もうリンゴ見るのも嫌になってきた
千倉は知っていた。過去に自分が試してみた体重の減らし方で一番効果があったもの。それはずばり、「食べない事」だ。身体測定の日の直前は常にそれで2~3kg稼いでいる。千倉の体重ではそんなもの微微たる物だといつも真希子に鼻で笑われるけれども。それでもそれは大きい数字だ。
ダイエット本は世にたくさん存在するし、テレビや雑誌で腐るほど特集がされている。いくつか試してみたものの、結局一番効果が上がったのは食べない事なのだ。もっとも、流石に人として、無食というのは無理があるので一品のみを食べ続ける系のダイエットを千倉はチョイスした。つまりリンゴダイエット。朝も昼も夜もリンゴしか食べない。
「もう腹の虫っていうか、なんかの叫び声のようなんだけど。むしろ断末魔?」
呆れた顔で真希子が言ったので、千倉は誤魔化すようにあははと笑った。
「すぐ慣れるって」
「慣れてたまるか」
「じゃあ、そのうち私のお腹が慣れるって」
「ほんとにそんな日が来るの?」
疑わしそうな真希子の追及を逃れるため、千倉は話題を変えることを余儀なくされた。真っ先に思いつくのは気が重い話題だけど、仕方がない。
「そういえば真希子、彼氏できたんだって? おめでと」
「ん? あ。孝行から聞いた?」
(そういえば、いつの間にか一色、から孝行、になってたもんなー)
などと今更考える。白雪姫とお弁当を食べだしたり、黒須がちょっかいをかけてきたりであまり気にとまらなかったけれど。
「昨日ね」
「まあ、一緒に帰ったからそうじゃないかとは思ったけど」
「さすが彼女だねー」
などと意味もなく持ち上げてしまう自分がちょっと嫌だ。
「まあね」
満更でもない風で真希子は言う。
「えっ!? 何? 私知らないんだけど」
隣でファッション雑誌をぱらぱらと眺めていた小春が慌てて会話に入ってきた。
「何? 真希子に彼氏できたの?」
「うん。っていうか孝行だって」
千倉が説明すると、小春は一瞬「え」と、本当に驚いたように目を見開いた。
「一色君、なの?」
「そうだけど?」
「そうなんだ……」
困惑したようにちょっと言い淀んだ小春に、真希子がすかさず突っかかる。
「え、ちょっと、何その反応! 三崎、なんか文句でもあんの!?」
「え? いや別にないけど」
「まさか三崎も孝行狙ってたとか!?」
「へ!? まさか! ないない」
本当に、考えてもみなかったとでも言うように小春が両手を前でぶんぶんとふるので、真希子は少し冷やかに小春を見る。
「ちょっと何その上から目線」
「上から? いや、違くてね? 私別に一色君と個人的にそんな親しいわけでもないし。や、うん、素敵だとは思うよ?」
「なんか嘘くさいわね」
「もー。真希子は牽制したり自慢したがったり面倒くさいなあ」
「あ。言ったわね」
ぎゃあぎゃあと突っかかる真希子を宥めながらも、小春は気遣わしげな視線を一瞬だけ、千倉にちらりと送ってよこした。
(……バレてたか)
千倉は内心で小春の鋭さをちょっと見なおした。
「お弁当、忘れたんですか?」
千倉の昼食、シンプルなリンゴ2つを見て、白雪姫は眉をしかめた。
「いや、ダイエット、本格的にしようかなー、なんて」
「ダイエット? リンゴだけ食べるのが?」
「うん。一時期流行ったよね」
「私はそういう流行には疎いのでわかりませんが」
(さすが白雪姫! ダイエットには興味ないよねー)
そりゃあ、こんな華奢な体ではダイエットは必要ないだろう。
「でも、リンゴだけって栄養的に大丈夫なんですか?」
「私は普段栄養採りすぎてたんだから、充分だと思うよー」
千倉が笑うさ中、お腹がぎゅるるるる、と鳴る。
「……ホントに、足りてるんですか?」
「いやいや、こうやって慣らして同時に胃を小さくする作戦だから」
白雪姫は納得できないと言った顔で千倉を見る。
「私のお弁当、すこしお分けしましょうか?」
「やめてー! そのお申し出は本当に魅力的だから誘惑しないでー! 白雪姫のお弁当ってホント美味しそうだからマジで! ダイエット成功したらちょっとちょうだい」
「それはいいですけど」
白雪姫は納得のいかない顔のまま少し黙って自分の弁当を食べていたが、やがて口を開いた。
「……もしかして、やっぱりこの前の事、気にしてるんですか?」
「この前の事?」
千倉はどきりとしたものの、そらっとぼける。白雪姫はちょっと呆れたように千倉を軽く睨んだ。
「性格の悪い女の子たちの陰口、です」
