナが中にすっぽり納まった。
「ふえ~、クリスあったけー」
「クリスさんは体温高いですよね……。それと、オードリー様やアリスさんは平気なんですか?」
セレーネの言葉に、なんとなく気品がある毛皮コートのオードリーと、なんとなく軍用っぽい毛皮コートのアリスが振り向いた。
「シュヴェルトは、冬になれば冷える地方ですのよ。これくらいなら平気ですわ。まだ、プロイスも秋頃ですもの。冬でしたらさすがにわたくしも寒いですわね」
「私はある程度訓練も受けているからね。それに、体を動かしておいた方が温まるわよ」
確かに、アリスは何かあると、すぐに外に出て、ジャスティーンと一緒に歩いている。
ああ、脳筋ジャスティーンは、もりもりと外を歩いている。
ソリを牽いているのは、どでかいトナカイである。厳密には種類が違うのかもしれないが、この世界ではトナカイと呼んでいたからこれでいいんだろう。
最近になって、北方国家連合の言語にある種の共通性があることに気づいて、俺は言語習得が早くなっていた。必要となれば人間進化するものである。アイナなんかは、この言語の癖を発見するのが上手いのだろう。
ABCは交代交代で歩哨をしている。
後方で食べ物や衣類、寝具などをつめた荷ゾリに乗り込んでいる。
彼らは勤勉でなかなか有能である。
俺とはすっかり打ち解けていて、なぜか俺を兄貴と呼ぶようになっていた。この男臭い関係もなかなかオツなものである。
「あうう、私、寒いの苦手だったんですね……」
俺に抱っこされてぶるぶる震えるアイナ。
肉付きが薄いから、体脂肪もあまり多くないんだろう。寒いのは良くわかる。
俺? 俺は暑いのや寒いのは割りと大丈夫だ。倉庫の空調は良く壊れていたからな! 灼熱の中で仕事や、隙間風吹きすさぶ中で仕事なんざ当たり前だった。
「まあ、また吹雪いたらテントを作って休もう」
ジャスティーンとオードリーがいるので、どでかいテントでもあっという間に張ることが出来る。
そして、風除けにテントを丸ごと包むかまくらを作るのだ。
こうするとかなり暖かい。
嫁達にも好評だった。
「セブンの兄貴! 村が見えますぜ!!」
「お!」
Aが前方に集落を発見して声を上げた。
わっとみんながソリの前のほうに集まる。重量バランスが変わって、そりがつんのめりかけた。
悲鳴を上げる嫁達。
「危ないですわね!」
オードリーが後に行って、浮かび上がりかけたソリの尻を押し下げた。
落ち着いて遠くを見据えると、なるほど、確かにあれは村だ。
木製の柵に囲まれていて、雪をかぶった屋根が幾つも見える。
中央にある大きな建物は教会だろう。
「プロイスに入って最初の村ですね!」
「あの規模でも、プロイスでは都市国家である可能性がありますよ。検問があるかもしれません」
「保存食以外が食べられますぅ……!」
「プロイスの建物かっけー!」
はしゃぐ嫁達だが、アリスは無言だった。
眉を寄せて、じっと村を見ている。
「ねえ七郎、気づかない?」
「ああ、うん。俺も思った。煙上がってないよな、あそこ」
「ええ。極寒の世界で、火を焚かないということがあるのかしら。それとも、火を使わなくても暖を取れる魔法でもあるの?」
