第9話「マリアと、秘密の手紙」
・アストラル商会辺境別荘・朝
朝の光が差し込む中、マリアは主の部屋の前で足を止めた。
扉越しに、かすかに聞こえる寝息。
まだ眠っている。
マリアはそっと扉を開けて、部屋に入った。
朝の確認事項をこなしていく。体温を測定するための魔石をかざす。血色を確認する。魔力漏出の量を測る。
魔力漏出は、今日も昨日より微増していた。
「……」
マリアは測定結果を手帳に書き付けながら、枕の上で眠る主の顔を眺めた。
ユメジ・アストラル。十四歳。
自分が別荘に派遣されて来たのは、一年と半年前のことだ。アストラル商会本部からの命令は、「末息子の療養に付き添い、必要なものを提供し、命を守れ」。
最初に会ったとき、ユメジは起き上がることすら辛そうにしていた。
顔色は白く、体は細く、目だけが妙に澄んでいた。
「よろしく、マリア」
最初に言われたのはそれだけだった。
「どうかよろしくお願いします」と返したら、「うん。俺の世話は大変だけど、よかったら仲良くしてね」と笑った。
その笑顔が、今でも頭に残っている。
病弱の御曹司に、「仲良く」などと言われた護衛メイドは、後にも先にも自分だけだろうとマリアは思う。
「……」
ユメジの眠った顔は——最近、明らかに変わってきている。
以前は眠っているときも、どこか眉根に緊張があった。病による痛みが睡眠中も抜けないのだろうと、医師は言っていた。
ところが最近は、眠った顔が本当に穏やかだ。
口元にうっすら笑みさえ浮かんでいる日がある。
魔力漏出は増えている。体への負担が心配だ。
しかし体調の数値は、どのデータを見ても改善傾向にある。
「複雑だ……」
マリアは小さく呟いた。
元暗殺者として、全てのリスクを潰したい気持ちがある。一方で、主が楽しそうにしているのを止める気にはなれない。
結論は出なかった。
マリアは部屋を出て、朝食の準備に取り掛かった。
▽ ▽ ▽
同日昼・別荘の書斎
「マリア、この手紙を父に出してくれる?」
「拝見します」
マリアは封書を受け取り、中身に目を通した。
アストラル商会の業務改善提案:今日はエルフ族との取引に関する内容だった。
『エルフ族との取引において、現在の「一括大量購入型」モデルを「定期少量供給型」に転換することを提案します。エルフ族は長命であり、一度の取引量よりも「長期的な信頼関係の構築」を重視します。彼らの物資の多くは「精霊との約定」に基づいて供給されており、季節や気候に左右されやすい。現行モデルでは彼らに無理な納期を強いている可能性があります。』
マリアは読み進めながら、内心で舌を巻いた。
エルフ族との取引に関する洞察が、これほど深い。
エルフの商慣習は、人間社会とは根本的に異なる。それを正確に把握しているということは——相当な情報源があるか、あるいは直接エルフと交流があるかのどちらかだ。
この別荘に、エルフは一人も来ない。
情報源は?
「マリア?」
「はい」
「読み終わった?」
「はい。ユメジ様」
「うん?」
「この手紙に書かれているエルフ族の商慣習の詳細ですが」
「ん?」
「どこでお知りになりましたか?」
ユメジがわずかに間を置いた。
「……書物で」
「エルフ族の内部的な商慣習が書かれた書物は、一般には流通していないかと思いますが」
「マリア」
「はい」
「あまり深掘りしない方がいいこともある」
「……」
マリアは一瞬、押し黙った。
「……わかりました。お手紙は本日の便で発送します」
「ありがとう」
マリアは手紙を封書ごと懐に入れながら——ほんの少し、考えた。
夢の中で建物を建て、料理を作り、客を迎えている主。
エルフ族の内情に詳しい主。
毎朝、表情が豊かになっている主。
点と点が、じわじわと繋がっていく感覚があった。
だがマリアはそれを、あえて口にしないことにした。
主が楽しそうにしているのなら。
それが全て体に悪いことでないのなら。
私の仕事は、見守ることだ。
マリアはしっかりと背筋を伸ばして、廊下を歩いた。




