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ワンスアイヤー  作者: 丸顔のうさぎ
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ワンスアイアー 2007

愛を止めないで:優しくしないで。君はあれから新しい別れを恐れている



彼との付き合いはまだ続いていた。


2週間に1度ほどの割合で渋谷の隠れ家で会う。以前のように食事をしたりなどというまどろっこしいことは全て省いて、待ち合わせた後にコンビニに寄り、軽い夕食を買ってホテルに入り、必ず一緒にお風呂に入って話をし、2度体を重ねて、そして別れるというのがいつものルーティンだ。


隠れ家を出るときは慌ただしい。


さっさと家に帰りたい彼が渋滞を縫うように道玄坂を渡り、マークシティの中を素早く移動する。足の遅い私がうまく道を渡れなかったりしていると、道路の反対側で舌打ちしている彼の姿を目にすることもあった。とにかく彼の歩き方は早く、いつも息を切らしながら彼の背中を追っていった。

それでも JR の改札口で、山手線に乗り込む彼の姿が見えなくなるまで見送るのは、自分にとって大切な決め事であった。

手を振りながら「会ってくれてありがとう」「次に会うまで元気で」「大好き」などと色々な気持ちを込めていた。

何よりも最後に見せる私の顔が笑顔であるように気をつけていた。「この笑顔にもう一度会いたいな」と思ってほしい、そんな願いだった。


彼との付き合いが落ち着いているので、私自身の生活も落ち着いていた。会っている時と会っていない時の切り替えが上手にできるようになったのは大きい。以前だったら会えない日々に嫉妬心が募り、色々なことが手につかなくなってしまっていたが、定期的に彼に会えていることで、日々の生活に目を向ける余裕も出てきていた。


そんな私の最近の問題は上司との関係性だった。決して悪い人ではないことは分かっているが、リーダーとしての素質が全くない人だった。何かを提案しても受け入れない、その理由もまったく意味不明の答えが返ってくる。年に一度の全体会議の時の報告も適当で、年間のロードマップのようなものも出てきた試しがなかった。


そんな上司に対して遠慮なく意見する私の事はきっと苦手だったのだろう。ある日私をマネージャーから降格処分にし、まだ入社3ヶ月で右も左も分からない日本語がおぼつかないハーフの新人を私の代わりにマネージャーにすると言いだした。


説明を聞く気もない。この人とこれ以上話をしても仕方がないと思い、直接社長に背景の説明を求めた。幸い外資系の日本支社で、当時はまだ50人ほどの規模の小さな会社だったので、代表者である社長との距離は近かった。社長の話ではまだその提案は決定ではなく、少し時間を欲しいというものだった。


とりあえず新人が私のマネージャーになるという案は覆されたが、私のマネージャーというタイトルは剥奪され、コーディネーターと言う謎のタイトルが与えられた。それからその上司とは話をせずに日々の仕事をしていたが、陰で妨害をされたり、プロジェクトから外されたりと様々な嫌がらせを受けるようになった。


気にせずにいようとしても体に限界が来ていた。最初はなぜこんなに周りの音がうるさいんだろうというところから始まった。子供の泣き声や男性の大きな笑い声などが耳にこだまして耐えられない。そのうち耳鳴りがするようになってきた。会社近くの耳鼻科医の先生に相談すると、これは突発性難聴だと診断され、まずは強い薬を三日間飲むことになった。それで解決しなければ緊急入院をさせると驚かされた。


ところがそれが現実になった。


三日たっても聞こえは良くなるどころか、ますます酷くなっていた。そしてめまいが始まったのだ。寝ていても起きていてもまるで遊園地のコーヒーカップに乗っているように目が回る。ひどい時にはまっすぐ歩けないどころか、立っていることもできない。耳鼻科医の先生はすぐに紹介状を書いてくれて、その足で入院することになった。


入院したのは飯田橋にある東京厚生年金病院だ。ここは私が高校生だった時、半年間椎間板ヘルニアの手術のために入院をしていた思い出の場所である。ちょうど25年前の事だ。


