判《さばき》は自らの意思で
その日の夜。
私たちは、ヴォルカグリム国王から歓迎の宴へ招かれていた。
降伏したばかりの国で宴を開くということに、私は少しばかり違和感を覚えていた。
だが、国王曰く、
「我が国へ来られた方々を、宴もなしに出迎えるのは可笑しな話であろう」
とのことだった。
断る理由もなかったため、私たちはその宴へ参加することにした。
そして――。
「……これは」
宴の会場へ入った私は、思わず足を止めた。
目の前に広がっていたのは、想像していたものとはあまりにもかけ離れた光景だった。
長い机の上には、数え切れないほどの料理が並べられている。
肉。
魚。
色とりどりの野菜。
果物や菓子まである。
どれも一目で上質なものだと分かる。
その量も、ここにいる者たちだけでは到底食べきれないほどだった。
「どうだね! 我が国自慢の料理の数々だ!」
国王は嬉しそうに胸を張っている。
「……随分と豪華だな」
「そうであろう!」
国王は満足そうに笑った。
だが、私は料理へ手を伸ばさなかった。
昼間に見た光景が、頭から離れない。
崩れかけた家。
荒れた街道。
そして――。
店先に並べられた食料を、ただ黙って見つめていた人々。
あれほどまでに食べるものに困っている人々がいた。
それなのに、ここにはこれほど大量の食料がある。
「……国王」
「何かね?」
「このような宴は、普段から開いているのか?」
私が尋ねると、国王は何の迷いもなく答えた。
「ああ。よく開いているぞ」
「……よく?」
「うむ。王族や貴族が集まった時などにはな」
国王は何でもないことのように続ける。
「月に何度かは開いている」
「…………」
私は何も答えなかった。
昼間に見た民の光景。
一方で、王侯貴族の暮らす場所だけは綺麗に整えられていた。
そして今、目の前に並ぶ大量の料理。
すべてが繋がった。
この国に食料がなかったわけではない。
民に行き渡る前に、王侯貴族が使っていたのだ。
「……」
私は料理へ一度も手をつけることなく、ただ目の前の光景を見つめていた。
「口に合わなかったかね?」
「……いや」
「普段の宴もこれほどの量を?」
「ああ」
国王は何の疑問も持っていないようだった。
「王族や貴族が集まる宴なのだ。料理を惜しむ理由などないであろう?」
「では――」
私は一度、料理へ目を向けた。
「この食料を用意するために、どれほどの金をかけた?」
「金?」
国王は少し考えるような顔をした。
「……さあな。料理人や家臣が用意しているから、私には分からん」
「そうか」
私は短く答えた。
「では、民の食料が不足していることは知っているか?」
「もちろん知っているとも」
あまりにもあっさりとした返答だった。
私は思わず国王を見る。
「知っているのか?」
「ああ。近年は特に多いと聞いている」
国王はそう言いながら、目の前の料理へ手を伸ばした。
「だが、それは仕方のないことだろう」
「……仕方がない?」
「国民全員を満足させるなど、どの国でも不可能だ」
国王は料理を口へ運びながら、淡々と続ける。
「それに、王族や貴族まで食事を我慢する必要はあるまい?」
「…………」
私は何も言えなかった。
怒りが込み上げてくる。
だが、それ以上に――。
この男が、本当に何も理解していないことに驚いていた。
「民が飢えているのに、宴を続けることに疑問はないのか?」
「なぜ疑問に思う?」
国王は本気で不思議そうに私を見る。
「我々は王族だぞ」
「…………」
「国を治める者が、それ相応の暮らしをするのは当然ではないか」
「……そうか」
私は小さく呟いた。
もう、疑う余地はなかった。
この国をここまで追い詰めた原因が何なのか。
少なくとも、この男が国を治める者として民を見ていないことだけは、はっきりと分かった。
私は宴を途中で抜け、用意された部屋へ戻った。
外はすでに暗くなっている。
先ほどまでいた宴の会場では、今も王族や貴族たちが酒や料理を楽しんでいることだろう。
だが――。
私は、あの料理に一度も手をつけなかった。
頭から離れないのは、昼間に見た街の光景だった。
宴で聞いた国王の言葉を思い出す。
『国民全員を満足させるなど、どの国でも不可能だ』
確かに、それだけなら間違いとは言い切れない。
だが――。
私は街へ視線を落とした。
「……自分の目で確かめるか」
部屋を出て、廊下を歩く。
その途中で、壁にもたれるように立っていたレイがこちらへ顔を向けた。
「どちらへ?」
「少し、街を見てくる」
「今からですか?」
「ああ」
レイは少しだけ黙った。
「……お一人で?」
「いや。お前も来てくれ」
「承知しました」
レイはすぐに私の後ろへついた。
私たちは人目を避けながら城を出た。
そして――。
夜の街へ足を踏み入れた。
昼間とは違い、街にはほとんど人の姿がない。
店は閉まり、通りを照らす明かりも少ない。
静まり返った街を歩いていると、ふと一軒の家が目に入った。
窓から漏れる明かりはない。
その隣の家も。
