第六十四話 一路ルキフルスへ
マクスウェルの悪魔という理屈がある。
めいめい別々に動き回る、別種の分子が存在するとして、その分子を観察できる悪魔がいるなら、そいつが意識的に分子のよりわけが出来ると、確かそう言う話だ。
マクスウェルが想定した実験なんかに関してはググれば出てくる。
まあそういうアレだ。ラプラスからしても、そいういう理屈を拡大解釈した構造をしているから、このマクスウェルもさぞかしとんでもないんだろう。
機能に関しては大雑把に、”可能性をより分ける”とだけ書いてあった。
なんのこっちゃ。
案の定、ラプラスとリンクするみたいだ。
本来は、これだけの魔方陣や魔力を必要とする大魔術なんだろうな。
俺のスマホが全ての光を飲み込み、辺りは今までと同じヴェナティーゼに戻った。
アイナが、クリスが呆然とスマホを見つめている。
セレーネは大興奮だ。だが興奮し過ぎて何を言っているのか分からない。
ニナは一瞬だけ、ふっと俺に向かって大人びた微笑を見せると、すぐに元のお子ちゃまなニナに戻ってしまった。
「あっれえ……? なんかあったの、旦那? あたいなんか、突然時間が飛んだ気がするんだけど」
ペイモンにせよ何にせよ、ニナの中にいるものは、そう悪いものではない……ような気がする。
その後、俺達は近場の飯屋でエドガーと合流した。
「おいらはてっきり、黒貴族に繋がるものが出てくるとばかり思ってたけど……正直意外だったねえ」
「黒貴族の名前を借りた術式じゃないと、魔力を補えないようなものだったのかもなあ」
「黒貴族は、その存在そのものが、ガーデンを支える世界法則そのものであるとも言われています。何度倒されても滅びる事は無く、まもなく復活してくる。その不死性と、並みの悪魔とは次元が違う実力。これだけを挙げても、その説には説得力があると思いますね」
俺達がブイヤベースを突きながらくっちゃべっていると、アイナとニナとクリスが難しい顔をした。
「……何を言ってるんだかさっぱり分かりません。仲間はずれにされた気分です」
「そうだぞ! このスープだと足りないぞ! もっと頼みたい!」
「に、ニナさん、今はそう言う話じゃないですよぅ」
確かに飯が不味くなりそうな話題だったので、この話はここまでとした。
ブイヤベースと木の実の入ったパンをもりもり食う。
うむ、やっぱりイリアーナは飯が美味いな。ガルムの果物尽くしとは違って、日本人である俺が好みそうな正統派の美味さだ。
正確には違うんだろうが、イタリアンって感じでいいな!
ちなみに後で検索したら、イタリアンのあのスープは、ズッパ・ディ・ペシェというらしい。覚えられん。
宿に帰ってから、エドガーとマリーも呼んで庭先でマクスウェルの実験をした。
用意したのはたらいに張られたお湯。
これに敷居を入れて、マクスウェルを起動した。
効果はすぐに発揮された。
エドガーもマリーも驚きの声をあげる。
敷居の片方のお湯は、ぐらぐらと煮立った。
もう片方のお湯は、完全に凍り付いてしまったのである。
もう一つ実験。
今度はちょっと露骨に分かりやすくやってみた。
砂の中に小麦粉を混ぜたのである。
マクスウェルを使いながら縦に何度かシェイクして、容器の蓋を開けてみた。
「おお、やっぱりか……!」
容器の中では、砂と小麦粉が完全に分離されていた。
多分、本来的なマクスウェルの悪魔とは異なるのだろう。だが、ちょっと癖がある、だが何かに使えそうな効果だ。
まあ例えそうだとしても、この効果を発動するためにあれだけ大規模な魔方陣が必要だったのかと言われると首を傾げるのだが。
「おいらにも、大した魔力を使っているようには見えないな。魔術の精度としてはとんでもないレベルのものだって分かるけど」
「これは、規模を拡大する事が可能な魔術だと考えたほうがいいんじゃないかしら。今セブン殿が行使したのは、ごくごく小さな範囲でしかないもの。例えば……セブン殿がブロケルを倒す時に使った、ラプラスの魔錠のような……」
「魔鍵と魔錠、伝承ではこの二つは、対になっていると言われていますからね。それがセブン様の手に集まったと。うーん、伝承が現実になっていく瞬間に立ち会えているなんて、私はなんと幸せなんでしょう……!!」
