53 年末
十二月二十九日、午前三時四十分。都内某テレビ局の地下駐車場に、黒いワンボックスカーが滑り込んだ。
車内には、種馬ズ四人が乗っていた。正確には、四人の形をした疲労の塊が乗っていた。
黒崎は目を閉じたまま首を後ろに倒している。神谷は窓にもたれ、膝の上に置いた台本を一ページもめくれていない。ハルは口を半開きにして眠っているが、眠っているというより電源が落ちている。レイは後部座席で毛布に包まり、まるで出荷前の巨大な高級ぬいぐるみのようになっていた。
「……着いたぞ」
マネージャー田村が振り返ると、レイが薄目を開けた。
「のだぁ……」
「起きろ。五時からメイクだ」
「のだぁ……死んだひいおばあちゃんが手招きしてるのだぁ……ちょっと行ってくるのだぁ……」
「行くな」
「優しそうなのだぁ……あったかいご飯が見えるのだぁ……」
「それ局弁だ」
田村が毛布を剥がすと、レイは本気で悲しそうな顔をした。
年末。
芸能界で売れている者にとって、それは祝いの季節ではない。労働の季節である。
特に今年の種馬ズはひどかった。ドームツアー成功、新曲『勝ち馬が憎い』の大ヒット、レイ主演ドラマの続編決定、神谷主演探偵ドラマの成功、ハル主演映画の興行収入三十五億突破、黒崎の競馬CM大量出演。全部が同じ年に重なった。
結果、年末特番が地獄になった。
歌番組。バラエティ。クイズ特番。ドッキリ。ランキング番組。年越しカウントダウン。密着ドキュメンタリー。ドラマ宣伝。映画宣伝。新曲宣伝。スポンサー挨拶。
テレビ局側は笑顔で言う。
「種馬ズさん出ると数字取れるんですよ!」
その数字が取れてしまったのが、四人の不幸だった。
前日の大型特番では、種馬ズ四人が出演したパートが瞬間最高視聴率二十六パーセントを記録していた。今のテレビではかなり強い数字である。局は大喜び。スポンサーも大喜び。事務所も大喜び。社長など高級ソファで酒を飲みながら笑っていた。
そして、当の四人だけが死んだ魚のような目をしていた。
控室に入ると、スタッフたちが一斉に頭を下げた。
「種馬ズさん、おはようございます!」
「今日もよろしくお願いします!」
「昨日の特番、すごかったですね!」
黒崎が反射で笑顔を作る。
「ありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
さすがリーダーだった。目の下にうっすら疲れが出ているのに、姿勢だけは崩さない。
神谷も小さく会釈した。
「……よろしくお願いします」
声は低い。ほぼ寝起きである。
ハルはふにゃっと笑った。
「おはようございまーす……」
普段の三割くらいしか元気がない。
そしてレイ。
「のだぁ……」
控室のソファを見つけた瞬間、一直線に向かった。
「寝るのだぁ……」
「寝るな。メイク」
「ソファが吾輩を呼んでるのだぁ……」
「呼んでない」
「このソファ、吾輩のこと好きなのだぁ……」
「お前の幻覚が進んでる」
田村がレイを引きずってメイク椅子に座らせると、女性ヘアメイクが苦笑した。
「レイくん、今日も寝不足?」
「寝不足という概念を超えたのだぁ……吾輩は今、眠気そのものなのだぁ……」
「哲学みたいになってる」
「年末特番は人類の敵なのだぁ……」
「それ本番で言わないでね」
「言ったら視聴率取れるのだぁ?」
「取れるかもしれないけど怒られる」
レイは目を閉じた。ヘアメイクが顔に触れている間に、もう寝かけている。
隣で黒崎が台本を確認していた。今日の番組は朝から夜まで続く大型年末バラエティで、種馬ズは歌唱、トーク、クイズ、ゲーム、さらにドラマと映画と新曲の宣伝まで詰め込まれている。
黒崎が静かに台本を閉じた。
「……これ、俺たち今日何本分働くんだ?」
田村が目を逸らした。
「聞かない方がいい」
