第2話「喫茶店の開店準備と、俺が神様みたいなもんである件」
夢の世界での俺の姿は、現実とは少し違う。
現実では、ベッドに横たわった青白い顔の病弱な少年だが、夢の中では、魔力で構築した「アバター体」を使っている。体格はほぼ同じ十四歳の少年だが、肌の色が健康的で、ふわふわした茶色の髪が少し長く、目の色が金色に輝いている。
金色の目は、この夢の世界において俺が「創造主」である証だ。
現実では体を動かすたびに激痛が走るが、ここでは走っても跳ねてもまったく問題ない。魔力は体ではなく「夢の世界そのもの」を動かすために使われているから、むしろ体は楽だ。
俺は喫茶店の裏口から厨房に入り、エプロンを身につけた。
『夢喫茶 アストラル』、正式名称はそうだが、俺が心の中でそう呼んでいるだけで、看板を出したのはここ最近のことだ。
この喫茶店は、今から一年前に作った。
最初は本当に「暇つぶし」だった。
前世の記憶には、ゲームの中に作った様々な建物のデータが残っている。VRMMOのゲームマスターとして、俺は様々な「仮想空間」の建築データを頭の中に持っていた。それを夢の魔力で再現することは、俺にとってそれほど難しくなかった。
最初は小屋一軒だった。
次に、小屋に簡単な厨房を作った。
料理も、前世の記憶がある。現代日本の料理——ラーメン、カレー、コーヒー、ケーキ。こちらの世界では存在しない料理ばかりだが、夢の世界では材料を「創造」できるので問題ない。
そして作った料理を食べると、気づいたことがあった。
夢の中で食べた料理の効果が、現実に引き継がれる。
最初に発見したのは、俺自身のことだ。ある夜、自分で作ったコーヒーを飲んで眠り、翌朝目覚めると、頭がいつもより冴えていた。気のせいだと思ったが、翌日も翌々日も続いた。
調べてみると、夢の中で食べた料理は、現実の肉体に「バフ(強化効果)」として適用されることがわかった。
つまり、俺の作った料理には、現実でも有効な「魔力的効果」があるということだ。
これは発見だった。
ゲームマスターとしての前世の知識が、ここでも活きた。料理の「レシピ」を考えるとき、俺は料理の材料だけでなく「どんな効果を持たせるか」を意識的に設計する。体力回復、魔力増幅、精神安定、集中力向上、そういった効果を、料理の味と一緒に組み込む。
そして何より重要なのが……
来客がある、ということだ。
「客? 夢の中に?」と最初は思った。
でも、考えてみれば当然だった。
俺の夢の世界は、俺の膨大な魔力を使って構築されている。その規模は、もはや「個人の精神空間」の域を超えている。巨大すぎる俺の魔力波長は、眠っている間、現実世界にうっすらと「滲み出して」いる。
その波長に、「鋭敏な感覚を持つ者」が引き寄せられることがある。
具体的には——魔力感知に優れた者が眠りに就いたとき、「何か強烈な存在感を持つ夢の空間」があることに気づき、引き込まれてしまうことがある。
俺の夢の世界に「迷い込んでしまった」客……それが最初は一人、二人と現れた。
俺はそれを「バグ」だと思った。
でも、対応するうちに気づいた。
「これ、ユーザー(お客様)じゃないか」と。
前世のゲームマスターとしての本能が、むくりと目を覚ました。
客が来るなら、もてなさなければならない。
もてなすなら、環境を整えなければならない。
俺は小屋を改築し、喫茶店にした。
メニューを考え、インテリアを整え、照明の色を調整し、BGMを魔法で流せるようにした。
そして今に至る。
▽ ▽ ▽
「よし、今日のデイリースペシャルは……」
俺は厨房のカウンターに手をついて、メニューボードを眺めた。
夢の世界の「食材庫」には、俺が魔力で創造した素材と、現実世界から「夢の中に持ち込まれた」素材の記憶がある。前者は俺の創造力次第でどんなものでも作れるが、後者は現実の素材の質に依存する。
「カプチーノと、チョコレートフォンデュ……は昨日やったな。今日は……」
俺はちょっと考えて、ノートを取り出した。
