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20/20

20 ひとまずはここまで

「あなたは陛下をどう思います?」


 アリカはサボンに問い掛けた。


「どうって」


 卓にお茶の用意をしながらサボンは首を傾げた。


「どう思うもこう思うも… 陛下は陛下でしょう?」

「そう… ですね」


 ふわ、とアリカは視線を窓に泳がせた。珍しい、とサボンは思った。


「だいたい私は滅多にお会いできません。どうもこうもないでしょう」


 とぽとぽ、とお茶を注ぐ。


「あ、もっとゆっくり」


 アリカは手をかざす。あ、とサボンは注ぐ手を緩める。


「茶の色を確認しながら注いでください。特に白器の場合」

「青器の場合は?」

「まず黒茶だから色はそう関係ないでしょう。けどその場合は、暖かいことが何よりも大切になりますから」

「茶器をきちんと温めておく。でしたね」

「そうです」


 くす、と二人は笑みを交わす。


 そんな風に未だ何かとアリカに指南を受けながらの女官生活を送っているサボンではあった。

 忙しい。

 本当に忙しい。

 朝から晩まで一日、くるくるくるくる働き詰めである。

 立ち働き、身体がこんなにくたくたになるなんて、思いもしなかった。寝台に入るが早いが、いつの間にか眠っていたなんて、女官になるまで考えたこともなかった。

 忙しく―――そして楽しかった。

 そしてそう考える自分が不思議で新鮮だった。

 もっとも、仕える相手が「皇后アリカ」でなかったら楽しさは半分以下になっていたろう。ただのサボンに対して、こんなに丁寧にいちいち教えてくれる相手は誰も居ない。

 彼女はサボンに対して、女官に必要と思われる手作業の類は事細かに教えてくれる。しかも決して横柄な態度に出ない。

 無論他の女官の居る場所では、それなりに上下関係を区別した言葉を使う。

 だが二人きりになった時、彼女達の言葉は昔に近付く。端から聞かれた時、乳姉妹の会話として、不自然ではない程度の気安さをもって。

 今のうちだろう、とこの一年でサボンも思う様になった。アリカが皇后に正式になり、自分が上級女官となってしまったからには。

 皇后につく女官の数も増え、女官長からの指示も増える。自分の立ち位置についてもっと真剣に考えなくてはならない、とサボンは思いつつあった。

 そしてこの日の祝いの宴。数日前から彼女もまた、準備に追われていた。

 その最中、皇后はいきなり髪を切った。朝、サボンが目を離した隙だった。 

 女官長はため息をついた。


「お前がついていながら…」

「申し訳ございません申し訳ございません…」


 何度も何度も、サボンは頭を下げた。そこへアリカが口を挟んだ。


「叱らないで下さいな」

「いえこういうことはきちんとしておかねば」

「私が切りたかったんです。重かったから」

「皇后様」


 女官長は顔を思い切りしかめた。


「別にサボンのためではなく、ただ私が切りたかった。それだけです。ですから、ぜひこの頭に似合う衣装や飾りを考えて下さいな」


 にっこり、とアリカは笑った。ああ… とサボンは内心嘆いた。

 自分が宮中で様々なことを覚えるのと平行して、アリカは別のことを学んでいた様だった。

 例えば表情。サヘ家で働く中では格別に動かすことのなかったそれを、アリカはこの一年でずいぶんと豊かにした。そしてサボンは笑ったアリカが綺麗だと思った。驚いた。


 そして彼も、こう言った。 


「笑顔は誰をも綺麗にする」

「そうでしょうか」

「そうだ」


 言葉少なな武人は、彼女にそう言った。


「けどリョセン様」

「何ですか」

「私、あなたの笑顔って見たことが無いのですか」


 む、と「若様」の友人ツァイツリョアイリョセンは口元を歪めた。


「私に怒っているのではないのでしょう?」

「まさか」

「ではその曲げた口をどうにかして下さいませ。怒っているのかと私は思ってしまいます」

「そ、そうか…」


 珍しくセンは口ごもった。


「簡単なことではないですか? ほらこんな風に、口元をきゅっと」


 すっ、とサボンは彼の顔に手を伸ばしていた。口元に手を当てようとして―――


