5話
『……わかった。協力しよう。——ただし、一つ条件がある』
ノアの声が、少し低くなった。
『死んだ後、お前の魂をよこせ』
言われて柚月は目を丸くした。
「それって……どうすればいいの?」
柚月が首を傾げると、ノアは気まずそうにそっぽを向いて、続ける。
『死ぬ時になればわかる。とりあえず約束しろ。念のため、契約で縛ることもできるが、俺はそういうのが嫌いなんだ』
「契約……?」
『要は、約束を強制的に守らせるためのものだ。茜は白猫と何らかの契約を結んでいる。おそらく、この世界にいる他の魔法少女もだ。通常は契約によって魔法少女になれるからな』
ここまで説明した後、ノアの気配にわずかな笑みが混じった。
その瞳は底の見えない暗さを帯びていた。
『だけど、俺は違う。契約はしない。お前が約束を破っても、どうせ俺からは逃げられないしな』
ノアはさらりと言い終えると、ベンチの上で伸びをした。
もしノアの言葉が本当であれば、約束する意味はあるのだろうか。
柚月は少し引っかかりを覚えたが、それでもノアの言葉を「優しさ」だと受け取った。
きっとノアは、柚月を信じようとしてくれている。
ずっとそばにいてくれようとしている。
なぜか、そう思えて仕方なかった。
「わかった。約束は守るよ。だから、お願いします」
柚月は姿勢を正して、ノアに向かって頭を下げた。
ノアはちらりと柚月を見て、欠伸をした。
『……お願いも何も、実際に戦うのはお前だ。魔法少女になったからといって、不死身になるわけじゃない。能力は素質と経験次第だ。せいぜい気をつけろよ』
ノアは軽く忠告を残すと、柚月の膝の上に飛び乗り、丸くなった。
その動きは、生前のノアと全く同じだった。
重さは感じなかったが、じんわりとした温かさのようなものが伝わってくる気がして、柚月は思わずノアの背に手を伸ばした。
当然、指はノアの身体をすり抜けた。
『肉体はないって言っただろ。実体化するまで、まだ時間がかかる』
ノアは呆れたように言った後——はっと頭を上げた。
柚月が視線の先を追うと、白猫と茜が公園に入ってきたところだった。
柚月の姿を見つけた茜が駆け寄ろうとするのを、白猫が制した。
『待て。危険だ』
茜の足が止まる。
白猫は目を細め、ノアを凝視した。
『滅したはずなのに、生き残っていたとは……』
そう呟くと、白猫は柚月へと視線を移した。
『そいつはただの黒猫ではない。悪魔だよ。人の心の隙間に入り込み、エモスを操って世界を我が物にしようとしている。騙されてはいけない』
白猫の諭す声が、柚月の頭の中で響く。
茜が神妙な面持ちで一歩踏み出した。
彼女の足元から光が溢れ、制服が一瞬で白い魔法少女の衣装へと変わる。
「そっか……今朝、柚月ちゃんの様子がおかしかったのは、悪魔のせいだったんだね。私が、柚月ちゃんを救ってみせる」
茜の手に、白い弓が現れた。
矢の先端が、ノアに向けられる。
咄嗟に柚月は、膝の上のノアを守るように身を屈め、両腕で囲った。
「……やめて。ノアは悪魔なんかじゃない。私の家族だよ」
その姿に、茜はわずかに弓を引く手を止めた。
白猫がそれを見て、淡々と助言する。
『悪魔に唆されているのだろう。倒せば元に戻るさ』
「……うん」
茜は弓を構え直す。
しかし、ノアは柚月の膝から動こうとしなかった。
『いいのか? そのまま放てば、柚月にも当たるぞ』
ノアの静かな挑発にも、茜は動じなかった。
自信に満ちた笑みを浮かべる。
「大丈夫。私の矢は悪しか貫かないから」
『ほう。ならば、これはどうかな?』
ノアの姿が崩れ、黒いモヤが柚月の全身を包み込んだ。
熱が走った直後、柚月は漆黒の衣装を身に纏っていた。
身体が羽のように軽くなり、妙な高揚感が胸に広がる。
『いにしえの禁術か。愚かな。むしろ自ら標的になったようなもの。茜、躊躇う必要はない。矢を放つんだ』
白猫が冷たく指示するも、茜は弓を下ろして後退った。
「でも……一体化してる。これじゃあ柚月ちゃんが……」
『多少の犠牲は仕方ない。それに、もし彼女が傷を負っても僕が治してあげる』
白猫の声には、焦りが滲んでいた。
茜は少し迷いながらも頷いた。
「……わかった。ごめんね、柚月ちゃん」
茜は再び弓を構えて、矢を放った。
光の速さで飛んでくるはずの矢が、柚月には異様にゆっくり見えた。
ベンチから飛び退き、瞬時に回避する。
矢は方向を変えて、柚月を追尾してきたが、追いつかれる気配はない。
——何かが違う。
風でざわめく木々も、空を飛ぶ鳥も。
すべてがゆったりと動いている。
矢が遅くなったのではない。
柚月の身体が、異常な速度で動いていた。
『茜、挟み撃ちに』
白猫の合図で、茜は反対方向から矢を放った。
柚月は、追尾してきた二本目の矢をギリギリでかわしたが、三本目の矢がさらに放たれた。
(だめ。やられる……!)
三方向からの同時攻撃に、とうとう柚月が追い詰められた時。
柚月の周囲に黒い盾が展開した。
盾は三本の矢をすべて弾き返し、茜へと還っていく。
『……何!?』
白猫が驚きの声をあげた。
三本の矢は、茜の胸のリボンに輝く赤い宝石を正確に貫いた。
パキン、という乾いた音と共に、宝石にヒビが入り黒い霧がどっと溢れ出した。
それは茜がこれまでに倒してきた無数のエモスだった。
大量のエモスが解放された後、茜の瞳から光が消えた。
魔法少女の衣装が解け、彼女はその場に崩れ落ちる。
柚月は慌てて茜に駆け寄り、息を呑んだ。
茜の身体から白い湯気が立ち上り、手足や顔がみるみるうちに皺だらけになっていく。
「あ……うあぁ……」
茜の口から言葉にならない声が漏れた。
あっという間に老婆の姿へと変貌した茜は、目を見開いたまま息絶えた。
やがて、その身体は静かに崩れ、灰のように散っていった。