そう言えば、ラプラスを手に入れた時もセレーネが一緒なのだった。
俺がカイルの残した伝承の欠片を集める時、その場に皆勤でいるのはセレーネとクリスの二人だった。
「もう、これだけでセブン様と一緒に旅をしている価値があるっていうものです! あああ、一緒に迷宮に潜ってよかったー!!」
「それは俺に愛を告げているのかなあ……」
「もちろんですよ!!」
「もぎゅー!」
俺より上背があるセレーネが、俺の頭を胸に抱きしめてきたものだから、俺はそこそこ豊かな彼女の胸で窒息しそうになった。
幸い、他の嫁達はジャスティーンが大量に買い込んできた食材を料理しているから、騒ぎにはならない。
俺達が借りている宿は、古い一軒家をそのまま使ったものだ。
大人数で泊まることが出来るが、宿としてのサービスは一切無し、自給自足せよというものなのだ。
大量の魚介が見えていたから、今日はシーフード尽くしだ。今から実に楽しみである。
「さて、それじゃあ私は本件のお話をしましょうか」
マリーが手にした書類を俺たちに見せた。
有り体に言うと許可が取れたわ。
「はやっ」
まだ二日目である。
しかも、有翼の兎の伝令は、昨日旅立ったばかりではなかったのか。
「途中で有名な魔術師に行き会ったらしいわ。彼が転送の魔術で使者ごと送り届けてくれたそうよ」
俺の脳内に、魔道エレベーターな光景が展開した。
それで、帰りも早かったという事か。
「問題はその魔術師がベリアルと名乗っていた事だけど」
「うわっ! オリエンスが言ってた魔王じゃないか!!」
「そいつが用件を安受け合いするはずは無いから、多分セブン殿に興味を持ったのよ、彼」
「ひぃ」
男の玉が縮み上がるような話である。
「じゃあ、明日にでも向かうのかい?」
「一日だけゆっくりしてから行きましょう。あの子達が心配でしょ」
マリーはうちの嫁達を気遣う素振りを見せた。
彼女にとって、あの子達は娘や孫みたいな感覚なんだろう。
「いいんじゃないかい? おいらも別に急いじゃいないしね。なんなら明日は、観光地でも巡るかい?」
「それもいいなあ」
そういうことにした。
俺が決めた。
俺達は、大いにヴェナティーゼでの観光を楽しみ、骨休めをした。
悪魔の襲撃は無い。
単体で攻めてきたとしても、勇者との戦いでは勝機が無いと、奴らの上に立つ者が気付いたのだろう。
その分、本番は決戦じみた派手なものになるはずだ。
わざわざアリトンの城まで乗り込んで、勇者テンマの封印を解く。これは黒貴族の顔に泥を塗りつけるような行為である。
つまり俺は二回泥を塗ってるわけだな! わはは。もう笑うしかない。アスタロトが怒っていたのも今なら分かる気がする。
お土産や荷物を、とりあえずはラシム宛にディアスポラへ送る。
翌日、再び俺達は車中の人となった。
ぱかぽこと街道を行く。
賑やかだったヴェナティーゼとは打って変わって、街道は再び土を固めただけのものになり、幾つかの森を越えて徐々に内陸に入っていった。
やがて、大きな街が見えてくる。
あれがルキフルスだ。
暁の星教団の総本山であり、北部諸国連合の宗教的権威。
小高い丘全体を包み込むように、その都市は建造されていた。
中心には、天を突くような巨大な教会がある。
巨大な槍の穂先をそのまま建物にした、そんな姿だった。
荘厳と言っていいだろう。
アイナが、クリスが、言葉を無くした。
ニナは教会の威容にはしゃぎ、セレーネは慌ててスケッチを始める。
「ここは変わらないわね」
「そうだなあ、百年前もこんな感じだったよ」
マリーとエドガーがしみじみと呟く。
ジャスティーンは満足げに教会を見上げていた。彼にとっても、ルキフルスへの来訪は初めてとなるはずだ。
「どうも、こいつは胸の辺りがカッと熱くなるな。俺の心をくすぐって来る建物だ」
ジャスティーンの心持は分からなかった。
だが、暁の星教は、エルベリア聖教と崇める神こそ同じだが、教えはかなり違う。
互いに異教徒と呼んでいい存在であった。
俺の記憶だと、元いた世界でも、宗教を基にした争いなんてろくなものが無い。
厄介ごとにならなければいいのだが……。そう思いながら、ルキフルスの入り口をくぐったのである。




