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彩を忘れた私の世界  作者: uniーうに


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19/29

棋《さい》は投げられた

 帝国軍は、ぬかるんだ平地をゆっくりと進んでいた。

 馬の蹄が泥へ沈む。

 馬車の車輪も、重たそうに地面へ食い込んでいる。

「……進みにくいですね」

 隣を進むレイが呟いた。

「ああ」

 私は前方へ目を向ける。

 どこまでも続く平地。

 敵の姿は、まだ見えない。

 だが――

 その時だった。

「……何だ?」

 遠くから、何かが聞こえた。

 大勢の足音。

 私は振り返る。

 すると、後方の地平線に無数の人影が現れていた。

「敵襲!」

 兵士の叫び声が響く。

「ヴォルカグリム軍です!」

「何だと……?」

 私は目を見開いた。

 いつの間に――。

 先ほどまで、後方には何もなかったはずだ。

 だが、今は違う。

 ヴォルカグリムの兵士たちが、こちらへ向かって進んでいる。

「全軍、戦闘態勢!」

 レイが声を張り上げる。

 兵士たちが一斉に武器を構えた。

 しかし――

「……待て」

 私は後方へ目を向けた。

 何かがおかしい。

 敵は、こちらへ突撃してこない。

 その代わり――

 ヴォルカグリム軍の兵士たちが、次々と弓を構えていた。

「まさか……」

 レイが呟く。

 次の瞬間。

 空へ向かって、無数の矢が放たれた。

 その先端には――

 赤々と燃える炎が灯っていた。

「火矢……!」

 誰かが叫んだ。

 無数の火矢が、帝国軍の前方へ降り注ぐ。

 一本。

 二本。

 そして――

 地面へ突き刺さった瞬間。

 炎が一気に広がった。

「なっ……!」

 私は息を呑んだ。

 炎は、地面を走るように広がっていく。

 先ほどまでただのぬかるみにしか見えなかった地面。

 そこから、次々と炎が噴き上がっていた。

「全員、後方へ下がれ!」

 レイが叫ぶ。

 だが――

「無理です!」

 兵士が叫び返した。

「馬車が動きません!」

「何……?」

 私は後方を見る。

 そこには、大量の物資を積んだ馬車。

 その車輪は泥へ深く沈み込んでいた。

 そして、その周囲にも炎が広がっている。

 前方も。

 後方も。

 左右にも。

 燃え盛る炎が、帝国軍を取り囲んでいく。

「……そんな」

 兵士たちの間から、動揺の声が漏れる。

 私は周囲を見渡した。

 逃げ道がない。

 ぬかるんだ地面。

 燃え広がる炎。

 そして、後方から迫るヴォルカグリム軍。

 ようやく理解した。

 この道を選んだ時から――

 いや。

 ルナリアへ入った時から。

 私たちはすでに、敵の用意した戦場の中にいたのだ。

「……レイ」

「はい」

「このままでは……」

 言葉が続かなかった。

 目の前で、炎がさらに大きくなる。

 帝国軍全軍が、その炎の中にいた。

「……レイ!」

「はい!」

「このままでは炎で全滅してしまう。林へ退避させろ!」

「承知しました!」

 レイがすぐさま兵士たちへ指示を飛ばす。

「左右の林へ分かれろ! 炎から離れろ!」

「急げ!」

「馬車は捨てろ! 兵士の退避を優先しろ!」

 次々と声が飛び交う。

 兵士たちは燃え盛る平地から離れるため、左右の林へ向かって走り始めた。

 私も馬から降り、林へ逃げる。

