6話
目の前で起きた残酷な光景に、柚月は呆然と立ち尽くした。
いつの間にか白猫の姿は消え、公園には柚月とノアだけが残されていた。
やがて、柚月の身体を包んでいた黒い霧がゆっくりとほどけ、漆黒の衣装が元の制服へと戻る。
ノアが再び姿を現した。
『終わったな。あの老化のスピードからして、二百年以上は契約していたんだろう。……その割に、あっけないものだな』
ノアは軽い調子で言ったが、柚月は言葉を失っていた。
「どういうこと……? 二百年以上って……?」
『契約して魔法少女になると、魔石の力で寿命を超えて生き続けられる。その代わり、魔石が壊れた瞬間、全てを失う』
ノアの声は淡々と状況を説明する。
『茜は死んだ。これで母親のエモスは戻った。だが、他のエモスも散っている。どうする? 倒すか? それともこのままにするか?』
ノアの問いに、柚月は言葉を詰まらせた。
「……わからない。どうすればいいの?」
柚月は縋るようにノアを見た。
ノアの目が細まった。
『自分で考えろ。俺との約束を守り、母親のエモスを取り戻す。全部お前が決めたことだ。後戻りはできない』
ノアはばっさりと言い捨て、柚月の影に溶け込んだ。
その夜、柚月が家に帰ると予想通り、家族の空気は一変していた。
「貴方たちは、私をなんだと思っているのですか?! 私は奴隷でも家政婦でもありません! 自分のことくらい自分でなさってください」
「はぁ? 何を偉そうに! こっちは働いてやってるんだぞ! 誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!」
お母さんは激しい怒りを露わにし、お父さんと激しく言い争っていた。
「やめて、葉月さん! 雅彦は疲れて帰ってきてるんですから」
おばあちゃんも加わり、リビングは今朝とは打って変わって、怒声が飛び交う戦場のようになっていた。
お母さんの瞳は、激しい怒りで満ちていた。
翌日、とうとうお母さんは家を出ていくことを決めた。
柚月は迷わず、お母さんについていくと言った。
問題は何も解決していなかった。
家族はバラバラになり、街はエモスの影響で心なしか空気が重く、どんよりと淀んでいるように感じられた。
寝静まった深夜。
柚月はお母さんにそっと起こされた。
「朝になる前にここを出て行くから、準備をしなさい。お母さんも今からするから」
お母さんは小声で囁き、忍び足で部屋を出て行った。
柚月は言われた通り、静かに荷物をまとめていたが、不意に手を止めた。
色々考えているうちに、胸が苦しくなった。
灰になって崩れた茜の姿。
家に響いていた怒鳴り声。
何度も、頭の中で繰り返される。
夜の静寂が、不安を大きく膨らませた。
柚月は堪らず、自分の影を見つめて呟いた。
「ノア……本当にこれでよかったのかな……私、怖くなってきちゃった」
ノアからの返事はない。
柚月の目に、じわりと涙が滲んだ。
「ノアだったら、どうする?」
しばしの間を置いて、ノアの声が返ってきた。
『……安易な気遣いは偽善だ。俺は俺の好きなようにする。お前もそうすればいい』
まるで突き放したような言い方に、柚月はひどく距離を感じた。
胸がざわつく。
「ノア……急に消えたりしないよね?」
すると、ノアからため息が漏れた。
『……余計な心配をするな。いつ俺が離れると言った? 約束があるだろ』
それだけ言うと、ノアは静かになった。
柚月は小さく笑い、震える手で荷物をまとめ直した。
たくさんの荷物を積み込み、お母さんと車に乗り込む。
柚月が助手席に座ると、その膝の上に小さな影が飛び乗った。
それは、紛れもなくノアだった。
車内が暗かったせいか、お母さんは何も気づかず、車のエンジンをかけた。
ノアはいつものように丸くなり、膝の上で体を預けるようにした。
実体はないはずなのに、そこにいる黒い小さな存在が、柚月の背をそっと押している気がした。
これから進む道が正しいのか、世界がどうあるべきかなんて、まだわからない。
それでも——柚月は心に決めた。
お母さんとノアだけは守る。
それだけは、もう迷わなかった。




