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彩を忘れた私の世界  作者: uniーうに


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盤《せんじょう》の暗流

「――迎え撃つ」


 その言葉が、戦場へ落ちた。

 直後、城壁の上から無数の兵士たちが動き始める。

 武器を手に取り、配置につく。

 怒号。

 足音。

 鎧の擦れる音。

 張り詰めた空気。

 すべてが、これから始まるものの大きさを物語っていた。

 私は城壁の上から、遠くを見つめていた。

 敵軍が、こちらへ向かって進んでくる。

 一歩。

 また一歩。

 ゆっくりと、しかし確実に距離を縮めている。

「……これが、戦争」

 思わず口から漏れた。

 今まで、戦争という言葉を何度聞いただろう。

 けれど――。

 こんなにも大勢の人間が、互いに武器を向け合っている光景を見たことはなかった。

 手が震える。

 怖い。

 それでも、目を逸らさなかった。

 その時だった。

「……殿下」

 隣にいた兵士が、敵軍を見つめたまま呟いた。

「どうした?」

「……あの旗」

 兵士の視線の先。

 敵軍の中央付近で、一枚の旗が風に翻っていた。

「何かおかしいのか?」

「……あれは、隣国ルナリア王国の旗ではありません」

「え?」

 私は目を凝らした。

 確かに、見覚えのない旗だった。

「では、どこの国の旗だ?」

 兵士は答えない。

 しばらくして、別の兵士が口を開いた。

「……ヴォルカグリム王国、ルナリア王国のさらに向こうにある国の旗です」

「そんな……」

 ざわめきが広がる。

 ルナリアと、ヴォルカグリムが手を組んだ。

 誰もが、そう考えた。

 それ以外に、この場へヴォルカグリムの旗がある理由など、考えられなかった。

 だが――。

 私は違和感を覚えていた。

 ルナリアを挟んでさらに向こうの国なんて、この国境からあまりにも遠い。

 同盟を結んだという報告もない。

 仮に結んでいたとしても物資の支援までに留めるのが一般的だ。

 それに――。

 ルナリア王国はレオニス帝国と相互不可侵の条約を締結したばかりだ。

 何かがおかしい。

 そう思った瞬間。

 敵軍の中で、もう一つの旗が上がった。

「……あれは?」

 今度は、すぐに分かった。

 ルナリア王国の旗。

 けれど――。

「……なんだ、あれ」

 誰かが呟いた。

 その旗は、ひどく傷んでいた。

 布は大きく裂け、泥にまみれ、ところどころが欠けている。

 風にはためくたび、残された布が不規則に揺れていた。

「ルナリアの旗……なのか?」

「間違いありません。あの紋章は、ルナリア王家のものです」

 私は、その旗を見つめた。

 そして、気づく。

「……あの旗を持っているのは?」

 誰も答えなかった。

 私は近くにいた兵士から双眼鏡を借りた。

 旗を掲げている兵士。

 その鎧に刻まれていた紋章は――ヴォルカグリム王国のものだった。

(……どういうこと?)

 胸の奥がざわついた。

 なぜ、ヴォルカグリムの兵士がルナリアの旗を掲げている?

