42 ミレイの発言
深夜二時過ぎ。白鳥ミレイのマンションは静かだった。リビングには間接照明だけがついていて、ガラス越しに見える都会の夜景もどこかぼんやりしている。撮影終わりのミレイはようやくシャワーを浴び終え、ソファに座っていた。テーブルにはササミ料理、サラダ、スープ。かなり健康的である。
その健康的なササミを、目の前の男が勝手に食べていた。
「のだぁ♡」
佐藤レイ。二十三歳。相変わらず売れている。というより、以前よりさらに売れていた。ドラマ、ライブ、CM、配信、映画主題歌、バラエティ。芸能界のど真ん中で毎日騒がしく生きている男である。
だが、その実態は今も昔もそんなに変わらない。人の家に来て勝手に冷蔵庫を開け、ササミ料理を食べ、ソファで転がりながら「働きたくないのだぁ」と言っている。
「それ私のなんだけど」
ミレイが真顔で言う。
レイはモグモグしていた。
「共有財産なのだぁ♡」
「いつから?」
「長い付き合いなのだぁ」
「便利な言葉だなぁ」
ミレイは呆れながら水を飲んだ。だが、完全に追い出す気配もない。結局ここ数年、こういう距離感で続いてしまっている。交際しているのかと聞かれると微妙だが、他人かと言われるともっと違う。芸能人同士にありがちな、曖昧で奇妙な関係だった。
レイはササミを食べながらスマホを見ている。どうせまた自分のグッズ相場でも見ているのだろうとミレイは思ったが、今日は珍しくボーッとしていた。
「最近忙しいのだぁ……」
「そりゃそうでしょ。ドームツアー終わったと思ったら次ドラマ入ってるし」
「吾輩、人権がないのだぁ」
「人気商売だからねぇ」
レイは深いため息をついたあと、急にミレイの膝へ頭を乗せた。
「重い」
「癒しなのだぁ」
「犬かよ」
「大型犬なのだぁ♡」
図体だけは本当に大型犬である。百九十を超える男が無遠慮に膝へ乗ってくるのでかなり重い。だがミレイは慣れてしまっていた。最初の頃は「何こいつ」と思っていたが、今では「ああまた疲れてるんだな」で済ませている自分が少し嫌だった。
レイはしばらく黙っていた。珍しい。いつもなら意味不明なことを喋り続ける男なのに、今日は妙に静かだった。ミレイが不思議そうに見ると、レイは天井を見ながらボソッと言った。
「のだぁ……」
「何」
「吾輩ぁ」
「うん」
「今めちゃくちゃ売れてるのだぁ」
「知ってる」
「怖いのだぁ」
ミレイは少し目を丸くした。レイは基本的に調子に乗っているが、時々こうやって妙に弱気になる。しかもそのタイミングがリアルだ。人気がピークに近づくほど、逆に落ちる恐怖が増しているのだろう。
「何が怖いの」
「全部なのだぁ」
「ざっくりしてるな」
「スキャンダルも怖いしぃ、数字落ちるのも怖いしぃ、世間に飽きられるのも怖いのだぁ」
「まあ芸能界だしね」
レイは少し黙ったあと、小さい声で言った。
「だから吾輩ぁ」
「うん」
「誰かと結婚するとか想像できないのだぁ」
ミレイは少し意外そうな顔をした。以前なら「電撃結婚なのだぁ♡」とか騒いでいた男が、今日は珍しく真面目だったからだ。
「へぇ。前はノリノリだったのに」
「若かったのだぁ」
「今も若いでしょ」
「吾輩も大人になったのだぁ」
そう言いながらササミをまた盗んでいるので説得力はゼロだった。
ミレイは少し考えたあと、何気ない口調で言った。
「まあ、数年後にまだこうやって一緒にいたら、電撃結婚くらいしてあげてもいいけど」
その瞬間だった。
レイが固まった。
本当に固まった。
箸を持ったまま停止。
まばたき停止。
呼吸停止。
ミレイは最初気づかなかったが、数秒後に異変へ気づく。
「……レイ?」
反応なし。
「おーい」
まだ止まっている。
「怖」
そこでようやくレイの口が少し動いた。
「……のだぁ?」
声が小さい。
「何その反応」
レイはゆっくりミレイを見た。いつものふざけた顔ではなく、かなり本気で混乱している顔だった。
「今ぁ……」
「うん」
「結婚って言いましたのだぁ?」
「言ったけど」
「電撃って言いましたのだぁ?」
「言ったけど」
「吾輩とですのだぁ?」
「他に誰いるの」
レイ、再停止。
ミレイはだんだん面白くなってきた。
「何。嫌なの?」
「嫌じゃないのだぁ!!」
レイ、即否定。
声がデカい。
「嫌じゃないけどぉ!!」
「けど?」
「現実味が急に来たのだぁ!!」
レイは頭を抱えた。
「うわぁぁぁ……」
「何その反応」
「吾輩ぁ……」
レイはかなり真剣な顔をしていた。
「結婚ってもっとこう……」
「うん」
「週刊誌とかが勝手に騒ぐイベントだと思ってたのだぁ……」
「最低の認識だな」
「まさか自分がする側だとは思ってなかったのだぁ……」
ミレイは吹き出した。レイは完全にテンパっていた。
「のだぁ……」
「そんな焦る?」
「だってぇ!!」
レイは真顔で言った。
「吾輩、結婚したらグッズ相場どうなるのだぁ!?」
ミレイはクッションを顔面へ投げた。
「結局そこかよ!!!」




