第10話「夢の国は今日も賑わう」
夢喫茶アストラルには、今夜も三人の常連客が集まっていた。
「今日で、この店に来るようになって、一ヶ月になります」
シルが言った。
「そうだな。俺は三週間くらいか」とゼル。
「私は約三週間ですね」とリラ。
「みんな続いてるね」と俺。
「続くに決まってます」とシルが即答した。「毎晩、こんなに美味しいものを出してくれるのに、来ない理由がありません」
「同意する」とゼルが珍しく素直に言った。
「では、私からも一つ」とリラが口を開いた。
三人が向いた。
「この一ヶ月で、皆様の現実はいかがでしょうか」
「……現実?」
シルが少し目を細めた。
「私たちはここで名前も素性も明かしていません。しかし、この場所で得るものが、現実にも影響を与えていることは、おそらく皆様もお気づきのはずです」
沈黙。
ゼルが視線を逸らした。シルが少し俯いた。
「料理の効果」のことを言っているのだと、三人とも気づいているはずだ。
俺はカウンターに寄りかかって、口を開いた。
「俺から種明かしすると、ここで食べた料理には、現実にも効果が出るよう設計してある」
「やはり」とリラが言った。
「知ってた?」
「確信はありませんでしたが、そうではないかと。私のエルフとしての魔力感知が、この料理には「術式」が組み込まれていることを示していました」
「術式、というよりゲームで言うバフに近いかな」
「ゲーム?」
「強化効果、とでも言えばわかりやすいかな。俺は料理を作るとき、どんな効果を持たせるかを意識的に設計してる。それが現実の体にも引き継がれる」
シルが、少し複雑な顔をした。
「それは……」
「気持ち悪い?」
「いいえ。ただ、そこまで考えて作ってくれていたんですね」
「まあ、単純に美味しいものを食べてほしいというのが一番だけど、来てくれる人が少しでも現実で楽になるなら、それが嬉しい」
「……」
シルが目を伏せた。
「あなたは本当に」
「うん?」
「優しいですね」
「どうかな。俺は楽しいからやってるだけで……」
「それが優しさです」とリラが静かに言った。「見返りを求めず、ただ相手のことを思う。それが本当の親切というものです」
「難しいことを言う」
「長く生きると、難しいことが身に沁みます」
「俺には」
ゼルが、珍しく自分から口を開いた。
三人が向いた。
「俺には、こんな場所は、必要ないと思っていた」
「過去形だね」
「ああ。今は、少し違うかもしれない」
ゼルがコーヒーカップを両手で包んだ。
「必要かどうか、じゃなくて、ここに来ることが現実に戻る力になっている」
「充電みたいな感じ?」
「充電?」
「満タンになったら現実に戻れる、みたいな」
「そういう言い方なら、わかりやすい」
ゼルが短く頷いた。「そうだ。充電だ」
シルが穏やかに微笑んだ。
「私も同じです。ここに来るたびに「頑張れる」という気持ちになります」
「それは嬉しい」と俺は本心から言った。
四人で、しばらく静かにコーヒーを飲んだ。
夢の星空が、いつも通り満天に広がっていた。
「マスター」
リラが言った。
「うん?」
「この場所を、これからも続けてください」
「続けるよ。やめる理由がないから」
「そしてできれば」
リラが、視線を喫茶店の窓の外、何もない、広大な「空白」の方向に向けた。
「もっと広げてください」
「広げる?」
「ここには、まだ来ていない者がたくさんいます。あなたの魔力の波長を感じながら、踏み出せずにいる者が。私にはわかります」
「そうなの?」
「エルフの感知は鋭い。この夢の境界の外側に、複数の気配があります。迷っている者が、いくつも」
俺は少し考えた。
確かに最近、自分の魔力が以前より広い範囲に広がっている感覚はあった。喫茶店だけでは足りなくなってきているような、もっと大きな空間を欲しているような。
「……だったら」
俺は立ち上がって、窓の外の「空白」を眺めた。
「もっと作ってみようか」
「何を作るんですか?」とシルが訊いた。
俺はしばらく、考えた。
前世の記憶が、むくりと動き出す。
広場。市場。宿屋。温泉。ゲームの中で作り続けた、無数の「場所」の設計図が、頭の中に広がる。
「街を作ろう」
三人が、俺を見た。
「喫茶店だけじゃ狭い。もっとたくさんの人が来ても大丈夫なように「夢の街」を作る」
「すごい」とシルが言った。
「どのくらい大きくするんだ」とゼルが訊いた。
「まずは、この喫茶店の周りから」
俺は窓を開けた。
夢の夜風が入ってくる。
「街の名前は……」
俺はしばらく考えてから、にやりと笑った。
「夢幻都市」
リラが小さく笑った。シルが目を輝かせた。ゼルが小さく「大げさな名前だな」と言ったが、口の端は上がっていた。
「着工するのは?」
「明日から」
「「「明日!?」」」
「早い方がいい」
俺は窓を閉めて、振り返った。
三人の顔を見渡す。
一ヶ月前に来た常連の客たちが、今ここにいる。
喫茶店一軒だけだった夢の空間は、もうすぐ街になる。
「それじゃあ、また明日の夜」
俺は手を振った。
「おやすみ、みんな」
「「「おやすみなさい、マスター」」」
三人の姿が、次々とフェードアウトした。
静かな喫茶店に、一人残った俺は——窓の外の空白を眺めた。
何もない土地。
これから、何でも作れる。
「さあ」
俺は腕まくりをした(夢の中だから意味はないが、気分の問題だ)。
「設計図を引こうか」
夢の星空の下で、新しい街の青写真が、俺の頭の中で形を成し始めた。
【第1章・完】




