智《せんりゃく》は計り知れず
帝国兵個々の強さとレイの的確な指示もあり、帝国軍は善戦と言える状況にあった。
それでも――
戦況は、少しずつ変わり始めていた。
「はぁ……はぁ……」
兵士たちの息が荒くなる。
剣を握る手にも、力が入らなくなっていた。
「まだ……いける……!」
一人の兵士が踏み出す。
だが、その足が僅かによろめいた。
「くっ……」
敵を斬り伏せる。
しかし、その直後には別の敵が迫ってくる。
「もう……無理だ……」
誰かが呟いた。
その声を聞いた瞬間――
レイが前へ出た。
「下がってください」
「レイ様……?」
「ここからは私がやります」
レイは剣を構えた。
次の瞬間――
「――っ!」
鋭い斬撃が、目の前の敵をまとめて薙ぎ払う。
「なっ……」
ヴォルカグリム兵が足を止める。
レイは止まらない。
踏み込む。
振り抜く。
さらに一撃。
その斬撃が敵の隊列を切り崩していく。
「怯むな!」
ヴォルカグリム側から声が飛ぶ。
だが――
レイは、その声ごと斬り裂くように前へ進んでいく。
「……すごい」
誰かが呟いた。
帝国兵たちは、ただその背中を見つめていた。
レイの斬撃によって、押し寄せていた敵が次々と倒れていく。
そして――
帝国軍の前に、一瞬だけ空白が生まれた。
恐らく、この時の私が一番間抜けな顔をしていただろう。
空いた口が塞がらないという慣用句があるが、本当にこの時の私は空いた口が塞がらなかった。
(慣用句って実話がもとになってるのかな〜?)
「アシュ様。大丈夫ですか」
レイの言葉で私の意識は戻った。
「すまない。あまりの凄さに意識が飛んでいた」
「恐ろしいですか?側にいられると」
レイは今まで私に見せたことのない寂しそうな顔をしていた。
「とても頼もしく感じたよ」
「恐ろしいとは思わないのですか?」
「……オモワナイヨ」
「なんで少し考えた末にカタコトになってるんですか」
「冗談だ。ぜひ私も使えるようになりたいな」
「それは恐らく無理ですね」
「えっ、なんで」
「この斬撃は私の故郷である国の血筋しか使えないらしいです」
「そういえば、レイの出身はどこなんだ?」
「八咫國です」
「八咫國?」
(私と同じ!八咫國ってレオニス帝国がある時代から続いてたんだ)
「私と同じだな」
(つい口から出てしまったー)
「いや、殿下は産まれも育ちもレオニス帝国ですよ」
「そうだな。なんでもない。気にしないでくれ」
「そうしときます」
レイは笑いながら言った。
「そういえば、その斬撃って制限なく使えるのか?」
「いえ、私の体力がなくなったり、剣が耐えられなくなって壊れてしまえば使えません」
「レイくんやい。君一人でかなり十分な戦略じゃないかな」
「殿下は私に死ねと申しているのですか?まぁ、そのような命令がされれば従い——」
「従うなよ」
私は食い気味に言葉を遮った。
「そういえば、敵が全く来なくなったな」
「確かに、そうですね」
◇
数分前、ヴォルカグリム軍司令部にて——
「あの斬撃は!」
「どうかしましたか?アヤ様」
「いや、なんでもない。少し用事を思い出した」
「と言いますと」
「指揮権は将軍に譲る。よってここからの指揮は任せた」
「それとあの斬撃が飛んでくる以上、兵を向かわせても余計な死人が出るだけということだけ伝えておきます」
アヤはそう言ってヴォルカグリム軍の司令部をあとにした。
◇
「妙ですね」
「そ、そうだな」
(あの斬撃が飛んでくる場所に自ら来たがる人なんていないよ)
「もしや、何か対策を練ってから再び攻めてくるのでしょうか」
「確かに、敵の指揮官はかなり優秀なようだからな」
「お褒め頂き光栄です」
背後から声がした。
剣を握り振り返ると、そこにはフードで顔を隠した小さな少女がいた。
「誰だ」
私が問うと、その少女は微かに微笑んだ後に答えた。
「初めまして。皇太子殿下」
「そして、お久しぶりです。レイ様!」
少女はそう言うとフードを下ろした。
「もしかして……アヤなのか?」
レイは驚いた表情をしながら少女に問いかけた。
「はい。アヤです!」
「……どうして、ここにいる」
レイの声が、僅かに揺れていた。
先ほどまで戦場で見せていた冷静さが、初めて崩れている。
アヤはそんなレイを見つめると、微かに笑った。
「どうしてって……」
そして、首を傾げる。
「もちろん、レイ様に会うためですよ」
「私に……?」
「はい」
アヤはそう答えると、今度は私へ視線を向けた。
「そして――」
その目が、私を捉える。
「皇太子殿下にも、一度お会いしてみたかったんです」
「私に?」
「ええ」
何を考えているのか分からない。
会話に入ってきたタイミングとその時の発言から考えて恐らくヴォルカグリム軍を指揮していた人物なのは容易に想像できる。
つまり目の前にいるのは、先ほどまで数千の兵を動かしていた敵軍の指揮官。
それが今は、まるで普通の少女のように笑っている。
「……レイ」
「はい」
「知り合いなのか?」
「……」
