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彩を忘れた私の世界  作者: uniーうに


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史《れきし》は語らない

 気づけば、声だけでなく口調も変わっていた。

 転生でもしたのだろうか?

 だとしたら死因は?

 などと考えているうちに別のあることに気づく。

 体が重い。

 なかなかベッドから起き上がれない。

 力を振り絞りなんとか起き上がると、やけに目線が高い。

 声の低さや身体の大きさを踏まえると転生して産まれた時からやり直すというわけではなさそうだ。

 自分がどのような姿になっているのか気になり、近くにあった鏡へ恐る恐る近づいてみた。

 自分と同じくらいの年齢だろうか、若い青年の姿が写っていた。

 灰色のような髪に吸い込まれそうな青い瞳をしている。

 見た目は若いのに声はやけに大人びており、そのギャップにはかなり驚かされた。

 鏡に写る自分であろう人物を見ていると突然ドアがノックされ、聞き覚えのある名前が呼ばれた。

「アシュ様、お食事のご用意が完了致しました」

 アシュ?史書にあった三代目の皇帝か。

 そう理解した直後、頭が急激に痛み出した。

 どこからともなく流れ込んでくる誰かの記憶。

 そう、アシュの産まれてから現在に至るまでの記憶だ。

「……分かった」

 返事をすると、不思議な感覚に襲われた。

 この声を知っている。

 名前も、顔も知らないはずなのに、その声を聞いたことがあるという記憶だけが自然に浮かんでくる。

 昨日も、その前の日も。

 いや、それだけじゃない。

 この部屋で目を覚ましてから流れ込んできた記憶の中に、この使用人とのやり取りもあった。

「……変な感じだ」

 小さく呟いて、私は部屋を出た。

 廊下を歩いていると、すれ違う者たちが頭を下げる。

 その名前も、何となく分かる。

 この人は近衛隊の隊長。

 あの人は侍従長。

 向こうにいるのは父上付きの文官。

 頭の中に流れ込んできた記憶のおかげで、初めて見るはずの人たちなのに、どこか見慣れた存在に感じられた。

 けれど、それでも自分が自分ではないような感覚は消えない。

 案内された部屋へ入り、用意された食事を見た瞬間、また記憶が蘇った。

 これは好きな料理。

 こっちは少し苦手。

 そんなことまで覚えている。

「……本当に、アシュになってるんだ」

 誰にも聞こえないように呟いた。

 一人で食べ始める。

 味も分かる。

 食べる時の癖も分かる。

 何をどの順番で食べるかまで、身体が勝手に動く。

 まるで、長い間ここで暮らしてきたかのようだった。

 ただ一つだけ。

 その記憶を持っているのは私なのに、そこにある思い出を自分のものだとは思えなかった。

 幼い頃に庭を走り回った記憶。

 剣の稽古で何度も転んだ記憶。

 父親に叱られた記憶。

 母親に本を読んでもらった記憶。

 どれも確かに私の頭の中にある。

 なのに、それを思い出すたびに、どこか遠くから眺めているような感覚があった。

「……不思議だな」

 食事を終え、部屋へ戻ろうとしたところで、侍従に呼び止められた。

「アシュ様、皇帝陛下がお呼びです」

「父上が?」

「はい。執務室へお越しくださいとのことです」

「分かった」

 記憶にある道を歩く。

 足は迷わなかった。

 しばらくして、皇帝の執務室へ辿り着く。

 少し近づくだけで苦しくなる程の圧を感じる扉があった。

「アシュ・レオニス殿下がお見えになりました」

 扉の前に立つ衛兵が言った。

「入れ」

 聞き慣れた父の声だった。

 私は扉を開ける。

「失礼します、父上」

 部屋の奥では、父が書類に目を通していた。

 私を見ると、手にしていた紙を机へ置く。

「来たか」

「お呼びでしたか?」

「ああ」

 父は椅子から立ち上がると、私のところまで歩いてきた。

 そして、私の顔をじっと見る。

