第6話「第三の常連客と、うっかり招待状」
その夜、三人目の常連客となる人物がやってきた。
カランカラン、という音とともに扉を開けたのは、これまでとまた雰囲気の違う人物だった。
背が高い。
長い耳、エルフだ。
銀色の長い髪を後ろで一つに結んで、深緑の外套をまとっている。年齢は、夢の中では見た目でわかりにくいが、少なくとも俺より年上で、落ち着いた雰囲気がある。
入ってきた瞬間、エルフは部屋の中をゆっくりと見回した。
金色の髪の女の子(今夜も窓際に座ってコーヒーを飲んでいる)と、赤い目の男の子の存在を確認して——俺の方に目を向けた。
「ここは、夢の世界の喫茶店でよろしいですか?」
エルフの声は、低く落ち着いていた。女性か男性か判別しにくい中性的な声だった。
「そうだよ。いらっしゃい」
「……私は招かれた覚えがないのですが」
「俺も招いた覚えはないんだけど、どうやって来た?」
エルフは少し考える顔をした。
「眠りに就いた途端、強烈な魔力の波長を感じて、気がついたら、この場所にいました。引き込まれた、という表現が正確かもしれません」
「ああ、それは俺の魔力がダダ漏れしてるせいだと思う。ごめん」
俺はそう言って頭を掻いた。
最近うっすら気づいていたことだが、俺の魔力は夢の世界の構築だけでなく、微量ながら「外側」にも滲み出している。その波長が、魔力感知の優れた者を引き寄せてしまうらしい。
いわば、意図せず送り続けている「招待状」のようなものだ。
「こちらは被害を被ったわけではありませんので、気にしないでください」
エルフはそう言って、すいとカウンター席の一つに腰を下ろした。所作が、非常に優雅だった。
「何になさいますか?」
俺はメニューボードを指差した。
エルフはしばらくそれを眺めてから「あなたのおすすめを」と言った。
「わかった。少し待って」
今夜のおすすめは、ちょうど試作していた「ハーブティーとフィナンシェのセット」だった。エルフならハーブ系の香りに慣れ親しんでいるだろうという直感で、それを選んだ。
フィナンシェは焼き立て。バターと蜂蜜の甘い香りが漂う。
ハーブティーは現実の世界では「精霊草」と呼ばれる希少植物をベースに、いくつかのハーブを調合した俺オリジナルブレンドだ。
今夜の効果設定は、「感覚鋭化」と「魔力安定」。
「どうぞ」
エルフはカップを手に取り、まず香りを確かめた。
目を細める。
一口飲んで、動きが止まった。
「……」
「どう?」
「これは……」
エルフは一瞬、言葉に詰まった。
「これは、精霊草ですね。この香りは間違いない。ですが、このブレンドは、私が今まで嗅いだことがないものです」
「俺のオリジナル配合だから」
「……あなたはエルフではありませんね」
「人間だよ。見た目通り」
「エルフでもないのに、精霊草の扱い方をご存知で?」
「知識として持ってるだけ。試行錯誤でやってみた」
エルフはしばらく俺を見つめてから、フィナンシェを一口食べた。
その瞬間、表情が、わずかに崩れた。
「……甘い」
「好みじゃなかった?」
「いいえ。……このような甘さを、久しく食べていませんでした」
声が、少しだけ遠くなった。
俺は何も言わずに、カウンターを拭いた。
客の過去を掘り起こすのは、俺の仕事じゃない。
でも、話したそうにしているなら、聞く準備はある。
しばらく沈黙が続いた後、エルフが口を開いた。
「長生きをしていると、甘いものを食べる機会が、失われていくのです」
「どうして?」
「立場というものが、そうさせます。甘いものは子供の食べるものだと、いつの間にか思うようになる。長く生きた者には、それが似つかわしくないと——自分自身が、思い込んでいくのです」
「それはもったいないな」
エルフが小さく笑った。
「そうですね。……本当に、もったいないことでした」
また一口、フィナンシェを食べる。
「美味しい」
その一言は、静かだったが、なんというか、重みがあった。
長い年月分の「食べなかった甘いもの」を、今ここで取り戻しているような、そういう重みが。
カウンター席では、赤い目の男の子がその様子をさりげなく横目で見ていた。女の子の方は窓の外の星空を眺めていた。
「あなたの名前を聞いても?」
エルフが俺に訊いた。
