焉《はじまり》の胎動
私はエドワードを引き連れ事前に待機させていた馬車でエドワードの両親が治めているヴァイス領に向かった。
その馬車の中でエドワードにこれからのことを話した。
「まず、君は私の命により秘密裏に処刑したことにする」
「だからこれからは帝都ではなくヴァイス領で極秘に情報を集めてほしい」
少し考えたあとにエドワードは疑問を口にした。
「私は帝都で生活できませんが、どこのようにして情報を集めるのですか?」
「君の家は農業で栄えたのだろう?」
「ならば商人との繋がりは幅広いはずだ。それを活用してほしい」
「承知しました。では商人には私が生きていることを知らせても大丈夫なのですね」
「いや、ダメだ。商人とは君の両親を通じてやりとりしてほしい」
「ならば、私が生きていることを知るのは両親と殿下と殿下直属の兵士だけということですね」
「ああ。直属の兵士の中でもこのことを知るのはそれを統轄するレイだけだ」
「そういえば、今日はレイ殿を連れてらっしゃらないのですね」
「レイには私の部屋を守ってもらっているからな」
それからもエドワードと今後の方針を話し合いながら馬車に乗り、しばらくの間、帝都から離れていった。
「商人との繋がりを使うと言っても、具体的にはどのような情報を集めればよいのでしょうか?」
「まずは帝都周辺の情報だ。皇帝の死について、何か不自然な噂が流れていないか。特に、事件の前後で動きが変わった者がいないかを調べてほしい」
「分かりました」
「それと、他国の動きにも目を向けてくれ」
「他国……ですか?」
「ああ。今回の事件が国内だけのものとは限らないからな」
そう言いながら、私は窓の外へ目を向けた。
皇帝の死。
エドワードへの冤罪。
そして、未だに姿を見せない真犯人。
今の私には、何一つ繋がりが見えていなかった。
だからこそ、帝都の中だけを見ていてはいけない。
「商人というのは、国境を越えて物を運ぶ。兵士よりも早く、国の変化を知ることもある」
「……なるほど」
エドワードは少し考え込んだあと、頷いた。
「では、商人たちから得た情報を両親に集め、そこから殿下へ伝える形にします」
「ああ。それなら君が生きていることを知られる可能性も低い」
「承知しました」
「そういえば、父上が亡くなったあの夜に何か違和感のようなものは感じたか?」
私はふと疑問に思ったことをエドワードに聞いた。
エドワードは少し考えた後に答えた。
「部屋の扉と廊下にいるはずの衛兵の数が普段より明らかに少なかった気がします」
「それは本当か?たしか、父上の文官がまだ城に残っていたな。時間がある時に確かめよう」
「はい。少しでも手掛かりになると良いのですが」
それからしばらく、馬車の中には静かな時間が流れた。
その途中、街道を進んでいると、反対側から何台もの商隊がこちらへ向かってきた。
馬車には大量の荷物が積まれている。
「……随分と急いでいるな」
私が呟くと、エドワードも窓の外へ目を向けた。
「何かあったのでしょうか?」
「分からない。ただ……」
商隊の中には、普段ならあまり見かけないほど多くの食料を積んだ馬車もあった。
「少し気になるな」
「聞いてみますか?」
「いや、今はいい」
まだ確かなことは何もない。
ただの商人の都合かもしれない。
そう思いながらも、私はその光景を頭の片隅に残しておいた。
そして、二日が経った頃。
馬車はようやくヴァイス領へと到着した。
屋敷へ案内されると、私はエドワードの両親に今回のことを一から説明した。
息子が皇帝殺害の罪を着せられたこと。
そして、その罪を背負ったままでは今後も命を狙われる可能性があるため、死んだことにしてこの地へ戻したこと。
話を聞き終えた二人は、しばらく言葉を失っていた。
やがて、エドワードの父親が深く頭を下げた。
「……殿下。息子の命を救っていただき、ありがとうございます」
「礼を言う必要はない。まだ何も終わっていないからな」
「それに……有罪の判断を最終的に下したのは他でもない私だからな。せめてもの罪滅ぼしだと思ってくれ」
私はそう言って、二人の目を見る。
「そんな……殿下が責任を感じられることでは――」
「いや」
私は静かに首を横に振った。
「あの場で判断を下したのは私だ。結果的にエドワードを救うことができたとしても、あの判断をした事実が消えるわけではない」
エドワードの両親は何も言わなかった。
ただ、深く頭を下げる。
「……承知しました」
「エドワードが生きていることは、決して他言しないでほしい」
「もちろんです」
「商人との繋がりについても、これまで通り君たちを通して行ってくれ」
「承知しました」
二人が頷いたのを確認し、私はエドワードへ目を向けた。
「それじゃあ、ここからは君の仕事だ」
「はい」
「頼んだぞ」
「……必ず」
短い言葉だった。
だが、その目には先ほどまでとは違う覚悟が宿っていた。
私はそれ以上何も言わず、屋敷をあとにした。