前世の記憶から引き出した「レシピ帳」——もちろん夢の世界の中にしか存在しないが——には、いくつか試してみたいメニューが並んでいる。
「今日は、ちゃんとしたランチセットを作ってみようか」
ハンバーグ。
デミグラスソース。
バターライス。
温野菜のグリル添え。
コンソメスープ。
デザートにパンナコッタ。
効果設定は、「精神安定」と「体力回復」の二重バフ。精神安定は疲れている人に、体力回復は激しい戦いが続く人に有効なはずだ。
昨夜の常連客のことを思い出した。
一人は、二週間ほど前から来るようになった金色の髪の女の子だ。アバターを使っているから正確な素性はわからないが、雰囲気からして「相当しんどい立場の人間」であることはわかる。夢の中でコーヒーを一杯頼んで、無言で飲んで、帰っていく。でも毎晩来る。
もう一人は、昨夜初めて来た、赤い目をした黒髪の男の子だ。年齢は俺と近いか、少し上くらいに見える。うちの店のドアを開けた瞬間に「なんだこの場所は」という顔をして、しばらくきょろきょろしていた後、恐る恐る席についた。コーヒーを出したら、一口飲んで固まっていた。
「なんだこれ。うまい」
ぼそっとそう言ったのが聞こえた。
こちらもアバター使用なので素性は不明だが——やっぱり「相当しんどい立場の人間」の雰囲気がある。疲れた目をしていた。
今夜も来るだろうか。
俺はそう考えながら、厨房で仕込みを始めた。
▽ ▽ ▽
夢の世界における「時間」は、現実と完全には一致しない。現実で一晩眠っている間、夢の世界では数時間から十数時間が流れる場合もある。俺の魔力が大きいほど、夢の密度は高まり、時間の流れも長くなる。
午後の光が差し込む夢の喫茶店の中で、俺は一人せっせと仕込みをしながら、ふと窓の外を眺めた。
喫茶店の周りには、まだ何もない。
石畳の小道があって、その先はぼんやりとした「まだ何も作っていない空白」だ。
前世のゲームデザイナーとしての癖で、俺はいつも「もっと広げたい」という衝動を覚える。喫茶店の隣には何を建てようか。パン屋か、雑貨屋か、それとも広場か。
でも今はまだ、客が少ない。
客が少ないうちは、小さくて居心地のいい場所の方がいい。広すぎる空間は、疲れた人間を余計に萎縮させる。
ゲームマスターとしての前世の経験が、そう教えていた。
「まずは信頼関係だ」
俺はそう呟いて、ハンバーグのタネをこねた。
▽ ▽ ▽
夜になった。
夢の世界の「夜」は、俺が意図的に設定しなければ来ないが、雰囲気のために時々設定する。今夜は——満天の星空にした。
喫茶店の窓から見える空に、手のひらで描いたような星座が輝いている。現実の星座とは違う、俺の「オリジナル」だ。
カランカラン。
ドアベルが鳴った。
「また来てしまいました」
金色の髪の女の子が、外套を抱えて入ってきた。
アバター体でも滲み出る疲労感——目の下にうっすら隈があって、肩が下がっていて、全体的に「重いものを背負っている」空気がある。
俺はカウンターの中から声をかけた。
「いらっしゃい。今夜のスペシャルはランチセットなんだけど、もう夜だから夕食セットにしようか。ハンバーグとライス、それからスープ」
女の子は少し目を瞬かせた。
「……い、いつもと違うメニューですね」
「腹が減ってるだろうと思って。毎晩コーヒー一杯だと、体が心配でさ」
「——っ」
何か言いかけて、女の子は口を噤んだ。そのまま、いつもの窓際の席に静かに座った。
俺はハンバーグを皿に盛り、デミグラスソースを回しかけた。バターライスの香ばしい匂いが厨房に広がる。コンソメスープを器に注いで、トレイに載せて運んだ。
「どうぞ」
「あの、これは」
「サービスだよ。毎日来てくれてるし、最近ちょっと顔色悪いから」
女の子は——ぽかんとした顔で、料理を見つめた。
しばらくそのままでいたが、やがてスプーンを手に取って、スープを一口すすった。
その瞬間。
「あ」
声が、小さく漏れた。
「美味しい?」
「はい」
「よかった」
