↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
邪馬台国演義 消えた国と時空の夏  作者: 深蒼 理斗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/45

第34話 愚かな欲望

「人間は、理の中にある」


 イーラの声は、暗闇そのものから響いた。


 消えていた青白い炎が、一つずつ戻ってくる。


 柱。床。段差へ座るヤーマ。


 何も変わっていない。


 だが悠斗は、自分が立っている場所を、もうさっきまでと同じ部屋だと思えなかった。


 壁の向こうに、あの無数の光がある。


 空と大地の下に、人間には見えない何かが走っている。


 知ってしまったのではない。


 何も知らなかったことだけを、思い知らされた。


「理とは、世界を世界として成り立たせるものだ」


 イーラが続ける。


「人間は理の中で生まれ、理の中で命を得る。理の中で見て、触れ、知を積む」


 九条は黙って聞いている。


 さっきまでの余裕は消えていた。それでも目だけは、イーラの言葉を一つも逃すまいとしている。


「ならば、知を積み続ければ、いずれ届く」


「届かぬ」


 イーラは即座に断った。


「なぜ断言できる」


「魚が水の外を泳げぬことに、理由が要るか」


「人は水の外へ出た」


「理の中でな」


 九条の唇が止まる。


「貴様らが見えぬものを観測することと、理の外にあるものを扱うことは違う。遠くを見る目を作ろうと、細かなものを測る器を作ろうと、その知はすべて理の中で積まれる」


 イーラの視線が、美耶の胸元へ移った。


「三種の神器は、理の外にある力を、人間にも触れられる形へ落としたものだ」


 天岩戸八咫鏡が、かすかに震えた。


 美耶は両手で鏡を包む。


「天岩戸八咫鏡は、道を映す」


 鏡の縁に、淡い光が走る。


「界裂草薙剣は、道を開く」


 悠斗は、陽の世界で門が裂けた瞬間を思い出した。


 封印容器を砕き、誰の手にも従わず、空間そのものへ傷を作った剣。


「禍津八尺瓊勾玉は、道を歪める」


 女王の間の空気が沈んだ。


 ヤーマは何も言わない。


 自分が作った勾玉によって、この国を陰の世界へ引き込んだ。


 その事実を否定もしなければ、悔いてもいない。


「役割が定まっているなら、条件もある」


 九条が言った。


「条件が分かれば、再現できる。扱うことも――」


「貴様は、まだ分かっていない」


 イーラの声には、怒りより深い隔たりがあった。


「触れられることと、扱えることは同じではない」


 九条は美耶の鏡を見る。


「現に、その少女は使っている」


「美耶です」


 悠斗は言った。


 九条の視線がこちらへ向く。


「その少女じゃない。美耶には名前がある」


「名前で性質は変わらない」


「あんたは、ずっとそうやって人を物にしてきた」


 美耶が悠斗の手を握る。


 指は冷たかった。


 けれど、その力は弱くない。


「私は、鏡を支配しているのではありません」


 美耶が九条を見た。


「鏡に助けていただき、道を歩いているだけです」


「言い方を変えただけだ」


「違います」


 美耶は首を振った。


「自分が上にいると思っている限り、きっと分かりません」


 ヤーマが、小さく笑った。


「陽巫女にまで言われたな、九条景臣」


      * 1 *


 九条の顔が硬くなる。


 ヤーマは頬杖をついたまま、その変化を楽しんでいた。


「貴様は、自分が高みにいると思っているのだな」


「何の話です」


「王朝の影に潜み、国の裏に巣を作り、真実を独占したつもりでいた」


 宗一郎と玲奈が同時に九条を見る。


 九条家と天叢機関。


 歴史から邪馬台国の痕跡を消し、神器の情報を囲い込み、美耶を生体鍵と呼んだ者たち。


「そして今、我の前でなお、自分は交渉できる側だと思っている」


「我々が守ってきたものを、あなたは知らない」


「守った?」


 ヤーマの笑みが深くなる。


「滑稽だ」


 その一言が、九条の顔を打った。


「貴様は頂に立っていたのではない」


 ヤーマは指先で床を示す。


「小さな器の底で、空を支配したつもりになっていただけだ」


 九条の呼吸が変わる。


 悠斗は初めて見た。


 九条の言葉ではなく、感情が先に動くところを。