 その時。

 敵軍から、歓声が上がった。

 地鳴りのような声が、こちらにまで響いてくる。

 まるで、何かを誇示するように。

 まるで――

『これが、我々の戦果だ』

 そう言わんばかりに。

「……まさか」

 隣の兵士が、息を呑んだ。

「殿下……」

「……何?」

「ヴォルカグリムは……」

 その言葉の先を、兵士は口にできなかった。

 けれど、私には分かった。

 あの旗は、同盟の証なんかじゃない。

 あれは――

 ヴォルカグリムが、ルナリアに勝った証なのだ。

「……ルナリアは、どうなったんだ?」

 答えは返ってこなかった。

 ただ、遠くで翻る二つの旗だけが、戦場を見下ろしていた。

 ヴォルカグリム王国の旗。

 そして――

 ボロボロになった、ルナリア王国の旗。

 その意味を理解した瞬間。

 私は初めて、この戦争が自分たちの想像していたものとは違うのだと知った。

「団長!」

 突然、城壁の下から声が響いた。

「敵軍、射程に入ります!」

 その言葉に、空気が張り詰める。

「……全軍、構え!」

 騎士団長による号令が響いた。

 兵士たちが一斉に武器を構える。

 私も目の前の敵軍へ視線を戻した。

 さっきまで遠くに見えていた人影が、もうはっきりと見える。

 数が多い。

 それだけじゃない。

 敵軍の動きに、迷いがない。

 まるで――

 すでに何度も、同じような戦いを経験しているかのようだった。

「……おかしい」

 思わず呟く。

「何がですか?」

「……あの軍勢」

 私は敵軍を見つめた。

「ルナリアを攻め落とした直後だとしたら……どうして、あそこまで整っているんだ?」

 誰も答えられなかった。

 普通なら、戦いの後には疲弊するはずだ。

 それくらい戦争を経験したことのない私でも容易に想像できた。

 それなのに、目の前の軍勢にはそれが感じられない。

 まるで、一つの国を滅ぼしたことなど――

 大したことではなかったかのように。

「団長!」

 再び声が響いた。

「敵軍、さらに前進!」

「……迎撃準備!」

 兵士たちが動く。

 私は拳を握った。

 怖い。

 けれど、ここで退くわけにはいかない。

 その時だった。

 敵軍の先頭から、一人の兵士が叫んだ。

 何を言っているのかまでは聞き取れない。

 ただ、その声に呼応するように、敵軍全体から歓声が上がった。

 そして――

 あの二つの旗が、再び大きく翻った。

 ヴォルカグリムの旗。

 そして、ボロボロになったルナリアの旗。

 その光景を見た瞬間、私は思った。

 これはただの侵攻ではない。

 彼らは何かを見せつけている。

 私たちに。

 そして――

 その先にいる誰かに。

「……何を、企んでいる?」

 呟いた言葉は、戦場の喧騒に消えていった。

 次の瞬間。

「放てぇぇぇぇ!!」

 団長による号令が再び響く。

 無数の矢が、空へ放たれた。

 それを合図にするように――

 両軍の兵士が激突しようとしていた。


 無数の矢が空を覆った。

 次の瞬間。

 敵軍へ向かって、一斉に降り注ぐ。

「――っ!」

 遠くからいくつもの影が倒れていく。

 だが。

「……止まらない」

 私は思わず呟いた。

 矢の雨を受けても、敵軍の進軍速度はほとんど変わらない。

 先頭の兵士たちが倒れれば、その後ろにいた兵士がすぐさま前へ出る。

 一人。

 また一人。

 まるで、倒れた仲間など存在しなかったかのように。

「第二射、準備!」

 城壁の上で兵士たちが弓を構える。

「放て!」

 再び矢が放たれる。

 しかし、それでも敵軍は止まらなかった。

「……なんだ、あの軍は」

 隣にいた兵士が呟く。

 その声には、明らかな動揺が滲んでいた。

 私も同じだった。

 ルナリアを滅ぼした。

 その事実だけでも十分に恐ろしい。

 けれど――。

 目の前にいる軍勢は、その戦いを終えたばかりとは思えない。

 隊列は崩れていない。

 進軍速度も落ちることを知らないようだ。

 命令が届くたび、兵士たちは迷うことなく動いている。

「殿下!」

 突然、後方から声が響いた。

 振り返ると、一人の伝令兵が駆けてくる。

「何?」

「敵軍の新手が右側から現れました!」

「右側?」

