ワンスアイヤー 2013
守ってあげたい:会えない時でも、あなたのこと胸に抱いて歩いている
主人は韓国での役割を終え、次の勤務地が香港に決まった。約3年半のソウル生活で私は彼との子供を作るためにほぼ毎月日本に帰り、日韓両国で不妊治療のクリニックに通った。そしてちょうど50代になる今年、ソウルから香港への移動が決まったことで、治療を断念することにした。彼との子供を産みたいと思うようになってから、毎月女性ホルモンの注射を打ち続けていた。香港でも同じような治療を続けることは、もう避けたい。ホルモン注射を打ちすぎることで起こる女性器系の疾病のことを考えると、多分私の体が持たないのではないかと思う。悲しいが年齢的にちょうど潮時なのかも知れないと自分に言い聞かせる。これまで努力をすれば、目標を定めればそれに近い結果をもたらすことができたが、子供を作るという目標だけは、何一つ足跡を残すことができなかった。
韓国に住んで以来毎月通ったセブランス病院の先生に最後の挨拶に行った際、ソウルを離れるのでこれで治療を終了することを告げると、いつも優しく迎えてくれた看護師さんが「一生懸命頑張っていたのにね」と残念そうに私の頭をなでてくれた。傍らで見ていた通訳の日本人スタッフは、その様子を見て目に涙を溜めていた。
その帰り道に南山から見た夕日は一生忘れられないだろう。大気汚染で真っ白くなった空に浮かぶ太陽は、燃え盛る線香花火の玉の色だった。その大きく真っ赤な丸に向かって泣きじゃくりながら歩いた。私は子供がいない人生を選択せざるを得ない。子供なんて当たり前にできるものだと思っていた。「戌年の子供が生まれるはずだった」と懐かしそうに話してくれた彼の子供を私が産んであげたかった。一人で頑張っている彼に良い知らせを伝えることはとうとうできなかった。彼が喜ぶ顔を見たかった。いろいろな思いが胸を去来する。できることなら今すぐ帰国して、彼の胸に飛び込み、「ごめんね」と許しを請いたかった。
私がこんな風に韓国での生活を終えたことを知っている人はいない。治療を止めたことを彼にも伝えられなかったのは、彼をがっかりさせたくなかったからだ。そして優しい彼はいつの間にか不妊治療を止めたことを問いただすことはせず、私のことを一度も責めなかった。
ひと月後香港で新しい生活が始まった。住まいは中環地区の中心にあるサービスホテルだ。目の前にはフェリーターミナルがあり、対岸の尖沙咀には船で揺られればあっという間につく、名前の通り香港の中心的な場所だ。香港はまるでおもちゃ箱のような街で、楽しみが凝縮されている。不妊治療を終了した喪失感を埋めるかのように、私は寸暇を惜しんであちこち見て回っていた。
誤算だったのは香港の物価が想像以上に高かったことだ。ランチなどにかかるお金は日本の3倍から4倍くらいかもしれない。おまけに知り合う日本人は金融系の業種に勤めるご主人を持つ奥様ばかりで、何をするにしても、どこに行くにしてもお金がかかる。主人からもらっている毎月の生活費は韓国時代から変わっていなかったので、一気に私の生活が苦しくなった。必然的に日本に帰国する回数も減り、ほぼ毎月だったのが、2か月に一度になっていた。
彼が大学院に通っていてくれて良かった。ちょうど修士論文を書く時期と重なっていたので、彼自身忙しそうだったからだ。いや、私が都合よく「きっと忙しいのだろう」と思い込もうとしていただけなのかもしれない。いずれにしても、修士論文のピークの時にはドラフトをメールに添付して送ってきて、私の意見を聞いてくれたりする。私なんかを頼ってくれる彼の気持ちが嬉しくて、一生懸命読んで、自分なりに修正のアドバイスをするが、頓珍漢な内容の返信を送ると、彼の逆鱗に触れることもあった。
ソウルで生活していた時は、日々の生活に夢中で、彼のことがおざなりになっていた時期もあったことは否めない。しかし彼が大学院に合格したことは、私の気持ちをピリリと引き締めた。有言実行で、少しずつ目標を実現させている姿には感動すら覚えている。彼に対する気持ちに「好き」「愛している」に加えて「尊敬」という言葉が加わった。やはり彼は特別な人であり、大切にしたいと痛切に思う。
そしてもう一つ、彼の大切さをひしひしと感じた出来事があった。
ちょうど1年前だったな・・・と懐かしく思い出す。私の高校時代からの親友の浮気がばれて、旦那に突然離婚を突きつけられたのだ。運が悪かったのは、その旦那が見つけた古い携帯電話のやり取りの中に私とのものが相当数あり、不倫の先輩として私があれこれアドバイスをしていたことだった。親友の旦那とも友達だったため、二人の仲裁にわざわざ韓国から駆け付けた時には、このことを私の主人にも話すと脅された。主人がかわいそうだからと、もっともらしい理由をつけていた。
その一連のやり取りが始まった時、彼にこんなことになっていると打ち明けた。すると彼はいつになく真剣な顔になり、「何かあったら僕も一緒に対応するから」と力強く言ってくれた。こういう時に逃げたり迷惑がったりせずに、自分もその出来事の当事者の一人だと覚悟を決めてくれた彼のことを、とても頼りになると感じた。
幸い彼に迷惑をかけることは避けられた。そして私自身も直接のダメージを受けることなく、親友夫婦は離婚したのだった。
あんなことがあったのに、私は今普通に香港での生活を楽しんでいる。彼のことをないがしろにしっぱなしで、いつかバチが当たるのではないかと自分の悪運の強さに恐れおののいていた。
ただ結果的に子供を諦めたことは、彼との未来を諦めたことにもつながった。好きな気持ちだけですべてを手放すほど、私は若くなかった。そして何の落ち度もない主人を捨てることもできない。主人は何も知らずに香港で仕事をし、私を養ってくれているのだ。大きなインパクト・・・彼との子供ができたら、それが自分の人生をガラリと変える大きなきっかけになると願っていたが、それが叶わない今、私が彼の未来・・・もっと若い人と結婚し、子供を持つと言う道を奪うわけにはいかなかった。
その代わり、私は彼のことを見守ることにした。彼が将来を約束できる人を見つけ、彼に似た伸びやかな子供を授かるまで、私はその人の代わりに彼のことを守っていこうと決めたのだ。
離れていても、近くにいても、彼のことを胸の中でいつも意識している。そして彼をすべてのものから守ってあげたい。ほかには何一つできることがないからだ。
だって多分この時点で彼のことを誰よりも好きなのは、私だろうから。




