ワンスアイヤー 2015
大阪LOVERS:何度ここに来てたって、また来るのはあなたがおるからやもん。
駐在員生活があっけなく終わった。主人が社内のパワーゲームに敗れ、日本への帰国が決まったのだ。まさかこんなに早く戻ることになるとは思わず、旅行を後回しにしていたのは残念だった。初年度はまずクアラルンプールでの生活を落ち着かせ、来年以降にマレーシアをベースに、東南アジア諸国を巡ろうと計画していたのだが、こんなことになるのなら、もっとどん欲にあちこち行っておけば良かった。
ちょうど1月の日本人クラブ新年会が、最後のおはなし広場の活動の場となった。そこで子供たちを対象に人形劇や紙芝居のステージを繰り広げる。3回公演はいずれも立見席が出るほどの盛況だ。日本人クラブの元小学校だったという建物全体では、他にも様々な催しが繰り広げられた。盆踊りあり、花火あり、まるで夏祭りのような賑わいだ。唯一これが新年会だったと思い出せたのは、屋上で行われた餅つき大会だ。つきたてのお餅を求め、地元のマレー人、インド人、中国人そして当然日本人も長い列を作っていた。
翌日からは帰国の準備で忙しい。たった1年の滞在だったのに、結構な物が増えた。いよいよ明日マレーシアから離れるという日に、近所に住む友人に大量の調味料などを譲ろうと重たい荷物を持ち上げた瞬間、ぎっくり腰になったのは計算外だった。せっかく会社が用意してくれたビジネスクラスで帰国ができると言うのに、あまりの腰の痛さにほとんど記憶がないほどだ。空港のラウンジでも動けず、広めのソファーに横にならせてもらったのがマレーシアの最後の思い出となった。
帰国してすぐに整体に通い、1週間後には普通に動けるようになると、さっそく始めたのが就職活動だ。この数年間主人のお金で生活をしてきたので、いろいろなことを我慢してきた。だからいつか自分で稼げるようになったら、自分のお金で自由にショッピングを楽しもうと決めていた。正直な話、一人で帰国をしていた時の航空券は自分の貯金を切り崩していたので、金銭的にもそろそろ限界が来ていたのだ。
5年の間会社生活から離れていたので、仕事は日本社会へのリハビリも兼ね、派遣で、職場は通勤30分以内の場所で探そうと決めていた。ちょうど横浜駅近郊の世界的に知られたメーカーでの仕事があったので、早速インタビューに出向き、その日のうちに採用が決まった。
不思議なことに日本に帰国して別の仕事を探すことになった主人は、今度は大阪に本社のある薬品メーカーに勤めることになった。つまり彼の住む大阪の街に、主人も週の3日間滞在するようになると言う展開になったのだ。
彼は彼で、本社のある横浜に月に何回か出張で来ていた。そのたびに私は何らかの理由を見つけては彼の宿泊するホテルに一緒に泊まったり、主人が大阪に滞在中は彼に私の家で泊まってもらったりしていた。こんな二重生活をこなしながら、新たな仕事も覚えると言う、私にとっては非常に忙しい日々が過ぎて行った。正直この頃のことはあまり覚えていない。それくらい毎日があわただしかったのだ。
彼の住む大阪の街へも何回か行くチャンスに恵まれた。行きの新幹線の中でいつも聞いていたのがDreams come TRUEの「大阪ラバーズ」と言う歌だった。関西人の彼に合わせて一生懸命大阪弁で喋ろうとする彼女を歌ったこの歌が、まるで自分を表しているようで、彼に会いに行くと言うワクワクする気持ちを盛り上げるのにふさわしい歌だった。怪しげな関西弁を話す私のことを、彼は「気持ちが悪い」と言って敬遠するが、私は彼の話す言葉に近づけることで、彼自信にもっと近付きたいと思っていた。
