50 マネージャー田村回
夜九時四十分。都内高速道路。
田村は死んだ目で車に揺られていた。
疲れていた。
本当に疲れていた。
朝五時起き。
情報番組。
雑誌撮影。
ブランドイベント。
配信コメント。
ライブ打ち合わせ。
スポンサー会食。
そして最後にレイが勝手にファンへ手を振りに行って軽く騒ぎになった。
「のだぁ〜〜♡」
じゃない。
止まれ。
本当に止まれ。
田村はネクタイを少し緩めながら深いため息をついた。
だが。
今日は帰らなければならない。
絶対に。
何故なら。
結婚十周年。
かなり重要。
しかも妻は数日前から静かに圧をかけてきていた。
『今年はちゃんといるよね?』
怖かった。
かなり怖かった。
田村は芸能界の大物スポンサーより、妻の静かな怒りの方が怖い。
助手席。
レイ。
「のだぁ?」
最悪。
まだ乗ってる。
「田村ぅ」
「なんだ」
「疲れてるのだぁ?」
「お前のせいだよ」
「酷いのだぁ♡」
レイはコンビニで買ったプリンを食べていた。
人の車で。
人の疲労を無視して。
田村は時計を見る。
九時四十二分。
まずい。
予約したケーキ受け取りが十時まで。
終わる。
人生が。
「のだぁ?」
レイが首を傾げる。
「なんか焦ってるのだぁ?」
「今日は帰らないと死ぬんだよ」
「お仕事なのだぁ?」
「結婚記念日」
静止。
レイ。
数秒。
「……のだぁ?」
「なんだその反応」
「田村ぅ」
「うん」
「結婚してたのだぁ?」
「してるわ!!」
「知らなかったのだぁ!!」
「十年一緒にいて知らないの怖いよ!」
レイは本気で驚いていた。
「奥さんいるのだぁ!?」
「いるわ!!」
「愛人じゃなくてぇ!?」
「普通の家庭だよ!!」
レイはかなり衝撃を受けていた。
「うわぁ……」
「なんだよ」
「田村にも人生あったのだぁ……」
「お前俺を何だと思ってたんだ」
「仕事で生きてる妖怪」
「ぶん殴るぞ」
だがレイは妙に感心していた。
「十年なのだぁ?」
「そう」
「すごいのだぁ」
「まあな」
田村は少し笑った。
実際。
芸能界の仕事は家庭壊れやすい。
帰れない。
連絡遅い。
土日ない。
夜中呼び出し。
種馬ズが売れてからさらに酷い。
妻にもかなり負担をかけている自覚はある。
だから今日だけは帰らなければならない。
絶対に。
「のだぁ……」
レイは少し考えていた。
「奥さん怒るのだぁ?」
「去年仕事で帰れなかった」
「あっ」
「かなり怒った」
「うわぁ」
「静かに怒るタイプなんだよ」
レイ。
青ざめる。
「怖いやつなのだぁ」
「怖い」
「吾輩も怖いのだぁ」
「お前関係ないだろ」
車は高速を降りる。
田村。
時計確認。
九時五十分。
ギリギリ。
「間に合え……」
本気だった。
レイも少し空気を読んでいた。
珍しく静か。
だが。
数秒後。
「のだぁ」
「なんだ」
「奥さん美人なのだぁ?」
「普通だよ」
「絶対田村に騙された可哀想な人なのだぁ」
「お前さぁ」
「十年も一緒にいるとか聖人なのだぁ」
「お前本当に失礼だな」
だが少し笑ってしまった。
実際。
妻にはかなり苦労かけている。
レイたちが売れれば売れるほど、田村の帰宅時間は壊れていった。
ドーム。
海外。
炎上。
週刊誌。
全部対応。
普通の家庭ならとっくに揉めてる。
それでも十年続いている。
田村自身、少し不思議だった。
その時。
レイ。
急に真顔。
「……田村」
「うん?」
「ちゃんと帰った方がいいのだぁ」
田村は少し驚いた。
「珍しくまともだな」
「吾輩ぁ」
窓の外を見ながら言う。
「仕事だけで生きるの嫌なのだぁ」
静かだった。
レイは俗物だ。
怠け者。
小物。
でも時々、妙に人間臭いことを言う。
「……まあな」
田村も少し笑う。
その時。
到着。
ケーキ店。
田村。
「よし!」
飛び出す。
全力。
レイ。
車内から見てる。
「のだぁ……」
数分後。
田村、ケーキ持って戻ってくる。
かなり真剣な顔。
レイ。
ニヤァ。
「愛なのだぁ♡」
「うるせぇ」
「田村ぅ」
「なんだ」
「奥さん大事にするのだぁ」
田村は少しだけ笑った。
「お前に言われると腹立つな」
その後。
マンション前。
田村は急いで車を降りる。
ケーキ。
花。
荷物。
かなり必死。
レイは窓からその背中を見ていた。
「のだぁ〜〜」
そしてボソッと言う。
「……なんかいいのだぁ」
その夜。
田村の妻はちゃんと少し不機嫌だった。
だが。
ケーキを見て。
花を見て。
疲れ切った夫の顔を見て。
最後には少しだけ笑った。




