第8話「初めての喧嘩と、仲裁の魔術」
問題が起きたのは、十日目の夜だった。
「あなたは、その考え方が間違っています」
シルが、珍しく強い口調で言った。
「俺の考えのどこが間違っているというんだ」
ゼルが、同じくらい強い口調で返した。
二人の間で、明らかに空気がぴりついていた。
俺は厨房から顔を出しながら、静かに様子を見た。
発端は些細なことだった。
今夜のメニューは「親子丼」——鶏肉と卵を出汁で煮てご飯に乗せたもの——で、提供したときにシルが「協力すると、こんなに美味しいものができるんですね」と感想を言ったことだった。
「鶏と卵は同じ種族ですが、それが合わさると新しい味になる。異なる種族だって、力を合わせればもっと素晴らしいものができると思います」
その何気ない一言が、ゼルに引っかかった。
「種族が違えば、利害も違う。合わせることが必ずしも良い結果を生むとは限らない」
「でも、対立し続けても何も解決しない」
「現実は理想論では動かない」
「理想を持たない現実論は、ただの停滞です」
二人の声が、だんだん大きくなっていた。
リラが俺の方を見た。
俺は小さく頷いて、厨房から出た。
「ちょっと待った」
二人が振り向いた。
俺はカウンターに手をついて、二人を交互に見た。
「二人とも、今夜の料理は美味かった?」
「美味しかったですが……」とシル。
「話の途中だ」とゼル。
「うん、知ってる。でも一個聞かせて」
俺は少し間を置いた。
「二人とも、今話してる内容について、相手を「変えよう」と思ってる? それとも「聞いてほしい」だけ?」
沈黙。
「……私は」とシルが言いかけて、止まった。
「俺は」とゼルも言いかけて、止まった。
俺は二人の顔を見た。
「どっちの言ってることも、間違ってないと思うよ」
「え?」とシル。
「どういうことだ」とゼル。
「種族が違えば利害も違う、これは事実だよな。一方で、協力すれば新しいものが生まれる。これも事実だ。矛盾してるように見えるけど、どっちか一方が正しいわけじゃない」
俺はカウンターに肘をついた。
「俺が前の仕事で学んだことを言うと、異なる立場の人間が協力するのが難しいのは、「利害の違い」じゃなくて「信頼がないから」なんだよな。信頼さえあれば、利害が違っていても協力できる。信頼がなければ、利害が一致していても裏切り合う」
二人が、黙って俺の話を聞いていた。
「だから、「協力すべきか否か」より「信頼を作れるかどうか」の方が本質的な問題だと思う。どうかな」
静寂。
シルが少し俯いて、考えているようだった。
ゼルが腕を組んで、何かを噛み締めているようだった。
リラが静かに口を開いた。
「マスターの言葉は、長く生きた者の言葉に近い重みがあります」
「十四歳なんだけど」
「転生者と言っておられましたね。前の世界での経験が滲み出ているのでしょう」
俺は苦笑した。
しばらくして、ゼルがぼそりと言った。
「俺は、別に怒鳴りたかったわけじゃない」
「わかってるよ」
「俺の言い方が、乱暴だった」
ゼルがシルの方を、わずかに向いた。
「悪かった」
シルが目を瞬かせた。
ゼルが謝るとは思っていなかったらしく、少し驚いた顔をした後——小さく笑った。
「私こそ。一方的に押し付けるような言い方をしました」
「別に……」
ゼルがそっぽを向いた。でも、耳が少し赤い気がした。
俺はそれを見て、口元を手で覆いながら、笑いをこらえた。
「何がおかしい」
「何でもない。コーヒー、おかわりしようか?」
「……もらう」
「私も」とシルが言った。
「私も、いただきます」とリラが言った。
俺はコーヒーを四人分——自分のも含めて——淹れた。
夢の国の静かな夜に、コーヒーの香りが広がった。
「マスター」とシルが言った。
「うん?」
「あなたは、なんで喧嘩を仲裁するのがうまいんですか?」
「前の仕事で、よく喧嘩の仲裁をしてたから」
「喧嘩が多い職場だったんですか?」
「まあ、何万人もの人間が一緒に遊ぶ場所を管理してたから、毎日必ず誰かが怒ってたよ」
「何万人も!?」
シルが目を丸くした。
ゼルも少し驚いた顔をした。
「そんな数の人間を、一人で管理していたのか?」
「一人じゃないけどね。チームでやってた。でも俺が一番長く働いてたかな」
「……どんな仕事だったんですか、詳しく聞かせてもらえますか?」
シルが前のめりになった。
俺は少し考えて、今夜は珍しく前世の話を少しだけすることにした。
ゲームの話。
仮想の世界の話。
みんなが等しく冒険できる場所を作った話。
バグを修正する話。プレイヤーの怒りを受け止める話。夜中に一人でサーバーの前に座っていた話。
そして、そのまま倒れて、気づいたらこの世界の赤ちゃんになっていた話。
「それは……」
シルが、神妙な顔で言った。
「……大変でしたね」
「まあ、楽しかったけどね。きつかったけど、好きな仕事だった」
「好きなことで倒れてしまったんですか」
「そう」
「それは……」
シルがうまい言葉を探しているようだった。
「それは、いいことですか、悪いことですか?」
俺は少し考えた。
「好きなことで死ねたなら、悪くないんじゃないかな」
シルが、じっと俺を見た。
「今も、好きなことをしていますか?」
俺はゆっくりと、店の中を見回した。
石畳の床。温かい照明。窓の外の星空。
コーヒーを飲む三人の顔。
「うん」
俺は頷いた。
「今が一番、好きなことをしてるかもしれない」




