差《へだたり》の解決策
「わざとだ」
レイは迷うことなく答えた。
アヤはその返答を聞くと、僅かに口元を緩めた。
「やっぱり」
「何がだ?」
「いえ。レイ様なら、何か考えがあると思っていました」
私は二人を見る。
「ちょっと待ってくれ」
私はレイへ向き直った。
「わざとって……どういうことだ?」
「今はまだ、お話しする必要はないかと」
「なぜだ?」
「アヤがどこまで把握しているのか分かりませんから」
「……なるほど」
レイはアヤを見る。
「それで、なぜそう思った?」
「簡単ですよ」
アヤは答える。
「レイ様が無策で右へ進むとは思えなかったからです」
「……」
「それに、あの状況で右を選ぶのは不自然でした」
アヤは戦場へ目を向ける。
「いくら帝国軍が林で方向感覚を失ったとしてもそこから出てしまえば大体の位置と方角は把握できるはずです」
アヤは続けて言った。
「それに林から出て山間部の方へ進めば帝国軍が来る時に通らなかったもう一つの道があることも把握していたはずです」
「それが根拠か」
「はい」
アヤは頷く。
「だから、何か別の目的があると思いました」
レイは何も答えない。
「そして――」
アヤは少しだけ笑った。
「レイ様が何も考えずに私の作戦に乗るはずがありませんから」
「買いかぶりすぎだ」
「そうでしょうか?」
「私はそこまで優秀ではない」
「昔から、そういうところは変わりませんね」
アヤが楽しそうに笑う。
私は二人を見ながら、思わずため息をついた。
「……二人だけで話を進めないでくれ」
「あ、すみません」
「申し訳ありません」
二人がほぼ同時にこちらを見る。
「そこまで息が合うなら、最初から仲良くしてくれ……」
「ふふっ」
アヤが笑う。
だが――
次の瞬間、その表情が再び真剣なものへ戻った。
「ですが、レイ様」
「ああ」
「あなたの考えが何であれ――」
アヤは遠くのヴォルカグリム軍を見る。
「このままでは、本当に帝国軍は持ちません」
その言葉に、レイの表情も変わった。
「分かっている」
「ならば――」
アヤはレイを見つめた。
「私にも、その策を聞かせてください」
アヤの言葉に、レイはしばらく黙っていた。
やがて――
「……あのまま山間側へ進んでいたら、敵の思惑通りだった」
「やはり、読めてましたか」
「ヴォルカグリム軍は、こちらが山間側へ進むことを想定していた。ならば、そこへ向かう理由はない」
「だから、逆へ?」
「そうだ」
レイは遠くの戦場を見つめる。
「敵が待ち構えている場所へ進むのではなく、敵が想定していない方向へ進む必要があった」
「ですが――」
アヤは少しだけ首を傾げた。
「その結果、帝国軍はこの場所まで追い詰められています」
「それは想定外だった」
「……珍しいですね」
アヤが少し驚いたように目を開く。
「レイ様でも、想定外のことがあるんですか?」
「私を何だと思っている」
「何でも分かっている人かと」
「買いかぶりすぎだ」
レイは小さくため息をついた。
「ただ、ここまで追い込まれることは想定していなかった」
「なるほど」
アヤは再び戦場を見る。
「では、この状況も含めて何か考えがあるわけではないのですか?」
「いや」
レイは静かに答えた。
「ここまで来たからこそ、使えるものがある」
「使えるもの……?」
私は二人の会話を聞きながら、思わず口を挟んだ。
「それは一体」
「この場所です」
レイは、私たちが立っている場所を指した。
「この場所?」
「はい」
レイは周囲を見渡す。
「ここまで追い込まれたことで、帝国軍の背後には崖があります」
「それは……言われずとも分かっていることだな」
「ですが、逆に言えば敵もこちらへ正面からしか攻め込めません」
私は周囲を見渡した。
確かに、崖を背にしている以上、敵がこちらへ回り込むことは難しい。
「つまり、敵の数を活かしにくくするということか」
「その通りです」
レイが頷く。
「敵がいくら多くても、一度に戦える数には限りがあります」
「なるほど……」
アヤも頷いた。
「だから、ここまで来ること自体を利用する」
「そうです」
「ですが、それだけでは帝国軍が助かるには十分ではないでしょう」
アヤの言葉に、レイは黙った。
「敵の数は依然として圧倒的です。こちらの兵士も疲弊しています。このまま防ぎ続ければ、いずれ限界が来ます」
「分かっている」
「ならば――」
アヤがレイを見る。
「何かを待っているんですか?」
「……」
レイは答えない。
ただ、遠くに広がる戦場へ視線を向けた。
「レイ?」
「時間です」
「時間?」
「はい」
レイは静かに答えた。
「今、私たちに必要なのは敵を倒すことではありません」
その言葉に、私は目を見開いた。
「では……何をする?」
「待つんです」
レイはそう言って、剣を握り直した。
「敵が動くまでではありません」
「では、何を?」
レイは少しだけ目を細めた。
「――私たちが動けるようになるその瞬間を」
その時、戦場の奥で軍勢が動きを見せた。
「何が起きたのでしょうか」
アヤは音のする方へ目を向ける。
