命《いし》は継がれる
王城の裁判の間。
そこには、普段とは違う張り詰めた空気が漂っていた。
玉座の前に設けられた広間には、数人の重臣と近衛兵が並び、その中央にエドワード・ヴァイスが立っている。
その正面。
一段高い場所に、議会最大の皇帝支持派閥をまとめ、皇帝の右腕として国を支えてきたダルマン・アルバートが座っていた。
この時、皇太子であったアシュ……もとい私はダルマンよりさらに一段高い場所に座って最終的な刑の判断を任されていた。
「これより、皇帝陛下崩御の件について審議を行う」
ダルマンの声は低く、よく通る声だった。
エドワードは黙って前を見つめていた。
手には、まだ拘束具が掛けられている。
ダルマンが書面へ目を落とした。
「まず確認する。昨夜、お前は皇帝陛下の寝室へ向かった」
「はい」
「なぜだ?」
「陛下から呼び出しがあったからです」
「……本当に、陛下からか?」
「私のもとに、呼び出しの書かれた紙が置かれていました」
「その紙は?」
「ありません」
「なぜだ?」
「分かりません。拘束された時には、もう……」
ダルマンはしばらくエドワードを見つめた。
「つまり、お前は皇帝陛下から呼び出されたと言っている。しかし、その証拠はない」
「……はい」
「その紙が誰から渡されたのかも知らないのか?」
「はい」
「なぜだ」
「紙は私の部屋の机に置いてありました」
「置き手紙のようなものか」
「はい」
「しかし、その紙自体も現在は存在しない」
エドワードは唇を噛んだ。
「……そうです」
「奇妙だな」
ダルマンの声に、わずかな冷たさが混じった。
「皇帝陛下の命令だと言いながら、その命令を証明するものは何一つ残っていない」
「私は嘘をついていません!」
「ならば、質問に答えろ」
ダルマンは間を置かず、次の問いを投げた。
「昨夜、皇帝陛下の寝室へ入った時、部屋に誰かいた形跡はあったか?」
「……いいえ」
「本当に?」
「はい」
「では、お前が入った時には、陛下はすでに亡くなっていたのか?」
「……はい」
「お前は、陛下が亡くなっていることを確認したのか?」
「確認したわけでは……ただ、声を掛けても返事がなくて」
「その後、衛兵が来たということか?」
「はい」
「それまでの間、お前は陛下と二人きりだったのだな?」
「……そうなります」
「どれほどの時間だ?」
「分かりません。ほんの僅かな時間です」
「正確には?」
「分かりません」
「分からないのか」
ダルマンは、その言葉を繰り返した。
「お前は皇帝陛下と二人きりだった時間を把握できていないということか」
「そうではありません。突然のことで――」
「では、話しかける他に何かしたことはあるか?」
「何もしていません」
「何も?」
「はい」
「陛下に触れたか?」
「……近づきはしました」
「触れたのか?」
「……確認しようとして」
「つまり、触れたのだな」
「はい」
広間がざわめいた。
ダルマンはそれを気にする様子もなく、さらに続ける。
「では聞こう」
一枚の書面を持ち上げる。
「確か、お前は議会の皇族に反対する派閥をまとめていたな」
「……はい」
事実エドワードは議会で皇族反対派をまとめ上げている人物であった。
「つい昨日も議会で皇帝の意向により反対派が敗れて皇帝支持派の政策が可決したな」
「……はい」
「そして、その日の夜」
ダルマンは書面を机へ置き、続けて言った。
「皇帝陛下は死亡した」
広間が静まり返る。
「その直前、皇帝陛下の部屋に入ったのはお前だけ」
「違います。私は――」
「窓は閉まっていた」
「……」
「鍵も掛かっていた」
「……はい」
「誰かが侵入した形跡もない」
「……」
「そして、お前は陛下の部屋に入ってから兵士が来るまでにあ
程度の自由に動ける時間があった」
ダルマンがゆっくりと顔を上げる。
「エドワード・ヴァイス」
その目は、まっすぐエドワードを捉えていた。
「お前以外に、誰が皇帝陛下を殺せた?」
「……分かりません」
「分からない?」
「はい」
広間が静かになる。
ダルマンはその反応を確認するように、周囲へ一度視線を向けた。
そして再びエドワードを見る。
「では、整理しよう」
「一つ。お前は皇帝陛下の死の直前、陛下の寝室へ入った」
「二つ。お前が入った時、部屋には皇帝陛下しかいなかった」
「三つ。窓は閉まっており、鍵も掛かっていた」
「四つ。部屋には、外部から誰かが侵入した形跡もない」
そして――。
「五つ」
ダルマンがゆっくりと言葉を続ける。
「皇帝陛下の死を発見したのは、お前だ」
エドワードは黙っていた。
「違うか?」
「……違いません」
「では聞こう」
ダルマンが身体を僅かに前へ傾ける。
「お前が皇帝陛下を殺していないという証拠は?」
「……」
「何もないのか?」
「私は……殺していません」
「それは証拠ではない」
「……」
「お前の言葉以外に、お前の無実を証明するものはあるか?」