この世界では、魔法を魔術と呼んでいるが、アリス的には魔法という表現の方がしっくりくるようだ。
「あ、はい、一応あることはあるのですが……それでも、薪で火を焚く方がずっと効率が良いですし、薪がある限りはずっと持ちますから……」
「あんな小さな村で、暖を取る魔法なんて使われるわけがないわよね。だとしたら……どう思う?」
オードリーは無言である。
だが、いつも携えている、エリザヴェーテの刃……今はハンドアックス状だ……を背中からおろして、いつでも振るえるようにしている。
ジャスティーンは自然体だが、この男、戦う前は何の構えも取らなくなる。つまり、こいつが脱力すると、それはすなわち戦のにおいがすると言う事だ。
俺達はソリを村に侵入させた。
あちらこちらに雪の小山があり、家々からは明かりが漏れてこない。
火は起こされていないのだ。
「ひどい……!」
アイナが口を覆い、クリスは小さく悲鳴を上げた。
教会は、遠目ではまともに見えたが、その扉は破られ、中には大量の雪の小山……いや、あれは塩の柱だ。俺達は東京の浅草で、天使が人間を、ビームを放って塩の柱に変える様を見ている。
そして、掲げられているはずの逆十字は無残に破壊され、跡形も無い。
塩の柱に中に子供の服が埋もれていて、それを発見したセレーネがぶるぶると震えた。
これはいかん。
「だだだ、旦那、これってやばくない? すっごく、あたい嫌な予感がするよう」
俺はセレーネとニナを両手で抱き寄せて、アイナとクリスにも下がるように言った。
「多分、いるぞ。気をつけろ」
「はい……!」
「ひええええ」
俺達が教会を出た時だ。
「上だ!!」
Bが叫んだ。
見上げると、いつの間にか、教会の屋根の上に、びっしりと翼を持った人影が……!
尖塔には、一際大柄な甲冑姿の天使がいる。
多分、俺達が出会った天使よりも上位のやつだ。
奴は、目を金色に輝かせると、俺達を指差して叫んだ。
スマホが即座にその言葉を翻訳する。
『異端者に死を! 悪魔崇拝者達に死を!』
連中にとっては、この世界に存在する全ての人類が異端者で悪魔崇拝者である。
皆殺しにしようとするに決まってるよな。
俺は薄々予想していたことだったので、驚きはしなかった。
震える嫁達を一人ひとり、抱き寄せて背後に下がらせる。
「ABC、下がってくれ! みんなを頼む! あと、あいつらが吐く光線に触るとその辺りにある塩の柱になるぞ! なるべく光線に当たるなよ!」
「わかったぜ兄貴!」
「任せてくれ兄貴!」
「よーし、奥さんたち、バックだ、バック」
俺の隣にアリスが並び立った。
「え、アリスは下がらないの」
「私、一応軍人よ? 一般人を守るのが仕事だわ。七郎こそ下がりなさいよ」
「冗談。嫁を守るのが旦那の仕事だし」
俺はアリスと俺を目標に、マクスウェルを準備。
スマホを高く掲げて、
「ジャスティーン! オードリー! いくぞ!」
「ははははは!! 腕が鳴るな!」
「お任せくださいな、セブン様!」
二人の勇者が得物を構えた。
その時、上位の天使が、俺のスマホを見て目を見開いた。
何かを叫ぶ。
翻訳した言語は……メタトロン? なんだ、そりゃ?
だが、奴は配下の天使達に命令を下す。
標的が決まったようだ。
俺のスマホだ。
なんでだ?