大阪では毎回違うお好み焼き屋さんに行き、吉本のなんばグランド花月でお笑いを見るのを楽しみにしていた。ほかにも彼の住む町で彼が探していおいてくれたおいしいお店巡りや、高野山や奈良への旅など、これまで以上に、二人の濃厚な時間を過ごしていた。離れているのに、逆に二人で過ごす時間は密になっているような感覚だ。彼への気持ちが高まっているというよりも、彼と一緒にいることが自然なことになっていた。大切であることに変わりないが、それほど彼の存在が自分の人生の中の一部になっていたのだ。
彼はまた新たな挑戦を始めた。
再び大学院に通おうと計画しているのだ。今度は大阪府立大学で、来年の春から経済学を学ぼうとしている。最初は「なぜ?」「なんのために?」「大丈夫?」と心配はしたが、彼のことだ、きっときっちり卒業するだろう。そうなると私ができるのは彼の決断をポジティブに受け止め、サポートすることだけだ。
自分で大きな目標を立て、周りが止めようが、心配しようがそれを実現し、そしてきちんと終わらせる、これは彼の才能だと思う。高校時代はあまり真面目に勉強をしていなかったようで、その時の反動か反省か、40歳を過ぎて勉強に注力するようになったが、もともと賢い人なのだ。そして志が高い。
私はと言うと、いつの間にか今の状況に甘んじて、自分の手にあるものを手放せない人になっていた。新しいことに挑戦しない代わりに、自分のものを捨てられないようになっている。
そんな私にとって彼の存在は空気のような自然な物でもあり、同時にスパイスのような刺激でもあり、そして絶対無くしたくないものになっていた。
そんな彼に別の転機が訪れた。
長年別居している奥さんから「離婚したい」と切り出されたのだ。そう、彼はまだ奥さんと正式には夫婦のままだった。私が韓国に行く前から別居を始めたから、6年近く離れて暮らしていることになる。最初は奥さんが自分の故郷に戻り、生活のベースを整えてから、彼が関東での仕事に見切りをつけて移住する・・・というストーリーだったはずだ。
そこから今日まで、彼は2回転職し、2回引っ越しをし、2回大学院に通っていいる。ほとんど移住する気などないのではないかと思うのは、奥さんだけではなかっただろう。
彼は奥さんとSkypeで連絡を取り合い、1年に1度ほど直接会っていたが、バーチャルで夫婦関係を続ける必要があるのかと言われたそうだ。
そりゃそうだろう。
私もこれまで彼に何度か奥さんとどうするつもりなのか尋ねたが、いまいち彼の本心が分からずにいた。裕福な奥さんの実家では、彼を迎えるために、学校を建てる・・・なんていう奇想天外な計画まで持ち上がっていたこともあったそうだ。私に「結婚する?」とまるで捨てられた子犬のような目で尋ねた彼だが、私にとっては、主人のことも捨てられないし、彼の奥さんが彼を待っていることもあるし、なにより私が彼の人生を奪ってしまっていいのかという思いもあり、彼の気持ちにこたえられなかった。
これまでは彼も私もそれぞれ配偶者がいることで、ある種のバランスが取れていたが、彼が離婚をし独身になると、このバランスはどうなるのか?彼が離婚をするのなら私も主人と別れなければならないのか、彼の夫婦の決断は私の人生も変わらせることになるのではないかと、少し身構えた。
するとそれを察したのか、彼が「僕が離婚をするからって、そっちにも離婚をしてくれって言うつもりはないから安心して」と言ってくれた。
正直ほっとした。
自分の今の人生を大きく方向転換するほど私は覚悟ができていなかった。また何の落ち度もない主人を傷つけることもしたくなかった。できることなら今の生活を続け、彼とも会い続けて行きたいという、自分にとってのみ都合のいい選択だ、いや選択すらしていない。
彼が一人で暮らし、学び、そして人生の選択をすることに対し、何一つ手助けすることができない身勝手な恋人、それが私だった。