エドワードは答えられなかった。
「呼び出しの紙は?」
「ありません」
「誰が置いた?」
「分かりません」
「その紙は本当に陛下からのものだったのか?」
「……分かりません」
「では、お前が皇帝陛下のもとへ向かった理由を証明できる者は?」
「……いません」
そう答えた時、エドワードの頭にはとある人物が浮かんだ
「衛兵……」
ふと口にした言葉をダルマンは聞き逃さなかった。
「では、その時の兵士を連れて来させよう」
そう言うとダルマンは側にいた衛兵に頼んで昨夜、扉を守っていた兵士を連れてきた。
ダルマンはその兵士にも質問を始めた。
「エドワードが昨夜、皇帝の部屋を訪れた際に扉を守っていたのは君かね?」
「はい」
兵士は怯えることもなく堂々と答えた。
兵士は続けて言った。
「昨夜、エドワード氏が訪れた際に紙の提示はありませんでした」
エドワードはその言葉を聞くと驚きで声が出なかった。
「では、もう一つ聞こう」
ダルマンは兵士の言葉を聞いた後にそう言った。
「つまり君は衛兵として扉を守っていたにもかかわらず、なぜ
たのかもわからないエドワードの入室を許可したと?」
エドワードは顔を上げる。
ダルマンの言う通り、もし紙の提示なしに入室させたのなら衛兵が自身の仕事を放棄していたことになる。
ダルマンは続ける。
「つまり、君も犯人と手を組んでいたのではないかね?」
ダルマンの冷たく鋭い視線は兵士にも向けられた。
「いえ、そんなことはありません」
今まで強気で落ち着いていた兵士は急に焦りだし、そう答えた。
ダルマンは部屋全体を見渡した後に言った。
「エドワードは議会の一員であるため、その刑の判断には皇帝陛下もしくはその血筋の方が必要になるが、兵士の判決ならば私たち議会の者のみで行えてしまうのだよ」
実際にこの国では議会員の判決には皇族の判断が必要になるが、それ以外はダルマンなどの議会を構成する人のみで判決を下すことができてしまう。
ダルマンは続けて言った。
「君は皇帝の一番側にいた兵士にも関わらず兵士としての役割を放棄し、皇帝の死に協力したと判断できる」
少しの沈黙のあとダルマンは言った。
「よって絞首刑に処す」
兵士は何も言い返すこともできずに執行官達により連れてかれた。
次にダルマンの視線はエドワードに戻った。
「先ほどの彼は紙を見せられていないと言ったが、どうかね?」
「……私は紙を見せました」
エドワードはその意見を貫き通した。
「では改めて聞こう」
ダルマンはそう言うと再び質問を始めた。
「皇帝陛下を殺した者は、どこから入った?」
「……分かりません」
「窓は?」
「閉まっていました」
「鍵は?」
「掛かっていました」
「侵入の形跡は?」
「ありません」
「では、誰が殺した?」
「……」
「答えられないのか?」
「分かりません!」
エドワードの声が裁判の間に響いた。
「私には、本当に何も分からないんです!」
しばらく沈黙が続いた。
ダルマンはそんなエドワードを見つめていた。
その表情からは、何の感情も読み取れない。
「……分かった」
ダルマンが静かに口を開く。
「お前は何も知らないのだな」
その言葉だけを聞けば、まるでエドワードの言葉を受け入れたようだった。
だが――。
「しかし、この場で問われているのは、お前が何を知っているかではない」
ダルマンは書面へ目を落とす。
「皇帝陛下を殺したのが誰なのかだ」
そして再び、エドワードへ視線を向けた。
「現時点で確認されている事実だけを並べれば、皇帝陛下の死
直前に部屋へ入ったのはお前だけだ」
「……」
「外部からの侵入者はいない」
「……」
「唯一、皇帝陛下と二人きりになれたのはお前だ」
「……違う……」
「そして、お前が皇帝陛下のもとへ呼び出されたという証拠もない」
ダルマンの声が、広間に静かに響く。
「それでもなお、我々に『別の犯人がいる』と信じろというのか?」
エドワードは拳を握りしめた。
何を言っても。
何を説明しても。
すべてが自分を疑わせる材料へと変わっていく。
まるで――
最初から、この場所へ辿り着くことが決められていたかのように。
「……私は、殺していません」
それだけを、エドワードは繰り返した。
ダルマンは答えなかった。
ダルマンから皇太子である私に最終的な判断を迫られた。
私はダルマンが使っているのはリード・テクニックなのではないかと思いながらこの裁判を見ていた。
確かに、状況証拠しかないこの裁判で手っ取り早く判決を出せるのは同じ質問を繰り返すことで相手を精神的に追い詰めるリード・テクニックが最も効率的だろう。
もちろんここまで重要な判断を自分の意思で行うのは私には無理だった。
見た目がアシュとはいえ、中身は雫のままなのだから。
しかし、ある考えが頭をよぎった。
さっきの兵士が絞首刑なら実際に皇帝を手にかけた疑いの高い者もそうなるべきなのではないかと。
気づいた頃には刑を口に出していた。
