闘《へいわ》を選びし者
オーガストホルンへ戻ってから、数日が経った。
私は城の一室で、机の上に広げられた地図を見つめていた。
そこには、レオニス帝国と周辺諸国の位置が記されている。
「帝都からの返答は?」
「先ほど届きました」
傍に控えていた兵士が、一枚の書状を差し出す。
私はそれを受け取り、内容へ目を通した。
帝都からの増援。
必要な物資。
そして、ヴォルカグリムへ進軍するための準備について。
こちらから送った要請に対し、帝都はすでに動き始めていた。
「……早いな」
「はい。殿下からの命とあれば、帝都もすぐに準備を進めるかと」
私は書状を机へ置いた。
あの日、ルナリアで見た光景が脳裏に浮かぶ。
逃げ惑う人々。
助けを求める声。
そして――自分たちを犠牲にしてまで、私たちを逃がそうとした人々。
あの光景を、私は忘れることができなかった。
だからこそ、ここで何もしないという選択肢はなかった。
「オーガストホルンの兵は?」
「現在、戦いに備えて準備を進めています」
「武器と食料は?」
「こちらも順次集めています。帝都からの補給が届けば、さらに整うかと」
「そうか」
私は地図へ視線を戻す。
ヴォルカグリム。
あの国を、このまま放置することはできない。
彼らが再び別の国へ攻め込めば、また同じことが起こるかもしれない。
そうならないためにも――
「……今度は、こちらから行く」
その言葉に、兵士は静かに頷いた。
そのときだった。
扉の外から、別の兵士の声が響いた。
「失礼します!」
「入れ」
扉が開く。
そこに立っていた兵士は、少し息を乱していた。
「ご報告があります」
「何だ?」
「国境付近を偵察していた部隊から、新たな報告が届きました」
私は兵士を見る。
「ヴォルカグリム軍についてです」
その言葉に、部屋の空気がわずかに変わった。
兵士からの報告を受けた私は、すぐにダルマンと将軍を会議室に呼び出した。
オーガストホルン城内にある会議室。
すでに机の上には、周辺の地図が広げられている。
「失礼します」
扉が開く。
「アシュ様、お呼びでしょうか」
「ああ」
二人が席に着く。
私は先ほど届いた報告書を机の中央へ置いた。
「ヴォルカグリム軍が、国境付近で確認された」
「……ヴォルカグリムが?」
将軍が眉を寄せる。
「先日の戦いで退いたばかりではありませんか」
「ああ。だからこそ、気になっている」
私は地図へ目を向けた。
「偵察部隊の報告では、小規模の部隊が複数確認されている。しかし、こちらへ進軍している様子はないそうだ」
「ならば、再侵攻ではない……?」
「まだそうとは言い切れません」
ダルマンが地図を見ながら口を開いた。
「軍を動かしている以上、何らかの目的があるはずです」
「目的、か」
私は腕を組む。
将軍が地図上の国境付近を指差した。
「この辺りで部隊を展開しているのであれば、考えられるのは二つでしょう。こちらへの侵攻準備か、あるいは何かを警戒しているか」
「何かを警戒している?」
「あくまで可能性ですが」
将軍は続ける。
「先日の戦いで我々の砦を落とせなかったことを受け、こちらの動きを探っているのかもしれません」
「……なるほど」
確かに、それなら説明はつく。
だが――
「それにしては、動きが妙だな」
「妙、と申しますと?」
「こちらを警戒しているなら、なぜ部隊をいくつもの場所へ分散させている?」
私は地図を見つめる。
国境付近に散らばるいくつもの印。
それらは一つの場所へ集まっているわけでもなければ、明確にこちらへ向かっているわけでもない。
「……確かに、規模を小さくすれば見つかりにくくはなります。ですが、見つかった際には簡単に一掃されてしまいますな」
ダルマンが呟く。
「何か別の目的がある可能性もありますが……」
「それが何なのかは分からない、か」
「はい」
ダルマンは静かに頷いた。