一斉に天使が飛び立つ。
上空の彼らが、手のひらをかざした。白く手が輝き始める。
あのビームだ。
一斉に放たれた塩柱光線。
俺はあらかじめ発動していたマクスウェルで光線の効果を免れる。
ジャスティーンとオードリーは……うん、全く効いてないね。
「よし、行くぞぉ!!」
ジャスティーンが飛び上がった。凄まじい跳躍で、雪の地面が爆発する。
「わたくしも、参りますわよ!」
オードリーはエリザヴェーテを大地に叩きつけて、反動で飛び上がる。
一瞬で空にやってきた勇者達に、天使は目を丸くした。
人間が飛んでくるなんて予想すらしていなかったんだろう。それにこいつら、魔術すら使ってない。
「どぉらっ!」
「はいぃっ!」
ジャスティーンが大槍を振り回し、五人ばかり天使を叩き潰した。
穂先だけではなく、柄や石突も当たっているのだが、この男が力を入れて振り回せば、当たった場所がそのまま持っていかれる。しかも、ソニックブームを発生する速度である。
大槍を振り切った直後、遅れて爆音が轟いた。一気に天使がその数を減じる。
同時に、オードリー。
体ごと回転して、天使にエリザヴェーテを叩き付けた。天使の肉体が、まるでプリンか何かのように爆ぜた。そのまま直進して、先の天使もプリンのように叩き潰す。こちらは三人ほど片付けて、落下に移った。
天使達がパニックに陥る。
ここにいる二人は、言わば、天使や悪魔の天敵。
人間でありながら、超越存在を殺せる連中だ。
上位天使は怒りに眉尻を震わせ、怒号を上げた。
悪魔どもめ、と来たか。
子供まで襲って塩の柱にしちまうお前らこそ悪魔じゃないか。
「分かってはいたけど、天使を相手にすると考えると気が滅入るわね……!」
アリスがマクスウェルを解除するよう要求した。
彼女が手にしているのは、魔術を施された武器。魔法のクロスボウである。
機械仕掛けの弓に、当たれば爆発するエドガー謹製のクォレルが装填されている。
彼女はこれを、正確な狙いで連射した。
「…………!!」
数発のクォレルを食らい、天使が爆発する。
ついに残るは、上位天使だけとなった。
奴は遥上空まで飛び上がる。
叫んだ。
神よ、怒りの雷を授けよ、か。
「魔術が来るぞ!」
「おう!」
「分かりましたわ!」
俺は念のため、バッテリー残量を無視してアリス、嫁達、ABCとトナカイとソリをマクスウェルに取り込む。うわー、すげえ減り方してる!
直後、雪を降らせていた曇り空が金色に輝いた。
強烈な雷が落下してくる。
これは、直撃すれば、村ひとつを灰にしかねない大魔術だ。
「どっせえええい!」
オードリーの掛け声が響いた。
エリザヴェーテが、深々と大地に振り下ろされている。
そこから、教会に向けて地面に亀裂が走った。
オードリーが、亀裂に得物を引っ掛けて、そのままひっくり返す。
でかい岩盤が丸ごとくりぬかれ、
「よいっしょおおおおおっ!!」
空に舞い上がった!
そこに雷が落下する!
岩盤は粉々に破壊されたが、明らかにその威力は大きく減じていた。
「よし、行くか!」
ジャスティーンは満足げに頷くと、事も無げに雷に向けて跳躍した。
全身に雷を受けながら、この男、涼しげな顔をしている。
そしてあっという間に上位天使まで到達すると、驚きに顔を歪める天使目掛け、
「そらそらそらそらっ!!」
槍を四連発。
俺に目には、四発動時に放ったように見えた。
そして、槍は綺麗に、天使の後ろまで抜けている。
すっかり風通しがよくなった上位天使は、天を仰いで何かつぶやいたあと、そのまま光の粒になって消えた。
お、勝ったっぽい。
ジャスティーンが降りてきて、オードリーも戻ってきた。
戦場はすっかりひどい有様である。
村の半分ほどが瓦礫の山だ。大体全部俺達がやった。
だが、生存者はいないし問題ないだろう。
嫁達が、死んだ村人に手を合わせて祈りを捧げている。
なんとなく盛り上がっていた気分が沈んでしまった。
せっかく辿り着いた村だったが、天使達に滅ぼされていたのだ。
もしや、プロイスは危機的状況なんだろうか。
「いや、俺がいた地方はそうでもなかったな」
ジャスティーンが言うが、こいつ細かいこと気にしないからなあ。
とりあえず、ここで野宿同然の宿泊だな、なんて思っていたらだ。
「やれやれ、なんだかとんでもないことになっているね」
落ち着いた男の声がした。
ABCが身構える。
いつの間にか、そこには白髪の男の姿があった。
彼は村の惨状を見回して、次いで俺達に目を向けた。
「これでは野宿と変わらんだろう? どうだ、家に来ないかね? ここよりは随分ましだぞ?」
俺達を誘ったのである。