「マスター。そう呼んでもらえれば。ここでは本名より、そっちの方がいい」
「……では、マスター。私はリラ、とだけ名乗っておきます」
「わかった。リラさん。また来てね」
「……こんな場所に、また来ることになるとは思っていませんでしたが」
リラは少し困ったような、でも穏やかな表情でそう言った。
「来てしまいそうです」
▽ ▽ ▽
翌日・アストラル商会辺境別荘
朝の光の中、俺は目を覚ました。
体が軽い。
毎朝これだ。夢の中で料理を食べていると、体の状態が少しずつ良くなっていく。今朝は特に頭が冴えていた。
「ユメジ様、お目覚めでございます——本日は少々寝坊なさいましたが、体調はいかがですか?」
マリアが扉を開けながら言った。
「うん。すごくいい」
「左様でございますか。本日のご朝食は……」
「マリア、ちょっといいか」
「はい?」
俺は枕に頭を乗せたまま、天井を見上げた。
「俺の魔力って、今どのくらい外に出てる?」
マリアが眉をひそめた。元Aランク冒険者だけあって、魔力感知の腕は確かだ。
「……計測します」
マリアが腰の小道具入れから魔力測定の小石を取り出して、俺のそばにかざした。
数秒後、マリアの顔色が、変わった。
「ユメジ様」
「うん?」
「魔力の外部漏出量が、先月比で三倍になっています」
「やっぱりか」
「どういう意味でしょう。まるで予想されていたような口ぶりですが——」
「夢の中で色々作ってるから、その維持コストが増えてる。あと、その副作用で俺の魔力が周りに漏れ出してる。自覚はあったんだけど、どのくらいかはわからなかった」
「夢の中で、何を?」
俺はちょっと迷ってから、簡潔に答えた。
「建物とか、料理とか」
マリアが沈黙した。
しばらくして「……建物と、料理?」とオウム返しに言った。
「うん。暇だから」
「ユメジ様」
「はい」
「夢の中で建物を建てたり料理を作ったりする御方は、世界中を探してもユメジ様以外に存在しないと思われますが」
「そうかな」
「そうです」
マリアが額に手を当てた。「漏出している魔力は——近隣の魔力感知持ちに感知される可能性がありますが」
「あ、それはもう感知されてる」
「……は?」
「夢の中に、何人か来てるから。客として」
マリアが、今度こそ完全に固まった。
「ユメジ様の夢の中に、他者が入り込んでいると?」
「俺の魔力に引き寄せられて、勝手に来てる感じ。まあ、悪い人たちじゃないから、喫茶店を作って料理を出してる」
「……喫茶店」
「うん。昨日は三人来た」
マリアの額に、青筋が浮かんだ。
「ユメジ様」
「うん?」
「それは、大変由々しき問題ではないですか? ユメジ様の精神空間に、素性の知れない者が入り込んでいる。危険性を……」
「夢の中では俺が完全に支配権を持ってるから、俺に危害を加えることは誰にもできないよ。それに……」
俺は少し間を置いた。
「来てくれる人たちが、美味しそうに飯を食ってくれるのが、俺は楽しくて」
マリアが、ぱちりと目を瞬かせた。
「……楽しい」
「うん。現実では書類仕事しかないし、誰かと話す機会もほとんどないから、夢の中が一番生きてる感じがするんだ」
静寂。
マリアはしばらく黙ったまま、俺の顔を見つめていた。
やがて、深く息を吐いて——
「……わかりました」
「え? 怒らない?」
「怒りません。ただし」
マリアの目が、鋭くなった。
「少しでもご体調に影響が出た場合は、即座に中止していただきます。約束できますか?」
「できる」
「それから、客と称する者が増えすぎた場合も、制限していただきます」
「まあ、それは状況次第で」
「約束してください」
マリアの目が、さらに鋭くなった。
「……わかった。約束する」
「よろしい」
マリアはそう言って、朝食のトレイを丁寧にテーブルに置いた。
「本日のご朝食は、アストラル山脈産の蜂蜜を使ったパンケーキと、フレッシュベリーのソース添えです」
「美味そう」
「……ユメジ様が夢の中で作っている料理より美味しいかどうかは存じませんが」
「マリアの料理が一番だよ」
「——っ」
またマリアの耳が赤くなった。
俺は笑いを噛み殺しながら、パンケーキにフォークを入れた。
「さて、今夜のメニューは何にしようかな」
窓の外の澄んだ空気の中、辺境の朝は静かに続いていた。




