第4話「勇者の本音と、魔王の独白」
その夜は、珍しく客が少なかった。
女の子と男の子、二人だけ。
珍しいことに、男の子が先に「もう帰る」と言わずにいた。ラーメンを食べ終わって食後のコーヒーを飲みながら、ぼんやりと窓の外の星空を眺めている。
女の子の方も、デザートのプリンを食べ終わって、なんとなく席を立てないでいるようだった。
俺はカウンターを拭きながら、二人を交互に見た。
「なんか、今日は話したい気分?」
二人が同時に俺を見た。
「「……別に」」
ハモった。
二人がお互いを見て、微妙な空気が流れた。
俺は笑いを噛み殺しながら、カウンター席を指差した。「移動しなくていいけど——話したいなら聞くよ」
しばらく沈黙が続いて、先に口を開いたのは女の子だった。
「マスターは、この場所以外にいるんですか?」
「うん。現実にいるよ」
「お会いできますか?」
「難しいかな。現実では俺、ちょっと事情があって動けないから」
「動けない?」
「病気みたいなもの。体が弱くて、基本的にずっと寝てる」
女の子が、目を瞠った。
「そうなんですか」
「うん。だから夢の中だけがわりと自由な時間で、こうして店を作ったりしてる」
「……」
女の子は少し俯いて、指をテーブルの上でゆっくり動かした。
「私も、そういう場所が、欲しかったです」
「どういう場所が?」
「自分が誰なのか、関係ない場所。期待されない場所。ただ——いてもいい場所」
俺はカウンターに肘をついて、女の子を見た。
「ここ、そういう場所にしてるつもりだよ」
「わかっています。だから、毎晩来てしまうんだと思います」
女の子が少し苦笑した。「マスターに迷惑じゃないですか?」
「全然」
「でも——」
「俺、現実では書類仕事しかないから。夢の中でこうして店やってるのが一番楽しいんだ。客が来てくれると嬉しいし、美味しそうに食べてくれると最高に嬉しい。だから迷惑じゃなくて——むしろ来てもらうと助かる」
女の子は、しばらく俺の顔を見つめた後——ほっとしたように、柔らかく笑った。
「ありがとうございます」
「こっちこそ」
俺は視線を男の子の方に移した。
男の子は——窓の外を向いたまま、ずっと黙っていた。
「おまえは?」
「なんだ」
「何か話したいことはない?」
沈黙。
少し長い沈黙の後——男の子は、ゆっくりと口を開いた。
「おまえは、自分が決めたルールを、他人に押しつけられるか?」
「押しつけられるかって、どういう意味で?」
「……俺は、色々なことを決めなきゃならない立場にいる。自分が望まないことでも。俺が決めなければ、俺の周りが乱れるから」
「そうか」
「嫌だと思うことも、ある。でも、俺が弱音を吐けば、俺を頼っている奴らが不安になる。だから……」
男の子が言葉を切った。
俺は少し待った。
「ここでだけは、いいんだ」
男の子が続けた。声が、少しだけ低くなった。
「ここでは、俺が誰かを知らない奴がいる。俺が何かを決める必要がない。ただ飯を食って、コーヒーを飲んで、帰るだけでいい」
「うん」
「そういう場所は、今まで一度もなかった」
俺は頷いた。
「なら、ここはそういう場所にする。おまえが何者でも、ここではただの客だよ。飯を食って、飲んで、帰ってくれれば、それでいい」
男の子が、俺の方を向いた。
何かを確かめるような目だった。
俺は真顔でそれを受け止めた。
「なんで」
「なんで?」
「なんで、おまえはそんなに……」
「フラットに、ってこと?」
「ああ」
俺は少し考えてから、正直に答えた。
「前の仕事の名残、かな。俺、昔は色んな人間の遊び場を作る仕事をしてたんだ。強い人間も弱い人間も、金持ちも貧乏人も、みんなが同じように楽しめる場所を作るのが仕事だった。そこでは、現実の立場は関係ない。ゲームの中でだけ、みんな対等だった」
「ゲーム?」
「夢みたいなものだと思ってくれればいい。俺にとっては、ここはそれと同じなんだ。現実がどうであれ、夢の中だけは、みんなに等しく居場所がある」
男の子は、また窓の外を向いた。
でも、今度は、少し肩の位置が下がっていた。
「変な奴だな」
「よく言われる」
「でも」
小さな声で、男の子は言った。
「悪くない」
女の子がくすりと笑った。
俺も、笑った。
夢の星空が、ゆっくりと流れていった。