「も、申し訳ありません」


 引っ込めた。


「いや、いい」


 彼はその手を掴んだ。


「お放し下さい」

「荒れているな」

「仕事をする者としては当然です。あなた様の手も」

「だが柔らかい」


 サボンはどう答えていいのか困った。

 彼女がツァイツリョアイリョセンと最初に会ったのは、アリカの懐妊が判った時だった。

 当初、変な人だと思った。無愛想だし顔は怖いし言葉が短すぎる。

 だが悪い人ではない、と思った。自分の疲れていることを一番先に気付いてくれたのは、彼だった。

 彼はそれからすぐに、将軍の意を受け、「若様」共々北離宮の護衛に当たった。

 その間、サボンの仕事は次第に増えつつあった。正式な女官になるための訓練もあった。


「女君の依頼により、そなたは特別待遇で上級女官の位を贈られることとなります。ですがそなたには決定的に宮中の知識が欠けてます」


 詰め込み式の教育が始まった。

 アリカに仕える時間、勉強の時間、休む間もなく、夜中になればばったりと眠ってしまう日々。

 そんな中、彼は時々サボンの前に現れた。


「…何のご用でしょう」


 問い掛けると、黙って紙包みを渡す。帝都でも名の知れた菓子屋の―――端包みだった。



 何のつもりだろう。

 サボンはもらった菓子包みを見てまず思った。判らなかったので彼を見た。首を傾げた。


「そこの菓子は美味い」


 はあ、とサボンは答えた。それ以外に答え様が無かった。

 彼はぽかんとしているサボンを背に、すぐに任務に戻って行った。

 焼き菓子の欠片。形が崩れたもの、型焼きの端、詰めた餡の多すぎるもの。サボンはおそるおそる手を伸ばす。やや焦げすぎの焼き菓子。口に放り込む。ぱくん。


「…美味し…」


 甘さが身体に染みわたる様だった。

 もう一つ、今度は別の型焼きを放り込む。かしかし、と噛む。心地よい歯ごたえ。

 彼女は何度か手の中の菓子と空の間で視線を往復させる。

 やがて大事に包み直すと、前掛けの袋に入れた。大切に頂こう。そう思った。


 だがそれは、その時だけではなかった。

 その次は、乾果だった。形はいびつだったが、種類はなかなかのものだった。

 そのまた次は、餡玉だった。

 様々な豆や胡麻を煮詰め出し、甘味をつけ丸めた菓子。様々な色をつけることで祝い菓子の材料として使われることが多いものだ。

 ただそれもまた、彩りの点で失敗することがある。成形の段で求めるものにならない時がある。割れてしまうこともある。

 それらは焼き菓子の割れたものや乾果のいびつなもの同様、庶民に安く提供される。

 そうサボンは聞いた。北離宮に新たに派遣された若い女官から。

 外の市場でわざわざ買ってきたの、と問われた。

 サボンは驚いた。

 わざわざ――― 買ってきてくれたのだろうか。


「格別高いものじゃあないけどね。誰かいいひとでも居るの?」


 くすくす、と同僚は意味ありげに笑った。そんなのじゃあないです、とサボンは答えた。


「どうかしらね」


と同僚は一ついい? と餡玉を摘んだ。


 だから。

 さすがにその次にセンと出会った時、サボンは問い掛けた。

 その日、彼の懐からは、割れ干菓子が出てきた。粉っぽいその菓子は、広げた時に悲しいかな、ばらばらになっていた。

 取り替える、と言う彼にサボンは首を横に振った。


「セン様はどうしてその様なものを私に下さるのですか?」

「ここにちょうどあなたが居たからだ」


 確かにそうだった。彼は決してそのためにわざわざ町場を離れるということはしない。


「じゃあ他の誰かに会ったら」

「あなたに会ったらあげたい、と思った」


 きゅ、と包み直したものをサボンは握りしめる。


「あなたが甘いものが嫌いなら」

「甘いものは大好きです」


 咄嗟に彼女は答えていた。センの目が僅かに見開かれた。


「ええ、大好きです… だから… ありがとう、ございます」

「美味しく食したか?」

「ええ。疲れた時に、とても美味しかったです」

「それは良かった」

「でも…」

「何だ」

「どうして私に」

「あなたが疲れている様に見えた」


 違うのか、と彼は続けた。