レイはすぐには答えなかった。
やがて、アヤを見つめたまま口を開く。
「昔、八咫國で……少しだけ」
「少しだけ?」
私が聞き返す。
するとアヤが楽しそうに笑った。
「ふふっ。『少しだけ』なんて、随分と他人行儀ですね」
「……アヤ」
「はい?」
「余計なことは言わなくていい」
「相変わらずですね」
アヤは嬉しそうに笑った。
まるで――
敵同士とは思えないほどに。
私は二人を交互に見つめる。
「……何があったんだ?」
そう尋ねた瞬間。
アヤの笑みが、ほんの僅かに消えた。
「それは――」
アヤはレイを見つめる。
「本人から聞いた方がいいと思いますよ」
「今は昔のことを話してる場合ではないのでまた機会があれば話します」
「ところで、ヴォルカグリム軍を指揮していたのはアヤなのか?」
「はい。レイ様を探す見返りに指揮をしておりました」
「ですが、もう違います」
「……どういう意味だ?」
「先ほど、指揮権を将軍に譲りました」
アヤはそう言って、ヴォルカグリム軍がいる方へ一度だけ振り返る。
「私はもう、あの軍に戻るつもりはありません」
「敵軍を……抜けるのか?」
「はい」
あまりにも迷いのない返事だった。
私は思わずレイを見る。
レイは何も言わず、ただアヤを見つめていた。
「……信用していいのか?」
私がそう尋ねると、アヤは少しだけ目を細めた。
「難しい質問ですね」
「今まで私たちと戦っていたのは、お前だろう?」
「そうですね」
「なら、いくらレイの知り合いだとしても、簡単には信用できない」
「ごもっともです」
アヤは素直に頷いた。
「ですが、私としても皇太子殿下に信用していただく必要はありません」
「何?」
「私はただ――」
アヤがレイを見る。
「レイ様のところへ戻ってきただけですから」
その言葉に、レイの表情が僅かに変わった。
「……アヤ」
「はい?」
「私はもう、昔のような立場ではない」
「知っています」
「なら――」
「それでもです」
アヤは微笑んだ。
「私は、レイ様を探していました」
その言葉に、レイは何も返さなかった。
私は二人を見つめる。
どうやら――
私にはまだ知らないことが多すぎるらしい。
「……分かった」
私はアヤへ視線を戻す。
「少なくとも、今ここでお前と戦う理由はなさそうだ」
「ありがとうございます」
「ただし、完全に信用したわけではない」
「もちろんです」
アヤはそう言って、少しだけ笑った。
「それで十分ですよ」
アヤは、遠くに見えるヴォルカグリム軍へ目を向けた。
「……それにしても」
「どうした?」
「帝国軍は、かなり危険な状況ですね」
「君がここまで追い込んだのだよ」
「それもそうでした」
私はヴォルカグリム軍を見つめる。
先ほどまで私たちを追い詰めていた軍勢。
レイの斬撃によって一度は距離を取ったものの、まだ数では圧倒的に向こうが上だ。
「ですが、今すぐ攻めてくることはないと思います」
「なぜだ?」
「私の助言を無視しない限りは攻めてこないでしょう」
「……何を言ったんだ?」
アヤは少しだけ考えるように目を伏せた。
「レイ様の斬撃に対して、正面から兵をぶつけても意味がないことを伝えました」
「なるほど」
「それと——」
アヤは遠くの軍勢を見つめる。
「ヴォルカグリム軍には、まだ別の動きがあります」
「別の動き?」
「はい」
アヤは静かに頷いた。
「この作戦自体私が考えたものですからね」
その言葉に、私はアヤを見る。
「なら聞かせてくれ」
「何をですか?」
「ヴォルカグリムは――次に何をするつもりなんだ?」
アヤは答えなかった。
ただ、遠くにある敵軍を見つめていた。
そして――
「そうですねぇ。こちらが動かない限り何もしてこないです」
「……え」
私は黙り込んだ。
「ついさっきまで指揮を行いこの戦況を作り出した本人が今はその指揮を行っていない」
アヤは沈黙を裂くように話し始めた。
「ヴォルカグリムの将軍はこの戦況を全く把握できていません。なにせ人の話を聞かずに横でずっと寝てましたからね」
「よくそんな奴が将軍までなれたな」
「気づいてるとは思いますが、ヴォルカグリム軍は数こそ多いものの戦力としては全く使い物になりません」
「そこまで弱い軍に帝国軍は追い込まれたのか」
「それは軍師が優秀だったからですね」
アヤが自身の優秀さをアピールするようにこちらを見ながら言う。
「では、その優秀な軍師に聞こうか。ここからどうすれば帝国軍は助かる?」
アヤは少し考えた後に言った。
「無理ですね。兵士の疲弊具合や、敵の数、帝国軍の持つ物資の量から考えて詰んでいます」
アヤは全く臆することなく事実を淡々と並べた。
「レイ様に一つ確認したいことがあります」
「なんだ」
アヤは先程までの明るく笑顔にあふれた表情から一変してとても真剣な表情をしていた。
「山間側とは逆の方向に帝国軍を移動させたのはわざとですね」
「……えっ」
私は思わず口を開いた。
レイは少しの間の後答えた。
「わざとだ」