「絞首刑」
自分でも驚いた。
つい少し前まで悩んでいた自分が最も重い刑を告げたのだから。
そして、この時に気づいた。
自分の一言でここまで簡単に人の命を奪えてしまうことに。
エドワードは何も言わずにただ私を見ていた。
エドワードはアシュを見つめながら、胸の奥で一つの疑念を抱いていた。
自分は今。
誰かが用意した筋書きの中を、歩かされているのではないか。
そして、その筋書きを書いた者は――
この裁判を、どこかで見ているのではないか。
ダルマンが最後の言葉を告げる。
「以上をもって、エドワード・ヴァイスに対する判決とする。
なお、刑の執行は明日の昼とする」
静まり返った広間に、その言葉だけが響いた。
エドワードは何も言わなかった。
ただ、真っ直ぐに私を見ている。
その目を見ていると、胸の奥が妙にざわついた。
誰もが既に、この判決を受け入れている。
それが当たり前であるかのように。
エドワードは兵士に促され、歩き始めた。
私の前を通り過ぎる際、エドワードが足を止めた。
「……陛下」
「何だ」
エドワードは少しだけ私を見つめた。
何かを言おうとしている。
けれど、結局何も言わなかった。
「……いえ」
そう呟いて、再び歩き出す。
エドワードが出ていくと重い空気の漂うこの部屋の扉はゆっくりと閉じた。
広間に残されたのは、私と家臣たちだけだった。
誰も口を開かない。
私は全てを見下ろすこの席から立ち上がった。
「……今日は、これで終わりだ」
そう言って広間を出る。
廊下を歩きながら、先ほどの光景を何度も思い返していた。
エドワードの目。
あの目は、何だったのだろう。
まるで――
「……考えすぎか」
そう呟いて、足を止めた。
目の前に見覚えのある扉があった。
二代目皇帝。
クレンバルト・レオニス。
史書を見つけた時から、何度も頭に浮かんでいた名前。
そして、その人の部屋の前に立っていた。
「……」
私は扉を見つめた。
何かに呼ばれるように、手を伸ばし扉を開けた。
部屋の中には、ほとんど何も残っていなかった。
家具も少ない。
机の上にも書類はない。
すでに何度も整理されたのだろう。
それでも、不思議と足が止まらなかった。
私は部屋の中を見回した。
そして机に近付こうとした時、何かに足が掛かって床に倒れ込んだ。
誰かに見られてたら恥ずかしいななどと考えながら顔を上げると
机の裏に複数の紙が隠されていた。
その中に一枚だけ、封のされた手紙があった。
表には、短く名前が書かれている。
――アシュへ。
「……私に?」
思わず声が漏れた。
この手紙を書いたのは、おそらく二代目皇帝。
そして、私はその息子であるアシュ。
ならば、私宛ての遺言などがあっても当然なのかもしれない。
封を開け、紙を広げる。
『アシュへ。
この手紙をお前が読んでいるということは、私はもうお前の隣
にはいないのだろう。
父親として、最後に伝えておきたいことがある。
私は皇帝だ。
だから、この国の未来について考えなければならない。
だが、それ以前に私はお前の父親だ。
お前には、皇帝としてではなく、一人の人間として生きてほし
いと思っている。
国のために何かを捨てることが、正しいとは限らない。
多くの者が正しいと言うことが、本当に正しいとも限らない。
だから、お前自身の目で見てほしい。
誰かが語ったことを、そのまま信じるのではなく。
誰かが残した言葉だけを、真実だと思うのではなく。
自分で見て、自分で考え、自分で決めてほしい。
それが、私からお前への最後の願いだ。
そして――
もし私の死後、この国で誰かが罪に問われることがあれば。
その者が本当に罪を犯したのか。
どうか、一度だけ疑ってほしい。
人は、都合の悪い真実を歴史に残そうとはしない。
誰かを悪人にしてしまえば、物事は簡単に説明できる。
だからこそ、簡単な物語ほど疑うべきなのだ。
お前なら、それができると信じている。
クレンバルト・レオニス』
最後の一文を読み終えた。
私は、しばらく動けなかった。
手紙を持つ手が震えている。
頭の中には、今日の裁判が浮かんでいた。
無罪にできる証拠はなかったが有罪にできる証拠もなかった。
それでも、私は判決を下した。
ダルマンの言葉を聞き、周囲の空気に流されるように。
そして今。
二代目皇帝が残した言葉が、その全てを否定するように胸へ突き刺さっていた。
――本当に罪を犯したのか。
私は手紙を見つめる。
「……エドワード」
その名前が、自然と口から漏れた。
そして、ようやく気づいた。
この手紙は、ただ父親が息子に残した遺言ではない。
これは――
今の私に向けられた言葉なのだ。
だったら。
私がやるべきことは、一つしかない。
私は手紙をゆっくりと折りたたんだ。
「……もう、間違えない」
小さく呟く。
そして、目を閉じる。
二代目皇帝が残した意思を、胸に刻むように。
私は、この人の意思を継ぐ。