「九条家は千年以上、この国と神器の真実を継承してきた」


「千年か」


 ヤーマは、あまりに短い時間を聞いたように瞬いた。


「人間にしては長いのだろうな」


「その積み重ねを、何も知らないあなたが――」


「だが、我にとっては、瞬きの間に虫が巣を広げた程度のこと」


 加賀見が息を呑む。


「局長」


 止めようとする声だった。


 九条には届いていない。


「九条家を侮辱するか」


 ヤーマは、心底不思議そうに首を傾げた。


「侮辱?」


 青白い炎が揺れる。


「違うな」


 ヤーマは九条をまっすぐ見た。


「我は、ただ見たままを言っている」


 九条の右手が、わずかに動いた。


 上着の前を確かめるような、小さな動き。


 玲奈の目が鋭くなる。


「手を見えるところへ」


 九条は従わない。


「貴様らは、真実を守ったのではない」


 ヤーマの言葉が続く。


「真実の影に群がり、自分たちだけが選ばれたと酔っていただけだ」


「黙れ」


 九条の声が低く落ちた。


 女王の間の兵士たちが、槍を上げる。


 加賀見が九条の前へ出ようとした。


「お控えください」


「下がれ、加賀見」


「ここは天叢機関ではありません」


「だから何だ」


「我々の武器も、権限も、何の保証にもならない場所です」


 九条の目が加賀見へ向く。


「お前まで、私が間違っていると言うのか」


「生きて戻るべきだと申し上げています」


「戻って何を報告する。人間には理解不能でしたとでも言うのか」


 加賀見は答えられなかった。


 その沈黙が、九条には裏切りに見えたのかもしれない。


 ヤーマだけが、九条の右胸を見ていた。


「その武器を使うか」


 玲奈が腰を落とす。


 九条の手が止まった。


「何のことです」


「鉄の塊を飛ばす道具だ」


 ヤーマは自分の胸元を指した。


「よいぞ」


 美耶の手が強くなる。


「ヤーマ様」


「貴様が頂に立つ者だと言うのなら、我を撃ち抜いてみせよ」


      * 2 *


「挑発に乗ってはなりません!」


 玲奈が叫んだ。


 同時に、九条の上着へ手を伸ばす。


 加賀見も動いた。


 だが、二人より先に九条が銃を抜いた。


 黒い銃身が、青白い炎を弾く。


 邪馬台国の兵士たちには、それが何か分からない。


 それでも武器だと察し、槍を九条へ向ける。


 悠斗は美耶を引き寄せた。


 宗一郎が床へ身を伏せる。


「局長、下ろしてください!」


 加賀見が九条の腕をつかむ。


 銃口が揺れた。


「離せ」


「撃てば、取り返しがつきません」


「すでに取り返しのつかない場所にいる」


 九条は加賀見を振り払った。


 ヤーマは動かない。


 段差の上で、退屈そうに九条を見ている。


「どうした」


 銃口の先で、ヤーマが笑う。


「千年かけて辿り着いた男が、指一本動かすこともできぬのか」


「やめろ!」


 悠斗の声と、乾いた破裂音が重なった。


 青白い炎が大きく揺れる。


 美耶が息を呑み、悠斗の胸へ顔を伏せた。


 銃口から細い煙が上がっている。


 ヤーマの胸に、小さな穴が開いていた。


 そう見えた。


 次の瞬間、背後の柱から木片が弾けた。


 ヤーマの胸には、傷一つない。


 弾丸は、そこに何もなかったように身体を抜け、後ろの柱へ食い込んでいた。


「な……」


 九条の口から、初めて意味にならない声が漏れた。


 加賀見が銃を持つ手首をねじ上げる。


 玲奈が銃を奪い、床へ滑らせた。


 兵士たちが一斉に九条を取り囲む。


 槍の穂先が、首と胸へ突きつけられた。


 九条は抵抗しなかった。


 目の前のヤーマから、目を離せずにいる。


「当たったと思ったか」


 ヤーマが自分の胸へ手を当てた。


「哀れなものだな」


 指先は、何の抵抗もなく衣の上を滑る。


「見えているものを、触れられるものだと思い込むとは」


「映像、なのか」


 九条の声が震える。


「違う」


 イーラが答えた。


「幻覚か。投影か。光学的な――」


「貴様らが我らを見ているのではない」


 九条の言葉が切れる。


「我らが、貴様らに見えるようにしている」


 悠斗はヤーマを見る。


 そこにいる。


 声も聞こえる。床には衣の裾が触れているように見える。


 けれど、本当はどこにいるのか。