「はい! このまま正面から攻めてくるのではなく、都市の側面へ回り込もうとしています!」

 私はすぐに地図へ目を向けた。

 敵軍の進路。

 そして、国境都市——オーガストホルン。

「……まずい」

 このままでは、城壁を正面から攻撃する部隊と、側面から回り込む部隊に挟まれてしまう。

 そうなれば、こちらは二方向から攻撃を受けることになる。

「右側の敵兵に騎兵を回そう」

 私が言うと、将軍がすぐに答えた。

「しかし、そうすれば中央の防衛が薄くなります」

「……」

 私は地図を見つめた。

 中央。

 右側。

 どちらを優先しても、もう片方が手薄になる。

 これが――戦場。

 一つの命令を出せば、別の場所に皺寄せがいく。

 誰かを守るためには、別の誰かを危険に晒さなければならない。

「殿下」

 ダルマンが静かに口を開いた。

「右側へ回すのは騎兵だけで十分でしょう」

 私は顔を上げる。

「どういう意味?」

「敵の目的は側面からの突破です。ならば、こちらも側面を完全に守る必要はありません」

 ダルマンは地図を指差した。

「ここです」

 そこには、都市の外側を流れる川があった。

「騎兵を川沿いへ配置し、敵の進路を塞ぐのです」

「だが、それでは敵を止めきれない」

「止める必要はありません」

 ダルマンは淡々と答えた。

「時間を稼げればいいのです」

 私は地図を見つめる。

 確かに。

 川沿いは道幅が狭く、大軍では動きづらい。

 そこで足止めできれば、その間に中央への防衛を厚くできる。

「……分かった」

 私は将軍へ向き直った。

「騎兵を川沿いへ。敵の進軍を遅らせて」

「承知しました!そのように致しましょう」

 将軍が団長へ指示を飛ばす。

 すぐに騎兵隊が動き始めた。

 私はその背中を見つめる。

 一つの判断。

 それだけで、数百人の兵士が命を懸けることになる。

「……これが、指揮するってことなんだ」

 小さく呟いた。

 戦場に立つ前は、ただ戦争が怖かった。

 けれど今は違う。

 怖いのは――。

 自分の判断によって、誰かの命が左右されることだった。

 その時。

「将軍!」

 再び伝令が駆けてくる。

「敵軍中央、前進速度を上げました!」

 私は敵軍へ目を向けた。

 先ほどまでよりも、明らかに速い。

「ならば、盾と長槍を使って敵の動きを止めよう。ファランクスだ」

 将軍はすぐに各団長へ指示を飛ばした。

「中央はファランクスで迎え撃て!」

「了解!」

 城壁の下では命令を受けた兵士たちが、次々と盾を構え始めた。

 ファランクスは正面からの突破には強い。

 けれど――側面には弱い。

(だからこそ、右側に別動隊を置いた?)

「だとしたら、左側は?」

 私はそう呟いた。

 敵軍との距離が縮まる。

 あと少し。

 あと少しで――。

「来ます!」

 敵軍の先頭が、ついに城壁の前へ到達した。

 巨大な盾。

 槍。

 そして、その後ろから次々と兵士が押し寄せる。

「構えろ!」

 帝国兵が武器を握りしめる。

 そして――

 轟音。

 敵軍が城壁へ激突した。

「うおおおおおお!!」

 敵兵の怒号。

 帝国兵の叫び。

 金属がぶつかる音。

 戦場が、一瞬で混沌へ変わった。

 私はその光景から目を逸らせなかった。

 昨日までなら、戦争をただ恐ろしいものとして見ていた。

 けれど今は違う。

 ここにいる一人一人が、生きている。

 そして、その命を守るために――。

 私は決断しなければならない。

「将軍!」

 伝令兵が叫ぶ。

「敵軍、城壁を突破しようとしています!」

 私は敵軍を見つめた。

 その数は、あまりにも多い。

 そしてその勢いは、まだ衰えていない。

 ――ルナリアを滅ぼした軍。

 その意味を、私はまだ理解しきれていなかった。

 けれど。

 今、この目の前で。

 その恐ろしさだけは、嫌というほど理解できた。

 (……絶対に城壁を越えさせない)

 私は初めて、自分の意思で戦場に命令を下した。

「ここを――守る」

 咄嗟にそう叫んでしまったが、その声に呼応するように。

 帝国兵たちの雄叫びが、戦場に響き渡った。


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