 背後では、先ほどまでより激しい炎が道を包んでいた。

 その炎は地面を這うように広がり、そこに残された馬車へも燃え移っていく。

「……くそっ」

 私は振り返り、唇を噛んだ。

 あの中には、食料も武器も積まれている。

 この先の進軍を支えるために用意した、大量の物資だ。

 それが次々と炎の中へ消えていく。

「アシュ様!」

 レイの声で、私は前を向いた。

「今は退避を!」

「ああ!」

 林へ入る。

 木々の間へ入ったことで、先ほどまでの熱気が少しだけ弱まった。

 だが、安心できる状況ではない。

 林の中にも火矢が降り注いでいる。

 木の幹に突き刺さった火矢から炎が広がり、枝や葉へ燃え移っていく。

 それでも――

「……こっちの方が、まだマシか」

「はい」

 レイが周囲を確認する。

「地面まで燃え広がっているわけではありません。ここなら、あの平地よりは動けます」

「なら、ここで態勢を立て直す」

「分かりました」

 兵士たちは木々の間へ散らばりながら、互いに声を掛け合っている。

 炎から逃れることはできた。

 だが――

「……待て」

 私は足を止めた。

「どうしました?」

 レイも立ち止まる。

 林の奥。

 炎に照らされた木々の向こうから――

 何かが聞こえた。

 足音。

 一つではない。

 いくつも重なっている。

「……誰かいる」

 兵士たちも、その音に気づき始めた。

 武器を握る音が、林の中へ広がっていく。

 ――ガサッ。

 木々の向こうで、何かが動いた。

 私は音のする方へ目を向けた。

 燃えた木々の隙間から、いくつもの影が現れる。

「……来たぞ!」

 誰かが叫んだ。

 次の瞬間、林の奥からヴォルカグリムの兵士たちが姿を現した。

 その手には、血に濡れた剣が握られている。

「迎え撃て!」

 帝国兵が一斉に武器を構えた。

 金属が激しくぶつかり合い、鋭く澄んだ高い音が響き渡った。

 最前列で剣を交えた帝国兵が、ヴォルカグリム兵の一撃を受け止める。

「――っ!」

 そのまま力を受け流し、身体を半歩ずらす。

 そして。

 相手の懐へ踏み込み、剣を振り抜いた。

 ヴォルカグリム兵が後退する。

「押し返せ!」

 一人が叫ぶ。

 その声に応えるように、周囲の帝国兵たちも動き始めた。

 木々が視界を遮り、炎が煙を生み出している。

 決して戦いやすい場所ではない。

 それでも――帝国兵たちは怯まなかった。

 一人が敵の剣を受け止めれば、別の一人が横から斬り込む。

 数では劣っている。

 それでも、互いに背を預け、確実に敵を倒していく。

「この程度で帝国兵を止められると思うな!」

 再び剣戟が響いた。

 ヴォルカグリム兵の列が、わずかに後ろへ下がる。

 ――帝国軍は、まだ戦える。

 その光景を見ながら、私は剣を強く握った。

「アシュ様!」

 声が聞こえた。

 振り向くと、ヴォルカグリム兵がこちらへ向かってくる。

「私が――」

「いや」

 レイの言葉を遮り、私は一歩前へ出た。

「ここは私がやる」

 兵士が振り下ろした剣を、私は横へ滑らせるように受け流した。

 勢いのまま身体を回転させ、その懐へ踏み込む。

 ――ガキンッ!

 剣が弾かれた。

 ヴォルカグリム兵が体勢を崩す。

 その隙を逃さず、私は剣を振り抜いた。

 兵士が後ろへ飛び退く。

「……っ!」

 すぐに体勢を立て直し、再びこちらへ斬り込んでくる。

 今度は正面から受け止める。

 ――ギィンッ!