 人の姿の向こうに、何があるのか。


 想像しようとしただけで、頭の奥が痛んだ。


「貴様の武器がヤーマに届かなかったのは、ヤーマが避けたからではない」


 イーラは九条を見下ろした。


「貴様の武器が届く場所に、ヤーマはいないからだ」


 宗一郎が、ゆっくり顔を上げる。


 考古学者として、神話と歴史の境を追い続けてきた男。


 その顔から、すべての言葉が消えていた。


「……神ではないか」


 呟きは、祈りではなかった。


 理解できないものを前にした、人間の戦慄だった。


「そう呼ぶ者もいたであろう」


 イーラが宗一郎へ答える。


「だが、それは人間が理解できぬものに名を与えただけだ」


 ヤーマが笑った。


「神、か」


 その響きを、面白がるように繰り返す。


「人間は、理解できぬものに大仰な名をつけたがる」


      * 3 *


「九条景臣」


 イーラの声で、女王の間から温度が消えた。


 青白い炎が、すべてイーラの方へ傾く。


 九条を押さえていた兵士たちが、理由も分からないまま後ずさった。


 ヤーマの笑みも止まる。


「貴様は、ヤーマへ殺意を向けた」


 イーラは動いていない。


 声も荒らげていない。


 それなのに、悠斗は結界の外で感じたものより深い恐怖に襲われた。


「殺意も、欲も、怒りも、我らには見えている」


 九条の足元から、黒い亀裂のようなものが広がる。


 床が割れたのではない。


 九条の影だけが、底のない場所へ落ちていくように伸びている。


「その殺意を、我が見逃すと思ったか」


 九条が初めて、後ろへ逃げようとした。


 だが、膝が動かない。


 加賀見が九条の肩を抱き、引き戻そうとする。


「お待ちください。撃たせた責任は私にもあります」


「加賀見!」


「黙っていてください!」


 加賀見の声が、九条の命令を初めて押し返した。


「イーラ様」


 美耶が呼びかける。


 イーラの視線は九条から離れない。


 その横顔を、ヤーマが見ていた。


「イーラ」


 先ほどまでとは違う声だった。


 嘲りも退屈もない。


「我への殺意を、怒るのか」


 イーラがヤーマを見る。


 九条の影を飲み込もうとしていた闇が、止まった。


「ヤーマ」


 二人の間に、誰にも触れられない時間が流れる。


「貴様へ向けられた殺意を、我が見過ごす理由はない」


 ヤーマは瞬きをした。


 初めて、人間の女のように見えた。


「そうか」


 声は、ひどく静かだった。


「イーラは、我を見ているのだな」


 イーラは答えない。


 けれど、目を逸らさなかった。


 悠斗には、その沈黙の意味が分からなかった。


 九条にも分からないのだろう。


 彼は解放された足で逃げようともせず、ヤーマとイーラを見ていた。


 恐怖ではない。


 その目に、また光が戻っている。


 届かなかった。


 撃ち抜けなかった。


 自分の尺度をすべて否定された。


 それでも九条が見ているのは、手に入らないものだった。


「まだ欲しがるか」


 ヤーマが九条へ尋ねる。


「今の力を」


 九条は答えなかった。


 答える必要もなかった。


 ヤーマには、すべて見えている。


「愚かなものだ」


 ヤーマが片手を上げる。


 手のひらの上で、空間が歪んだ。


 最初は、陽炎のような揺らぎだった。


 やがて揺らぎは丸く閉じ、拳ほどの球になる。


 透明なのに、向こう側は見えない。


 球の内側で、光と闇が何度も裏返っている。遠い星空のようなものが浮かび、次の瞬間には深い水底のように沈む。


 見つめるほど、距離が分からなくなる。


 手のひらに乗る大きさなのか。


 この部屋より大きいのか。


 世界そのものを、小さく丸めたものなのか。


 悠斗の目には、判断できなかった。


「欲しければ、くれてやろう」


 ヤーマは次元球を、九条の前へ滑らせた。


 球は宙に浮いたまま、音もなく回っている。


「触れるがよい」


 九条の手が上がる。


「それが、貴様の欲した次元の力だ」


 玲奈が九条の肩をつかもうとする。


 だが九条は、夢の中を歩くように一歩前へ出た。


 その指が、球へ伸びる。


「触れるな!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。