神谷が小さく言う。
「……帰り何時ですか」
「明日の朝」
沈黙。
ハルがゆっくり顔を上げた。
「明日って、今日の次の日?」
「そう」
「えぇ……」
ハルの顔から光が消えた。
神谷は無言で水を飲んだ。黒崎は笑顔を作ろうとして失敗した。レイは半目で呟いた。
「吾輩、やっぱりひいおばあちゃんのところへ行くのだぁ……」
「行くなって」
午前六時。まずは朝の情報番組内の年末特番告知コーナー。四人はキラキラした衣装を着せられ、眠気を粉飾してスタジオへ立たされた。
司会者は元気だった。
「さあ!今日のスペシャルゲストは種馬ズのみなさんです!」
観覧席から歓声が上がる。
「キャアアアア!」
「レイーーー!」
「黒崎くーーん!」
「神谷ーー!」
「ハルーー!」
歓声を浴びた瞬間、四人はほぼ反射でアイドルの顔になった。黒崎は爽やかに手を振り、神谷は静かに会釈し、ハルは笑顔で両手を振り、レイは胸を張って叫んだ。
「飼い主たちぃいいい!朝から餌代払う準備はできてますのだぁ!?」
「朝からそれ!?」
司会者が笑い、スタジオが沸く。
レイは調子に乗ろうとしたが、次の瞬間あくびを噛み殺した。
「のだぁ……」
「レイくん眠そうだね?」
「眠くないのだぁ。魂が少し離席してるだけなのだぁ」
「それ眠いんだよ!」
笑いが起きる。
黒崎が自然にフォローする。
「年末でありがたいことに色々出させていただいてるので、みんな少しだけ寝不足ですね」
「少しだけ?」
神谷がぼそっと言った。
「……かなり」
スタジオ爆笑。
ハルも笑っていたが、目がほぼ閉じている。
「ハルくん大丈夫?」
「大丈夫です!今、楽しい夢を見てます!」
「起きて!」
この“疲れ切った国民的アイドル”感が妙に受けた。SNSではすぐに切り抜きが回る。
『種馬ズ過労顔なのに顔面強い』
『レイ魂離席してて草』
『黒崎がちゃんと保護者』
『神谷の「かなり」がリアル』
『ハルもう半分寝てる』
そして番組側は、その反応を見てさらに喜んだ。
つまり仕事が増える。
昼。クイズ特番収録。
種馬ズは四人でチームとして座らされていた。問題は年末総ざらいニュース。芸能、政治、スポーツ、流行語、経済。
黒崎は普通に答えられる。神谷も静かに正解を出す。ハルは勘で変な答えを書く。レイは基本的に何も分かっていない。
「今年話題になった経済用語、インフレとは何でしょう?」
レイは真剣にフリップへ書いた。
【吾輩のグッズ価格が上がること】
「違います!」
「のだぁ!?かなり近いのだぁ!」
「近くない!」
「市場が熱くなる現象なのだぁ!」
「黙れ転売目線!」
観覧席は大爆笑。黒崎は頭を抱え、神谷は少し笑い、ハルは「レイ君っぽい!」と喜んでいた。
だが、田村は袖で青ざめていた。
(また変な切り抜きが出る……)
案の定、数分後にはSNSで回り始めた。
『インフレ=レイのグッズ価格上昇』
『経済を私物化する男』
『でも分かりやすい』
夕方。歌唱パート。
ここだけは四人とも空気が変わった。
疲れていても、ライブと歌になると身体が動く。照明が落ち、イントロが流れ、観客の歓声が上がると、レイの目にも光が戻る。
一曲目は『勝ち馬が憎い』。年末特番で歌うにはかなり湿度の高い曲だが、今年を代表する大ヒット曲なので避けられない。
黒崎の低い歌い出し。神谷の静かな声。ハルの切ないパート。そしてレイ。
「のだぁ〜〜♩勝ち馬ばっか選びやがってぇ〜〜♩」
観覧席が沸く。
テレビの前でも飼い主たちが叫んでいるだろう。レイはそれを分かっているから、サビで少しだけカメラを睨むように見た。
「吾輩の三年返せなのだぁ〜〜♩」
スタジオに悲鳴が起きる。
歌い終わると、四人は息を切らしていた。特にレイは肩で息をしている。
司会者が感心したように言う。
「いやぁ、やっぱりライブ強いですね!」