「……どうした?」

「いや」

 少しだけ眉を寄せたあと、父は笑った。

「今日は随分と真面目な顔をしているな」

「いつも真面目ですよ」

「そうだったか?」

「父上からどのように見えていたかは存じ上げませんが」

「昔はもっと素直だったんだがな」

「それ、いつも言いますよね」

「そうだったか?」

 父が笑う。

 私も、つられて笑ってしまった。

 その瞬間だった。

 胸の奥に、懐かしさが広がった。

 この人とこうして話したことがある。

 何度も。

 くだらない話をして、笑った。

 叱られたこともある。

 褒められたこともある。

 幼い頃、この人の膝の上で眠ってしまったことさえ覚えている。

 ――この人が、私の父親。

 記憶がそう教えてくる。

 けれど同時に、史書に書かれていた一文が頭をよぎる。

 アシュ・レオニスは、実の父親を殺害した。

「……どうした?」

 父の声で我に返る。

「いえ。少し、昔のことを思い出していました」

「珍しいな。お前が昔のことを考えているなんて」

「そうですか?」

「ああ」

 父は楽しそうに笑った。

「お前は昔のことより、これからのことばかり考えていただろう」

「……そうだったんですか?」

「覚えていないのか?」

「いえ、覚えています。ただ……」

 言葉を止める。

 自分でも上手く説明できない。

 覚えている。

 確かに覚えている。

 それでも、それが自分の記憶なのかと問われれば、答えられない。

「……少し、変な感じがするだけです」

 父はしばらく私を見つめていた。

 けれど、それ以上は追及しなかった。

「そうか」

 そして、私の肩を軽く叩いた。

「まあ、疲れているんだろう。今日はしっかり休め」

「父上」

「ん?」

「……何でもありません」

 言えなかった。

 史書では、私はあなたを殺す。

 そんなことを言えるはずがない。

「そうだ。お前を呼び出した理由だが、一つ聞きたいことがある」

「なんでしょうか?」

 何か問題でも起こしてしまったのか不安になった。

「そんな身構えなくて良い」

 父は微笑みながら続けて言った。

「お前が皇帝になったら何を国の宝とする?」

 微笑んではいるが、その目は何かを見極めるような鋭いものだった。

 突然の質問に困惑したが、少し考えた後に私は答えた。

「……私は民を宝だと思っています。そして、この考えは皇帝になろうとも覆ることはありません」

 この考えはアシュ自身が昔から抱いていたものだ。

 自分の意思を伝えることが苦手なはずの私だが、この意思だけはなぜかうまく言葉にすることができた。

「そうか。すまなかったな」

 父はそう言って机へ向かった。

 何に対する謝罪だろうと考えながら私はその背中を見つめた。

 記憶の中にある父親と、目の前にいる父親が重なる。

 優しい人だった。

 厳しい時もあった。

 それでも、私はこの人を慕っていた。

 少なくとも、記憶の中のアシュはそうだった。

(……本当に、私がこの人を殺したのか?)

 心の中でそう呟く。

 当然、答えは返ってこない。

 ただ、父は振り返ることなく席に座り、書類に目を通していた。

 私はその姿をしばらく見つめたあと、部屋を出た。

 廊下へ出て、扉が閉じる。

 その瞬間、頭の中にまた史書の一文が浮かんだ。

 ――父親を殺害した後、皇帝に即位。

 まだ、父は生きている。

 そして私はまだ、皇帝ではない。

 史書に書かれた出来事は、これから起こる。

 そう思っていた。


 私が部屋を出たあと、父は一人、机に向かっていた。

 そして、誰に聞かせるでもなく呟いた。

「……アシュ。お前は、私とは違うのだな」


 この時の私はまだ知らなかった。

 私が知っている「歴史」が、最初から少しだけ違っていたことを。

 その違いが、何を意味するのかも……。


 ――歴史は、語らない。


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