 互いの剣が激しくぶつかる。

 力では押し切られる。

 そう判断した私は、剣を引いた。

 相手の身体が前へ流れる。

 その瞬間。

 横から斬り込んだ。

 兵士が倒れる。

「アシュ様!」

 レイの声が響いた。

 反射的に身を屈める。

 頭上を剣が通り過ぎた。

 振り返ると、別の兵士が剣を振り上げていた。

 だが――

 その兵士の横を、一つの影が駆け抜けた。

 ――シュッ。

 次の瞬間、兵士の手から剣が落ちる。

「油断なさらぬように」

 レイが立っていた。

「……助かった」

「礼は後で結構です」

 そう言って、レイは前へ向き直る。

 その先には、さらに数人のヴォルカグリム兵がいた。

「どうやら、まだ来るようです」

「なら――」

 私は剣を構え直した。

「まとめて相手をするだけだ」

 二人が同時に駆け出す。

 ヴォルカグリム兵が一斉に剣を振り下ろした。

 レイはその攻撃を正面から受け止めるのではなく、最小限の動きでかわしていく。

 一人。

 二人。

 三人。

 その動きには一切の無駄がない。

 私も別の兵士へ向かって踏み込む。

 剣と剣がぶつかる。

 相手の力を受け流し、空いた脇へ刃を滑らせる。

 また一人。

 周囲では、帝国兵たちも戦っている。

 炎と煙に包まれた林の中。

 そこだけは、確かに帝国軍が押し返していた。

「……何なんだ、あいつら……」

 ヴォルカグリム兵の一人が呟いた。

 その声を聞きながら、私はレイと一瞬だけ目を合わせる。

 言葉は必要なかった。

 まだ戦える。

 ここで退く必要はない。

 私は再び剣を構えた。

「行くぞ、レイ」

「はい、アシュ様」

 二人で再び敵へ踏み込む。

 剣を振るう。

 身体が、思い通りに動いた。

 ――速い。

 自分でもそう思うほどに。

 なんだろう、この感覚は。

 前の世界にいた私は、こんな動きなどできなかったはずだ。

 それなのに――

 今は、身体がただただ軽い。

「アシュ様!」

 レイの声で、意識が戦場へ戻る。

 目の前から、ヴォルカグリム兵が迫っていた。

 私は剣を構える。

 振り下ろされた刃をかわし、そのまま懐へ入り込む。

 私が振った剣は見事に敵兵を仕留めた。

 その横では、レイが別の兵士を退けている。

 さらに周囲では、帝国兵たちが次々と敵を押し返していた。

「押し込め!」

「ここを抜かせるな!」

 帝国兵たちの声が林の中へ響き渡る。

 ヴォルカグリム兵は少しずつ後退していく。

 だが――

「……おかしい」

 私は呟いた。

「どうしました?」

 レイがこちらを見る。

「敵が退いている」

「はい」

「だが、逃げているようには見えない」

 レイも周囲へ目を向けた。

 確かに、ヴォルカグリム兵は押し込まれている。

 それでも、隊列そのものは崩れていなかった。

 退く兵士の後ろには、必ず別の兵士がいる。

 まるで――

 こちらの動きを確認しているようだった。

「……罠、でしょうか」

「分からない」

 私は剣を握り直す。

 その時だった。

「――っ!」

 林の奥から、別の一団が現れた。

「まだいるのか!」

 帝国兵の一人が叫ぶ。

 だが、その兵士たちはこちらへ向かってこなかった。

 そのまま、先ほどまで戦っていた兵士たちと入れ替わるように前へ出る。

「交代……?」

 誰かが呟いた。

 私は目を細めた。

 敵は、戦いながら兵を入れ替えている。

 こちらには、それをする余裕がない。

 馬車も失った。

 平地から逃げてきたばかりで、兵士たちの疲労も大きい。

 それでも――

「帝国軍は、このまま押し返すぞ!」

 私は声を張った。

「ここで止まるな!」

「おおっ!」

 帝国兵たちが応える。

 再び剣戟が響き渡った。


 その頃――

「報告!」

 ヴォルカグリム軍の兵士が、林の奥を駆けていた。

 やがて、兵士は一人の少女の前で足を止める。

 少女は炎に照らされた戦場を、静かに見つめていた。

「帝国軍が、予想以上に抵抗しています!」

「そうですか」

 少女――アヤは、戦場から目を離さなかった。

「想定よりも兵の損耗が少なく、このままでは予定していた時間より――」

「構いません」

 アヤは淡々と兵士の言葉を遮った。

 そして、燃え盛る林へ視線を向ける。

「では――予定通り、次の段階へ」

「……はっ!」

 兵士は敬礼すると、すぐさまその場を離れていった。

 残されたアヤは、再び戦場へ目を向ける。

 炎の向こうで、帝国軍がヴォルカグリム軍を押し返している。

 その光景を見ても、アヤの表情は変わらない。

 ただ静かに――

 次の戦場を見つめていた。

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