黒崎が笑顔で頭を下げる。
「ありがとうございます」
神谷も小さく頷く。
ハルは汗だくで笑っている。
レイはマイクを握りしめ、真剣な顔で言った。
「のだぁ……」
「レイくん?」
「やはり吾輩たちは歌ってる時だけ生きてるのだぁ……」
ちょっといい空気になりかけた。
「でもその生を維持するには餌代が必要なのだぁ」
「台無し!」
スタジオ爆笑。
夜八時。メイン特番本番。
種馬ズ四人が揃うコーナーは番組側がかなり力を入れていた。視聴率が取れるからである。実際、前回の特番で二十六パーセントを叩き出したのは、種馬ズが芸人たちと絡みながら新曲宣伝をした時間帯だった。
今日も局幹部が直接見に来ていた。
「頼むよ、種馬ズ」
その一言でレイは一瞬で起立した。
「のだぁあああ!任せてくださいなのだぁあああ!局様のために働きますのだぁあああ!」
さっきまで死にかけていたくせに、偉い人を見た瞬間だけ生命力が戻る。
黒崎は苦笑した。
「切り替えすごいな」
神谷が静かに言う。
「……権力で回復するタイプ」
ハルは半分寝ながら笑っていた。
本番。人気芸人とのトーク。
「今年一番忙しかった人たちじゃないですか?」
黒崎が答える。
「ありがたい一年でした」
「本音は?」
神谷が小声で言う。
「……寝たい」
笑い。
ハルが続ける。
「焼肉食べたい!」
さらに笑い。
レイは天井を見た。
「吾輩は今、死んだひいおばあちゃんと交渉中なのだぁ」
「何の交渉!?」
「“まだ来るな”って言われたのだぁ」
「よかったじゃん!」
「“年末特番終わってから来い”って」
「ひいおばあちゃん厳しいな!」
スタジオ大爆笑。
レイは本気で疲れているのに、なぜか笑いになる。そこが番組側にとって非常に便利だった。
そして視聴率はまた伸びた。
控室に速報が入る。
「今の種馬ズコーナー、かなり数字いいです!」
スタッフ歓喜。
レイは椅子に沈んだ。
「……のだぁ」
黒崎が聞く。
「どうした」
「また仕事が増える音がしたのだぁ」
全員黙った。
その通りだったからである。
深夜一時半。最後の収録が終わった。
四人は楽屋に戻った瞬間、ほぼ同時に崩れた。黒崎は椅子に座ったまま動かない。神谷は壁にもたれた。ハルは床に寝転がった。レイはソファに突っ伏した。
田村が入ってくる。
「お疲れ。今日の特番、また数字良かった」
誰も喜ばない。
ハルが床から小さく言う。
「数字って怖いねぇ……」
神谷が呟く。
「……良いと仕事増える」
黒崎が目を閉じたまま言った。
「でも悪いと怖い」
レイはソファに顔を埋めたまま言う。
「芸能界、逃げ場ないのだぁ……」
田村は苦笑した。
「年末越えたら少し休める」
四人が同時に顔を上げた。
「本当か?」
「……本当ですか」
「焼肉行ける?」
「寝れるのだぁ?」
田村は少し目を逸らした。
「三日くらいは」
四人はまた同時に崩れた。
「少なっ……」
レイが呻く。
だが数秒後、スマホ通知を見たレイの目がわずかに光った。
「のだぁ……」
黒崎が警戒する。
「何」
「年末特番効果で初期グッズがまた上がってるのだぁ……」
「お前は本当に最後までそれか」
レイは死んだ目のまま、口元だけ少し笑った。
「労働の成果なのだぁ……」
そして、そのまま寝落ちした。
テレビ局の外では、まだ飼い主たちがSNSで騒いでいた。
『種馬ズ今日も最高』
『年末特番全部出ててすごい』
『でも休んで』
『レイひいおばあちゃんのところ行かないで』
『黒崎が限界保護者だった』
『神谷の「寝たい」がリアル』
『ハル床で寝てそう』
その予想は、だいたい当たっていた。
種馬ズは国民的アイドルになった。
なった結果、年末に限界まで働かされていた。
そして、それでも数字を取ってしまうせいで、来年の年末スケジュールも既に怪しくなっていた。