今回は手術はなく24時間ひたすら抗生物質を体に入れる。それが五日間続き、次の二日間で水を体に入れて抗生物質を抜くという処置が繰り返された。


もちろんこの入院は彼にも伝えた。もしかしたらお見舞いに来てくれるのではないか?という淡い期待もあり、朝の食事が終わると、いつも会社に行くのと同じようにメイクをして1日を過ごした。


この頃ちょうど転職をしたばかりの主人は新しい職場に馴染めず、彼も人間関係で悩んでいた。入院中の私の枕元に来ては、会社や上司の悪口を言っていた。別の意味のストレスを感じ始めていた私は、彼にお休みを取って私の故郷信州の山々を見てくるように勧めた。入院中で彼の世話もできないので実家の母親にお願いし、主人を泊めてもらうよう手はずも整えた。


主人が東京からいなくなったことで、入院生活に集中できるようになったのは大きかった。

2週間で耳の状態が回復し、退院の目処がたった頃、ひとつ冒険をすることにした。

朝の診察後病院を抜け出して最寄りの量販店に行き、 Nintendo DS を買いに行こうと云う計画だ。

というのも、少し前のことだが、エンターテイメント系の会社に勤めている私に対して彼が「会社で DS 手に入らない?」と聞いてきたからだ。

私の職場でDS は手に入ることはないが、私の努力で手に入れようと思っていた。

この頃 DS は人気が高まっていて、なかなか手に入らないことは知っていた。なので朝一番に都心の量販店に行けばなんとか手に入れるのではないかと目論んでいたのだ。


計画実行の日、看護師さん達の目を盗んで、点滴スタンドをつけたまま都会の街をガラガラと歩く。

意外だったのは地下鉄の駅からの移動時、エレベーターが多く、点滴スタンドをつけたままでも案外スムーズに移動ができたことだった。

病院のパジャマの上にスウェットスーツを着込んで11月の東京の街を歩く姿は異様だったかもしれない。そんな事はお構いなしで、私はただひたすら量販店で DS を買うことだけをイメージして歩いていた。


そしてその朝たった3台入荷したという内の1台を手にすることができた。これで彼のクリスマスプレゼントが用意できた。退院が決まるよりもこの DS が手に入った方が嬉しかった。


退院した翌日、彼と久しぶりに渋谷の隠れ家で会った。


入院というのはなんと体力を奪うことだろう。いつもと同じように、隠れ家のお風呂の準備をし、いつもと同じように二人で入り、いつもと同じように抱いてもらっているのに動悸が治らない。まるで常に軽くジョギングをしているような感覚なのだ。その時彼が言い放った。


「はぁはぁうるさいわ」


もう笑いしか出てこなかった。20日間抗生物質漬けにされ、退院時は信州に出かけ留守の旦那の手も借りられず、大きな入院荷物を持って1人東横線を一駅ずつ降りながら自宅に帰ってきた。抗生物質や水を大量に体に取り入れていたので、15分に1度ぐらいの割合でトイレに駆け込まなければならなかったからだ。そんな思いまでして退院をした、その次の日の事だった。彼はなぜ私と付き合っているのかなと私が思っても不思議ではないだろう。


一度別れて再び付き合いだしてからと言うもの、彼は私に対して気をつかっているところがあった。私より10歳も下の奥さんがいて、仕事をしながら稽古もこなしていたので、私と会っている時間も惜しいほど忙しいはずなのに、それでも私に定期的に会ってくれようとしている。それは彼の愛情と言うよりも、優しさだったと思う。

何年もこんな状態が続いていて、そろそろ彼に飽きられてもおかしくない。でもそれをしないのは、多分彼は二度と私を切ったり、捨てたりする事はしないと、決めているのだろう。新しい別れを切り出すことで、私をまた傷つけることを恐れているのだ。


「ずっと会ってくれる人でいて欲しい」、出会った当初の彼の言葉が私の心のよりどころだった私は私で、そこまで好かれていないとわかっているのに、別れたくないがために、彼のその優しさを利用しているのかも知れない。


ちょうど彼と再び会って3年の月日が経とうとしていた。


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