馬車へ戻る直前、エドワードが声をかけてきた。
「殿下」
振り返る。
「……どうした?」
「いつか、この事件の真実を明らかにしてください」
私は少しだけ黙った。
「……ああ」
「だが、真相を明らかにするのはお前と共にだ」
それだけを答え、私は馬車へ乗り込んだ。
こうして、エドワード・ヴァイスは表舞台から姿を消した。
しかしそれは、彼が何もしなくなったという意味ではない。
むしろ――。
ここから彼は、帝都の外からこの国の情報を集める存在となる。
そして私は、一人で帝都へ戻ることになった。
帝都に着いたのは、エドワードをヴァイス領へ送り出してからさらに二日後であった。
城門を抜けると、いつもと変わらない街並みが広がっている。
人々は普段通りに行き交い、商人たちは声を張り上げている。
まるで、皇帝が死んだことも。
一人の臣下が処刑されたことも。
何もなかったかのように。
現段階ではまだ秘密事項のため当然のことではあるが。
何もないように見えるこの帝都は決して平穏を取り戻したわけではない。
皇帝を失った国の中枢では、今も様々な思惑が渦巻いている。
そして、その中心にいるのは自分だ。
皇太子として。
次の皇帝として。
城へ戻った私は、まず自分の部屋へ向かった。
扉を開ける。
「お帰りなさいませ、殿下」
そこには、何事もなかったかのようにレイが立っていた。
「問題は?」
「ありません。殿下が不在であることに気づいた者もいないでしょう」
「そうか」
「ヴァイス領の方は?」
「予定通りだ」
私は短く答えた。
「エドワードは無事、両親のもとへ送り届けた。これでしばらくは安心だ」
レイは小さく頷いた。
「では、あとは予定通りに?」
「ああ」
私は窓の外へ目を向けた。
「エドワード・ヴァイスは――今日、処刑されたことになる」
その言葉を最後に、二人は部屋をあとにした。
向かった先は議会だった。
扉を開けると、既に何人かの議員が集まっていた。
私が席につくと、議員の一人が尋ねた。
「殿下、エドワードの件については……?」
私は静かに答えた。
「エドワード・ヴァイスは、私の判断で秘密裏に刑に処した」
室内が静まり返った。
誰も言葉を発しない。
あの裁判を見ていた者たちにとっても、改めて聞けば重い事実だった。
しばらくして、ダルマンが口を開いた。
「……そうですか」
その声には、僅かな寂しさが滲んでいた。
「残念ですな」
「そうだな」
「これで、皇帝陛下殺害の事件については一つの決着がついたことになりますな」
別の議員がそう言う。
だが、アシュはその言葉を聞いても何も答えなかった。
決着などついていない。
父を殺した者は、まだこの国のどこかにいる。
それどころか、自分たちはその存在すら掴めていない。
しかし今は、それを口にすることもできなかった。
その時だった。
議会の扉が開いた。
一人の兵士が慌てた様子で入ってくる。
「失礼いたします!」
「何事だ」
兵士にそう問うと。
兵士は息を整えてから頭を下げ答えた。
「西方国境からの定時連絡がここ数日途絶えております」
「西方国境?」
「はい」
「最後に連絡があったのは?」
「三日前です」
三日。
国境にある砦からの定時連絡が、三日も途絶えている。
「何かあった可能性は?」
「現在、確認を急がせております」
西方国境には、レオニス帝国でも特に重要な砦がある。
長い年月をかけて幾度も改修され、周囲を険しい地形に囲まれたその砦は、敵国からは難攻不落とさえ呼ばれていた。
そこからの連絡が途絶えている。
「殿下」
ダルマンが口を開いた。
「まさかとは思いますが……」
「まだ何も分からない」
私はダルマンの言葉を遮るように言った。
「憶測で判断するな」
「承知しております」
私は再び兵士の方へ顔を向けた。
「砦へ追加の確認を送れ」
「はっ!」
「ただし、敵対行動が確認されるまではこちらから手を出すな」
「承知しました!」
兵士が敬礼をして部屋を出ていく。
扉が閉じる。
再び静寂が訪れた。
「……皇帝陛下が亡くなられたばかりだというのに」
議員の一人が呟いた。
「偶然でしょうか」
誰も答えなかった。
「西方といえば、ルナリア王国ではありませんか」
また一人別の議員が呟いた。
「ルナリアといえば我が国と相互不可侵の条約を結んだばかりの国ではないですか」
ダルマンが驚きながら言った。
部屋が静まり返った。
何が起きているのか知る人は誰一人としていなかった。
私もまた、答えを持っていなかった。
皇帝の死。
そして、国境からの突然の沈黙。
それぞれが別々の出来事なのか。
それとも――
どこかで繋がっているのか。
その答えを知る者は、まだ誰もいない。
ただ、私は知らなかった。
この時すでに――
レオニス帝国の外で、一つの国が動き始めていたことを。
静かに。
誰にも気づかれないまま。
新たな時代の歯車が、回り始めていたことを。