さらにその先も。
「……静かだな」
「はい」
レイが短く答える。
私はそのまま歩き続けた。
しばらくすると、暗い路地の奥から小さな声が聞こえてきた。
「……今日もこれだけか」
足を止め、声のした方へ目を向けると、数人の家族が小さな食卓を囲んでいた。
そこに並んでいる料理は、ほんの僅かだった。
昼間に見た光景と同じだ。
いや――。
昼間よりも、はっきりと分かる。
この街では、これが当たり前なのだ。
私は黙ってその場を離れた。
そして、城の方へ目を向ける。
あちらには、今も明かりが灯っている。
あの中では、今日も大量の料理が並べられているのだろう。
私はしばらく城を見つめた。
「……なるほど」
ようやく、確信した。
これは一部の家が貧しいという話ではない。
この国そのものが、こうなっているのだ。
そして――。
その原因を作っている者たちは、城の中にいる。
翌朝。
私は、ヴォルカグリムの王城にある広間へ足を運んでいた。
そこには、王族や貴族たちが集められている。
昨日までとは違い、誰も口を開こうとはしない。
当然だろう。
彼らの目の前には、帝国軍の将や兵士たちが並んでいる。
そして、その先頭に立つ私を見つめていた。
「……アシュ様」
隣に立つレイが、小さく声をかける。
「分かっている」
私は一歩前へ出た。
「昨夜、私はこの国の街を見て回った」
王族や貴族たちの間に、僅かにざわめきが起こる。
「そこで私は、この国の民がどのような暮らしをしているのかを、この目で見た」
私は目の前に並ぶ者たちを一人ずつ見つめる。
「食料に困る者がいる一方で、王族や貴族の住む場所だけは整えられていた」
「…………」
「そして、昨夜の宴だ」
誰も答えない。
「民の食料が不足していることを知りながら、お前たちは何度も宴を開いていた」
広間が静まり返る。
しばらくして、帝国軍の将の一人が口を開いた。
「……アシュ様」
「なんだ?」
「これほどまでに民を苦しめた者たちを、生かしておく必要があるのでしょうか」
その言葉に、王族や貴族たちの表情が強張る。
「この者たちは、自らが贅沢な暮らしを続けるために、民を顧みなかった」
将は続ける。
「ならば――」
一度、目の前の王族たちへ視線を向ける。
「王族や貴族を、処刑すべきです」
その言葉が、広間へ響いた。
「私も同意します」
別の臣下が口を開く。
「これほどの状況を作り上げた責任は、取らせるべきでしょう」
次第に、周囲からも声が上がる。
「処刑すべきだ」
「この者たちを許してはなりません」
私は黙って、その声を聞いていた。
処刑。
その言葉が、頭の中に残る。
――確かに。
この国の現状を知れば、そう考える者がいるのも理解できる。
私自身も、昨夜までは同じことを考えていた。
だが――。
ふと、別の男の顔が脳裏に浮かんだ。
エドワード・ヴァイス。
「…………」
私は目を閉じた。
あの時、私は――。
エドワードを有罪だと判断した。
皇帝を殺した罪を背負わせ、その命を奪おうとした。
あの時の私は、それが正しいことだと思っていた。
周囲の者たちも、同じことを口にしていた。
エドワードが皇帝を殺したのだと。
だから私は、その言葉を信じた。
だが――。
実際には違った。
エドワードは、何もしていなかった。
私は、自分で確かめることもせず、周囲の言葉を正しいものだと思い込んでいた。
「…………」
私は目を開ける。
目の前には、処刑を望む帝国の将や臣下たちがいる。
彼らの言葉が間違っているとは思わない。
この者たちが、この国の民を苦しめてきたことを私自身の目で見た。
この世界に来たばかりの私なら今回もエドワードの時と同じように周囲の意見に流されていた。
でも——今は違う。
自分の言葉の重さを。
誰かによって与えられた情報が、必ずしも真実とは限らないことを。
あの頃よりは理解している。
「……処刑はしない」
広間が静まり返った。
「アシュ様……?」
先ほどの将が、驚いたように私を見る。
私は目の前の王族や貴族たちへ視線を向けた。
「お前たちが、この国をここまで追い詰めた責任を負うことに変わりはない」
王族たちの表情が強張る。
「だが、その責任を命で償わせるつもりもない」
「では……?」
私は一度、息を吐いた。
「王族、貴族としての権利と今まで蓄えてきたであろう資産をすべて剥奪する」
広間にざわめきが広がる。
「そして――」
私は王たちを見据えた。
「二度と、この国を治めることのできない場所へ送る」
「……追放、ということですか?」
「ああ」
私は頷いた。
「この国を治める資格を失った者たちに、再びその力を与えるつもりはない」
誰も口を開かなかった。
先ほどまで広間に響いていた処刑を求める声も、今は消えている。
私は静かに続けた。
「これが、私の判断だ」
それは、誰かに言われたからではない。
誰かの意見に従ったものでもない。
私自身が、この目で見て、この耳で聞いて――。
そして、自分で決めたことだった。