俺は自分のカウンター席に戻り、コーヒーを飲みながら本を読んだ。
客が食べている間に、べらべらと話しかけるのは野暮だ。
それはゲームマスターとしての経験ではなく——前世でたまに行った「一人で入るような小さな定食屋」の店主から学んだことだった。
しばらくして、ドアベルがまた鳴った。
「なんか昨日よりいい匂いがするな」
赤い目の黒髪の男の子が、昨日と同じようにきょろきょろしながら入ってきた。
窓際の席に既に女の子がいるのに気づいて、一瞬足を止める。
女の子の方も、男の子に気づいて少し身を固めた。
「いらっしゃい」と俺は言った。「どこでも好きな席に座って。今夜はハンバーグセットがおすすめ」
「ハンバーグ?」
「食べたことない?」
「ない」
「じゃあ食べてみて。俺の自信作」
男の子は少し考えてから、女の子から二席ほど離れたカウンター席に座った。
俺はもう一皿セットを準備した。
男の子はハンバーグを一口食べて——止まった。
ゆっくりと、もう一口。
また止まる。
「なんだこれ」
「美味しい?」
「うまい。なんでこんなにうまいんだ」
「嬉しいな。レシピ、ちょっと工夫したから」
男の子は黙って、でも真剣な顔で食べ続けた。
窓際では、女の子がパンナコッタを静かに食べている。
ドアの外では、夢の星空が静かに輝いている。
喫茶店の中は——ただ、穏やかだった。
俺は本のページを繰りながら、心の中でにやりとした。
これだよ、これ。
客が美味いもの食って、ほっとした顔してる瞬間。
これが一番いい。
前世でも、ゲームの中でプレイヤーが楽しそうにしているのをモニター越しに見るのが好きだった。直接会ったことがなくても、数値とログで「ああ、この人、今めちゃくちゃ楽しんでるな」とわかる瞬間が好きだった。
今は、直接目の前にいる。
最高だ。
▽ ▽ ▽
カランカラン。
「あっ」と女の子が小さく声を上げた。
「どうした?」
「時間が、来てしまいました。そろそろ目覚めてしまいます」
「そうか。また来てよ」
「はい。必ず」
女の子が席を立った。入ってきた時より、明らかに肩の力が抜けていた。
「ありがとうございました、マスター」
「またね」
女の子の姿が、ふわりとフェードアウトした。夢の世界での「目覚め」はいつもこんな感じだ。
残った男の子が、その様子を、少し不思議そうに眺めていた。
「あいつも、毎晩来てるのか?」
「うん、二週間前くらい前から常連だよ」
「俺は昨日が初めてだ」
「知ってる。昨日、入ってきた時すごく警戒してた」
「————」
男の子は目を逸らした。少し照れているようだった。
「美味かった」
「また来て」
「来るかどうかは、気分次第だ」
「うん。別にいつでもいいよ。扉は開いてるから」
男の子はしばらく黙って、手元の食後のコーヒーを飲んだ。
「ここは、何なんだ?」
「喫茶店」
「それはわかる。なんでこんな場所が夢の中にある? 誰が作った?」
「俺が作った」
男の子は、じろりと俺を見た。
「おまえが?」
「うん」
「おまえは何者だ」
俺は少し考えてから、前世の用語で答えた。
「ゲームマスター、みたいなもんかな」
男の子は首を傾げた。「ゲームマスター?」
「この場所の管理者、ってこと。作った人間でもあるし、ルールを決める人間でもある」
「神様、みたいなものか」
俺は苦笑した。「そこまで大げさじゃないけど、まあ——ここではそういう感じかな」
男の子は、また少し黙った。
「一つだけ聞く」
「うん?」
「また来たとき、飯はあるか」
「毎日違うメニューを作るよ。気に入ってくれると嬉しい」
男の子は、ほんの少し口の端を上げた。
笑顔とも言えないような、でも確かに笑いに近い何かが、その顔に浮かんだ。
「わかった」
そして彼の姿も、ゆっくりとフェードアウトした。
俺は一人になった喫茶店で、二人分の食器を片付けながら、小さく鼻歌を歌った。
「さて、明日は何を作ろうかな」
夢の星空の下、小さな喫茶店の灯りが、静かに輝いていた。




