ワンスアイヤー 2016
うれしい!たのしい!大好き! - 初めてあったころから違うモノ感じていた。
新幹線はいつも2人掛けの窓側を予約している。富士山を眺めるためだ。列車に乗り込んですぐにお弁当を食べ、熱海駅を通り過ぎるころからスマホを手にする。新富士を通り過ぎる時に美しい稜線を何枚か写真に収めるが、本番はこの後だ。富士川を通り過ぎるほんの数秒が最大のシャッターチャンス。これが終わると新大阪に到着する時間にアラームをセットし、眠りにつくのがいつものパターンだ。
これをもう何回繰り返しただろう。彼に会いに行くために私は時々大阪を往復している。大阪の街で会う彼は横浜で会う時よりも何倍ものびのびしていて居心地が良さそうだ。東京や横浜では私も彼に街やグルメの情報を伝えることはできるが、大阪では彼の独壇場だ。私にいろいろなことを教えてくれる。私はこの大阪の往復のために専用のボストンバッグを買い、2度と足にチマメができないように、常にスニーカーを履いて来るように努めている。
春に訪ねた時には、彼は入学したばかりの大学院のキャンパスを自慢げに案内してくれた。真新しい巨大な商業施設の一角にあるその大学院は、賑やかな街の中にひっそりとした空間を持つ、モダンな建物だ。私はと言えば「あの時の結果がここにつながっているのか・・・」と、昨年末に彼が見せてくれた研究計画書、志望理由、そして論文のことを思い出していた。彼に大学に提出するその3種類の書き物をどう思うか意見を求められたので、必死に何度も読み返したのを覚えている。読み返しながら、彼は一体いつ経済学に興味を持ったのだろうと驚き、そして3種類の提出物に読み取れる一貫性で、彼が注意深く研究テーマを選び、なぜこれを志望したのかが大学院側に伝わるよう、詳細にまでこだわって志望理由を書いたことが感じられた。
大学院に受かるといいな・・・という心配は不思議となかった。彼の書いた提出物を読んで、きっと受かると確信していた。
だから入学が決まったと聞いた時にはあまり驚かなかった。ただ彼の頑張りを見てきた者として、何か記念になるもの、彼の努力を称えるに相応しいものをプレゼントしようと決め、タブレット端末を選んだ。彼の研究の手助けになるようにと祈るような思いだった。
私は昨年入った会社で今も働いている。所属した人事は初めて経験する部署だったが、従業員向けの研修を企画し、運営するのが主な仕事だった。講師はプロに頼むこともあれば、たまには自分も教壇に立ち、研修をファシリテートする機会もある。演劇少女だった私にとっては、まるで小さなステージを与えられたような気分になれる。当初は派遣で雇われた身だったが、半年後には期限付きの委託社員になっていた。これは5年後に契約が終了することと、社員よりもはるかにお給料が安いことを除けば、ほぼ従業員扱いのポジションで、これも私のやる気の追い風になっていた。
仕事は順調だったが、この頃私は立て続けに友人を失っていた。まず高校時代の友人からいきなり「もう連絡してこないで」と宣言された。ご主人を亡くした彼女を心配し、帰国するたびに私は彼女の息子の運動会に行ったり、遠足を計画したり、電話で悩みを聞いていたりしていた。それがある時いきなりLINEの既読が付かなくなった末の宣告だった。
また昔の同僚で、今の職場を紹介してくれた友人も静かに去っていった。同じ職場で再び働くことになり、フロアは違えど一緒にランチに行ったりするのを楽しみにしていた。それがランチの誘いを断られるようになり、いつの間にか彼女は会社を辞めていた。この十数年誰よりも連絡を取り合い、韓国にも何度か遊びに来た親しいと思っていた友人だったので、これには堪えた。
とどめは同じく昔の同僚で、不倫の恋に悩む友人だ。彼女の気持ちがわかるからこそ、近所のカフェで何度も会い、恋の行方を聞いていた。それがいつの間にかパッタリと連絡が来なくなった。私のように手遅れになってほしくなかったから、旦那と別れて好きな人と一緒になり、子供を作ることを勧めていた。それがもしかしたら強引すぎたのかもしれない。