 違わない。サボンは思った。だがそれは口に出してはならないことだった。


「私は――― 女君の方がずっとお疲れです」

「でもあなたはあなただ」


 胸の奥で、鼓動が跳ねた。


「女君のお疲れはあなたの疲れと違う。あなたはあなたで疲れている」

「かも、しれません、でも…」

「疲れている時には良く食べてよく眠ることだ。俺はあなたに元気でいて欲しい」

「私に?」

「あなたに」


 それでは、とセンは背を向けた。

 胸の中で飛び跳ねる鼓動が、なかなか治まらなかった。



 アリカの出産までの期間、幾度も幾度も彼等は会って、お菓子を手渡し手渡され、言葉を交わした。

 もっとも、二人の間に言葉は決して多くは無かった。

 何故あんなに無口なのだろう、と会う度に彼女は思った。

 友人である「若様」も、サハヤも決して無口ではない。

 サハヤとも時々顔を合わせる。彼もまた、女君付きとして、サボンに対しては気安く、だが丁寧に言葉を掛けてくれる。

 だがそれは他の女官に対しても同様だ。市場で出たばかりの綺麗な飴菓子を、皆でどうぞとばかりに置いていく。そんな彼は皆一様に受けも良い。

 けど。


「あんたはいいの?」


 飴菓子を口の中で転がしながら、同僚のイリュウシンが問い掛けた。中北部出身だというこの同僚は配属されてすぐにサボンとうち解けた。


「いーのよ、このひとには、一人だけにお菓子をくれるいいひとがいるんだから」


 くくく、ともう一人の同僚、中南部から来たキェルミが笑った。


「そういう方じゃあ」

「あら、皆そう言ってるわよ。ツァ… 何とかセン様は、サボナンチュの為に毎日市場の菓子売場に顔を出しているって」

「私のためじゃあ」

「じゃあ誰のためって言うのよ」


 キェルミは呆れた様に胸を張った。明るい茶色の髪の同僚は、断言する。


「いいサボン。絶対にツァ何とかセン様は、あんたのことが好きだからね。逃がすんじゃないわよ」


 逃がすって。


「でも草原出身だから、いつかは戻ってしまうかもしれないけどねえ」

「草原?」

「って、そう言えば、メ・サボナンチュ、あんたもそうじゃない! 何って偶然!」


 きゃあきゃあ、と同僚達ははしゃぎ回る。

 違う。サボンは思う。草原で生まれたのは自分じゃあない。

 胸がちくり、と痛んだ。



 そのまま、つかず離れずの状態で、宴の日まで彼等は過ごしていた。

 そしてまた。


「疲れてはないか?」


 木陰にたたずむ彼女に、センは言葉をかける。


「少し」


 そうサボンは答える。


「良く食べて良く休め」


 彼は菓子包みを渡す。そしてサボンは答えるのだ。


「ありがとう、リョセン様」


 その時。


「あんた!!」


 サボンはびく、と肩を震わせた。覚えのある声。

 強い瞳。


「…マドリョ…」

「あんたは、サボンなのね」


 名を呼ぼうとした声が遮られる。マドリョンカはセンの横を通り抜ける。


「サボンなのね」

「え…」

「サボンだって聞いたわ。あんたがサボンだって。サボナンチュとかいう名を付けられた女官になったって!」


 サボンは息を呑んだ。思わず後ずさりする。

 元々マドリョンカという同じ歳の異母姉は決して得意な存在ではない。


「おめでとう元気でがんばってね! うちに居るよりずっといい暮らしになるでしょうね!」


 マドリョンカはつかつかと進み出る。そしてサボンの胸をばし、とはたいた。


「何を… してるの!」


 ざくざく、と玉砂利を踏む音がサボンの耳に届く。

 ウリュンとセレが駆け足で近付いて来る。ウリュンはともかく、走ることなどまず無いセレは息も絶え絶えだった。


「ああ姉様」

「…いきなり… 走り出して… マドリョンカ、あなた…」

「ごめんなさい、サボンに挨拶を」

「挨拶? お前がか?」


 ウリュンは妹の肩を掴んで自分の方を向かせる。


「ええそう。そうです! せっかく破格の出世をした我が家の使用人に挨拶を! そうよねサボン!」


 くるり。マドリョンカは振り向く。見開かれる目、視線は強烈で。

 サボンは黙って目をそらした。


