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ワンスアイヤー  作者: 丸顔のうさぎ
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ワンスアイヤー 2006

青春の影: 今日から君はただの女、今日から僕はただの男


彼は待ち合わせの時間に厳しい。遅れると怒るのはもちろんだが、自分よりも先に私が到着していないとたちまち不機嫌になった。

確かに彼は常に待ち合わせの時間よりも早く到着していた。優秀な営業マンだった頃もきっとアポイントメントには遅れなかった人だったのだろう。こんな時にも彼の仕事に対する姿勢と言うか、矜持のようなものが垣間見られて、怒られつつも尊敬の気持ちを持つ自分がいた。


私の職場は去年水天宮にあったIT関連の企業から、渋谷のエンターテイメント系の職場に変わっていた。呑気な契約社員から、正社員になり、以前から興味のあった放送権ビジネスに携わりたいと、転職活動に本腰を入れられたのは彼と再会できたことが大きかったかもしれない。彼が大阪に戻るために転職活動をしていると聞き、自分も影ながら一緒に活動しようと思ったのだった。自分の中で、彼の転職が先か、自分の転職が先か、競争意識と言うよりも、同じ目標に向かっていたいと言う気持があった。


今の職場の人事担当者が私に電話をかけてきたのはそんな時だった。何年か前にこの企業のマーケティング担当者の面接を受けていた。その時には他の候補者に決まってしまったのだが、今回は広報担当者と言うことで、もっとも私が得意とする分野だったのが幸いした。人事、直属の上司、副社長、そして社長と、面接は案外スムーズに進み、ひと月後には渋谷の新しい職場に移ることができた。


この転職は私にいろいろな幸運を舞い込ませた。まず通勤時間が劇的に短くなった。以前は横浜から渋谷に移動し、そこで半蔵門線に乗り換え水天宮まで通っていた。今の職場は渋谷が最寄り駅なので、自宅のドアから職場のデスクまで1時間かからずに移動が可能だった。また当然お給料も上がった。そして久しぶりに「マネージャー」と言う肩書きも手に入った。


彼とも付き合いが再開し一年が経とうとしていた。今は2週間に1度ほどの割合で渋谷の「隠れ家」と二人で呼んでいるラブホテルに通っている。転職して会社が渋谷になったことは彼とも会いやすくなる要因になった。

意外にも几帳面な彼は受付時に必ず「ベル鳴らしてもらいますか?」とモーニングコールならず休憩時間終了のコールをお願いする。大阪弁訛りで、毎回毎回律儀に依頼をするものだからすっかり、ホテル側の人も彼のことを覚えているらしく、先日は「毎度ありがとうございます」とまで言われていた。


私は今回彼との付き合いを再開するにあたって、心に決めたことがいくつかある。


まずこの二人の関係を誰にも話さないということだ。以前数か月付き合った時には、あまりに嬉しかったのと辛かったのとで結構色々な人たちに相談をしてしまった。しかし今回は二人の関係をなるべく長く維持するために、周囲の人たちに絶対に漏らさないようにしようと考えたのだ。


それから常識にとらわれすぎないということも決めた。

以前は「倫理」とか「モラル」とか「不倫」などという言葉にがんじがらめになってしまっていて、自分がやっていることが正しいのかどうなのかということにばかり目がいってしまい、自分の気持ちに素直になれずに結局辛い思いをした。もうあんな思いはしたくない。誰にも迷惑をかけず、だれにも知られずこの関係を続けられるのであれば、いいのではないか。人生には正しいことだけでなく、迷いや人としての道に外れることがあってもいいのではないかと思うようになった。すると彼の家庭に異常に嫉妬することも少なくなってきた。


三つ目に決めたこと、実はこれは私が一番気をつけていることだ。それは彼の希望にはなるべく答えるということだ。

会えなかった期間、自分の中でいろいろ思ったし反省もした。その時に万が一彼ともう一度会えることがあれば、彼の希望には全て答えたいと願っていた。そしてその機会が実際与えられたのだ。なので私と会っている時は彼の希望がすべて叶うようにしてあげようと自分自身に誓ったのだ。


彼は趣味である武道にのめりこんでいるようだった。週に何回か道場に通い、土日も別の道場を掛け持ちしていた。彼の生活を考えると、優先順位の1、2、3位で稽古、4位で仕事、5位で家庭もしくは奥さん、そして6位目か7位目に私と会うという感じだろうか?

なのでたまに稽古をキャンセルし、私に会ってくれる時などは嬉しさのあまり小躍りしたものだった。


私は武道を習うということはできなかったが、彼に少しでも近づくために、彼のお勧めの胴体力というメソッドを習い始めていた。考案者はもう亡くなられてはいたけれども、武道に精通していた人で、様々な武道家の人たちが不調を感じた時などに、体を整えるために行う動きを習っているのだ。

彼が勧めてくれたことが嬉しくて、私は日曜日にわざわざ渋谷の道場に通うようになった。しばらくすると横浜で同じクラスが開かれることになりその1期生として参加した。全ては彼の「習得したら僕に教えて」と言う言葉が頭にあったからだ。


彼は他にも私に課題を与えてきた。

そのうちの一つが二人で様々な体位を試すものだった。口に出せないようなものもあったが、自分に「彼の希望にはなるべく答える」と言う決まりを架したため、答えないわけには行かなかった。色々な課題を少しずつクリアしていく時に、彼がとても嬉しそうだったり、満足そうだったりする。その顔が私を勇気づけていた。


彼の要求にもっと応えたい!


そうこうしていくうちに、次にどんな課題が来るのか楽しみになって来ている自分がいた。


自分にこんな一面があるのかということは驚きだった。彼といる時は自分はただの女になり、そして彼のことはただの男として見るようにした。背景にある彼の奥さんのことや私の主人のこと、そして家族の事、またこの後二人はどうして行くのかなどということは一切考えないようにしていた。とにかく彼と会っている間は楽しく、そしてお互いの要求を貪りあうことしか考えないようにしていた。


ある日のこと、その日も渋谷の隠れ家で会っていた。彼はこの数週間の課題である新しいことにまた挑戦しようとしていた。それがなかなかうまく行かず焦ったのだろう、シャンプーの液体を使って私の中に入ってこようとした。

これは体に入れても大丈夫なのか?焦って彼に確認すると、「界面活性剤が入っているはずだから入りやすくなると思って」と答えてきた。


大切な奥さんにも同じことをするの?こんな化学製品を私の体の中に入れて大丈夫だと思っているの?


その言葉をぐっと飲み込んだ。


それでも彼の希望に答えよう。それが彼を喜ばすことにつながるのであれば、シャンプーだろうが構いやしない。彼が喜んでくれるのなら・・・。それほど必死に私はこの関係性を保とうとしているのだった。

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