その先には無数の帝国軍の旗が見えていた。
「……もしかして」
アヤは何かに気づいたかのように驚いた表情をしていた。
「間に合ったようだな」
レイがそう呟く。
「どうして帝国軍が」
私はレイに説明を求めた。
「道の分岐点に着いた時、偵察隊を山間ルートに向かわせていました」
「偵察隊が異変に気づいて帝国領まで行くことに賭けてたのか」
「はい」
レイは安堵した表情でそう答えた。
「さすがに賭けがすぎるな」
私も安堵からか思わず口元を緩めた。
遠くから近づいてくる帝国軍の旗。
その数は、決して少なくない。
アヤが呟く。
「やっぱり、レイ様は変わりませんね」
「何がだ?」
「自分で全てを動かそうとはしないところです」
アヤは少しだけ笑った。
「人が動く可能性を残しておいて、その可能性が繋がった時に初めて策として成立させる」
「買いかぶりすぎだ」
「またそれですか」
アヤは小さく笑う。
「ですが、レイ様との差を感じて今はそれが悔しいです」
アヤの視線が、再びヴォルカグリム軍へ向いた。
「帝国軍が増えたことで、戦況は変わります」
「そうだな」
「ですが――」
アヤの表情が引き締まる。
「ヴォルカグリム軍も、ただ待っているわけではありません」
その言葉と同時に、遠くから角笛が響いた。
ヴォルカグリム軍の隊列が、ゆっくりと動き始める。
「……来ましたね」
アヤが呟く。
「レイ様」
「ああ」
「ここからが、本当の勝負です」
レイは剣を構えた。
「そうだな」
私は二人の背中を見つめる。
――二人の軍師。
同じ戦場に立ちながら、見ているものはきっと違う。
「それで、どうする?」
私が尋ねると、レイとアヤは再び戦場へ視線を向けた。
「まずは敵の動きを止めます」
アヤが答えた。
「今のヴォルカグリム軍は、こちらの増援に対応するために隊列を変えようとしています。そこを突けば、敵の一部を分断できるかもしれません」
「ならば、こちらは正面から押さえる」
レイが続ける。
「敵の動きを限定し、その間に別の部隊を回り込ませる」
「ですが、それでは敵の数を減らすことはできません」
「分かっている」
「なら、別の方法を――」
二人は戦場を見ながら、次々と案を出していく。
敵の進路を限定する。
地形を利用する。
部隊を分け、敵の一部を孤立させる。
正面から戦うのではなく、敵の側面を狙う。
どの策も、戦況を動かすためのものだった。
だが――。
「……それでも、足りませんね」
アヤが呟いた。
「敵を分断しても、こちらより多い」
レイも遠くのヴォルカグリム軍を見つめる。
「一部を孤立させたところで、残った敵の数が多すぎる」
「こちらが一部を倒している間に、別の部隊が押し寄せてくる」
「兵士の疲労もある」
「はい」
アヤが頷いた。
「増援が来たことで、先ほどより状況が良くなったのは確かです」
その表情は晴れない。
「それでも……根本的な差は埋まりません」
私は敵軍へ目を向ける。
遠くまで続くヴォルカグリム軍。
こちらにも増援が加わった。
それでも、向こうの方が圧倒的に多い。
「……つまり」
私は二人を見る。
「どんな策を使っても、最後には兵士の数が問題になるということか」
「そういうことです」
アヤが答えた。
「策だけでは、覆せない差があります」
「……どうすることもできないのか?」
私がそう聞くとアヤは答えた。
「私の戦術自体が敵兵を極限まで減らして絶対に勝てる状態にしてから戦うといったものなので難しいかと」
「……絶対に勝てる状態か」
「はい。我ながらあっぱれです」
レイは黙ったまま、戦場を見つめていた。
「我々はどうすれば良いんだ」
「……」
二人とも答えない。
敵の数。
味方の数。
兵士の疲労。
地形。
補給。
どれを考えても、簡単に覆せる状況ではなかった。
レイとアヤ。
二人の軍師がどれだけ考えても、今ある戦力だけでは決定的な差を埋めることができない。
その時――。
「――うわぁぁぁっ!」
突然、遠くから叫び声が響いた。
「何だ!?」
私は反射的に声のした方を見る。
ヴォルカグリム軍がいる方向。
そのさらに奥――。
私たちが最初に抜けてきた林の方からだった。
「敵襲だ!」
「後ろからだ!」
続けざまに、いくつもの叫び声が上がる。
「……まさか」
アヤが目を見開く。
次の瞬間。
林の中から、一頭の馬が飛び出してきた。
その後ろから、次々と騎兵が姿を現す。
帝国の旗が、風を受けて大きく翻った。
「帝国軍……?」
私は呆然と呟いた。
騎兵たちはそのままヴォルカグリム軍の背後へ突っ込んでいく。
先ほどまでこちらへ向かっていた敵兵たちが、突然背後から襲われ、隊列を崩していく。
「なぜ……」
アヤも驚きを隠せない。
レイは騎兵の動きを見つめていた。
騎兵たちの中から、一人の男がこちらへ向かってくる。
見覚えのある顔だった。
「……ダルマン?」
私の声に、男は馬上から静かに頭を下げた。
「随分と早い再会ですな、アシュ様」
ダルマン・アルバート。
帝都に残っていたはずの男が――。
今、騎兵を率いてこの戦場へ現れた。