「今さっき、新しい皇后様にお目に掛かったのよ。とても綺麗だったわ。そしてとっても斬新! あんたが切ったの? あの髪は、サボナンチュ?」

「それは…」


 答えに詰まる。

 いや違う。マドリョンカは答えなど求めてはいないのだ。サボンは言葉を探す。胸が苦しい。


「いい加減にしないか、マドリョンカ!」

「お兄様! お兄様ご存知だったんでしょう! 平気なの?」

「黙れマドリョンカ! …人目がある」

「…そうだわ」


 低い声を返す。


「そうね。我が家は既に皇家の縁戚。今を時めく将軍サヘ家! そうよねサボン? サボナンチュ!」


 連呼する名前。責めている、とサボンは思う。

 マドリョンカは不意に顎を反らし、うつむくサボンを見下ろした。


「あんたは―――あんたは女官として、せいぜい出世するといいわ。あんたならできるでしょう? ねえサボン?」


 決して大きくはない。だが冷ややかな声。

 サボンの傍らに居たセンですら、思わずその主の方を見た。


「私は私で出世してみせるわ。私の方法でね!」


 彼女はそう言うと、兄の手を振り解き、くるりと踵を返した。


「ごめんなさいお姉様、戻りましょう」


 姉の手を掴む。白く細いセレの手首が赤く染まる。


「おい、マドリョンカ!」

「ウリュン兄様!」


 一瞬振り向く。


「お兄様には後で沢山話を聞かせていただきます」


 きっぱりとマドリョンカは言い放ち、セレを引きずるようにして連れて行く。

 ざくざく。じゃくじゃく。細かい玉砂利の音が。

 知らず、サボンは耳を塞いでいた。

 やがてその足音が遠のいて行く。センは強張った両手をそっと外してやる。


「リョセン様」


 彼は黙って首を横に振る。


「あなたは… ご存知でしたか?」

「何のことだ?」


 いつもと変わらぬ口調。それに何処かほっとする自分にサボンは気付く。


「知らないさ」


 ウリュンは目を伏せる。


「知らない…」

「こんな… ことは」

「ありがとうございます、…若様」

「サボンお前も… マドリョンカのことは気にするな」

「はい」

「あれにはあれなりに… 思うところがあるんだ」

「はい」


 そして自分には自分なりに。

 平静を装ってはいたが、ウリュンはウリュンなりに動揺していた。

 確かにずっと北離宮でアリカやサボンを見てきた。任務という肩書きのもと、彼女達の変化を見てきたはずだった。

 だがいざ「皇后」としての彼女を見た時。

 ウリュンは自分の中の何かを切り落とされた様な気がした。

 あれはもう、自分の知っていた少女ではない。


「私は元の任務に戻るだろう。皇后様付きは別の武官が担当する。そうそう会うことも無いだろう」

「え…」

「あの二人に付いていなくてはならない。お前は元気でやってくれ」

「若様」

「頼む」


 ウリュンは片手を挙げると、背を向け、歩き出した。

 ざくざく、じゃくじゃく。

 背中を眺めながら、サボンは一つ、大きなため息をついた。


「あなたは」


 低い声が斜め上から届く。


「彼を想っていたのか?」

「え?」


 サボンは目を丸くする。


「ずいぶんと」


 言葉に詰まる。言葉を探す。


「い… いえ… 若様はただ」

「ただ?」

「幼なじみで… どうも…」


 どうもこうもない。兄だ。立場は変わっても兄だ。それ以上でもそれ以下でもない。いやそれより。


「どうしました? リョセン様、怖い… お顔です」

「あなたは奴のことを慕っている訳では」

「まさか!」


 首を振る。即座に否定する。


「ツァイツリョアイリョセン様」


 サボンは彼の正式名を呼ぶ。

 一息で言うには困難なこの名を、何度口の中で練習したことだろう。


「私は―――」

とりあえず「身代わり」話はここまで。

十年くらい前に風呂敷広げすぎた話は、果たしてこのアリカが「流浪皇后」と言われる様になる辺りまで書けるのか?

この世界の歴史設定としては、このひとのせいで女性が政治に参加できなくなるので。

期待せずに「まあ運が良ければ続きがあるさ」的に思ってくださればありがたいです。

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