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彩を忘れた私の世界  作者: uniーうに


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迎《たたかい》の火蓋

 西方国境での他国軍の動きが確認されてから数日が経った。

 

 新たな動きが確認されず、議会内でも空気がひりついてきたタイミングで帝都に、ひとつの報せが届いた。

「国境を越えました」

 謁見の間に、伝令の声が響く。

「敵軍、およそ一万五千。オーガストホルンへ向け、進軍を開始しています」

 その瞬間、室内にざわめきが広がった。

 皇帝を失ったばかりの帝国。

 その混乱に乗じて、他国が攻めてくるのはよくある話だ。

 しかし、なぜだろう。皇帝の死は帝国内でもまだ一部の人しか 知らないはずだ。その情報を他国が持っているとは考えにくい。

「なぜだ」

 私は広げられた地図を見つめながらそう呟いた。

 国境都市オーガストホルン。

 その先には、帝国の民が暮らす村や町がある。

 ここで敵を止めなければ、戦火は帝国の内側へ広がっていく。

「……軍を動かす」

 私が口にすると、臣下の一人が声を上げた。

「殿下。敵軍の本隊の規模は、おそらく我々がすぐに動かせる軍の数を上回っています。正面から戦えば――」

「分かっている」

 私は地図から目を離さずに答えた。

「だからこそ、国境で止める」

 誰も言葉を返さなかった。

 国境。

 そこに、敵国の軍勢が迫っている。

 戦争。

 言葉としては知っている。

 けれど、実際に戦争が起きるということがどういうことなのかなんて、私には分からない。

 前の世界で暮らしていた私にとって、戦争は遠い場所の出来事だった。

 テレビやネットの向こう側にあるもの。

 それが今は――自分の国のすぐそこまで来ている。

「殿下」

 声を掛けられ、顔を上げる。

「国境都市への移動についてですが……」

「私も行く」

 口から出た言葉に、自分でも少し驚いた。

「……なりません」

 すぐに返ってきた。

「敵軍が迫っているのです。そこへ皇太子殿下が赴くなど、あまりにも危険です」

「しかし――」

「殿下に万が一のことがあれば、帝国そのものが揺らぎます」

次々と反対の言葉が出てくる。

 どれも正しい。

 私だって、危険な場所へ行きたいわけじゃない。

 むしろ怖い。

 敵軍なんて見たこともない。

 ましてや、戦場なんて――。

「……分かっている」

 そう答えた。

「私が行けば、皆に余計な負担をかけることも」

「でしたら――」

「それでも、行きたい」

 部屋が静まった。

 自分でも不思議だった。

 どうして、ここまで行きたいと思うのか。

 少し考えて、ようやく気づいた。

 私は、まだ何も知らない。

 ここで報告を聞いているだけでは、国境で何が起きているのか分からない。

 どれほど兵士たちが怯えているのか。

 どれほど民が不安を抱えているのか。

 敵軍が、どれほどの脅威なのか。

 何も知らないまま、誰かの言葉だけを信じて決める。

