3話
柚月が家に入ると、お母さんはリビングのソファで横になっていた。
いつもより安らかな表情で、静かな寝息を立てている。
柚月は寝室から毛布を取ってきて、そっとお母さんの身体にかけた。
自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がると、柚月はぼんやりと天井を見つめた。
今日の出来事が、頭の中で何度も繰り返される。
エモスという怪物の存在。
それを退治する魔法少女。
そして、白猫が持ちかけた契約の話。
白猫は「君も魔法少女になれる」と言っていた。
でも、そんな勇気はどうしても持てなかった。
茜のように堂々と敵の前に立ち、巨大な怪物を倒すなど、自分には無理だ。
だから、次に誘われた時は、きっぱりと断ろう。
柚月はそう心に決めると、ベッドの上で丸くなり、少し眠ることにした。
外がすっかり暗くなってきた頃。
「柚月ー? 晩御飯できたわよー」
お母さんの明るい声で目を覚まし、柚月はリビングへ向かった。
お父さんとおばあちゃんはすでに席についていて、お母さんが料理を運んでいる。
「今日は柚月の大好きなハンバーグよ。たくさん作ったから、好きなだけ食べてね」
お母さんは、ふんわりと微笑みながら、大きな皿をテーブルに置いた。
今朝の冷たい態度が、嘘のように変わっている。
まるで、以前の優しいお母さんに戻ったみたいだった。
お父さんは怪訝そうにお母さんを眺める。
「やけに機嫌がいいな。何を企んでいる?」
お母さんは微笑んだまま、サラダを取り分けながら答えた。
「何もないわ。今朝はごめんなさい。私、どうかしていました。貴方は毎日、私と柚月のために働いてくれているのに、ひどい態度をとってしまいました」
お母さんが頭を下げると、お父さんはふんと鼻を鳴らした。
「やっと俺のありがたみがわかったか。だいたいお前は、働きもせずに家にいるだけだから、そういった常識に疎いんだよ」
お父さんの説教が始まった。
箸の先をお母さんへ向け、意気揚々に話し続ける。
「お前も働け。今時の女はな、仕事をしながら家事と育児を両立するのが最低限のマナーだ。それができない女は、ただのクズ。男の稼ぎに縋るだけの寄生虫だ」
お母さんは微笑みを崩さず、素直に頷いた。
「そうですね。すぐに仕事を探してみます」
するとお父さんは、口元に嫌らしい笑みを浮かべた。
「いいや、やめとけ。世の中はそんなに甘くない。お前のような女を雇う会社なんてないよ。俺がお前にもできそうな簡単な仕事を探してやるから、そこで働け」
おばあちゃんが息を弾ませて、会話に入る。
「さすが雅彦ね。家族のために、ちゃんと考えてくれるんだから」
そして、おばあちゃんはお母さんを冷たく見下ろした。
「葉月さん。言っておきますけど、仕事を始めたからといって家事を疎かにしないで下さいね。貴方ができる程度の仕事ですから、それくらい当然でしょう? それに、雅彦の浮気だって、もともと貴方にも原因があったんじゃないかしら?」
少しの間を置いて、お母さんは静かに答えた。
「……はい、義母様。雅彦さんが浮気をしたのは私の落ち度です。それなのに、雅彦さんのせいにして、申し訳ありませんでした。これからは心を入れ替えて、誠心誠意尽くしていきます」
お母さんは再び頭を下げた。
柚月の胸に、黒いモヤのようなものが広がった。
お父さんが浮気をしたのに、どうしてお母さんが謝っているのか、全く理解できなかった。
おばあちゃんとお父さんは、満足そうに笑っている。
顔を上げたお母さんも、一緒になって微笑んでいた。
しかし、その瞳には光がなかった。
虚ろで、どこか遠くを見ているようだった。
お父さんが柚月の肩をぽんと叩いた。
「柚月、お前もお母さんのような寄生虫になっちゃだめだぞ。ちゃんと働いて、結婚して子供を産め。三十歳までにそれが出来なきゃ、ただのクズだからな」
おばあちゃんは柚月をじろじろと品定めするように見てから、笑った。
「大丈夫よ。柚月は雅彦に似て賢いんだから」
「ハハハ。そうだな。期待しているぞ」
お父さんとおばあちゃんの笑い声が、リビングに響く。
二人の目はぎらついていた。
自分たちは正しいのだと、微塵も疑っていないような目だった。
お母さんも一緒に笑っている。
でもその笑顔は作り物のように見えた。
柚月は俯き、テーブルの下で拳をぎゅっと握りしめた。