はっきり言われてしまって誤魔化しがきかなくなったので、あはは、と別に楽しくもないのに笑う。
「違うよお。……あ、でも。もし私が痩せたら白雪姫もあんな事言われなくなるね! 一石二鳥だ」
千倉の言葉に白雪姫は一瞬ちょっと驚いた顔をして、それからはあ、とため息をついた。
「千倉さんは、お人よしすぎですね」
「違うってば」
千倉は言いながら、皮を剥いてもいないリンゴにそのまま大きく齧り付いた。
翌日もその翌日もリンゴで、三日目ともなるとお腹の虫の音がだいぶ鳴かなくなってきた。一番喜んでくれたのは他でもない教師だった。
「えらいぞ千倉! とうとうやったな」
「いや先生、そんな熱血指導した教師風に褒められてもあんた何にもしてませんから」
「先生は本当に嬉しい! これでみんなも集中して授業に励めるというもんだよ」
「そうっすか……」
腑に落ちない気分で、教師の祝福を受けながら千倉は席に着く。僅かに、足元が覚束ない気がした。床が斜めに感じられるような。
「梓、大丈夫?」
席に着くと、小春がなぜだか心配そうに声を掛けてきた。
「何が?」
「なんかちょっとやつれてるような。顔色もよくないし」
「やつれた? 痩せた、じゃなくて?」
「いやなんか」
小春はちょっと言い淀む。
「……悩みとかあったら、聞くからね!」
熱心な言い方に、千倉はちょっと笑う。
「はは。ありがとう」
孝行のことで気を遣われているなあ、と思いながら。
チャイムが鳴って、授業が始まって。
(あれ、なんだか視界が回ってるような……?)
内臓がぎゅ、と収縮しているような嘔吐感と共に、視界がぐらぐらと揺れる。
(あれ? なんだこれ?)
「梓!!」
小春の叫び声を聞いたような聞かないような。
……。
目を覚ますと、学校的な天井と保健室のベッド的なレールカーテンが見えた。
(おお、保健室のベッドに寝るの初めてだ)
ある意味憧れ。保健委員の千倉はしばしば保健室に入り浸っていたが、この高校生活の中でこのベッドを利用したことは一度としてなかった。いつも見ているだけだった。
(貴重な体験……)
そこまで考えてようやく我に返る。ちょっと待て自分はなぜこんなところで寝ているんだ?
ガバリと身を起こすと、くらりと視界が揺れた。
「お。千倉。起きたぁ?」
女性の声が聞こえて、千倉は顔を上げる。
シャー、と勢いよくカーテンの開く音がして、まだ若い保険医が顔を出した。一見きりりとした美人保険医なのだが、毒舌家で少々乱暴であると有名なため、恐れる生徒は数多い。そのサバサバとした性格が好ましくて、千倉は結構懐いているのだけれど。
「ああ。まだ顔色悪いね」
近づいてきて、千倉の顔を覗き込んで。それから、頭にゲンコツひとつ。
「いったー! 先生! 体罰です」
「黙らっしゃい! 無駄に保健室に入り浸ってる保健室の申し子のくせして無理無理なダイエットしくさって」
「はっ。ばれてる」
「当たり前だ。腹虫女の噂はここまで届いたわ。ったく、最近顔出さないと思ったら」
「ははは」
「はははじゃない!」
「すいません」
千倉が謝ると、保険医はようやくいからせていた肩を元に戻した。
「ダイエットするのは悪いこととは言わないけどね。ちゃんとしたやり方しないとダメだよ」
「ははー」
「真面目に!」
「はいっ」
「で、気分は?」
「まだちょっとくらくらします」
「じゃあまだちょっと寝てな。ちゃんとしたお昼食べりゃあ治るだろうけど、こんな変な時間に食べてもせっかくの努力がダメになるからね」
「さすが先生」
「反省はしろよ」
「はーい」
ベッドに再び横になって、ふと気付く。
「先生この巨体は誰が運んで来たんですか?」
「イケメン男子生徒」
「えっ!?」
言われて一瞬で思い浮かんだのは黒須だ。だが。
「なんつって」
「は?」
「冗談に決まってるじゃん。ちょっとでも夢見れた?」
「先生、残酷です」
「おお、それは悪い。普通に佐野先生と小田先生が二人がかりでタンカで運んで来たよ」
「タンカ!」
しかもその両先生は体育と数学の、両方かなり体格の良い男性の先生だ。随分な体力が必要だったと思われる。
ダイエットしているのにこの有様。
(泣けてくる)
ベッドの中で、千倉は大きくため息をつく。
「あ。千倉。あたしこの後職員会議だから鍵かけてくけど誰か来たら入れてやって」
「え。私病人ですよね?」
「鍵開けるだけじゃーん」
保険医は言って豪快に笑った。