「現状の情報だけでは、判断するのは難しいでしょう」
「そうだな」
私は地図から目を離さなかった。
ヴォルカグリムが何を考えているのか。
今の情報だけでは判断できない。
「それに、どうやらヴォルカグリムは帝国と和解するつもりは無いようだ」
「……と言いますと?」
ダルマンが不思議そうにする。
「先日、和解のための場を設けようと使者を送ったが帰ってきたのは彼の遺体だけだった」
「それは帝国に対する挑発ですな」
「やはり、あの国は危険ということですね」
和解で終わらせられれば一番良かったのだが、厳しそうだ。
使者を殺し、挑発することでこちらの出方を窺っているのだろうか。
「仮に挑発であろうが、こちらの準備は止めない」
二人が私を見る。
「帝都との連絡を続けろ。増援と物資の準備もそのまま進める」
「承知しました」
「それと、偵察部隊を増やす。敵の動きを可能な限り細かく把握してくれ」
「はっ」
将軍が頷く。
「そして――」
私は地図の上に置いた指を、ヴォルカグリムへ向けた。
「準備が整い次第、こちらから進軍する」
その言葉に、二人は静かに頷いた。
まだ、敵の目的は分からない。
それでも――
もう、奴らの好きなようにはさせない。
◇
――ある日の夜。
私は、一人で城の窓辺に立っていた。
窓の外には、オーガストホルンの街が広がっている。
昼間まで聞こえていた人々の声は、今ではほとんど聞こえない。
明かりの灯った家々。
静かな通り。
そこには、いつもと変わらない夜があった。
今日も、人々は家へ帰り、家族と食事をし、眠りにつく。
そんな当たり前の光景。
私は、しばらくそれを眺めていた。
――守りたい。
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
ルナリアで見た光景が脳裏をよぎる。
あの人たちも、きっとこういう日常を生きていた。
家族と過ごし、笑い、明日も同じ一日が来ると思っていたはずだ。
それが、一瞬で奪われた。
「……」
私は窓枠に手を置いた。
私は戦争が嫌いだ。
戦争とは、人が人であることを諦めた愚行だと思っている。
だからこそ――
戦うという選択を、簡単に選んではいけない。
だが。
……戦わなければ、守れるのか?
自分自身に問いかける。
答えは、すぐには出なかった。
戦わなければ、戦争は避けられる。
そう思っていた。
けれど、違った。
私はルナリアで、それを見た。
戦いたくない人々が、戦う意思すら持たない人々が、戦争に巻き込まれていった。
ならば。
ヴォルカグリムが再び別の国へ攻め込んだら?
その時も、私は戦わないのか。
また誰かが傷つくのを、ただ見ているのか。
……それでは、何も変わらない
小さく呟いた。
戦わないことと、何もしないことは違う。
私は今まで、その二つを同じように考えていたのかもしれない。
戦争を避けるために、話し合う。
それでも相手が武力を振るうのなら――
誰かが止めなければならない。
私はもう一度、街を見た。
明かりの向こうには、今日を生きる人々がいる。
笑う人。
眠る人。
明日を待つ人。
その日常を、また奪わせるわけにはいかない。
……私は、戦争が嫌いだ
それでも。
だからこそ……終わらせなければならない
私は窓から離れ、机の上に置かれていた地図へ目を向ける。
そこには、レオニス帝国とヴォルカグリムに占領されたルナリアの国境が記されていた。
ヴォルカグリムを放置すれば、また同じことが起こる。
ならば、誰かが止めなければならない。
その役目を、誰かに任せるのか。
「……いや」
しばらく地図を見つめた後、私は決断した。
私がヴォルカグリムを止める
その言葉に、迷いはなかった。
そのために――私は戦う
それが正しいのかは、まだ分からない。
それでも。
何もしないという選択だけは、したくなかった。