 それは――嫌だった。

「私は……国境で何が起きているのか、自分の目で見たい」

「殿下……」

「戦争のことを、私は何も知らない」

 その言葉に、臣下たちが僅かに目を見開いた。

「だからこそ、知らなければならないと思う」

 怖い。

 本当は、行きたくない。

 できることなら、この場所にいたい。

 だけど――。

 ここで逃げたら、また誰かの決めたことに従うだけになる。

 私は、そういう自分を変えたいと思っていた。

「私は皇太子だから、行くんじゃない」

 一度、息を吸う。

「私自身が、行くと決めたから行く」

 言葉にした瞬間、不思議と胸の奥が少しだけ軽くなった。

 しばらくの沈黙。

 やがて、それまで静かに話を聞いていたダルマンが頭を下げ言った。

「……承知いたしました」

「ただし、護衛を増やします。殿下自身が前線へ出ることも認めません」

「分かった」

「オーガストホルンの司令部から離れないこと、指揮は極力静観なさることも、お約束ください」

「……約束する」

 そう答えた。

「そして、私もついて行きます」

「わかった。……ん?」

 ダルマンによる突然の宣言にしばらく沈黙が続いた。

「なんでダルマンまで?」

「殿下が黙ってじっとしていることができないことくらい私にはわかります」

「失礼な!私をいくつだと思ってる?」

「まだ成人なさっていないでしょう」

「それに殿下は一見大人しくしておりますが、かの有名な『厄災』様のお孫様にして『返済王』と呼ばれたクレンバルト様の御子息なので当然の対応かと」

 ダルマンは微笑みながらそう言った。

「厄災?返済王?知らない呼び名だな。帰ってきてから詳しく話してもらうぞ」

「ええ、もちろんですとも」

 そんな会話を経て、私は国境都市オーガストホルンへ向かうことになった。

 出発の準備を終え、馬車へ乗り込む。

 窓の外へ目を向ける。

 この先に、敵軍がいる。

 考えるだけで、手が少し震えた。

 それでも――私は目を逸らさなかった。

 怖いからこそ、知らなければならない。

 知らないままでは、自分で決めることなんてできないから。

 馬車がゆっくりと動き始めた。

 私はまだ知らなかった。

 この国境での戦いが、後に皇太子としての私の名を歴史へ刻むことになるとは。

 

 その日の夜。

 私は一人、オーガストホルンへ向かう馬車の中にいた。

 窓の外を見つめながら、胸の奥に妙な違和感を覚えていた。

 

 戦争。

 

 その言葉を聞くだけで、胸の奥が重くなる。

 私は戦いたいわけではない。

 できることなら、戦わずに済ませたい。

 そう思う。

 なのに――。

「……どうすればいい」

 その言葉を口にした瞬間だった。

「……っ」

 突然、頭の奥に鋭い痛みが走った。

「う……っ」

 視界が歪む。

 知らない景色が、頭の中へ流れ込んでくる。

 広い部屋。

 長い机。

 その向かいに座っている、見知らぬ男たち。

 そして――

 そこに、一人の青年がいた。

 今の私と同じ見た目をしている。

 まだ皇太子だった頃の、本当のアシュ。

 これは記憶なのか?