友達が多いのが私の自慢で、一人っ子の娘を心配していた両親も「いざとなったらあなたには良い友達がたくさんいるから大丈夫だね」と言ってくれていたが、そんな自慢はまるで砂の城のように脆いものだった。私の何かが彼女たちの琴線に触れ、一人、また一人と去っていったのだろう。でも今更彼女たちに詫びを入れる気持ちはない。10代の頃なら彼女たちに謝って「自分の何が悪かったのか」と問いただすところだが、そんなことをするのはこの歳になるとお互いにとって不毛な気がする。理由を知ったところで彼女たちの気持ちが戻るとは考えにくいし、私としては謝るのも本意ではない。
その代わり彼女たちに使っていた時間やお金を、自分の大切な人に使うつもりだ。特に離れて暮らす大阪の彼に費やそうと決心する。今回友人たちが去って行ったことを相談したのは彼だった。私のことをまるで鏡のように見てきてくれた彼だから、私の欠点や何がいけなかったのかを明確に指摘してくれると思ったのだ。ところが意外にも彼は「ほっとけば?」と言うだけだった。これは非常にありがたかった。自分の欠点を探すよりも、前に向いて行くことを彼は勧めてくれたのだ。信頼していた友人たちが突然去ったことで、自分に対しすっかり自信を失っていたところに、彼の「大した事ない」というスタンスは私を勇気づけた。
彼は大阪、横浜そして顧客のいる国内の都市を忙しく行き来していた。たまに目が覚めると自分がどこにいるのかわからなくなると嘆いている。その気持ちは私もわかる。駐在員生活をしていた時に、帰国し、横浜の自宅と彼の家を行ったり来たりした時に、私も同じような感覚に陥ったことがあったからだ。
不思議なことに、彼が横浜の本社に出張に来る時に、結構な頻度で私の主人が大阪の本社から東京の支社に行くことが重なる。このシンクロがなければ、彼が横浜滞在中は私の家に来てもらい、二人の時間を過ごすことができるのに・・・と残念に思う。いずれにしても大好きな彼と会えていて、仕事も順調で、そして世界で一番好きな街横浜に住むという、私にとって非常に幸せな日々が過ぎて行っていた。
心配なのは彼の将来だ。私が心配するのもおこがましいのはわかっている。しかし私が歳を取るのと比例して、彼も歳を取っている。最初に出会った頃はまだ32歳の若さだった彼が、気が付けば40代の後半に差し掛かっていた。このまま私たちの関係を続けて行けば、彼は誰とも出会わないまま、ただ歳を重ねてしまうのではないか。私がいることで彼がチャンスを確実に逃していることを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。かと言って彼と別れることもできない自分がいた。
考えても何も答えが出ないので、とにかく彼といる時には楽しく、そして何よりも彼にとって「縁起の良い」女でいたいと願っていた。20代の頃8年もの間一緒に住んでいた女性のことを、彼は「さげまん」と呼んでいたからだ。その女性と一緒にいたことで、色々と嫌なことが起こったり、喧嘩が絶えなかったり、それでも情があったからなかなか別れられなかったと話してくれた。なのでいつか彼が新しい恋を見つけて私の元を去っていかなければならない日が来ても、「あの女と別れられて良かった」と言われないようにしたいと思っていたのだ。
そしてこの夏、彼と一緒に岐阜を旅行することになった。
学生の頃、バイト先の社長さんが連れて行ってくれた長良川の鵜飼いを彼に見せたかった。大阪から岐阜に移動した彼は、一足早くゆっくりと街を見学しながら旅館へ。私は少し遅れて横浜から新幹線と在来線そしてバスを乗り継いで旅館へ到着した。部屋で合流した彼は道すがら見てきた光景を、少し興奮気味に話してくれた。いかに街並みが美しいか、途中で立ち寄った図書館が立派だったか、街全体に良い気が感じられたかを事細かに説明してくれる。
正直私は驚いていた。
普段の彼は比較的冷静で、あまり自分の感情を全面に出すタイプではない。そんな彼が岐阜駅前から長良川に至る道のりで感じたことを切々と話してくれている。彼にこんな一面があったとは。初めて会った時から、普通の人にはない何かを彼に感じていたが、これまで見たことがなかった繊細さと、感激屋の一面を垣間見て、また新しい彼に出会った気がする。
なんてこともない街の魅力を見出す彼の話を聞いていると、心にさわやかな風が吹き抜けるような気分になった。もしかして「縁起が良い」のは彼の方なのかも知れない。
だからこそ彼から目が離せないのだ。だからこそ彼から離れられないのだ。