 そう思った。

 けれど、何かがおかしい。

 私は、その場にいるはずなのに――そこに存在していない。

 誰にも見えていない。

 誰の耳にも、私の声は届かない。

 まるで、遠い昔に起きた出来事を、ただ眺めているようだった。

「私は、戦争を望んでいない」

 青年はそう言っていた。

「なぜですか。我々はあのような国に負けるほど弱くはありません」

「殿下。相手国はこちらの領土を要求しています」

 向かいに座る男達が答える。

「だからこそだ」

 青年は真っ直ぐに相手を見つめていた。

「話し合えばいい。こちらの考えを伝え、向こうの考えも聞けばいい」

「……殿下」

「戦えば、人が死ぬ」

 その声には、迷いがなかった。

「敵も、味方も」

「戦争など人が人であることを諦めた愚行だ」

 私は、その光景を見つめていた。

 ――やっぱり。

 この人は、戦争が嫌だったんだ。

 これまで何となくしか分からなかった。

 でも、今ならはっきりと分かる。

 本当のアシュは、本気で戦争を避けようとしていた。

 再び鋭い頭痛と共に場面が変わる。

 今度は、敵国との交渉の場だった。

 青年が、敵国の使者を前にしている。

「我々は戦う必要などない」

 穏やかな声だった。

「互いに話し合えば、きっと――」

 そこで、私は違和感を覚えた。

 使者の表情。

 固く閉じられた口。

 僅かに震える指。

 青年の言葉に頷いている。

 けれど、その顔に安心はなかった。

 むしろ――怯えている。

「……」

 私は息を呑んだ。

 この人は、怖いんだ。

 目の前にいる青年が怖いわけじゃない。

 その背後にあるものが。

 帝国という国が。

 軍事力が。

 自分たちより遥かに強い存在が。

 だから、頷いている。

 私はその光景を見つめながら、胸の奥に昔の感覚が蘇ってくるのを感じた。

 元の世界で、自分より強い立場にいる人間から何かを求められたとき。

 断りたいと思っても、断れない。

 本当は嫌でも。

 逆らえば何かが変わってしまうと思ってしまう。

 だから、相手の言葉に頷く。

 自分が本当にそう思っているからではなく。

 ただ、拒むことが怖いから。

「……これ」

 私は呟いた。

「対話じゃない」

 青年は、相手が怯えていることに気づいていない。

 ただ、戦争を避けられることに安堵していた

「これで、戦わずに済む」

 そう言っている。

 その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。

 優しい。

 間違いなく、優しい。

 戦いたくなかった。

 誰かを殺したくなかった。

 だから対話を選んだ。

 でも――。

「……知らなかったんだ」

 強者から差し出される手が。

 弱者にとっては、必ずしも救いにはならないことを。

 私は、それを知っていた。

 強い側にいたからではない。

 弱い側にいたから。

 だから分かる。

 どれだけ穏やかな言葉を向けられても。

 どれだけ話し合おうと言われても。

 その人が自分より圧倒的に強い立場にいるのなら。

 その『話し合い』を拒むことすら、怖い。

 (……アシュは、知らなかったんだ)

 責めるつもりはなかった。

 ただ、そう思った。

 きっと、この人は本気で相手と分かり合おうとしていた。

 でも、自分が相手にとってどれほど大きな存在なのか。

 そのことを、知らなかった。

 記憶の景色が、また変わる。

 交渉は決裂していた。

 その青年は最後まで戦いを避けようとしていた。

 それでも、相手は引かなかった。

 話し合いでは何も変わらなかった。

 青年が俯く。

「……どうすればいいんだ」

 その声を聞いた瞬間。

 頭痛が、さらに強くなった。

「……っ!」

 私は頭を押さえる。

 目の前の景色が滲んでいく。

 そして――。

「戦争を避けるために、対話をする」

 私はそう呟いた。

 でも……その対話さえ、相手にとっては怖いことがある。

 ならば、どうすればいい。

 力を捨てればいいのか。

 帝国を弱くすればいいのか。

 それとも、力を持ったまま相手が拒める関係を作るのか。

 そんな方法が本当にあるのか。

 私には分からなかった。

 (……私はどうすればいい?)

 答えは返ってこない。

 記憶が途切れた。

 目を開ける。

 そこは、馬車の中だった。

「……はぁ……」

 私は額に手を当てる。

 頭痛はまだ残っていた。

 けれど、それ以上に胸の中に残っているものがあった。

 本当のアシュの記憶。

 戦争を嫌っていたこと。

 対話を望んでいたこと。

 そして――。

 その優しさだけでは、世界は動かないこと。

「……私は、どうすればいいんだ」

 誰に問いかけるでもなく呟く。

 答えはなかった。


 翌朝。

 帝国軍は国境へ到着した。

 遠くに敵軍が見える。

 兵士たちが武器を構える。

 私はその光景を見つめていた。

 戦いたくない。

 できるなら、話し合いたい。

 けれど。

 今ここで敵軍が進めば、帝国の民が巻き込まれる。

 話し合えばいい。

 そう簡単には言えない。

 昨日見た記憶が、頭から離れない。

 自分が「対話」を求めることすら、相手にとっては恐怖なのかもしれない。

「殿下」

 隣にいた将軍が声をかける。

「敵軍、進軍を開始しました」

 私は前を向いた。

 その先にいるのは、戦うために来た者たち。

 そして、その後ろには帝国の民がいる。

 逃げることもできない。

 答えも分からない。

 それでも――。

「……迎え撃つ」

 その言葉が、静かに落ちた。

 帝国軍が動き出す。

 戦場へ。

 私はまだ、答えを持っていなかった。

 戦争を避ける方法も。

 誰も傷つけずに済む方法も。

 何が正しいのかさえ。

 それでも、決めなければならない。

 自分自身で。

 その選択の先に何が待っているのか。

 私は、まだ知らなかった。

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